第73話 懐かしい友人と炎の記憶②

それは、夏の中でも特に最高気温が高い日の夜のことだった。

いつまでも空に居座ってた太陽がようやく沈み暗闇になる時間帯、俺は塾の夏期講習から帰宅し、ソファーでウトウトとしていたらそのまま寝ていたところだった。


そんな心地の良く流れる時間をジリリリリリリリリという甲高い音が無理やり妨げた。


焦げた臭いと廊下の騒がしさで血の気がひき、脳が完全に覚醒した。


火事だ。


俺は慌てて母親のタンスからハンカチを取り出し、廊下に出た。


この階の住民全員が下の階へ行こうと我先にと階段へ向かっていく。俺は気づいたのが遅かったせいか、かなり後続の方らしい。

どこから燃えているのか。何が起きているのかもわからず、怒声や火災報知器の音、微かに香る身体に毒がありそうな香り、白い煙に不安だけが掻き立てられていく。


そんな、何よりも助かることを考えるべき時、2つ隣の部屋に住む、よく面倒を見ていた小学生の女の子のことが頭によぎった。


この時間はまだ親が帰っていないはずだ。怖がりなあの子がこの状況で冷静な行動ができるはずがない。一人で泣いている可能性が高い。


その光景が思い浮かんだ瞬間に、他の住民とは逆方向に走り出した。


その時、俺と同じ制服を着た金髪の男とすれ違った。天音だ。


特に言葉を交わすでもなく天音は過ぎ去っていった。よかった。アイツなら余裕で助かるだろう。


俺は309号室のドアを叩いて、少女の名前を呼ぶ。

無事逃げられたのだろうか?俺はドアに耳を押し付ける。

すると、微かに少女が泣く声が聞こえてきた。俺は「開けてくれ」と叫ぶ。


「轟介お兄ちゃんどうしよ…!腰が抜けちゃって…!」


ようやく聞き取れたその声を聴いて、俺は扉にタックルする。もちろんその程度じゃドアを開けることができない。

裏側の窓から入れるだろうか。隣の部屋は天音だ。念のためドアをガチャガチャと動かすがもちろん鍵がかかっている。一番端っこであるこの女の子の部屋に入る方法は外から窓を開けるしかないだろう。

ドアと窓を密閉すれば炎を防げるかもしれないが、ウチのボロボロなアパートではかなり不安がある。少女を一人で残すのも不安だ。


その時、カンカンカンっとものすごい勢いで階段を駆け上がる音が聞こえてきた。

振り向くと、そこには荒い呼吸をする天音がいた。


「あ、天音…?!」


「何で逃げないの?!」


わざわざ戻ってきてしまったのだろうか?俺は久々にする天音のの会話にぎこちなく返した。


「な、中に腰の抜けた女の子が取り残されてるんだ…」


「マジ?!!?」


そうだ。こんなことで困惑している場合じゃない。


「頼む!!お前の部屋の鍵を貸してくれ!!」


天音は慌てた様子でポケットをまさぐり自分の家の鍵を開けた。


「こっから行くんだろ?!」


「あ、あぁ!お前は逃げてくれ」


「いや、手伝う!2人の方が確実だ!」


数年ぶりの会話にも関わらず。俺達は不思議と息が合っていた。

天音の家のベランダから少女の部屋のベランダに伝う。その時、下に目をやる。どうやら燃えているのは2階のようだ。ここは4階。急がなくては。


なんとか少女の部屋のベランダにたどり着くと、青い顔で顔をぐしゃぐしゃにした少女がへたりと座っていた。俺達の顔を見るとさらに顔を真っ赤にしてぐしゃぐしゃにする。

俺達は部屋に入り泣きじゃくる少女を抱き上げる。

女の子とは言え、小学校高学年だ。抱き上げたまま避難できるだろうか。


「ヤバイ轟介」


少女の玄関から、ドアを開けた天音が即座に閉めて青い顔をして言った。


「もう火こっちまできてる」


つまりドアから逃げることはできないってわけか。

そしてここは3階。窓は裏側にしかないため消防車が入り込むスペースは無い。

俺は少女の家を見回す


「カーテン!!カーテンで下まで降りよう」


俺達が来たことにより動けるようになった少女にハサミの場所を教えてもらい、高そうなカーテンを遠慮なしに切る。それを結んで繋げて一本の縄にする。


「登り棒得意だったよな?」


少女に優しく問いかけると、少女は涙目で頷いた。


「お兄さん達が抑えてるから。ぜってー大丈夫!」


天音も少女の頭をポンっとなでた。


「絶対に離すなよ!!」


カーテンで作った即席の縄にしがみつく少女を、天音と協力して少しずつ、少しずつ下に落としていく。


地面残り1mになった時、2階の炎が縄に燃え移った


「離せ!!」


少女は目をつむったまま縄を離す。着地には少し失敗したようだが、膝を擦りむいた程度のようだ。そのまま這うようにマンションから離れていった。


よかった。

脂汗まみれの額をぬぐう。全身から力が抜けるような安心感だった。

こんな状況でなければ抱き合って喜び合いたいぐらいだ。


しかし、俺を安心させる暇も与えず、大きな風が吹き、ぼおっと炎が一層大きくなった。ベランダに火が乗り移る。慌てて室内に入り窓を閉めた。


部屋に戻ると、白い煙がうっすらと蔓延していることに気づいた。


「ヤバイ。部屋に煙入ってきてる」


天音のその一言で、俺達2人が助かる可能性が限りなく低いものになったことを悟ってしまった。

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