第52話 光の勇者はそうしてナイフを突き刺した
”帰ろう?”
聴き間違いではない。見間違いでもない。
少女は確かに笑顔でこちらに手を差し出していた。
俺は今、この少女、を殺そうとしている。
そして、この少女は俺の命の恩人である女神様を殺そうとしている。
手なんて取れるわけがない。
俺は手を振り払う代わりに巨大な手のままビンタをした。大きく土埃が舞う。
「っ…駄目かぁ、結構洗脳解くのって難しんだな~」
光の勇者は後ろへ回避していたようだ。
心が読めるというのは想像以上にに厄介だ。
「…じゃあこれしかないかな~?」
光の勇者はそう言って懐からナイフを取り出した。
ずっと逃げてばかりだった勇者の、攻撃手段は小さく、あまりにも頼りの無いものに見えた。
「いや!!効くわけないだろ?!相手はゴースケだぞ?!!」
どこからか女神様を捕えている少年の叫び声がした。少女の説明通り透明になっているせいか姿は見えない。
「大丈夫だってウーサー!このナイフ、チルハ制のよく効くやつだから!」
如何なるモンスターの中でも物理攻撃が効きにくいゴーレムである俺をナイフで切る?何を言ってるんだ?
やえになっているのか、どうせ死ぬならば一騎討ちでかっこよく死にたいのか?
いや、少女の目は明らかに諦めている目ではない。何を考えているのか全く読めない。
「あっは!聞いたゴースケ?よく切れるんだって!」
この状況で、少女は綺麗な屈託のない笑顔で言った。
少年が静止する声が聞こえていないかのように、驚くほどに自然に歩み寄ってきた。
まるでこの場には俺とこの少女しかいないかのように。
他の人は存在しないかのように。
――本気で俺を殺す気なのか。
その落ち着いた笑みはきっと、覚悟を決めた顔だ。
俺を殺す決意をしたのだろう。
悪い。ここは通せない。女神様を助けなくちゃいけないんだ。
俺は拳を振り上げた。
しかし、少女はそこから一歩も動かなかった。
「あっは!本気で斬りかかってきちゃった?お前も大概馬鹿だよね!」
静止したまま俺を見上げて笑っていた。
「―――――――――――俺がお前に勝てるわけないじゃん」
それは、どうしようもなく疲れたような、泣きながら笑っているような笑みだった。
それは、俺が2度と見たくなかった笑みだった。
2度とそんな笑みをさせないと誓った笑みだった。
グサリッ
生々しい音が響いた。
赤い、赤い、赤い、真っ白に染まっていた心象風景が一瞬にして赤に染まる。
空気が凍る。時間が止まる。頭が冷や水をかえられたように一気に冷える。
そう、少女は、天音は、ナイフを自分に突き刺したのだ。
何やってんだ。馬鹿。馬鹿。何考えてんだ!!馬鹿!俺なんかのために何やってんだよ!!
俺は縮んで駆け寄って、倒れた天音を揺さぶり心の中で叫ぶ。
なんで俺がお前を傷つけてるんだ?なんで、なんでこんなことに……
「……聞こえてるよ。ゴースケ。」
抱きかかえた天音が、血まみれの天音が、俺の頬に触れた。
その声はあまりにも穏やかで、飼い猫に話しかけるような優しい声だった。
「お前やっぱお人よしだなぁ」
こんなに優しいこの人は、俺の正気を戻すためだけに自分をナイフで刺したのか?
なんで、なんで、俺なんかのために、
「そんな事言うなって」
頭を撫でる天音の手は少し乱暴だけど暖かかった。
そして、俺をあやすように天音は言った
「もう一度、お前に出会えてよかった!!」
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