第三章「ふたりのマリア」1-3

 今日、真里がツイッターに上げた写真が思わず顔がニヤやけてしまうくらい可愛かったのでリツイートをした。最近、上げた写真の中では抜群にポーズから表情までグッドと親指を立てて突き出したくなる。

 だが、たった数十分後にこの笑顔は台無しになり、慟哭の渦に。今後の事を憂う。真里は立ち直ることができるだろうか。いや、そのためにできる限りサポートしようと西田は心に決めた。

 西田のツイッターにダイレクトメッセージが届いた。ここへくるメッセージは仕事の依頼が多い。今、まともに読んで返事をする気にはなれなかったが一応、気を紛らわせようと内容だけでも読む事にした。


『いきなりのメッセージお許しください。あの、西田さんが先ほどリツイートしたヨシカワマリさんという女性の写真、こちらのタイムラインにも回ってきたので拝見させていただきました。お互いにフォローをしているようですがお二人は知り合いでしょうか?』


 送ってきた相手はカメラマンだと英語表記ではあるがプロフィールを見れば察しがつく。真里を撮りたいというカメラマンは一定数いると認識している。中には卑猥な写真を撮りたくて近づく人も多くなったので今はフォローしている相手以外とはダイレクトメッセージを送れないように設定している。そういう人が自分を介してコンタクトを試みようとしている人かと西田は予想したが今はそれどころではない。はっきりと断ろうと思ったがフォロワー数、それよりも名前を見て仰天した。

 ローマ字表記と共に漢字で吉田幸樹よしだこうき、世界的に評価されているベテラン写真家だ。

「えっ、えっ? ほんもの?」

 あの公式マークもついている、少なくとも得体の知れない怪しい人ではない。コロッと気が変わり先ずは返事をして話は聞こうと思う。まさか、真里があの吉田幸樹の目に引っかかったのか。申し訳ないがいくら真里が可愛くても有り得ないと思った。そもそも彼の作品にそういうあまり写真はないと記憶している。


『こちらこそ、まさかあの吉田幸樹さんからメッセージが来るとは光栄です。はい、仰る通り私とヨシカワマリは大学生時代からの友達ですが何かありましたでしょうか?』

 

 歳は60歳を過ぎていたと思うが返事のスピードが今どきの若者のように速かった。

『ご返事ありがとうございます。そうですか、学生時代からのお友達でしたか。大変恐縮ではあるのですが彼女とお話をさせてください。いきなりこんな事を言っても困るでしょうが、どうしても会いたい理由があるのです。ある写真を今から送ります』

 メッセージとほぼ同時に送られた写真に理解が追いつけなかった。

「えっ、これって……真里?」

 白い、丈が短めのワンピースに身を包み、しゃがんだ姿をアングルは真下、体は横向きで写している写真が送られてきた。右手でピースサインをしている、カメラを向けられたら無意識に表情を作ってしまうような映える笑顔で。


『送りましたお写真、見ていただけたでしょうか? お分かりだと思いますが今のマリさんの方が大人に見えますが、瓜二つと言ってもよいと思います。むしろ彼女がまだ学生だった頃の姿というのがしっくりくるくらいに。しかしここからにわかに信じ難い事を話さなければいけません。お察しかもしれませんがこの写真は私が大学生の時に撮った大変、古い写真です。そう、今から約40年前の写真になります。これだけ話しても私がお会いになりたい理由が分かるのではないでしょうか?』

 血の気が引いたようだ。そして西田は眉間に皺をよせる。古く見えるように加工した写真ではと疑う、今だったらいくらでも手を加えられる。それでも吉田幸樹が真里の写真を持っていることには変わりはない。しかも、これは確かにやや幼い印象もあるが真里がまだ大学生時代の写真のような気がする。

「……怖いくらに似ている。ドッペルゲンガーってやつ?」

 無視するわけにはいかない。西田は吉田幸樹に前向きな返事をしてその日のやり取りを終えた。なるべく早く会いたいという注文に西田も同意だった。こんな謎を知って平然と過ごせるわけがない。


 今の心情を思うと真里には申し訳ないと思いつつも、こちらもそれに匹敵する重大案件と捉えその気持ちも薄れて、この衝撃を知った勢いのまま西田は再び真里に電話をした。

「ううん? なに……」

 第一声で不機嫌の色が強いと耳から伝わり、それは胸へと下り痛みが走る。

「真里、度々ごめん。聞きたいことがあるんだけど、吉田幸樹さんっていう人と会った事ある? カメラマンをしている方なんだけど」

「よしだこうき……ううん、会った事も聞いた事もない」

「そう。その人がね、真里の写真を持っているの。しかも真里がネット上に自ら上げた写真じゃない門外不出の」

「えっ、なに怖い事言っているの」

「ごめん、正確には、真里にもの凄く似た写真。でもね、その写真が似ているとか、そうういうレベルじゃないの。あっ、今からその写真送るから見てくれない。そっちの方が分かりやすいと思う」

 西田は通話を一旦切り、吉田幸樹から送られてきた写真をLINEのアプリを通して送る。


 早速、送られてきた写真。それを見た真里は枯れてしまった花が再び蘇るように背筋をピンと伸ばした。

「なに、これ?」

 見た瞬間に気分が悪くなった。撮られた覚えがない写真。しかしそこに写っているのは明らかに自身であると自分でも真っ先に思ってしまう、これは一体。

 西田から「どう、驚いた?」というメッセージが送られてきた。

 確かに驚いた。これは西田が急いで連絡をしてきたのも分かる。

 だが覚えがない……いや、それは誤りだと直ぐに頭の中の記憶が訂正し始めた。その写真に写っている者の服装をよく見てみると。

「あれ、この格好って……」

 拡大してよくよく見ると、真里はあの記憶を懐かしさを感じつつも昨日の事のように思い出した。


 この写真に写っている人物は『もう一人の真里』だった。

 

 磯村を助けると決意したあの日、体に負担をかけないようにということで着せられた白く薄いワンピース。その身体とは早々に別れを告げた。その真里がそこには写っていた。

「あっ……」

 拡大した写真からそれを決定付ける証拠が見つかった。タイムカプセルを何十年ぶりに開けたような感覚が迫り来る。その込み上げたものに感化されて、涙がとめどなく流れる。

「この腕時計、これは、恭ちゃんが私に、くれた……」

 鮮明に写っているわけではない、むしろぼやけている上に夜間、野外で撮られた写真のため形が掴める程度ではあったが確信はあった。今、真里が生きる時代にはない物。それをこの真里は左手首に身に付けていた。磯村が誕生日プレゼントにくれた『青い薔薇』のイラストが盤にプリントされた腕時計。

 また一つ、磯村との思い出を見つけた。それは時を越えてやって来てくれた。今日は何回、泣けばいいのか。それでも泣かずにはいられなかった。自分の歳などお構いないなしに声を上げて泣く真里。

 もう一度、真里は磯村に会いたいと強く願った。もしかしたら会えるような気がしてきた。真里は涙の底に強い意志を、その瞳に宿らせた。

 何かあったのかもしれない。この真里は確か厳重に管理されると凛が言っていた。その真里がなぜ一般人の前に、しかも思いもよらない時代に現れて写真なんか撮られているのか。この笑顔とは裏腹に何か重大な事件が起きた。それは何なのか分からないが真里はそう読んだ。

 なぜ突然、磯村の記憶が消えたのか――真里はその原因もなんとなく察しがつき始めた。

 消したのは凛である。確か最初に会った頃に記憶を消して元の時代に返すみたいな事を言っていたのを思い出す。タイムマシンができた未来であれば人の記憶さえ自在にコントロールできるのは不思議な事ではない。

 磯村はどのみち若くしてこの世から去る、それは正しい未来であったのだろう。このままだとまた真里が奈落の底に突き落とされる事になる。それを避けたかった凛は磯村の記憶を真里の頭から消した。

 それが何らかのトラブルが起きてこうして再び記憶が呼び覚まされた。それとこの『もう一人の真里』が目を覚ましてどこかの時代をうろついているというのも無関係な訳がない気がした。


 海へと転落した磯村の遺体は未だに発見されていない――ここに真里は一縷の望みを託した。



「わざわざ向こうから来てくれるなんて……」

 西田はそわそわしている。西田と吉田幸樹は今、東京の中心地に事務所を構えて活動している。しかし真里だけがその輪から外れて、どこで会おうかという話になった時に吉田幸樹は無理をしないように真里の地元でいいと言ってくれた。

 大先輩を前に西田は申し訳ない気持ちがあったが、こちらの都合だからと押し切った。

 だがその真里も今は一人暮らしをしていてその実家から離れていたが、遠くはなくたまに帰っていたりもしたのでそれで構わないという事になった。

「まぁ、でもなんか真里の地元を教えたらそこにちょうど家族が住んでいるから好都合だみたいな事を言っていたから結果的にはよかったのかな」

「麻里、いくら相手が偉い人でも今回はこれが正しいでしょう。そんな弱腰になる必要ないって」

「そりゃあね、真里は分からないかもしれないけど吉田幸樹さんって凄い人なんだからね」

 そんな凄い人を出迎えるのに場所が駅と隣接する商業施設内、フードコートの席。休日ということもあり周囲は子供連れ等の客で騒がしい。

「せめてもっと、席が仕切られている喫茶店とかが空いていればねー」

「でも逆にこういう開けた場所の方が緊張もほぐれていいかも」

「そういう見方もできるか。あっ、吉田さんから連絡来た。今、この建物の中に入ったって。私、迎えに行ってくる」

 西田は今日、初めてここへ来る。この中をより把握しているのは小学生の頃から利用している真里だ。迎えに行くのはどちらかと言えば自分の方が適任だと思いつつも勝手に動いてくれる西田を止めはしなかった。向こうからしてみれば40年ぶりのご対面を果すのだから主役はここで待っているのが相応しい。

 特に何も考えずに静かに待つ。周りの雑音も煩わしいと思う事はなかった。むしろこの平穏な風景が胸に滲みて、尊いとさえ思う。

 やはり西田と吉田幸樹は合流が遅れているのかもしれない。そう思わせるだけの時間が経っていた。広いし、ここが4階だと考えれば迷ったりするのも仕方がないかもしれないと気を抜こうと斜め下を向いた時だった。

「真里、吉田さんが来たよ」

 クイックモーションのように下げた首を上げた。そこには髪の毛は白髪で、白いジャケットに灰色のズボンを穿いた男性が向かってきた。彼が吉田幸樹だ。ネットで検索しても顔写真があまり出てこなかったが、数少ない出てきた写真と比べて髪の毛が少ないくらいで印象はそこまで変わらなかった。

「あぁ、あなたが吉川真里さんですか。初めまして、というのも私からしてみれば違和感あるのですが、どうも初めまして。吉田幸樹と申します」

「ほんとすみません、ランチタイムというのもあってか席が空いてる所がここしかなかったのです」

「いいえ、そんな事は気にしないで」

 吉田幸樹は真里の顔を、世紀の大発見をした眼のようにじっと見つめながらゆっくりと席に座る。西田は真里の隣に座った。

「やっぱり、あなたは私があの時会った写真の女性としか思えない。醸し出すオーラ、佇まい、何より表情、全て色褪せない記憶と一致する。あぁ、ようやく、ようやく会えた……もう諦めていたのに」

 そうゆっくりとした口調で話す。今にも涙が出そうなほど感極まっていた。

 高齢に差しかかる男性にいきなり対面した途端にまじまじと見つめられて、こんな事を言われるといくら相手が偉い人でも嫌悪感を抱く。真里には気持ち悪い事をほざくおっさんにしか見えなかった。

「あの、早速ですがこの写真を撮られた経緯というのを覚えている限りお話していただけないでしょうか?」

 西田はプリントアウトしたあの写真を差し出して先ず知りたい事を質問した。この3人の中で一番冷静なのは実は西田なのかもしれない。

「そうですね、はい。お話しましょう。どこから話せばいいか……」

 吉田幸樹は一度、天井を見上げてから、今度は下を向き話し始めた。

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