第一章「繰り返す螺旋」1-5

 学校が始まる。せっかくこうしてまた磯村と過ごせる日々がやってきても真里は憂いの表情を浮かべた。

 磯村は5月になってから徐々に学校へ来なくなり不登校といっていい状況に陥る。そして9月から通信制の高校へ。

 真里の気持ちなどは無視してこの決断をした磯村は夏に、8月に別れを一度切り出す。磯村にとって真里などその程度の存在だった。

 それでも真里は別れたくなかった。なぜと聞かれてもどう言葉にしていいのか分からなかったが、他の男とまた付き合えばいいという発想にもならなかった。

 周りにいる男では磯村の魅力には敵わない、分かりやすくいえばそう思っていた。

 そこにある日、突然気がついた時に今更ながら自分は良い男を選択したと実感した。周りを見てみれば付き合う前には見えなかった粗がどんどん曝け出されて、長く付き合っていくのは無理だと痛感する。そして別れる。

 真里は逆だった。とりあえず外見は良くても、何を考えているのかいまいち分からない第一印象からどんどん彼を知る事ができて惹かれていった。もっと彼を知りたい、もっと仲を深めたい、だがそう思った時にはもう遅かった。

 そうなる事が分かっている以上はこの4月、大事にしたかった。極力、磯村と一緒に過ごす。そう意気込み二度目の高校3年生の生活をスタートさせた。

 始業式の日、この時期にしては寂しい桜の開花具合だった。

 真里と磯村はいつものように教室がある階の廊下で待ち合わせをして一緒に帰ることになる。先に待っていた磯村に真里が近づくやいなやいきなり磯村は左手で真里の頬っぺたを挟むように掴んだ。そのままその感触を確かめるようにプニプニ動かした。

 無言のままその状態が10秒ほど続いた。

「なに? 今の」

「いや、ただ、触りたかっただけ。真里も黙ってないで嫌だったらやめてとか言えばよかったのに」

「べつに嫌じゃなかったけど、こんなこと初めてされたから」

「そっか。まっ、帰ろう。さすがに今日はまだ空気全体が重かったね」

「うん、あんなことがあった後だもん」

「街もいつもだったら電気が点いている所も節電なのか、暗かったし」

「卒業式が中止になった学校もあるみたいだしね。来年は私達が卒業だよ」

 校庭に出ると相変わらず風が強い。今日はいつもよりその風が強く時おり前へ進むことさえ阻むような風が吹く。

「ねぇ、さっきも言ったけどいよいよ来年卒業なわけだし、これからは登校する時も一緒に行こう」

「えぇ、登校の時も? それは予め乗る電車決めなきゃいけないし、寝坊する場合もあるってことで無しになったはずじゃ」

「そうだけど、卒業したらさすがに私達、別々の進路に進んでそう簡単に会えなくなるじゃん。最後の1年はもっと思い出づくりをしたいなって思って」

「俺はいいけど、絶対に寝坊するなよ」

「うん、大丈夫!」

 そう言った磯村も決して朝が強いわけではない。ただ、自分が寝坊することによって誰かの迷惑となるとなった場合はなんとか起きられることができる。明日からの磯村は絶対に寝坊することはなくなった。

 真里も同様にここで約束の時間に駅のホームに居ないという失態は犯さない。朝は当然、通勤、通学ラッシュの時間帯。たとえ同じ車両に乗っても中の混雑で合流できるのは難しい。そのためわざわざ磯村が真里が乗る駅で降りて、そこで合流して次の電車に乗るという手段にでた。そこまでするか、という磯村の声があったが押し切った。これも一分一秒でも磯村と共に過ごすためである。


「あっ、ちゃんと居た。おはよう」

「バカにしないでよ。ちゃんとばっちり目が覚めて準備してきたし」

 ただでさえ仕事が憂鬱と思っている人の気持ちが充満している時間帯。磯村もまだ頭がぼーっとしているようで会話が弾むということはなかなかない。

「ねぇ、今度は次のテスト、一緒に勉強しよう? 彼氏彼女が一緒に勉強するの、実は夢だったの。今年が最後のチャンスだし」

 吊り革に掴まり窓の外をただ冴えない目で眺めている磯村に、真里がこう言ったことによって驚きのあまり嫌でも目が覚めた。

「真里がテスト勉強? どうした、何があった。そんなイメージだけで、楽しいと思うほど甘くないよ、現実は」

「だから、さっきからバカにしないで。言ったでしょう、最後の高校生活はたくさん思い出つくろうって。何も楽しいことばかりが思い出じゃないでしょう」

「そんなこと言うようになったんだ。俺には音をあげて途中で放棄する姿しか見えてこないけど」

「やってみる前から決めないで。今年の私は一味違うところを見せるから」

 思いつくことは全て実行に移した。おかげで他の女友達と居る時間は激減したものの、それで構わなかった。磯村も真里がそういうつもりならということでそれに合わせた。ハマッテいたアーケードゲームに時間を割けなかったのはやや残念に思っていたが、それも真里の嬉しそうな顔を見るとどうでもよくなってくる。

 真里の、磯村の日常はほぼ同化していった。


 4月の末日からテスト勉強に着手した。平日であれば夕飯の時間頃まで真里の両親は仕事でいない。ちょうど磯村の定期券内に真里が降りる駅も入っていることから勉強は学校帰りに真里の家ですることにした。

「今まで来たことがなかった真里の家にこんな短期間で2回も来ることになるなんて、なんか不思議だな」

「そうだね。私、制服、脱いで着替えるからちょっと待ってて」

 なんなら着替えているところを見られても構わなかった、がそれだと勉強どころではなくなりそうなので言わなかった。真里は今までの人生の中で一番やる気に満ちている。少しでも頭の良い磯村に近づきたかったから。そういう事はテストが終わってからのご褒美で、今は勉強に集中する決意だ。

 ジーパンに白のTシャツ、薄いカーディガンを羽織り肩の下まで伸びている髪の毛をヘアゴムで結んで気合いを入れた。

「次の四字熟語を使って短い文章を作れって問題は絶対に出してくるはずだから、読める、書けるだけじゃなくて、しっかり意味を理解して、直ぐに思いつけるようにしないとね」

「そういう自分で考える系の問題は苦手かも。どれも普段、使わない言葉ばかりだし」

 1年生の時から勉強に励みテストでも高得点を取ってきた磯村と真里の学力は歴然だった。そのため磯村が真里にテストの傾向についてアドバイスをしたりするというのが主となり、もはや真里の家庭教師を磯村が務めるという状態になっていた。

「なんかごめんね、教えてもらってばかりで」

「いいよ。こうして誰かに教えると自分も確認できて良い復習になるし。ただ、それも分からないのという問題を少しでも減らしてくれたら嬉しいけど」

「頑張ります」

 たまに耳が痛いことを言われるが真里にとって一人でやるよりは全然良かった。悪い言い方をすれば目の前に外的圧力があるだけで集中力が持続する。そして次回には忘れてしまったら何を言われるか分からない。何らかの形で追いつめることによって人は努力をするようになる。

 夕方18時過ぎに磯村は帰って行った。そういえば一つ屋根の下、二人っきりになってもまるでそういう雰囲気にならなかったのが少し残念に思った。磯村は煩悩を滅したかの如く真里の指導に神経を集中させていた。たまには、また女性として自分を見てほしかったという本音もやはり少なからずある。

「真里」

 上の方から誰かが自分を呼んでいる。普通であれば何事かと慄くところであったが真里は察した。これは凛の声だと。

「真里の部屋に居るから来てくれない」

 真里はそれに従い急いで自分の部屋へ向かった。そこには凛がベッドの上で尻もちをついていたところだった。

「凛、どうやって入ってきたの」

「そんな玄関から正直に入ってくるわけないじゃない。屋根から空間移動の要領で入ってきたの。ただ今、降りる時にベッドをクッションにしたからこんな体勢だけど」

「正直、いつも通りの生活に戻って凛のこと忘れていた。今はそんな遠い未来とは程遠い生活だし」

「それでも構わない。信じてもらうのは難しくても、未来のことを誰かに話すようなことをされるよりは。調子はどう?」

「うーん、とりあえずまた恭ちゃんと本当に会えて嬉しいかな。もう一度、高校生として生活しているのが違和感あるけど」

「そう。こちらから言えるのは、このままだと真里が一度過ごした過去とは大きく変わるはず、見違えるようにね」

「えっ、そうなの。それってまずいってこと?」

「それは大丈夫。過程が変わるだけだから。結果まで変わることはそう簡単に起きない」

「過程。ねぇ、そのどこまでが過程で、どれが結果なの? 例えば私が大学に落ちたのは過程なの、結果なの?」

「ごめん。それを言っちゃうと、どれがその人の未来に大きく影響するのか分かっちゃうから言えないかな。けど、その人が予期せぬタイミングで亡くなっちゃったらその後の未来も何も無いから私がこうして動いたという事実はある。要はそのくらい大きなことがないと私もそう簡単に動かないってこと」

 真里はこの言葉をどう捉えていいのか戸惑ったが、つまりは余程の事がない限りは大丈夫、そう言っているような気がした。

「今、私、恭ちゃんの転校をなんとか阻止できないかなって思っているの。それは大丈夫?」

「なるほど。ここまでの行動からそうなんだろうなとは思っていたけど、それは言ってもいいかな。安心して、磯村くんの転校が無くなっても問題はない。なぜなら彼はどんな形にせよ高校は3年間で卒業して、でも進学も就職もしなかったって事になれば、こっちはいいと思っているから」

「そうなんだ。それは、変えちゃいけないんだ」

「そうね。仮にそうなったとしても途中で辞めて結局フリーターになったでもいいけど。でも、これは真里がどう頑張っても変えられないような気がする。それは真里がよく理解しているんじゃない?」

「確かに。本人は明確な目標もないのにとりあえず進学するのは嫌だって言っていたし、就職なんて最初から眼中にない感じだった」

「それが変わるというのは相当なこと。でも、そんなことは滅多に起きない」

「うん、それを聞いて少し安心した」

「よかった。それと、もしかしたらお望み通り転校は無かったことにできるかもね。磯村くんにとって今、真里はすごい大事な存在みたいだし。以前みたいに易々と見切るなんてことはしないと思う」

 花開くように笑顔になる真里。これからの磯村との過ごすであろう日々に早くも想いを馳せた。


 望んでいた事が少しずつ現実味を帯びてきた。磯村はここまで一度も学校を休まずに中間テストを終えた。多くの学生にとってテスト勉強はネガティブなイメージしかない。それも心に決めた人と一緒にやればだいぶ緩和された。なぜ今までやってこなかったのだろうとさえ思った。翌週からテストの結果が早速、続々と返されていく。真里は放課後、磯村に全体的に点数が今までより上がったということを報告した。あくまで今までよりは、である。

「英語もね、動詞の変化した形を全然覚えていなくてバツにされると思ったけど、それ以外は合っているから減点扱いにしてくれたし。やっぱり恭ちゃんに教えてもらったのは効果絶大だったよ」

「いや、俺がというよりも単純に真里のやる気があったからだと思うよ」

「そうなのかな」

「そうだよ。俺が教えたところで、真里自身のやる気がなかったら結果は出なかっただろうし、今回は互いにやる気があったから上手くいっただけの話だよ」

「そのやる気を引き出してくれたのは恭ちゃんだって思っている、ありがとう。こうなったら期末テストもよろしくね」

「真里、なんか変わったな」

「変わった? どのへんが?」

「いや、なんというか、ブレない軸ができたというか、何か目標でもできたの? 卒業したらこれがやりたいとか」

「うーん、まだ具体的には。でも大学いきたいとは思っている。恭ちゃんはどうなの? 卒業後は」

「俺は、何も決まっていない。周りも大学いきたい、専門いきたいって言うやつが出始めたけど、俺はなにがしたいんだろうなって実は4月くらいからずっと考えている」

「そうなんだ。とりあえず大学はいっておいたら? そこでまた新しい出会いもあって、やりたいことが見つけられるかもしれないし」

「まぁ、もう少し考えてみるよ」

 やはりこの話題になると、どこか沈みがちになる磯村だった。そういう真里も大学にいきたいと言ってもそのやりたいことが明確にあるわけではない。ただ、また新しい人々の出会いがある。そこに魅力を感じているから大学に行く、そう言ってもいいかもしれない。そこに磯村は興味があまりなさそうだった。

 今は何を考えているのだろう。自分には到底、理解の及ばないことが頭の中をぐるぐると回っているような表情で教室の窓の外、どこか遠くを見つめている。

 そんな頭の中を少しでも知りたい、覗きたかった。


 この日、とりあえず中間テストを終えたということで真里は磯村を自宅へ招き、小さな打ち上げをやった。

「ここ最近はずっと勉強でここに来てたから、こうやって落ち着けるのはやっぱいいね」

 リビングのテーブルに広げられたジュースにお菓子は一仕事を終えた身には格別だった。

「ねぇ、タイムマシンっていつかできると思う?」

「タイムマシン? いきなりどうしたの」

「最近、色々な事に興味を持ってて。恭ちゃんはどう思っているのかなって」

「うーん、多分、未来へはいけるかもしれないけど、過去は難しいんじゃない?」

「どういうこと?」

「前に新聞で読んだことあるんだけど、タイムマシンって専門家の間ではけっこう真剣にできないか考えられているみたいで、光のスピードが出せる乗り物ができれば未来へはいけるみたいなことが書いてあった気がするから、未来へはいけるんだろうなって思っている。でも過去ってなったら、色々とややこしくなるんじゃない? もしも過去へいって歴史を変えたらどうなるのってなるし」

 ここまでの会話でなんの脈絡もない質問をいきなりしても、それなりの返答が返ってくる磯村に真里は感心した。やはり日々、色々な事を考えているのは間違いなかった。

「なに、そういう話に興味を持っているってことは宇宙とかにも興味持っていたりする?」

「宇宙? いや、そこまでは」

「なんだ。俺は絶対に宇宙人というか、地球以外にも生命体はいるって信じている。いつか遥か未来には惑星間での交流も当たり前になって、宇宙地図なんていうのもできるという未来を想像している。そう考えると俺達の住んでいる世界ってすごいちっぽけだと思わない?」

 とんでもないスケールの大きなことを言ってきて面食らう真里。とてもついていける自信はなかった。

「そんなこと考えているんだ」

「空を見上げれば確かに、その先にも世界は広がっているはずなのに、それを見ることなく死んでしまうのは凄い心残りだよね。俺達の居るこの世界、宇宙全体はどういうものなんだろうって知ることができる前に。そう考えるとこの先、人生の大半を仕事に費やさなければいけなくなるのがバカらしく思えてくるよね」

 磯村の本音が聞けたような気がした。こんな途方もない未来について想像を飛ばしている少年が、やれ進学だの就職などに何の関心も抱かないのは無理もないのかもしれない。

 ここまでくるともう少し目の前にある現実を見てほしいという思いもあるが、そういえば磯村はこの先、有名人になるという凛の言葉もある。もしかしたら今から猛勉強をして宇宙の謎を解き明かす重大な発見でもするのだろうか。

「そういうロマンのある話もいいけど、もう少し目の前のことにも気を遣ってくれないかな?」

「そうだな。所詮、俺には関係ない話だし」

「そうじゃなくて。今この状況で、何も思わないの?」

 台所に置いてある椅子に座っている真里は両足をバタバタさせた。リビングの床に座り込んでいる磯村の視線にちょうどその両足が映る。真里はまだ制服姿で下はミニスカートと言っていい。

「おいで」

 そう言いながら手招きする磯村、真里は嬉しそうに小走りで近づいてくる。

「中間テストの勉強教えてくれてありがとうね。今日は息抜きのために来たんだから」

「結局は人って誰かと触れ合ったり、愛し合うために生まれてきたのかなって思う時もあるよ」



 6月上旬、次の授業が始まるまでの短い休み時間。学校の廊下で既視感が襲う。

「あれは」

 教室から出てくる人物、磯村である。だが、黒い縁の眼鏡をかけていた。それだけでだいぶ印象が変わる。

「恭ちゃん?」

「あっ、真里」

 真里が声をかけるとちょっとばつが悪そうな反応だった。

「どうしたの、その眼鏡。登校する時はかけていなかったじゃん」

「いや、今、席が一番後ろなんだけど、そこからだと黒板が見えにくいから俺もそろそろ眼鏡が必要かなって思って。今のところ授業中以外はかけていない」

「そうなんだ。いつ買ったの?」

「中間テスト終わったら買うって決めてた。つい最近だよ」

「ふーん。でも授業中だけってことは私は恭ちゃんの眼鏡姿みれないじゃん。普段からかけてよ。眼悪いんでしょ?」

「そう言うなら。確かにかけていた方が視界良好だし」

 磯村が眼鏡を購入する時期が早まった。確か本来であれば今年の秋頃に、転校してから買ったと言っていたはずである。その眼鏡姿の磯村を真里は偶然にも街中で見かけてその事を知った。

 微妙にずれている、何かが変わったことによって。


「やっほー真里」

「うわぁ、びっくりした。凛」

 凛が真里の部屋、天井から顔を出し例によってベッドをクッションにして下へ降りてきた。

「5月はテストで忙しそうだったから少しずらしてきたの。早速、そっちから何か聞きたいことはある? こちらから見れば特に問題ないって思っているけど」

「うん、なんかその、過程は変わっても結果は同じっていう意味が少し分かった気がしてきた。前と過ごした過去とは大きく変わっているけど、それと同時に前と、どこか似ているかもって思う時もあるし。ただタイミングや時期がずれているだけなんだね」

「良い所に気がついたのね。そう、過ごしてみると実は本質的には同じような過去を辿っている。ただ時期、タイミング、あとは場所とかが変わっただけ。こう考えるとあまり外見的な変化は気にしなくていいって思えるでしょう」

「そうだね」

 当初、未来がかかった大役を任されたと思った真里も予想よりもあまりにも普通に日常を過ごせていることから随分と気が楽になった。この調子でいけば磯村の命を救うのもそんな難しくないんじゃないかと思えてきたが、真里には一抹の不安が静かに泡を立てて沸騰し始めてもいた。

 磯村とは時期がずれただけで、結局は、最後は別れることになるのか――

 過程が変わっただけで結果は同じ……このことについて凛に聞いてみたいとも思ったがその勇気は今の真里にはなかった。そこは聞いてはいけない暗黙の了解のようなものがあるのではないかとさえ思った。

そもそも磯村とは別れる未来が用意されていた。その後はどのような人生を歩み始めるはずだったのか。大学には進学できたらしい。そこで新しい出会いを求めるのか……。

 想像したくなかった。磯村と別れる、別れないは大したことではない、そう願うしかなかった。

 そんな不安、恐怖ともいえる気持ちを抱いていることなんてこっちは知らないと言わんばかりに凛はある事を真里にお願いした。

「あのさぁ、お願いがるんだけど、どこかのタイミングでこの日本を案内してくれない?」

「あっ、それいいね。やっぱり観光したいんだ」

「うん、せっかくの機会だしこの時代の人にお勧めのスポットを案内してもらった方が良いかなって思って」

「分かった。時期は夏休みでいいんじゃない?」

「ありがとう。じゃあ7月にこっちへ来る時、いつも夜頃だけど朝の時間に来るね」

 7月27日、午前10時頃で約束をした。未来人に自分の時代を案内する。こんな経験はできるものではない。真里は今からどこへ連れて行こうか、心を躍らせながら考えることにした。凛は人が多い場所であればどこでも良いということであった。



「おめでとう、今日でテストも終わりです」

 そう言いながら真里は自分の席に座りながらいつものように窓の外を見ている磯村の姿を携帯カメラで写真を撮った。

「今、写真撮ったの?」

「うん。期末テストも今日で終わってもう直ぐ夏休みだね」

「そうだな。ってか勝手に撮るなよ」

「夏休みこそ高校生活、最後の思い出を作るのには絶好の時期だよね」

「とは言っても、特に今までと変わったことはないような」

「なんでそんな冷めているの?」

「いや、過度に期待していないだけだよ」

 今日は小降りの雨が降っていた。校内から出る二人、真里は有無を言わさず磯村の傘へ入った。

「なんだか懐かしい。2年前の今頃もこうして一緒の傘に入って駅まで帰ったよね」

「あの時はまだ付き合っていないし、びっくりしたけど」

「そうだったね」

 あの時の必死な自分に若干の恥ずかしさが込み上げる真里。

「なんだかんだここまで付き合ってこれたけど俺達、卒業してからも上手く付き合えるかな? 会える回数は激減するだろうし。真里はどう思う?」

「なに言っているの。それなりに上手くやっていくでしょう」

「いや、でも会えなくなると気持ちも自然と離れていく場合もあるし」

「そこは大丈夫。私、実は今、考えている進学先の場所が偶然にも恭ちゃんがいつも使っている駅が最寄りなの」

「えっそうなの。まさかそんな理由でそこに決めたとか?」

「ううん、ほんと偶然だったの。これはもう運命としか言い様がないよね」

 真里はにんまりと笑顔でそう言った。

「そういえば駅から大学行きのバス走っているな。そうか、真里が地元の駅に通うかもしれないのか」

「そうしたら今度は恭ちゃんの家にも行ってみたいな」

「俺の家……そうだな、真里の家みたいに誰も居ないっていう日があまりないから機会があるか分からないけど」

「別に誰か居てもいいよ。自分の部屋はあるんでしょう?」

「うん、そうだけど」

 あまり乗り気でないのは明らかであった。

 男の部屋、なるほどと真里は察した。磯村も男である。きっと誰にも見られたくない、特に彼女からは、そういう本やビデオソフトがあるのか。そこは批判するつもりはないがやはり気まずいものがあるのだろうと想像した。

 一度は不合格を突きつけられた。卒業後、今度こそこの生活を実現するためにも真里は気を引き締めた。磯村と共に過ごす未来を絶やさぬように。



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