第一章「繰り返す螺旋」1-4

 ……仮説。未来人がタイムマシンを使い過去へ行ったらその未来と過去が紐付けされる。だから我々はその過去を監視しなければならない、我々が生きる未来が訪れるように……。



 瞼が開く。見慣れた天井が視界に入った時、妙に安心してしまった。自分はここにいる、確かめるように首を僅かに左右に振ったり、まばたきをしたり、息を吸う、吐く。まだこれが現実なのか、夢なのか曖昧な感覚が残る。そのせいか、起き上がる気にはまだなれなかった。

 携帯電話――起きれなくても手を伸ばせば届く距離に置いている。右手を動かそうとした時、ようやく手が動かせると脳が認識したように痺れから解放された。手に血が巡り機能が蘇る。

 視線を右にやり携帯電話が目に入ってきた時に、驚愕した。あれは以前、使っていた携帯電話であった。真里は高校卒業後に携帯を新しく変えている。この時点で分かった、本当に戻ってきたのだと。

 そう分かると一旦、携帯を手に取るのを止めてしまう。まだだるさが残り起きたくない。

「恭ちゃん」

 そう小さく呟いた時に覚醒した。磯村と話がしたい、即座にそう思った。真里はベッドから這うように降り携帯電話を掴む。

 この携帯電話の感触に懐かしさを感じながら、ディスプレイをみる。時間はまだ朝の7時6分であった。日付けはもちろん4月1日。まだ春休み、磯村が起きている可能性は低かった。

 それでも磯村の番号にかければ、メールアドレスに送ればいつか反応が返ってくる。そう思うと、とろけるように真里は安心した。

「早く会いたい」

そう言いながら携帯電話を胸に押し付ける。真里はあることを思いついた。

 部屋にある姿見の鏡を前に一目で寝起きと分かるように髪の毛をボサボサにしたり、表情を作った。

「これでいいかな」

その表情を維持したまま今度は携帯のカメラを起動させて、その顔をカメラに収めた。

 『おはよ』そう一言、タイトル欄に付け加えて、本文に暇な時に電話してと記入した。そしてその写真を添付して磯村に送った。


 着信が鳴った。鳴っている音楽からしてメールだと分かる。とりあえず携帯を手に取り時間を確認した。まだ7時27分、今が春休みだと考えればまだ起床する時間ではなかった。磯村は再び眠りに落ちようとしたが、送り主だけ確認してみることにした。人とメールの内容によっては返信を急ぐ場合もある。

 吉川真里――なんだ真里かと思うと同時に、こんな時間帯にメールを送ってくるのは珍しかった。メールフォルダに画面を移すとタイトルにおはよ、そして何やら写真付きだと分かるアイコンも表示された。メールを開くと真里の写真が展開される。

 磯村は一気に目が覚めてしまう。まだ眠そうな真里の表情がたまらなく可愛かった。そしていつもと何かが少し違うと思ったらスッピンというやつだろう。

「これだけ? なんでいきなりこんなメールを……」

 パジャマ姿、自分の部屋で撮った写真。いきなり真里のプライベートショットを見た磯村は心臓の鼓動が少し速くなっていることに気がついた。

「電話してって何の用だよ」

 基本、真里とはメールでやり取りをする。電話などでするのは急ぎの時以外は稀だ。いつもと違う、気になった磯村は今、電話をかけてみることにした。


 思いのほか早く電話がかかってきた。相手はもちろん磯村恭一郎、そう画面に表示されてある。真里は直ぐには電話に出なかった。

 人間の身体とはこんな風に変形するものなのか、無残な姿になった磯村が脳裏を過ぎる。彼の手はもう動くことはないはずであった。

 でも今――彼から電話がかかってきた。

「もしもし」

 真里はやや緊張しながら、慎重に声を出した。

「あっ、真里。どうしたの、急に電話してきてなんていって」

 確かに磯村の声であった。元気な、いつもの知っている声。真里は込み上げるものを抑えきれずに涙を流す、嗚咽するように。

「うん? 真里どうしたの、大丈夫?」

「だ、大丈夫。ただ器官に異物が入っただけ」

「なに、食事中?」

「ごめん。ただ、声が聞きたかっただけなの」

「えっ、どうして?」

「どうして? 恭ちゃんの事が大好きだからかな」

 胸がズキュンとした。なんの思惑もなくただ純粋にそう思って発せられた一言に。あまりの衝撃に磯村は下を向きながら苦笑いをする。

「早く会いたいな、次いつ会える?」

「いつ会える? 学校がもう直ぐ始まるしその時で」

「駄目、それじゃ遅い。4月4日、恭ちゃんの誕生日は?」

「えっ、でもその日は春休み中にわざわざ会うのは申し訳なからいいって話で」

「空いているの?」

「一応、空いてはいるけど」

「じゃあ決まり、その日で。私が恭ちゃんの地元へ行くよ」

「本当に言っているの?」

「嘘言っているように聞こえる?」

「いや、今までこんなに真里の方から次から次へと決めたことなかったし」

「そうかもね。でも、もう後悔しないようにこれからは正直に生きることにした。会いたい時には会うって」

「そうなんだ。分かった。その気持ちに応えて俺が真里の地元へ行くよ。俺の地元、開発工事で今は何もないから」

「来てくれるの、嬉しい。じゃあ私の家に来て。平日の昼間は私しかいないから」

「真里の家に行くの?」

「そう。じゃあ時間は11時くらいでいい? そのくらいなら無理しないで起きて来られるでしょう。待ってるから」

「えっ、ちょっと」

 真里の方から電話を切った。ただ電話しただけなのに息切れをおこしていた。興奮していたのが分かる。

 声だけでは物足りなかった。声を聞く度にその先の、温もりを求めてしまう。それが叶うのならどうにかなってしまいそうだった。

 磯村は明らかに戸惑っていた。それはそうである。休み中に会うことは夏休み、お祭りや花火大会など何かイベントがある時以外はなかった。かといって、では学校ではと思い返しても、付き合っているという間柄というわりには寂しいものがった。

 これからはその空白を埋めたい、濃いものにしていきたかった。

 胸の中に磯村がいる、それを感じながら真里は妖しく喘いだ。


 4月4日。彼氏の誕生日なのに、春休みだから会わなくていい。それで納得した自分も、そんなことを言ってきた磯村も今では信じられない。

 春らしい暖かく強い風が吹く。この風を受けると新しい年が始まると誰もが思う。

 新入生、新社会人を祝福する風、これから新しい世界を向かう人々を後押しする風。

 それに心地よさを感じながら真里は駅前の改札で磯村を待ちわびていた。未だに彼が本当に現れるのか懐疑的であった。

 10時52分着、その電車が駅に着き発車したようで正面から見える電光掲示板からその表示が消えた。次の電車は11時2分、いつも10分前に来てくれる、もう来てもおかしくない。

 人が次から次へと階段を上り改札を出る。

「あっ」

 やや遠くからでも分かった。磯村だと。似た誰かではない、確かに磯村だ。その期待に応えるかのように向こうはこちらが居ることに気がついたようで鉄道ICカードをかざす直前に手を振る。

 何も知らない顔で、笑顔をこちらに向けながら近寄ってくる。

 願いが叶った、夢叶う、不可能を可能にした――家族、恋人、親友を不意に亡くした者は、誰もがもう一度会いたいと願ってやまなかった。本気で祈れば叶うんじゃないか、そう思いながら一心に祈った。叶うはずもないのに。こんなにも強く想っているのになぜ神は叶えてくれないのか。

 それを真里は叶えた、もう一度言う不可能を可能にした。喝采が鳴り響く。

 真里は俯く、叫びたい気持ちを抑えた、周りを気にして。それでも。

「久しぶ……」

 磯村が目の前にやってきた途端、真里は黙ったまま磯村の頰を両手で包みこちらに引き寄せて唇を奪った。深く、その感触を味わった。

「うっ……!」

 驚きのあまり頭が真っ白になる磯村。その状態が3秒ほど続いたが磯村は思わず振りほどいてしまった。

「なにするんだよ」

 真里はこの行為にショックを受けた。拒否された、なぜだかそう思ってしまった。

「どうしたの?」

「それはこっちの台詞だよ。なんでいきなり、キス、なんか」

「えっ、だって私達、付き合っているじゃん?」

「そう、だけど」

 磯村は周りの視線を気にしているように、首を左右に振った。

「嫌だった?」

「いやでは、ないよ」

 分かっている。この時はそんな挨拶代わりにキスをするような仲ではなかった。ただ形だけ付き合っているって見せているような、薄っぺらな関係。

「ごめんね、いきなり。じゃあ私の家に行こう」

「うん」

 真里は磯村の腕を掴み寄り添う。それにも一瞬、ビクッとしたのが分かった。自分一人だけ熱くなっているのが虚しかった。こっちは一度、目の前にいる人間が遺体になってしまった姿を目にしている。それを無かったことにして、テレビゲームのようにやり直せている奇跡。その事情は真里一人の胸にしまっておくしかなかった。

「ここが真里の住むマンションか」

「部屋は最上階にあるんだよ」

「だったら眺めも良いんだろうな」

「うーん、そうでもないかも。ただ建物が広がっているだけだし」

 エレベーターに乗り街の雑音は一度、遮断された。

「今日はね、とびきりのプレゼントを用意したから」

「えっ、いいのに、そんな無理しなくて。バイトもしてないんだし」

「大丈夫、そういう無理はしてないから」エレベーターが最上階に到着した。再び車、バイクの走る音が耳を覆う。

「いや~さすが7階ともなると高いね」

「私の部屋はこっち」通路一番端の扉が真里の部屋だった。だが真里は扉に寄りかかり正面に立った磯村を見つめる。

「じゃあ、さっきの続き。今度は恭ちゃんからして」

 真里は目を閉じて磯村の手がかかるのを心待ちした。

「えっ、続きってここ外だけど」

「平気だよ。このマンション、あまり人と出くわすことないから少しくらいは」

「いや、そういう問題なのかな」

「もう早くしないと時間無くなるよ。どうしたの、あの時は公園で手を出したくせに」

「えっ……いつのこと?」

「ごめん、今のは、夢の中の話」

 咄嗟についた嘘。今の、磯村にあの日の事は知る術はない。真里はため息をつきながら。

「私の体に興味ないの?」

 真里の胸ってかなり大きいよね、羨ましい。うそ、まだやっていないの? 俺だったら直ぐにやりたいけどね。周囲の声が煩わしくてしょうがなかった。

 付き合って2年が経とうとしている。きっとやっている人はとっくにやっているのだろう。その気にはなれなかった、思えばあのような深い口づけも初めてではないか。

 どうすればいいのかイメージがつかない。真里も特段、求めているような気はしていなかった。だから、これでいいと思っていた。軽く触れ合うだけで、手を繋ぐだけで。

 それはどうやら違ったようだ。真里はきっと待っていたのだ。その気持ちを吐露された今、磯村はもう逃げる事は許されない状況に立った。ここで落胆させるわけにはいかない、磯村は真里の両肩に両手を乗せてキスをした。思えば真里の唇に自ら触れたのはいつぶりだろうか、思い出せないでいた。

そのまま両手を真里の背中へ伸ばして強く抱きしめる。真里の髪の毛が鼻にあたる、くすぐったいと同時に良い匂いがした。女性から漂う香りだ。胸の感触を感じる、確かに真里の胸は大きかった。何かが騒いでいるのを感じる。耳たぶを軽く噛んでしまった。

「えっ?」

「あっ、ごめん。変なことしちゃって」

「ただ驚いただけだから。恭ちゃんがそうしたいなら、別にいいよ」

 今度は唇を尖らせ首筋に当てる、そしてやがて強くなり押し付けるように唇を中心に舐め回すように触れた。

「あっ」

 磯村の両手が真里の腰から下へと触れる。お尻を撫でるように何度も、もっと直に触りたくなった磯村はミニスカートの中へと掌を侵入させた。 

 女性の身に付けている下着を初めて触った磯村、いよいよ欲を露わにさせてきた。

 二人のおでこがくっつき合う。顔はよく見なくても欲情した表情を浮かべているのが分かった真里。時おり喘ぎながら興奮が高まっていくのが分かる。

 どこからか大きな足音が聞こえてきた。微かなチャイムの音。

「郵便局でーす」

 我に返ったようなにハッとなる二人。ほぼ真下から聞こえてきた。

「中に入ろうか」

「……うん」

 玄関に入り安心感を覚える。誰にも気づかれずにやったスリルがあったからだった。磯村が背後から抱きしめ胸を揉まれる。

「つづき」

「うん」

 靴は脱がずににお尻から上を床に真里を寝かせた。こんな姿勢にしてしまったらミニスカートも卑しくはだける。

「今日ね、恭ちゃんの誕生日だけど実は特に何も用意してないの。だからその代わり私を好きにしていいよ」

 プレゼントは私、そう言っている。本当にこんな事を言ってくる人が現実に居る、それも自分の彼女ということに少し苦笑いだったが、悪い気もしなかった。

「それはありがとう。でも俺、真里と付き合っているのになんで小学生でもやるようなことで満足してたんだろう。女性の方からきっかけを作ってもらって情けないけど、それでも深くもっと真里を感じることができてよかった」

「私も今までよく分からない態度だったしいいよ」

「それがどうして、いきなり?」

「えっ? それは、いきなり消えていなくなるかもしれないって思ったからかな」

「そうだな。あんな事があったら」

「あんなこと?」

「あの地震のことじゃないの?」

「そうだね。それもある」

 ついポロっと出てしまった言葉。それを磯村は別の意味として捉えていた。本当は違うけど。

 これからゆっくり愛を育んでいこう。そう言って磯村は今日のところはこれで満足と言わんばかりに真里の全てを見ることはしなかった。衣服越しから弄られただけ。湿らせた性器を、そのままにして真里は不満が残ったが今の段階では無理なのかもしれないと諦めた。

 たった1年前の磯村でも、どこか幼く見えた。それはこれからの1年間だけでも精神的に大きく成長するということを意味した。真里は一足早くその地点に立ち磯村を導く。そこで再会して抱きしめ合うことを誓った。

 もう手放したくない。やり直しを許された幸運に感謝して真里はこのひと時を噛み締めた。



 今日の真里はなんだか、大人な女性だったな。色気があるというか。最近までは無邪気で、なんというか男を好きになることはどういう事なのかまだよく分かっていないような笑顔で俺を見つめていた。

 それがまさかいきなりあんな風に誘ってくるなんて、本当にどういう風の吹き回しなのだろう。その変化に理解が追いつかなかった。あの容姿、体で迫ってこられたら、いくらその一歩がなかなか踏み出せなかったチキンな俺でも胸が高鳴って、吸い込まれそうで、どうにかなってしまいそうだった。

 でも、好きな人と、本能のままに愛し合うというのは、こんなにも幸せだなんて。

 あんなこと、はしたない、汚いと思っていたけど、いざその立場に立たされたら、あんなこともしたくなるんだなと初めて気がついた。

 そして最後は何を求めていたか。一つになって感じ合う。まるで俺の意思とは別の意思があるかのようにそいつはあの場所を求めていた。性欲とはおそろしい。いつかはきっとそうなる時が来るんだろうな。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る