序章「螺旋」 2-4

 床が木目で落ち着いた雰囲気の喫茶店。磯村と真里はこの店お勧めのビーフカレーを食べていた。サラダ、飲み物とセットで920円と高校を卒業したばかりの若者のお昼にしてはやや贅沢な値段だ。その値段相応の味はすると二人は満足そうに食べている。

「さすが雑誌で紹介されているだけあるわ」

「うん、ご飯も美味しいし」

 磯村がいつも行っている美容院に置いてある街の情報雑誌に目を通した時にたまたま見つけた地元の穴場。駅周辺は再開発工事によりほとんどの店が無くなっている中でこの偶然の発見は救いだった。この後はおそらくお金を使う予定はない、ということでワッフルの上にキャラメルソースとバニラアイスがトッピングされたデザートも注文した。

「この後は本当に歩くだけだから覚悟してね」

 いつもと違うデートをしたかった。観光地や人気スポットを訪れるのではなく。磯村がやっぱり混雑が避けられる所がいいと希望する、そうなると自然に囲まれた山、と言うもこの夏に登山はきついと一蹴。

「あっ、俺の家周辺って自然が多いからそこらへん歩いてみる?」

 次に浮かんだ案。二人で特に目的も持たず、ただぶらぶらと歩く、これはやったことがないと思い採用されたが、よくよく考えると本当に見て楽しめるものがない道を歩くだけといのは苦痛かもしれないと徐々に不安が広がる中、この日を迎えた。

 この喫茶店での食事はそれに対する磯村なりの気遣いだった。真里は初めて来る磯村の地元というだけで気になると言ってくれたのが余計、心苦しく感じた。

 8月下旬、若干気温は下がってきているとはいえそれでもかつての夏に戻った程度だ。秋の匂いは9月になってからであろう。真夏の太陽がまだ燃えている。喫茶店を出てどんどん駅からは離れていく。

「私の家の周りとあまり変わらないけど本当に自然があるの?」

「これからどんどん景色が変わっていくから」

 小学校を通り過ぎたところで長い長い坂道が姿を現した。「なにあれ」他には道はなさそうだ。あの坂を上るのかと思うと顔に落胆の色が出る真里。

 駅からバスが走っているので坂の先に用がある人でこの坂を上ろうという人はそうそういなかった。たまに自転車で横切る人がいたが電動自転車であった。

「まってよー!」暑さで会話もままならない、気がつけば黙々と坂を上る二人だったが歩くのが速い磯村は大きく真里との距離が開いていた。謝りながら真里に近づき、もう離れないようにとガシっと手を繋ぐ。「もっとゆっくり歩いて」磯村は真里のスピードに合わせるのに苦労していた。

 約20分かけて坂を上りきる。後ろを振り返ると駅やその周辺の建物が臨めるが良い景色とはお世辞にも言えない。そこから横断歩道を渡り左へ曲がり今度は坂を下る。

 この道は木々が生えているためそれが日陰となり幾分か暑さは和らぐ。気がつけば右側には小高い山や田んぼ、畑が広がる、磯村の住む町に近づいてきた。


「ほんとだ、自然が見えてきた」

 周囲は横の道路に車がよく通るが二人以外、誰も歩いていない。互いに暑いと、休みたいという言葉以外はまるで発せられなかった、ここまで何か目の惹くようなものは何一つない。それでもこの人と居るだけで、こんな状況でもなぜだか心地よかった。どこへ行くのかではなく、誰と行くのかそれが大切なんだと気がついた。

 あれからずっと繋いでいる手、汗で湿っているのが伝わる。それでも離したくはなかった、この今の空気が破られると離れてしまいそうな恐怖を感じてこのままもう黙っていた。それでも構わない、この手が離れないのなら。

 坂を下ると正面、横断歩道越しにコンビニがあった。それは二人も働く同じ名前のコンビニ。売り上げに貢献するために飲み物でも買うかと磯村は言うが「いいよ、自分の店じゃないし。それに飲み物なら持っているよ。保冷の水筒に入っているからどこかで休んで一緒に飲もう」ならと磯村は横断歩道は渡らずにそのまま右へ曲がるように案内した。坂を下る時にも見えた田んぼ、畑の景色がそのまま続く、そこに一軒家が点々と建っているだけである。

 まるで別の世界へ飛ばされたように一変する景色。ここへ入ると車の通りさえ無くなる。

「下見に小学生以来、久しぶりにここを歩いたんだけど、すれ違う人からなんか変な目で見られているような気がして怖かったんだよね」

「えっ、そういう部外者は受け付けない所なの?」

「いや、多分、普段見かけない人が歩いているって思ったんじゃない。ここら辺は住人以外が歩くことはあんまりないだろうし」

「確かにここだけ見れば田舎だよね。駅からけっこう歩いたと思うけど、それでもこんなガラッと風景が変わることあるんだね」

 10分ほど歩くと田んぼと田んぼの間に舗装された道が右側にあった。その20メートル先には鳥居、つまり神社があった。

「ここが今日の終点かな、ここに神社があることを思い出してなかなか良い雰囲気出しているなって思ってまた行ってみたくなったんだよね」鳥居の前まで行くと木々に覆われた石段の階段が続く。

「確かに良い雰囲気出しているね、怖いという意味で」

「あっ、苦手だった?」

「夜だったら無理だったと思う」階段前には地震などで倒壊の恐れありという看板が立てられていた。長い間、補修もされてなさそうな神社である。

 石段の一番上まで上りそこの段に腰掛けて休息を取る、ヒグラシの鳴き声が聞こえてきた。はぁと息を吐く。上を見上げる二人。

「今日はごめん、なんか疲れただけだったね」

「そんなことないよ、恭ちゃんといるならどこだって楽しいよ」

「それ言ってくれると助かる」

「このまま時が止まってもいいよ、こうやって寄り添いながら、このまま」

「そうだな、それでも良いかもな」

 少し間をあけた後、しみじみとしたように真里を見つめながら小声で磯村はそう言った。真里の感触、熱いくらいの体温を感じながら、全てを委ねるように寄り添い合ったのち、見つめ合い少し深めの口づけを交わす。その唇と唇が触れている瞬間、このまま1枚の写真のように、時が止まってもかまわない、そう強く思う二人であった。ヒグラシの鳴き声が響く……。



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