第2話 アオハルメモリー

「好きです、付き合ってください」


今思えば逆に珍しいぐらいの告白も、他に知らないからだった。友達の友達。同じ学校。誕生日は近いけど1個上。黒猫と明け方の街と、ガレージロックが好き。


お互いそれしか知らなかったと思う。あと名前。

あやのちゃん。

あやのちゃんは僕が人生で初めて告白した女の子だ。もちろん本人に向かってそんな風には呼べなかったけれども。


グループで3回遊んで2回目のデート。1回目は理由つけての買い物だったのでたぶん正式には初デート。


「だめ?」


下を向いて手を伸ばしてるのはOKなら手を取れという演出のつもりだったが、これは僕が赤面症だからだ。


17歳の春、遊園地の帰り道。夕方の公園。

シチュエーションとしても悪くないと思う。女の子にはムードが大事なんだって雑誌にもあった。


「だめじゃないよ」


そう言いながら、彼女は僕の手を取った。


「……よろしくね」


あのときの彼女の、はにかむような笑顔は今でも覚えている。



▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥



「私、あなたのことが好きだったのに」


ホテルのBARなどという場らしい事を私が拗ねるように言うと、彼はいつものアホみたいな笑顔からうって変わって怒ったように黙り込んだ。

こうして見れば今でもイケメンなんだけどな、と余計なことを思う。



「今ごろ言われてもな」

「当時言ってたら?」

「わからん」

「自分のことですよ」

「当時じゃないとわからん」


言っていても変わらなかったとか、変わったかもしれないとか、あるいは今でも遅くないとどうして言えないのか。だからお前は今でも童貞なんだ、と心の中で毒づく。さすがにそれは無いだろうと思いつつも、もし本当だったら目も当てられない。


当時じゃないとわからない。

今ならわかる事も、あの日の私にはわからなかった。同じ事を聞いて、同じ答えが返ってきた日の事を。

当時の彼にはわかったのだろうか?


私達はもういい年だ。

手が触れるだけで驚いて飛び上がったような頃とは違う。

あの頃は私が勇気を振り絞って伸ばした手を驚いて振りほどかれて、彼に酔った勢いで迫られて引っぱたいて、飲み会の罰ゲームのキスは髪を引っこ抜いて拒否をしたけれど。


「私のこと好きだったでしょう? 手も握れないのに毎週食事だのに誘ったりして」


同じ季節、同じホテル、同じBAR。改装して綺麗になったけれど、見える景色はそう変わらない。

なんだってこの人は当時二十歳にもなっていない小娘をこんなところに連れてきたのか。そんな事をするからあんな目に遭うのだ。



「……可愛かったんだよ、昔は」

「ロリコンでしたからね」


可愛いとかそんな事が言えるようになったのか、と思ったけれどよく考えたら1度この男に「可愛いな畜生!」とか叫びながら頭をわしゃわしゃにされた気がする。私はと言えば勿論怒り狂った。

年頃の女子だった私は毎朝時間をかけて前髪を揃えたぱっつんにしていたし、男兄弟で育ち中学から男子校で理系の大学院まで勉強一筋だった彼にそんな事は想像すら出来なかったのだろう。


その後は彼の口からは1度も可愛いと言うことも頭を撫でるなどという事は無かった。

……あ、これ私のせいか?


まあ研究漬けの日々にたまに会う一回り近く歳下の女の子は怒り狂おうが噛み付こうが可愛かったのだと思う。

今思えば忙しかったであろう日々に、わざわざ食事だの映画だの遊園地だの、付き合ってもいないのによくもまあ毎週毎週誘いがあったものだ。


そして一回り近く年上の研究者の卵という彼もまた格好良く見えたのだった。今思えばただの理系の童貞だったかもしれないけれども。



「でもまさか映画館で会うとは思いませんでした」


二度と会う事は無いと思ってた。


お互い連絡先も忘れたというのに、10年以上振りの再会は映画館だった。

それほど話題にはなっていないものの好きな俳優が出ていたのでふらりと見に行ったら、たまたま隣の席に居たのだ。

なんたる偶然。なんたる皮肉。

果たして偶然だったのかはわからない。その俳優は私達が初めて一緒に見に行った映画で主演男優賞を取った俳優だ。

前から4列目、中央右寄り。

席を選ぶ癖も当時から変わらない。

偶然だっただろうけれど、確率だけは高かったかもしれない。


本当は隣に座った瞬間に気づいていたのだけど、いくら年甲斐もなく夢見がちな私でもまさかそんな事があると思わないのだ。


「俺だってよく気づいたな」

「雰囲気が全然変わってなかったので」

「そういうものかね、自分ではわからんな」


外見はさすがに、お互いそれなりに変わった。加齢というのはそういうものだ。かつて貧弱なギリシャ彫刻のような外見をしていた彼の顔には深い皺が刻まれ、髪もほぼ白髪だった。


「言われてみれば、まぁお前もあまり変わらないな」


そう言われても、私はどこにでもいるただの地味で小太りのおばさんだ。

以前には無い柔和な笑みを浮かべる彼を見ると懐かしいだけではない何かがあるのを感じてしまい、私はかつてこの男に強烈に恋をしていたのだと実感する。

お前呼ばわりも普通なら許さないのに許してしまうから本当に私はこの男に弱い。


毎週のように食事だの映画だの遊園地だの、買い物に付き合えだの、手料理が食べたいだの、誰よりもそばにいた気がするものの。

大人だったらいやこれは付き合ってるだろうってなっただろうし、そのうち寝て色々どうでも良くなっていたかもしれない。でもそうはならなかった。

私達は若かったのだ。たぶん。



私は彼が好きで好きで好きだったけれど、当時あまりその事に気づいていなかった。少なくとも気づかない振りをしていた。彼がそれまで付き合った『学校の先輩』より年上だったので、大人と子供だと思っていた。

お互いそんな対象ではないのだと。

だからきっと叶わぬ恋なんだろうなって、初めから諦めていた。


そして彼もまた、諦めていたのだろう。



「この後ーー」

目が合う。昔は気づかなかった、欲望をその瞳に感じる。当時の私はどうして気づかなかったのか。


「またどこかで会ったら飲みましょうね」


連絡先すら交換しなかった。

本当はわかってるのだ。今どき探そうと思えばいつでも探せることを。これまで連絡が来なかったのもしなかったのも、そういうことなのだと。




「ただいまーあー疲れた」

「おかえり、綾乃」

「ねえ大野さんって覚えてる?家庭教師の先生でさ」

「あぁ覚えてる覚えてる、1回やってるときに入ってきたよな」

「そうそう、時間勘違いしてて……んで今日ばったり会ったのよ」

「へぇ、どうだった?」

「それが全然変わってないの、結婚とかもしてないんじゃないかなぁ」

「はは、やべー」

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