第118話 愛娘の嫁落とし

 さて、のっけからやらかしてしまったわけだが。

 やり直した時間軸では実に平和的に、お姫様の誓約を承諾した。


「そういえば、今回の誓約はなんなんだ?」


 ショックから立ち直ったシアンヌが殺意の波動を振りまきながら、こちらに物騒な視線を送ってくる。

 よっぽど殺りたいのね。


「この世界を安定させてほしいんだとよ。お姫の言ってた守護士ってのがいまいちピンと来なかったんだけど、この世界が壊れないために俺みたいなのが必要とかどうとか……まあ、典型的な滞在系誓約だな。どうも、この世界にしばらくいるだけでいいらしい」


 この手の滞在系誓約は、別段珍しいってほどでもない。


 エネルギーバランスが極端な異世界は、放っておくと勝手に滅びに向かっていく。

 それがプラスエネルギーでも、マイナスエネルギーでも同じことだ。


 大切なのは星の栄養バランス。普通の生き物と一緒である。

 だから別の世界から俺のような存在を召喚することでエネルギーのバランスを保つんだとか……まあ、異世界ごとによって事情は違うし、詳しい仕組みまでは知らんけど。

 つまり、人間が乳酸菌ヨーグルトを食べるみたいなものだと思えばいいんじゃないかな。


「なんだと! だったら、こんな人間どもの宿で大人しく過ごしていろというのか!」


 アディに敗北し、さらにその母親のイツナに追い越されたシアンヌの焦りは相当なもののようだ。

 同期のライバルが自分を差し置いて頭角をあらわしていく……向上心の強いシアンヌにはそれが耐えられないらしい。


「うんにゃ、滞在期間を短くするためにも旅はするつもりだ。要するにこの世界のエネルギー事情を俺が解決しちゃった方が早いからな」

「たびーっ!」

「旅ーっ!」


 俺の答えを聞いたステラちゃんとアディが元気よくバンザイする。


「ってアディ、お前ついてくるつもりなのかよ!」

「いやー、学園が夏季休暇で暇なんですよ」

「いやお前……それって宿題とかあるんじゃないのか?」


 ついーっ、と父親の眼差しから目をそらすアディ。


「おいコラ我が娘」

「い、いやほら! と、父さんと旅した日記とかを提出しようかなーって! きっといろんな勉強になりますしアハハハ!」


 なるほど……最近よく顔を出すなと思ったら、俺のところに現実逃避にきてるわけか。

 まあ、娘に慕われてるみたいで悪い気はしないけど。

 そもそも俺も夏休みの宿題とかはサボってた方だからなぁ……娘にでかい顔はできんか。


「お願いです、父さん! しばらく一緒にいさせてください! 雑用でもなんでもがんばりますから!」

「うーん…それならひとつだけ条件がある」

「条件ですか?」


 きょとんとするアディに、俺は今にもダークサイドに堕ちそうなシアンヌを指差してみせた。





「うわああああぁぁぁぁぁぁ…………!!」


 峻厳な雪山が立ち並ぶ深い谷間に、シアンヌの悲鳴が木霊する。

 崖下に落ちていくにつれて、その声がドップラー効果でどんどん小さくなっていくのを聞き届けながら……俺とステラちゃんはすっかりドン引きしていた。


「シアンヌさーん! 日が暮れる前に登ってきてくださいねー!」


 一方、突き落とした張本人であるアディは至極あっけらかんとした様子で眼下の闇に呼びかけている。


「いや、修行に付き合ってやれとは言ったけど……これ、やりすぎじゃね?」


 シアンヌが落ちるの、これで何度目だよ。

 いくらなんでもスパルタ過ぎんだろ……。


「これでもだいぶ優しい方と思いますけど……」


 アディが心外そうにエヴァみたいなことをのたまう。


「というか、父さんはお嫁さん達に甘すぎます!」

「む、そんなことは――」

「そんなだから、母さんにだって苦労をかけてるんでしょ?」


 ……う。

 くそっ、心当たりがありすぎて反論できん!


「シアねーちゃ、しんじゃうー!」

「大丈夫ですって。ちゃんと手加減はしてますからねー」


 刺激的な光景に今にもわんわん泣き始めそうなステラちゃんにいい笑顔を向けるアディ、我が愛娘。

 するとステラちゃんが顔を上げて、俺をジッと見つめてきた。


「にたものどーし。おやこなの」

「うぐっ……!」


 幼女の素直な感想は何よりも刺さる。

 いたたまれん。一刻も早く、この場から逃れよう。


「じ、じゃあ俺とステラちゃんは先に行くからな! シアンヌのこと殺すんじゃないぞー!」

「はーい。いってらっしゃーい」


 物騒極まる注意喚起にアディは至って気楽な調子で手を振り返してくる。

 大丈夫かな。母親には前科があるからな……。

 ともあれ嫁の健闘と娘の自重を祈りつつ、俺はステラちゃんの手を引いて場を離れた。





 移動途中にざっと見た程度だが、この異世界は実に平和そうに見えた。

 凶暴な魔物もいないし、異世界人同士の戦争なんかも小競り合いレベル。

 資源も豊富で奪い合う必要もない。


 その理由は至ってシンプル、星のエネルギーが豊潤だからだ。

 負のエネルギーもほとんどないから、アンデッドに至っては伝承すらない。

 むしろ精霊の力が強く、巨大な自然災害に悩まされている人々が多いようだ。


 自然の脅威から身を守りながら、人々は力を合わせて生きていく。

 ここはそういう異世界らしい。

 しかも創世神は今の状態をよしとしているようで……いわゆる調整弁として投入される魔王の類も出現していないみたいだ。


 いいことづくめに聞こえるかもしれないけど、この異世界の場合は一歩間違えばプラスエネルギーが増えすぎてパンクしかねないレベルである。

 それに資源が豊富だからアンス=バアル軍のような異世界侵略者の最優先目標にもなり得るし、潜在的な危険は数知れない。


 だからこそ俺のような異世界の存在を『守護士』として召喚し、バランスを保っているのだろう。

 おそらく『守護士』を召喚する目的は、余分なエネルギーを彼らに消費してもらうことだ。

 つまり世界で長く暮らしてもらえれば、それでいいってわけ。


 ところがどっこい、俺は異世界の破壊者を自認する逆萩亮二である。

 そんな事情は知ったことではないし、はいそうですかと長居してやるほどお人好しでもない。


 要するに俺がこんな辺鄙な雪山にやってきたのは、何もシアンヌを千尋の谷に落とすためではない。

 あくまで、この地にあるはずの『星の経絡』の調査のため。

 ご存じの通り『星の経絡』とはエネルギーの通り道、異世界の大動脈である。

 そこでエネルギーバランスを狂わせている原因を取り除けば、異世界を安定させて次の異世界に転移できるだろう。


 怪我の功名と言っていいかは微妙だけど、ワールドデバックチートを使ったときに星の体質もある程度は理解した。

 どうも先天的な要因みたいだし誰の陰謀でもなさそうだから、俺としては気楽な旅である。

 それこそデバックで無理やり解決することもできそうではあるが、慣れない能力行使で再び世界をフェアチキにしてしまわないという保証もないわけで。

 すべてがフェアチキでできた世界……素晴らしいと思うけど、さすがにやめよう。反省反省。


「にーちゃ、こっちこっち!」


 この手の調査ともなれば、もともと星の意思だったステラちゃんの得意分野だ。

 周囲の景色は深い雪に埋もれていたが、俺もステラちゃんも魔法のかんじきを履いているから雪の上を普通の地面と同じように歩ける。

 だから経絡の位置にあたりをつけたら、あとはステラちゃんの手招きに従うだけでいいだろうと、ぶっちゃけハイキング気分でいたのだが……。


「にーちゃ! あれ!」


 ぶかぶかの手袋をつけたステラちゃんが指し示す方向にあったのは、星の経絡なんかじゃなかった。


「こんなところに遭難者だと?」


 豪雪から生えていたのは、誰かの手。

 雪崩にでも巻き込まれたのだろうか?

 こんな雪の山奥に人里なんてないと思うのだが。


 口笛吹きながら登っていた俺が言うことじゃないかもしれないが、雪山は危険だ。

 しかもこの異世界の場合だと行き場を失ったエネルギーが天候を狂わせるから、地球のエベレスト以上にヤバいかもしれない。

 現地人だとしたら、そんなことは百も承知のはず。

 もし登山者だとしたら、何故……?


 ともあれ死んでるなら埋葬してやろうと思って近づくと、その指先がピクリと小さく動いた。


「生きてるのか!」

「にーちゃ! はやく!」


 ステラちゃんが救助を急かしてくる。

 どうやら彼女が目指していたのは星の経絡ではなく、この遭難者だったらしい。


「ま、そういうことなら仕方ないわな!」


 見捨てる理由もないし、何かの縁だ。

 氷結操作チートで遭難者と思しき者を雪から掘り出し、念動力サイコキネシスで宙に浮かべた。


「おい、大丈夫か?」


 軽く頬を叩いてみるが反応がない。

 見た感じ小柄で子供のようにも見えるが、防寒装備に身を包んでいるため男女の判別はつかない。


 ひとまず遭難者を看護するために、かまくら作成魔法で避難所を作った。

 氷結操作チートでもできるけど、それだと形状やら大きさまで一から考えて作らないとといけない。

 こういうときは、フォーマットの決まっている異世界魔法の方が面倒がなくて便利だ。


 見た目は何の変哲もない普通のかまくらだが、中央のへこみに火をおこせば囲炉裏になる。

 もちろん普通の炎で魔法のかまくらが溶けることはない。


 発火魔法で囲炉裏に火を点けた後、遭難者の防寒装備を脱がせにかかる。

 結論から言うと遭難者の年の頃は13~14ぐらいの少女だった。

 救命活動のために全裸に剥いたから間違いない。

 

「それにしても、よく生きてたな」


 俺が思わず唸るほどに凍傷が酷い。

 ここまでになると下手にマッサージしたりしても細胞組織を破壊してしまう。

 もちろん今のままでも手足が壊死して使い物にならなくなるので、放置は論外だ。

 一応ダメもとで少女に時空操作チートによる巻き戻しを試みたものの。


「チッ、やっぱ駄目か」


 凍傷が少しマシになったが、とても完全回復とは言えない。

 『召喚と誓約』の関係上、俺が時空操作チートで巻き戻しできるのは異世界に召喚された時点まで。

 この異世界に来てから――正確にはフェアチキ化した異世界とは別の時間軸に来てから――まだ数時間しか経過していない。

 蓮実のときは時間を巻き戻して処女膜と服装を元通りにできたが、この少女の場合は1時間以上前に遭難しているから無理だった。


「こういうときに回復魔法が使えればなぁ」


 文句を言っても始まらない。

 一度助けると決めた以上、そう簡単に死なせるわけにもいかんしな。


「ステラちゃん。俺と一緒にひと肌脱いでくれないか?」

「あい!」


 否やがあろうはずもなく、ステラちゃんは元気よく防寒服を脱ぎだした。

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