第119話 少女と雪の女王

 一通りの処置を施して、かまくらの中で少女ともども一枚の毛布にくるまっていると。


「え、どうして。わたし……」

「ん、起きたか」


 ぼんやりと覚醒した少女に声をかけると、小さな肩がビクリと震えた。


「ひっ!? あ、あなたは――」


 咄嗟に逃げようとした少女をしっかりと抱きしめて逃がさない。


「安心しろ、敵じゃない。通りすがりに倒れてた君を見かねて助けたんだ」

「そ、そっか。わたし……」


 自分の状況を思い出したのか、少女はすぐに落ち着いた。

 おずおずと俺の胸の中で身じろぎする。


「あ、ありがとうございます。命の恩人、なんですよね」

「別にいい。当たり前のことをしただけだ」


 まあ、要救助者が小汚いオッサンだったら、ここまでしてやったかは怪しいが。


「それに感謝なら、その子にしてやってくれ」


 少女の背にぴっとりとくっついてステラちゃんが眠っている。


「ど、どうしてこの子、裸なんですか! って、わたしもだー!?」

「結局のところ人肌であっためるのが一番だからな」

「あ、あなたまで。ま、まさか――」

「言っとくが、ガキを抱く趣味はないぞ?」


 俺のぶっきらぼうな物言いに少女がむっとする。


「こ、これでも成人してます!」

「どうだかなー」


 少女をからかいながら、残念だったスリーサイズに思いを馳せる。

 たいていの異世界での成人は15歳くらいなので、嘘をついているわけじゃないんだろうけど。


「とにかく、俺の守備範囲じゃないってこった」

「ひゃっ」


 身を起こした俺の体を見た少女が慌てて目を覆う。

 まあ、指と指の間の隙間がやけに広い気がするけど。


「こんなところで何してた?」


 パチパチと火花を飛ばす炎の前で上着に袖を通しながら、肩越しに問いかける。


「わ、わたしは……ひゃうっ」

 

 俺が放り投げた下着と防寒具がばふっと少女の顔に当たった。


「とりあえず、それ着とけ」

「は、はい。後ろ向いててくださいね!」

「さっきからそうしてるだろーに」


 俺が胡坐をかいてから、しばらく。

 着替えを終えた少女がおずおずと炎を挟んだ向かいに腰を下ろす。

 お互いに名乗り合った後も少女はしばらく逡巡していたが、やがて重い口を開いた。


「わたしがこの山を登っていたのは雪の女王……エリーネア様のお怒りを鎮めるため、です」

「雪の女王?」

「はい。エリーネア様はこの山のあるじなんです」


 両手を火にかざしながら、少女が体をぶるりとふるわせた。


「この山に昔から住んでいて、何年かに一度……麓の村に吹雪をもたらすんです。こういう炎すら凍り付いてしまうほどの魔法の吹雪を」


 なるほど。

 よくある話とまでは言わないが、異世界の田舎ならありそうな話ではある。


「だから、やめてもらうために……わたしは山頂にある氷の城まで行こうとして、それで……」

「……どう考えても無理筋じゃないか? 聞いた限りでも雪の女王とやらが、ただの村娘の頼みを聞いてくれるようなタマとは思えないんだが」


 ましてや、その日の気分で下界を凍らせるようなサイコ女だ。

 さぞかし俺好みのビッチだろうよ。


「だ、だめ! すぐにわたしが行かないと……!」

「馬鹿言うな。解凍した凍傷が再凍結したらアウトだぞ。それに、こっから先の尾根には雪庇せっぴも多い。滑落でもしたら麓まで転がり落ちて、一巻の終わりだ。いいから明日にでも下山して、村の医者か何かに診てもらえよ」

「……ないんです」


 俺の引き止めに俯く少女がぼそりと呟いた。

 絞り出すような声で。


「もう、村は、ないんです……! お父さんも! お母さんも! 兄弟も友達も村の人たちはみんなみんな氷漬けにされました! 今の村にあるのは物言わぬ氷の彫像だけなんです! だから何としてもみんなの氷を溶かしてもらわないといけないんです!」


 思い出してしまったせいだろうか。

 それとも、ずっと耐えていたのだろうか。

 一気に言い終えると、少女が咳き込むように泣き始める。


 そんな様子をジッと見ていた俺は……大きく深呼吸した後、ゆっくり立ち上がった。


「……オーケーだ。話はだいたいわかった。そういうことなら俺が話をつけてくる」

「そ、そんな。命の恩人のあなたに、そんなことさせられません!」


 かまくらの出口に向かう俺の背に少女の悲痛な声が浴びせられる。


「そこで寝てる子はステラちゃんっていうんだ。俺に君を助けさせたのは彼女だ。離れないで、一緒にいてやってくれ」


 振り返らずにそれだけ言い残してかまくらに結界を張ると、俺は山頂を目指して登り始めた。





 山頂に近づけば近づくほど、凄まじい吹雪に見舞われる。

 雪の女王が俺を近づけまいとしているのか、あるいは誰にも会いたくないだけなのか。

 程なく見えた山頂には巨大な氷の城が聳え立っていた。

 物理法則を無視するような形状は、鑑定眼を使うまでもなく魔法的なものだとわかる。


「たのもう」


 城の門を蹴破り、中に押し入る。

 氷の城の内部は外の吹雪が嘘のように静謐で、空気そのものが凍り付いているかのようだった。


「何者じゃ。騒々しい」


 荘厳な雰囲気の階段の上から、声が響く。それだけで城の中の空気がさらに一段と冷え込んだ。

 禍々しい魔力の気配を漂わせた顔の青い美女が、氷でできたドレスのスカートを翻らせている。


「お前が雪の女王エリーネアだな?」

「人間風情が……いったい、妾の城に何用じゃ?」

「吹雪を止めてくれ」


 俺の言葉に首を傾げたかと思うと、雪の女王は突然嗤い出した。


「クカカカカカ。何を馬鹿なことを。妾の意思は大自然の意思。人間如き矮小の請いを聞き入れたとあっては、他の精霊たちに笑われてしまうわ」

「大自然だと? ハッ! それこそ笑わせんなよ。吹雪を起こして麓の村を氷漬けにした。そいつはお前が『考えて』やったことなんだろう?」

「如何にも。立場も弁えぬ矮小どもを少々躾けてやっただけのこと。それより貴様……無礼であるし不愉快ぞ。ようし、心臓まで氷漬けにしてやろう!」


 雪の女王が指先から冷凍魔法光線を放ってくる。

 避けることも抵抗することも造作もないであろうそれを、俺は敢えて受ける。

 心臓に命中した白く輝く光条が瞬く間に俺の全身を氷漬けにした。


「口ほどにもない。矮小が、立場を弁えぬからよ。さてコレクションに加えるにしても、少々不細工な――」

「誰が不細工だって?」


 パリーンと氷を割って復活してみせると。女王がピクリと眉をひそめた。


「貴様、本当に人間か? 心臓が凍り付いて死なない生命はおらぬはずぞ」

「矮小な人間だぜ。正真正銘のな」


 肩を竦めてみせてから、俺は女王に殺意の視線を向ける。


「さて……俺を殺そうとしてきたわけだし問答無用で消してやってもいいわけだが……もう一度だけ言う。吹雪を止めろ。雪女」

「クカカカカ……あまり調子に乗るでない。妾は雪の女王エリーネア。現象の王、精霊の頂点にあるものぞ!」

「経験上、よく知ってるぜ。自分のことを現象だとかぬかしてマウント取ってくる奴にロクなのはいねえってな」

「ほざけ矮小! 凍らぬというなら、これで串刺しになるがよい!!」


 無数のつららを周囲に出現させたかと思うと、女王は号令を発し……その切っ先を俺に向け一斉に発射してきた。

 だがしかし、そのいずれも俺の体に命中すると同時に砕け散る。


「…………俺は別に異世界の人間がどうなろうが知ったこっちゃねえし、自分が人間だから人間の味方をするって言うような人間至上主義者でもねえ」

「貴様……それ以上近寄るな!」


 雪の女王が怒り狂って凍てつくような吹雪を巻き起こしてかき集め、俺にぶつけてくる。

 吹き付ける風と冷気のすべてを意に介さぬように、俺はかつかつと氷の階段を一段ずつ着実に上っていく。


「むしろ法と正義に背くアナーキストだし、普通の世に出りゃまごうことなきテロリストだ。ほとんどの人間にとって、俺は公共の敵パブリックエネミーだろう。だからこそ、肩入れする相手は自分で決めることにしてんだよ」


 言いながら、目の前に屹立した氷の壁をデコピンで木っ端微塵に破砕する。


「なんじゃ? 何を言うておる!」


 いよいよ追い詰められた雪の女王が焦りを見せる。


「俺は自分が味方すると決めた者の味方で、味方の敵は敵だっつってんだよ。ターコ!」


 これ見よがしに広げた両手の平から炎の柱を吹き上げると、雪の女王が悲鳴をあげた。

 

「炎だと! 貴様、よくも妾の城にそのようなものを! ええい、近づくな!」


 雪の女王が両手の平から、これまでの比ではない冷気の奔流が放たれた。

 まぎれもなく最大規模の氷結魔法が階段を流れ落ちる巨大な瀑布となって、俺を飲み込まんと迫る。


「テメーはさっき、自分のやらかしたことを大自然の意思だと抜かしたな?」


 タイミングを合わせて無造作に炎を纏った手刀を振り上げると、氷結魔法の奔流が俺の目の前で真っ二つに割れる。分割された魔法は氷の城壁に命中して真っ白な爆発を起こし、残滓の結晶をキラキラと舞い散らせた。

 雪の女王は言葉もなく、あんぐりと口を開ける。


「そもそも自然現象に意思なんてもんはねえ。テメーはそういった無形の概念が人間たちの畏敬を受けた結果、エネルギーを燃料に顕現してるだけの儚い存在だろうが。なーにが現象の王、精霊の頂点だ。俺に言わせれば悪知恵をつけて暴れてる時点で、お前らなんざそこいらのモンスターと変わらねえんだよ」

「なんじゃとー! 矮小如きが、わかったような口を!! 理解しておるのか! 妾に逆らうとのは世界の森羅万象に挑むということ! 精霊すべてを敵に回すことになるのだぞ!」

「お前の存在の格が大精霊でも精霊王でも精霊神でも、そんなの俺の知ったことじゃない」


 階段を上り切ったところでゴウッと炎の勢いを数倍に膨れ上がらせると、雪の女王の青い顔がさらに青くなった。


「ヒッ! ま、待て。吹雪は止める! だからその炎を向けるのはやめて! 許してたもれ――」

「悪いが俺は仏じゃねえからな。三度目の顔はない」


 言うやいなや、俺は山頂を丸ごと炎で包み込んで、雪の女王を氷の城ごと一瞬で溶かし尽くした。





 氷の城がなくなった山頂を調査したところ案の定、ここが星の経絡の真上だった。

 せっかく経絡があるのに、ここでエネルギーがダムのように堰き止められていた。そのせいで吹き溜まりになって決壊寸前だったようだ。


 原因は火を……というより、氷を見るよりも明らかだろう。

 どうやら少女の一件がなくとも、俺は雪の女王を排除する必要があったらしい。

 あるいは、こういう瘤みたいな箇所の精霊が強大化してたんかな。

 まあ、どちらでもやることは同じだけど。


 話がわかる相手ならよし。

 聞く耳を持たないようなら、それもよし。

 まだ何箇所かあるけど、どうとでもなるだろう。


 ともあれ目的を果たした俺はすぐさま次元転移でかまくらに戻り、少女とステラちゃんに事の顛末を伝える。

 雪の女王と和解できず殺したことについて、少女は複雑そうな顔で聞いていた。

 なんとなくわかっていたことだが、自然信仰の強いこの異世界において精霊殺しはあんまり褒められた行為ではないっぽい。


 雪の女王の魔法によって氷漬けにされていた麓の村は、きちんと元通りになっていた。

 これに関しては後味が悪くならずに済んで素直に良かったと思う。

 少女が家族や友人たちとの再会を果たすと泣いて喜び、俺は村人たちからお礼を言われた。

 歓迎の宴に誘われたものの固辞し、次の経絡を目指して旅を再開する。


「父さんの雄姿、見たかったなぁ。シアンヌさんがもっと早く登ってくれればなー」


 乗合馬車の中でアディがぼやく。

 ちなみに当のシアンヌは自ら封印珠での休養を申し出たので、ここにはいない。アイテムボックスの中だ。


「アディ……お前さんには人の心というものがないのかよ」

「えー! それ、父さんだけには絶対言われたくないんですけど!」

「いや、俺はちゃんと人の心あるし。クソ神絶対許さない程度には怒りの心がちゃんとある!」

「よっ! さすがは父さんです! 復讐のために家族を捨てた男!」

「やめろー! 俺が一番気にしていることを娘のお前が言わないでくれー!」


 そんな俺とアディちゃんを見つめながら、ステラちゃんが嬉しそうに何度も頷いていた。


「ん、ん! なかよしおやこなのー」


 どうやら家族水入らずの旅は、この面子で続きそうである。

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