第72話 本当の願い

 台座ちゃんは話し相手を求めている。

 なのに、俺が5時間22分ほど会話に付き合っても誓約は達成されなかった。

 これ自体は別に意外でもなんでもない。

 一見して些細な願いほど際限がないものだからだ。


 イツナにも話したことがあるが、ガキの「遊びに付き合ってほしい」というタイプの願いほど厄介なものはない。

 例え1日かけて達成しても誓約者は次を求めてくる。

 何の悪気もない笑顔で「明日も遊んで」とか言ってきやがる。

 望みとして大きくないからこそ、気楽に追加注文できるのだ。

 ましてや、あのときの願いは「ずっと遊んでほしい」とかいうフザけた内容だった。

 この手の願いに区切りをつけさせるのは神殺しより根気がいる。


 今回も同じだ。

 「話し相手が欲しい」という望みには根本的な終わりが設定されてない。

 短時間の付き合いで解放されないとなると俺以外の話し相手を用意する必要がある。


 話し相手が欲しいというのは、おそらく寂しさの裏返し。

 永遠に続く孤独が、俺を召喚させたと仮定する。

 ならば、実際の誓約は「孤独を癒したい」ではないか?

 

 そう予想してステラちゃんをあてがい、少女と無機物が仲良くなっていく姿をひたすら見守り続けた。

 俺と違い、ステラちゃんはその気になれば台座ちゃんの永遠のパートナーになることができる。

 だから、短時間であっても誓約を達成する条件は満たせるはず……と思ったのだが。


「2時間経過、か」


 一向に俺が次の異世界へ召喚される様子はない。

 こうなると、あんまり当たって欲しくない予想が首をもたげてくる。


 これで事前の確認は全部終わった。

 後は時間が足りないだけという可能性を潰す。

 詰めにかかろう。


「誓約。俺は生贄の祭壇とは二度と口を利かない」


 計画通り、最初の「逆萩亮二に話し相手になってほしい」という願いの反対の意味にあたる代理誓約を投げる。

 際限のない小さな望みの反動は至極軽いものだ。代理も強制力のない俺の誓いで済むし、誓約者にペナルティなんてない。

 だから、いつもある程度望みを叶えたと判断したら、こうして俺の方から打ち切る。

 

 しかし……。


 ――召喚者の要請と趣旨が異なります。代理の誓約は受付できません。


 弾かれた。

 つまり元の誓約の反対の意味として成立していない。


「誓約。俺は生贄の祭壇に永遠の孤独を約束する」


 内容を変えて再試行。

 「誰でもいいから話し相手が欲しい」や、仮定通り「孤独を癒したい」あたりが誓約なら、これで代理が通るはず。

 この空間を結界で覆い、ステラちゃんを封印してしまえば達成可能な誓約だ。

 だが……。


 ――召喚者の要請と趣旨が異なります。代理の誓約は受付できません。


「まあ、そうだろうな……」


 案の定、外れ。

 まあ、通ったら通ったで台座ちゃんが可哀想だったから、これでよかったかも。


 このように誓約者の口にした言葉と実際の望みが異なるというケースは、よくある。

 教会にいたガキどもの「大人と遊びたい」という願望は、失った親の代わりを求めてのことだったし。

 シュレザッドを倒した直後に召喚されたケースでも、俺は真っ先に誓約が違う可能性を疑った。

 俺がコックをやった世界のように誓約が途中で変更されることすらある。


 きっと、彼女の本当の願いは……。

 

 ふと、ステラちゃんと目が合った。

 複雑そうな表情で俺の目をまっすぐ見つめてくる。

 目をそらさずに見つめ返していると、ステラちゃんは俺に向かって両手を広げた。


「にぃちゃ、だっこ」

「おお、よしよし」


 意外な反応に面喰いつつも、光翼疾走ですぐさま駆けつけステラちゃんを抱きかかえる。


「ぎゅー!」


 ひしっと抱き着いてくるステラちゃん。

 さっきまで機嫌が悪かったのに。

 うーん、台座ちゃんと一体何を話したんだろうか。

 

(決めた)


 っと。

 ここで台座ちゃんからの念話が。


「何を決めたんだ?」


 悲壮な覚悟を思わせる気配になんとなく答えを予想しつつも、先を促す。


(私は生贄の祭壇。誰かの流した血を受け止めて、魔法陣に流し込む。ただそれだけの装置……)


 そのとおり。

 他にはどんな使い道もない、部屋に備え付けられた移動もままならぬ祭壇。

 それが彼女だ。


(使われたくない。誰も私の上で死んでほしくなんかない)


 それも真っ当な価値観を持つ日本人女性として当たり前の思考。


(逆萩さん。私、本当の願いを言います)

「ああ、聞こう」


 あるいは俺も最初からわかっていたのかもしれない。

 この女性が抱くであろう、唯一の願いを。

 



(私を、破壊してください)




 その言葉が俺の頭の中に響き渡った瞬間、胸の中で蹲っていたステラちゃんが俺のことを不思議そうな目で見上げた。

 表情を変えたつもりはなかったけど、心の動きを敏感に感じ取られたのかもしれない。

 冷静を装いつつ、目の前の祭壇へと問いかける。


「どうしてだ?」

(どうしてって……決まってます。私に将来なんてものはない。別の何かになれるわけでもない。一生、ずっとこのまま動くことも死ぬこともできず……もう耐えられない)


 嗚咽混じりの声が頭の中にガンガンと響き渡る。

 もしも彼女に目があったなら、とめどない涙を流していただろう。


(せめて私に用途があるなら誰かに使ってもらえるかもしれないって希望もあったけど。邪神に生贄を捧げる祭壇だなんて、冗談じゃない)


 隠しようもない絶望と自己嫌悪の感情が俺の脳内で渦を巻き、思わず眉を潜めそうになる。


(私、今までも何度も死にたいって思ってたんです。でも無理なんですよ! 私、物だから! ただの台座だから! 自分の上にある短剣で喉を突くことすら、今の私には許されない!)


 それはそうだろう。

 何故なら彼女には、短剣を掴む手指がない。

 何故なら彼女には、刃で切り裂く喉がない。

 何故なら彼女には、失われゆく血潮がない。


(そして本当にどうしようもなく死にたいって思ったとき、貴方が現れました。だからすぐにわかったんです。逆萩さんが私を殺してくれる人なんだって)

「でも、いざとなると怖くなった……ってわけか」

(……はい)


 だから最初、俺に無造作に近づかれたとき……彼女はありもしない呼吸器官で息を呑んだのだ。

 あのとき俺に流れ込んで来たのは恐怖心。

 いざ死を目の前にしたときに誰もが抱くであろう感情。


(どうか、逆萩さん。私を殺して……いや、壊してください。この無意味な生に、慈悲のある終わりを与えてください)


 しかし、今の彼女からは僅かな恐怖心しか感じられない。

 生半可じゃない覚悟で決めた願いなのだろう。

 ああ、これほどの決意を胸に口にされた願いなのだ。

 俺の答えは当然。

 

「やだ」

(はい、お願いします……って、えええええっ!?)


 叫びをあげる台座ちゃん。

 心外だとばかりに首を横に振る。


「いや、普通に嫌だよ。知り合って仲良くなった女を殺すとか、完全にサイコパスの所業じゃん……」

(いやいやいやいやっ! 私の話ちゃんと聞いてました? ねえっ!?)

「聞いてたけど。そもそも、全部アンタの思い込みだろ。俺が自分を殺してくれる人とかさ」

(そんなひどいっ! 人を誇大妄想狂みたいにっ〜!)

「いや、アンタ台座でしょ」


 俺のツッコミに、台座ちゃんが悔しそうに押し黙った。


「それに俺はさ。欲張りで我儘なんだよ……別に惚れてもない女でも、どうしようもなく助けたくなるときがある」


 ステラちゃんの背中をぽんぽんと叩いてから一旦降ろし、小首を傾げて見上げてくる頭を優しく撫でた。

 ステラちゃんが気持ちよさげに目を瞑る。


「そいつが理不尽な目に遭ってるなら尚更だ。どうしようもない運命だとか全部ぶっ壊して、お前の絶望なんてこの程度だったんだよって笑い飛ばしてやりたくなるのさ」


 いつものように肩を竦めてみせると、台座ちゃんは涙ぐんだ声で呟いた。


(わ、私は……台座なんですよ?)

「だから?」

(生贄の祭壇なんていう忌まわしい道具なんです!)

「そんなもん、アンタを見捨てる理由にはならねえな」


 ましてや自分を殺してもらいたいとまで絶望して、俺を召喚してしまうような女が相手だ。

 ここでバカ正直に願いを聞き入れてやるほど、俺は博愛精神に溢れちゃいない。

 とはいえ。


「ひょっとするとステラちゃんから聞いたかもしれないけどさ。ついこの間、この子の願いを無視して無理矢理連れて来ちゃって。だから、できればアンタの願いってやつも反故ほごにせず叶えてやりたいんだ」


 話し相手で済むならこの世界の精霊でも召喚してやろうかと思ってたんだけど。

 外れてほしい方の予想が当たった以上、代理を立てずに誓約を達成する方法はただひとつ。

 

「本当のところ、どうなんだ? アンタの願いは」


 問いかける。

 絶望する前に抱いていたはずの夢をもう一度思い出させるために。


(わ、私は……っ!!)

「どんな不可能だって、願えば俺が可能にしてやる。言ってみろ」


 絶対の自信を込めて微笑みかけると、台座ちゃんの嗚咽混じりに叫んだ。


(生きたい、です! 人間として生まれ変わりたい!! 今度こそちゃんとやり直したいんです!!)


 台座ちゃんのこの上ない本心から出た願いが、俺の中を駆け巡る。

 聞こえていないはずなのに、ステラちゃんがにぱっと笑った。

 俺も真似して笑う。


「だったら最初からそう言えっての」


 神の真似事みたいであんまり好きじゃないけど、それが望みというなら是非もなし。

 台座に向かって両手を掲げた。


「今からアンタの霊魂を台座から抜き出して人間に転生させる」


 台座ちゃんの生唾を飲み込むような音が頭の中ではっきり聞こえた。


(ま、待ってください。こ、心の準備が!)

「いいや駄目だ。これ以上は俺も待てない。どうしても嫌なら今からする質問にノーで応えろ」


 戸惑い気味な台座ちゃんから了承の意志をくみ取った俺は、転生の条件を告げる。


「俺は他の神みたいにチート能力をサービスしたりできない。それでもいいか」


 しばしの沈黙の後、承諾。


「どんな生まれになるかも保証できない。スラム街で惨めな一生を送るかもしれない。それでもいいか」


 これも少しの迷いの後に首肯の気配。


「転生後に今までの記憶は引き継げない。ただしガフの部屋で漂白されない霊魂には記憶が刻まれたままだ。だから加齢や何かのショックで前世を思い出すことがある。それでもいいか」


 これまでで一番長い沈黙が訪れる。

 やがて台座ちゃんが出した答えに、俺は無言で頷いた。 


「わかった」


 俺が使おうとしているのはチート能力ではなく、神々の見様見真似で覚えた我流の転生術式だ。

 それだけに粗も多い。

 相手の承諾必須。『召喚と誓約』のせいで転生先の出自どころか異世界自体を指定できない。記憶の引継ぎも不可ときたもんだ。


 エヴァや手持ちの女神嫁の方が俺よりうまくやれるだろう。

 転生先も指定できるし、記憶の引継ぎもできるし、その気になればチート能力も付与できる。

 でも、どっちみちさっき出した条件以外で誓約者の転生を俺が請け負うことはない。

 本気でやり直す覚悟があるのなら、記憶なんかなくったって霊魂が覚えてるもんだ。

 まあ、今持ってる念話チートは引き継がれるはずだし転生特典としちゃ充分だろ。


「じゃあな、台座ちゃん。次はいい人生を」


 術式が完成する。

 俺と台座ちゃんの周囲に光の風が渦を巻き、ステラちゃんが慌てて俺の足を掴んで踏ん張った。


(は、はいっ!  あの、逆萩さん!)

「ん?」

(ありがとう、ございました! この恩は……あ、忘れてしまうんでしたっけ)


 台座ちゃんには顔がない。

 でも、少し寂しそうに笑ったような、そんな気がした。


「ま、思い出すことがあったら他の誰かに返してやってくれ」


 必ずしも受けた恩を本人に返す必要はない。

 俺の師匠の言葉だ。


(わかりました!)


 台座ちゃんが元気よく応えた瞬間、部屋の中心に集まった光が大きく弾ける。

 

「きれーい!」


 キラキラと雪のように降り注ぐ粒子にステラちゃんが目を輝かせながら飛び跳ねた。


「どれどれ」


 念のために鑑定眼で台座ちゃんだったものを確認する。

 正真正銘、魔力波動のないただの台座になっていた。


「さて、俺らもいくか」


 ステラちゃんに話しかける。

 俺の足元にはとっくに次の異世界へ繋がる召喚陣が出現していた。


「にぃちゃ、いいの?」


 ステラちゃんが光の粒を追いかけるのをやめて寂しそうに見つめてくる。


 うーん、この子……ひょっとして俺が誓約達成のためにステラちゃんと台座ちゃんを会話させてたことを察してたのか?

 もちろん、こんな場所にステラちゃんを置き去りにするつもりはなかった。

 万が一最初の代理誓約が通ったら「台座ちゃんの話し相手」を回収して、召喚をキャンセルするつもりだったし。

 そんでもって地元の精霊か何かを喚ぶつもりだった。


「おいで」

「あい!」


 手を差し出すと、ステラちゃんは何の迷いもなく俺の手を小さな手指で掴んだ。

 よほど嬉しいのか俺を見上げてにこにこ笑っている。

 さっきまでの気まずかった態度が嘘のようだ。


「台座ちゃんとは何を話してたんだ?」


 どうしても気になって尋ねてみる。

 「うーん」と少し考える素振りを見せた後、ステラちゃんが元気よく頷いた。


「おんなどうしの、ひみつ!」

「お、おう」


 なんだか奇妙な既視感を覚えつつも、俺達は次の異世界へ旅立つのだった。

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