第9話 神様のお見送り
暴力に慣れていない人間は手加減の仕方がわからない。
だから無害な人間がふとした拍子に、誰かを殴り殺してしまうことがある。
今のシスターが、まさにそれだった。
殴られる俺はもちろんのこと、シスターも傷ついている。
華奢な手についた血は彼女自身のものも混じっているはずだし、もしかしたら骨折してるかもしれない。
お互いにとって幸いだったのは連日の祈りでシスターの疲労が限界まで溜まってたことだろう。
シスターが俺にもたれかかってくる。殴り疲れたのだ。
これ幸いと俺は、その耳元に囁く。
寄付は同情。あるいはそれよりもっと醜い感情だった。
シスターの姿が痛ましくてたまらないって、みんな思ってる。
立派だなんだともてはやしながら、本当はみんなアンタに祈るのをやめてほしがってた。
あのガキどもですら。アンタの背中を見て、いつだって泣いていた――
そんなような内容を、つらつらと。
半分以上、俺の
まあ、この様子じゃ聞いてないかもしれないけどな。
というか……痛ぇ!
かっこつけて防御を解いてたから、すっげえ痛い。
しかも、重っ。いや重いって女の子に言っちゃ失礼だけどさ。なんてーかシスターに体重全部預けられてる感じがする。
「もしもーし?」
「くー……」
寝息じゃん。
寝てるじゃん!
「まあ、これはこれで……」
シスター、お尻さすっても起きないし。
体温がいい具合に眠気を誘う。
このまま俺も寝ちゃうか……。
「……ん」
「気が付いた?」
目覚めてまず目に入ったのはイツナの不機嫌そうな顔だった。
「あー、なんだ。ここはどこだ? 異世界か?」
「寝ぼけてる? それとも変なところ打った? 異世界に決まってるでしょ」
ああ、そうだ、俺は異世界トリッパーだった。異世界に決まってる。
ん、いやそうじゃなくて別の異世界に来たかどうか聞きたかったんだが……。
いや、見覚えのある部屋だ。まだ解決できてないか。
「ふたりとも怪我してた。何があったか、ちゃんと教えて」
イツナがいつになく真顔だ。
朦朧とする意識のまま、かくかくしかじかと、事の顛末を話す。
「……わたしもサカハギさんのこと殴っていい?」
イツナが本気で怒っている。シスターをわざと挑発して怒らせたこともだが、それ以上に心配させるような無茶をしたことが許せないらしい。だから、
「どうぞ」
と俺が呟くと。
「やっぱりやめとく。かわいそうだから」
消え入りそうな声で、そう言った。
いい子め。
「でも謝るべきだと思う」
「俺は――」
「ルール2はわかってるから!!」
イツナが涙ぐんだ声で叫んで、俺の言葉を遮った。
「いや、ルールの話をしようとしたわけじゃ――」
「サカハギさんは悪いことした! だから謝って」
まあ、そうだ。
悪いことをした。
わかっててやった。
「悪ぃ」
「もっとちゃんと」
「……すまん」
「すっごく心配した」
「ああ、心配かけた」
「サカハギさんが死んじゃうかと思った」
「俺は死んだりなんて――」
「死んじゃヤダ」
イツナがひしっと抱き着いてきた。そのぬくもりに、意識が覚醒する。
「死んじゃヤダよ、サカハギさん」
ああ、イツナ。俺なんかにはもったいないぐらい、本当に優しい、いい子だな。
もっとちゃんとした奴と一緒に、幸せに暮らすべき女の子だ。
でも、ダメだ。
誰にも渡さない。
俺のイツナだ。
「本当に悪かった、イツナ。お前を置いて行ったりはしない。死ぬときは一緒だ」
泣きじゃくるイツナに胸を貸しながら、できるだけ心を込めてそう言った。
「わたくしは罰を受けねばなりません」
それが「シスターさんにも謝って」というイツナの言葉に従い、会いに行ったシスターの第一声だった。
「雑念に負けて祈りをやめたこと。人に手をあげたこと。すべてが恥ずべき行(おこ)ないです……修行が足りませんでした」
一見すると信心深いシスターさんに戻ってしまったかのように見えるが、どことなく雰囲気が違って見える。
「そして貴方も」
慈母のような優しい目でシスターは俺をジッと見つめた。
「生憎と別の神からも罰を受けてる真っ最中なんでね。他の天罰は予約待ちで頼む」
そんな軽口にもクスリと笑うシスター。
「貴方は本当に、神をも恐れぬ不信心者なのですね。いえ、わたくしももう貴方のことをとやかくは言えないですが。貴方はわたくし達の心に芽生える慈悲の心すらも神が与えるものだと認めないのですね?」
「ああ、認めないね。それにアンタの怒りと悲しみだって不信心なんかじゃない。正当なもんだ。全部アンタだけのモノだよ」
俺の主張がどのように受け止められたのかはわからないが、シスターは首を横に振りながらこう呟いた。
「そうですね。わたくしのこの気持ちは……神に預けていいものではありませんでした。それに、この手ではしばらく正しい祈りの形を取れません」
その両手は痛々しく包帯で巻かれている。
「そうだな」
ニヤリと笑う……つもりが、俺の顔もボロボロ。うまくできなかった。
まあ、俺自身は自己再生能力を起動すれば治せるんだけど、この世界にいる間はシスターさんにやられた傷を残しておきたいのだ。
要するにただの格好つけである。
本当言うとシスターさんの手だけでも治してあげたいのだが、他者を治癒する力のほとんどは神が関わっている。
神を嫌う俺には治癒魔法はもちろん、信仰系の魔法全般が使えない。
ひょっとしたら『コピーチート』や『強奪チート』とかで使えるようになるのかもしれないけど、試す気は皆無だ。
もっと言うと他に治す手段はあるんだが、シスターさんが物理的に祈れなくなったことで、遊ぶのは無理でも子供達と関わる時間は自然と増えるだろう。
たぶん、しばらくすれば俺はこの異世界にいられなくなるはずだ。
俺としては祈りが無駄だということを思い知って欲しかったんだけど、この分だと手が治ったら、また祈り始めるかもしれない。
そのときに子供達にかまってあげるかどうかは……シスター次第だろうな。
「ああ、たった今わかりました」
考え事をする俺を見て、シスターが目を見開く。
「貴方は、本物の悪魔だったのですね」
……いい笑顔だった。
今まで見た中でもとびっきり魅惑的で、冒涜的な薄ら笑い。
だから、とびっきりの邪笑を返した。
「ええ。だから、最初からそう言ってたでしょう?」
こうしてめでたく、俺とイツナは教会を追い出された。
まあ、あれ以上、あそこに留まる理由もないわけだし。これで何日も転移しないようなら、今度こそ誓約破棄して、もっと強引な手に打って出る所存である。
「罰当たり」
ふと、そんな声が聞こえた気がして背後を振り返る。
緑色のワンピースを着た小麦色の肌の少女が立っていた。
あの教会を背にしているけど、俺の知る限りあんな子供はいなかったはず。
「でも、彼女を心の檻から救ってくれたことには感謝する。ありがとう」
だいぶ距離があるはずなのに、少女の声ははっきり聞こえた。
風が吹く。瞬きの合間に、少女の姿は消えていた。
「どうかしたの?」
隣のイツナが何事かと小首を傾げる。
「……いいや」
フッと笑って、俺は首を横に振った。
「この世界のラスボスを仕留め損ねたよ」
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