旅の青年 4

 マストが損傷した船から、助けを求める凧が上がっていた。近くで様子をうかがっていたらしく、直ぐに数人の砂の民がやってきていた。


「客人たち、運が良かったな。島は近くまで来てるそうだ。砂の連中が一人5シルクで連れてってくれるとよ」


 船員の呼びかけに、喜ぶ者もいれば、値段の高さに不平をもらす者もいたが、岩竜に出会って全員無事だったのだ。これほどの幸運はないだろう。


「客人、恩にきるぜ」


 青年の前で、船長はひざまずいて礼を述べていた。


「礼をしてえ所だが……この通り、船の修理と、あのがらくた弓の借金で、銭で礼はできねえんだ。でも、ほかに出来ることがあったら何でも言ってくれ!」


 その言葉に、青年は荷物を背負いながらしばし考えこんだが


「ミルズ公のお抱えになる予定なんだ。次からは、従者を連れて王都やあちこち島を渡るから、その時に出くわしたら乗せてもらえるかな」

「そんなんでいいんだったら、大歓迎さ!乗ってくれりゃ心強いしな。あんたの為に、馬も乗せれるようにしとかあ」


 例のシラフに戻った男は、やり取りを呆然と眺めていたが、はっと我に返った。


「お抱えとか、従者って……あんたバルサルクかよ!」


 青年のローブの胸元に手をかけ


「紋章見せてくれて!」


 はだけた。

 ローブの下に着込まれた皮鎧。その胸元には、三十八種の抽象化された文様が配され、一つの大きな紋章を形作っていた。

 違(まご)う事なきバルサルクの証だ。


 

 バルサルク……。

 この大陸エセシュメニカナの古代語を由来とする。

 「バル」は万能を意味し、「サルク」は賢者や指導者や特定の道に優れたものを表す。


 元は個々に独立した単語であり、「サルク」はいわゆる「騎士」の意味でも用いられていた。

 今より数百年の昔、英雄王と名高いバルカノン王は、配下のサルクへの叙任条件として、九つの習得をうながした。

 剣術、槍術、徒手空拳、軍学、馬術、水泳、走る登る跳ねるなどの身体能力、語学を中心とする教養、そして精神の強さ。

 取得した者には、盾、鎧、旗に、それらを抽象化した文様を描かせて証とし、従来の「サルク」と区別する為、「バルサルク」と呼称させた。


 叙任後も、王は、経験と修練を積んだ者には、文様を黒から青へと塗り直させ、功績を挙げた者はさらに青を赤へと塗り直させ、一目で分かる誉れとさせた。

 この英雄王の影響を受け、多くの王侯貴族たちも真似た。だが、この習慣は普遍化ふへんかするに連れ、一つの問題を生み出した。

 九つの文様さえ手に入れれば、誰もがサルクになる事ができるという点だ。庶民ですら資格をそろえさえすれば、バルサルクとなって領主のお抱え(仕官)や食客として迎えられ、貴族の子弟と肩を並べることができる。手柄さえ立てれば、領土や権益を付与され、本当の貴族にすらなれてしまう。

 いつしか、血筋や家柄よりも、文様の有無と色の方が尊ばれるようになり、高貴たる者たちの血の価値を奪い始めたのだ。


 既存の貴族たちを脅かす習慣に、誰が言い出すでもなく、王侯たちはさらに資格条件を増やし始めた。

 貴族のような経済力と人脈を持たぬ限り、簡単には習得できぬようにと。

 資格条件が一つ増えれば、他の王侯たちも真似、また一つ増えれば、また真似る。

 いつしか九つの文様は、三十八種からなる紋章へと変わっていた。

 


 青年の紋章を見た男は、息を飲んだ。

 三十八種の文様のほとんどに青か赤の色彩が入れられている。そして、紋章の右端に配された剣術を表す文様に至っては


「剣に至っちゃ、金色こんじき持ちかよ……」


 赤色よりも上位の、バルサルクでも千人に一人持つか持たぬかと言われる金色こんじきの色彩が施されていた。

 ぺたりと、その場に膝をつくと、男は両手を握りしめて合掌した。


「バルサルク様、とんだ無礼を致しました。バルサルクといえば、騎牛ビルガーまたがって、馬丁ばちょうと、でっけえ得物えもの持たせた従者を引き連れてるんだと思ってましたが、まさか、一人旅をなさってるとは……」

「いや、こっちも黙ってて悪かった」


 バルサルクの青年は、男の手を取ると立たせた。


「従者は、前の合戦の時に辞められたんだ。よっぽど戦いが怖かったらしくて」

「旦那、そりゃいけねえ」


 男と同じく、青年の紋章を感心したように覗き込んでいた船長は


「ミズル公の所に行くんなら、荷物持ちの一人もいなくちゃカッコつかねえよ。金色持ちならなおさらだ……よし、これもさっきの礼だ。俺が手配してやるよ」


 と世話を焼こうとしたが、男はそれを横から遮った。


「だ、旦那!だったら、俺を雇ってくだせえ!俺ならここらの島も白海も砂の民も、ミズル公だって良く知ってまっさ!」


 そして何と自分を売り込み出した。


「ミズル公を知ってるのか?」

「へい、そりゃもう。ミズル公には、何度も牢にぶち込まれてる間柄でさ」

「牢屋に?」

「へへ、俺の仕事柄、そうなるんでさ」


 バルサルクの青年は、怪訝な顔をした。


「何の仕事をしてるんだ?」


 男は頭をかくと、


「そのなんつーか……酔ったふりしてね、一人旅の奴に近づいて……土産話の一つもしてやって、その礼に小遣こづかいもらう仕事でさ」


 そう言いながら、照れ臭そうに懐から皮袋を取り出した。

 バルサルクの青年は驚いた様子で、自分の身体をまさぐった。そして、呆れた顔をした。


「おれの財布か!?」

「はい、旦那。きっちりお返しいたしやす。今日限りでスッパリ足も洗わせていただきやす」


 頭を下げて財布を差し出す男に、バルサルクの青年は怒るどころか快活に笑った。


「大した男だな!」


 竜すらほふる青年に気付かれる事なく、生命線を奪い取っていた男に、青年は心底感心したらしい。

 差し出された財布を押し返すと、青年は言った。


「それはお前が預かっててくれ」

「え、いや、でも……」

「荷物の管理は従者の仕事だ」

「へ?あ、ありがとうございやす!」


 青年は笑いながら、横で呆れた顔をしている船長の肩を叩いた。


「さあ、行こう。砂の民が待ってくれてる。船長、待たな」

「あ、旦那!肝心のお名前は?」

「旦那様、この従者めに御尊名を!」


 青年はフードをかぶり直しながら告げた。


「レイツ……いや、プレイズ・レシュターツだ。他にも色々呼び名があるが、それが本名だ」

「だ、旦那様!私めの名前は、グズリ・ダスでございます。私めも、コソ泥とか、酔っ払いとか、短足とか、いろいろ呼び名はございますが、好きにお呼びくだせえませ!」


 ダスは、レシュターツを先導して、船のタラップを降りて行った。


「どけどけ!『金色』持ちのバルサルク様と従者のお通りだ!道を開けやがれ!」


 陽はまだ高く、西方には、いつの間にか近づいてきていた島の姿がボンヤリと見えていた。風と砂と共に、白海を漂う王都と七つの都市の一つ、バラグユーン島だった。

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