殺す。
「あの夜から、記憶がありません」
待ちながら考えた嘘を並べる。
「最後に見たのはあずき色の頭巾が打ち倒されるところまで、その直後に突き飛ばされたのは覚えています。ですがその後は土砂降りの雨の中、知らぬ土地に立っておりました。どうして良いか判らず、迷いに迷って、こうして戻ってきた次第です」
この一年近く何をしてきたか、語り重ねる嘘はあたしでさえ胡散臭いと思える酷い出来だった。
元よりこうなるとは思ってなかったから、旅の痕跡消すようなことは一切してこなかったし、そもそもあれだけ派手に暴れられて、挙句にお芝居の演目にまでされてる始末、到底隠しきれるものじゃない。
だから雑に記憶喪失、頭に傷を負って記憶がスッポリと抜け落ちるという病を演じて、知らぬ存ぜぬで押し通すことにした。
見破られるのは前提、その上で二の手三の手重ねて、全て尽きる前に終わらせる。
覚悟と計算、用意してきたのに……想定の外、拍子抜けにも長をはじめ、里のものはこれを信じた。
厳しい尋問、苛烈な拷問、狡猾な自白剤、そのようなものは一切なく、軽く説明した後に出されたのは美味しい食事、柔やかな布団、暖かなお風呂、至れり尽くせりだった。
ただ、油断させて隙を作らせる手も習っている。
いつどこでどのような搦手が飛んでくるか、気を引き締めながら湯から上がると、待っていたのは長だった。
「服はこれだ」
湯上がりで裸のあたしに渡された新たな着物は、極上だった。
一時期触ってたからわかる質の良さ、光沢のある生地は絹、それを若草色に染め上げて、腕の立つ職人が仕立ててある。袖も丈もあたしの体にピッタリに拵えてあるのは、落ちても忍びの里といったところだろう。
こんな着物、着せる理由など、一つしか思い浮かばなかった。
不安と期待、飲み込みながら着替え終わると、次は外、長に連れられ出てみれば、表門に『
個室のような小さな箱の中に人を入れ、上部に取り付けてある一本棒を、前と後ろの二人で担いで移動させる乗り物で、一般では峠など厳しい道で楽を買うための乗り物だった。
けれど、今目の前にあるのはもっと高貴な人が乗るものだった。黒の漆塗りに金の装飾施して、引き戸の中には小さな畳まで敷いてある、どこかのお姫様でもなければ乗れないような代物だった。
それに乗せられ、運ばれる。
……大いに揺れる道をどれほど超えたのか、説明ないまま連れられて、降ろされる。
まだ昼前、空に雲も見えないのに、周囲の山々が険し過ぎて影を落として薄暗く、窪地の地形もあってか春が遠のき肌寒い。
その真ん中にポッカリと空いた空間には、見るからに冷たく、深い水を讃える湖が広がっていた。のぞき込めば底の泥や朽木が見える透明度、何を食べて育ったか大きな魚も泳いでいる。
そしてさらにその真ん中、浮くように聳えるのは、立派なお城だった。
何もないところに無理して建てたのか石垣が水面よりいきなり飛び出している。その上には白い漆喰の城壁、瓦屋根が段々に重なる間からは木々のてっぺんがチラチラ見えている。
ここが噂に名高い『
……戦乱の世に徳河が築いたこの城は難攻不落だった。
ただでさえ山奥、苦労してたどり着けば待ち受けるは天然の堀、渡るのは困難な上に籠城する側には無尽蔵の水を供給する。
過去何度か攻め入られたことがあったとのことだけど、ついぞ一度も落ちることはなかったという。
城としての完成系、けれど価値があったのは戦さが終わるまでだった。
太平の世となってからは城の役割は戦の防衛から統治するものの居住区、ひいては政治の場へと移り変わった。
となれば求められるは守りの硬さより立地の良さ、太い街道に面しているか、大きな城下町を抱えているか、周囲は平らか、天災からは離れているか、更にはどれほど建築物として美しいかに変わって行った。
このような山奥、城の他に水と木々しかない田舎の城など過去の遺物、せいぜい避暑地として遊びに行く程度の価値しか残されていなかった。
そんな城をあてがわれる城主など、一人しかいなかった。
「これから次光様に会ってもらう」
城への唯一の一本道、小島を繋いだ橋を渡りながら長が正解を説明する。
「こちらにお越し頂いているのは頭の怪我の療養のためだ。方々手を尽くし、なんとか命は取り留めたが目覚めるのは絶望的、ならば世俗の喧騒から離れて眠りやすい場所にとの心遣いでこの城の主人となられたのだ」
並べられる言葉は嘘、ただこれはあたしにではなく周囲に控える城のものに聞かせるためだろう。こんな場所まで流されたとは言えまだ副将軍、入り口城門から石垣登った内部まで、ビッシリと見張の兵が控えていては、真実を語るのは愚策だと、この長でもわかってるようだった。
その兵士達、多い。腐っても副将軍、あるいはまだ後継ぎとして見られているのだろうか、鍛えられた上に装備も行き届いていて、守りは厳重に見える。
ただ気になるのは表情と頭、不安なのか恐怖なのか全員が覇気の薄い青い白い顔、その上に被るのは全員が兜ではなく黒色の頭巾だった。
顔はなんとなく察することができるけど、謎は頭、何か意味があるのか、疑問浮かんでも尋ねられないまま城の中へと入る。
「これを」
入って早々、長から手渡されたのは、着物と同じ薄い緑色に染められた頭巾だった。
「この城にいる間、外に出るまで、あるいはワシから許可を得るまでは、いつ何時も必ずこの頭巾を頭に被って、何があっても外してはならぬ。よいな?」
そう命じながら長も、藍色の頭巾を頭に被る。
頷き、言われるままに被ると、頭に丁度の大きさ、天日干しした後なのかほのかに太陽のいい匂いがした。
「特に次光様の前では絶対だ。これが身分の代わりとなる。あの方は、頭を打ってからというもの、どうやら人の顔の区別がつかなくなっているようなのだ」
想定の外過ぎる一言、炙り出された動揺を頭巾で隠す。
あれだけの傷、何も後遺症がないわけはないとは思っていたけれど、だけどこうも都合の良過ぎる話は、ないと思う。
だけど、だとしらた、好都合、上手くやれば、上手くやれる。
驚愕、混乱、期待、全部を飲み込みながら被り終え、狭まった視野に慣れながら、更に奥へ、城の上へと登っていく。
途中、何人かの偉そうな頭巾の人らと長との挨拶が終わった後、広々とした中庭に面する渡り廊下に出た。
まるで屋根のある橋のように、草木生い茂る中を突っ切る道、左右には手入れの行き届いた草木が、季節の花が蕾を漬けている。左側は石垣の端にあるのだろう、開けた空間のむこうい雄大な山々が広がっていた。そしてその山肌に向き、壁にもたれかかるように生えるは立派な松の木が一本、寒空にも枯れず緑濃い棘の葉を蓄えた枝を力強く伸ばしていた。
綺麗なお庭、その真ん中、松の木を背景に置かれているのは、この場に似つかわしくない異物、木で作られた台の上、飾られてるのは人の生首だった。
初めて見る顔、白髪交じりの初老の男性、飛び出た舌に白い両目、血は乾いておらず、虫も湧いてないからまだ日を跨いでないぐらい、新鮮だった。
思い浮かぶは『さらし首』だった。
落とした罪人の首を目立つところに飾って見せしめとする刑罰の一種、だけど城の中、人通りの限られてる庭に飾っては意味が薄い。
こんなことするのは暗君に違いなかった。
間違いなく非業の死、晴らせぬ恨みを訴えてくるような首の視線を横切り、庭を抜けてまた城内へ、入り組んだ通路を抜け、階段上り、抜けて、最後に通されたのは大きな部屋の、閉じた襖の前だった。
敷かれた畳は季節外れに真新しく、襖の模様も色取り取りな花が咲き乱れた様子が描かれていて綺麗、けれど、それでも死の残り香が隠しきれていない。
血と肉、漏れ出た臓腑、いくら綺麗に拭き取ろうとも、襖畳を取り替えようとも、建物自身、あるいは空間全体に染み込んだ嫌な臭いが鼻を突く。
その発生源、主がこの先にいると語るは周囲大人たちの表情だった。
長に加えて元よりいる見張り、その他大人たち、合わせて六人、すました顔を作ろうと努めているけれど、隠しきれていない緊張と恐怖、チラリ伺う方向こそが襖の向こう側だった。
次光が、いる。
それを動作で肯定するように長、襖に向かって正座して、静かに首を垂れる。
その右斜後ろに控えながらマネをして正座、垂れながら、人知れずあたしはそっと舌の上で得物を転がし、その鋭さを確認する。
朝食の残骸、味の抜けきった魚の骨、細くて小さくて、噛めば砕け、飲めば隠せる程度の脆弱なもの、それでもしっかりと指に挟んで、首の後ろめがけて叩きつければ肌や肉を刺し貫いて、背骨の隙間に届く。
背骨を刺されたら相手は死ぬ。
ここまで持ち込めた唯一の暗器だった。
……次光はまたあたしを殺そうとしてくるだろう。
理由は復讐か、憂さ晴らしか楽しみか、あるいはただ殺したいだけかもしれない。
それでもあの夜のように、一対一、その手で殺すように促すことぐらいはできるだろう。
そこを、逆に、殺す。
殺してしまえば、後はもう、鴨兵衛様が狙われることもなくなる。
生きていて、後継ぎかもしれないからみんな守っているのだ。それが無くなれば、後は体面守るため大騒ぎにはならないだろう。そしたら安全、安心だ。
だから、殺す。
「とうせい」
襖の向こうから聞こえてきたのは間違いなく、次光の声だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます