心残りはない。

 今更の自己紹介、思っていた以上に気恥ずかしい鴨兵衛、対しておネギの怒った表情に、特段の変化は見られなかった。


「池鴨、とは、あの池鴨藩……ですか?」


「まぁ、な。藩と言ってもド田舎、いわゆる貧乏旗本というやつだ」


 ……旗本とは、元来の意味では文字通り旗の本にあり、将を守る武士団を指した。


 転じて今では、統一幕府に直接使える幕臣の内、将軍へ謁見が許されるギリギリの位を指していた。


 確かに偉くはある。けれどもそれだけで、金も権力もたかが知れて、下手をすればそこらの大地主大商人やら由緒正しき神社仏閣の方が遥かに強かった。


 その程度の位でありながら、ある程度独立自治を認められる『藩』を名乗れるのは、その地理にあった。


「田畑もまともにできん無価値な土地、そのくせ天然の城塞で守りは硬い。それで戦乱の間ずっとほっとかれててな。気が付けば周囲をすっかり大国に囲まれてしまって、そこを小狡く立ち回ってる間に太平の世だ。その後は街道としての役割を得て、その利益を周囲に独占せぬよう、幕府の都合で独立させられてるにすぎん。藩の地位も、そのために与えられた、ただの道具だな」


 自嘲とも謙遜ともとれるやや早口の説明に、おネギから返事を貰えなかった鴨兵衛、これではイカンとやや落ち着きを取り戻す。


「……まぁ、そんな厳しい土地ではあるが、ただ一つ、修練の地としては人気があってな。あちこちの道場やら武者修行の旅人やらが集まるようになってな、それなりの暮らしはできていた」


「野牛とは、その縁ですか?」


「まぁ、そうだ」


 おネギの言葉は問いというよりも急かしている風に鴨兵衛には聞こえた。


「師匠も、野牛宗法も昔から修練に、本人は遊びに来ていた。弟子や、あの左京を連れてな」


 ピシリ、また空気が変わったのを感じて、流石の鴨兵衛も、おネギは知りたがってるのは左京のことなのだろうと察する。


「左京は、師匠の師匠、野牛宗法が野牛流を起こす前に教えを請うた宮本の血筋だ。詳しいことは知らないが、天涯孤独だったところを向かい入れ、親代わりとして世話をしていた、と聞いているが、実際世話をしてたのは左京の方だったな」


 語りながら鴨兵衛、昔を懐かしむ。


「……相手は天下に名を轟かせる一流道場とそれを興した大剣豪、対して俺の家は藩というだけの貧乏旗本、どちらが上かは明らかだ。だから師匠一同が来る度、俺の家は総出でお出迎えをした。それこそ三男の俺まで引っ張り出さすほどにな。とはいえ、当時から俺は俺だから、何か手伝いができるわけもなかった。それでも子供の遊び相手はできるだろうと。俺と妹と左京、その場にいた子供まとめてあれやこれやとされていたのが始まりだな」


 ……おネギの表情に変化、それはこれまでの不機嫌とはまた違ったもの、だがその意味わからぬまま、鴨兵衛は続ける。


「当時から俺は、力だけは有り余った、ただ壊すしか能のない、不器用なガキだった。家にもかなり迷惑をかけてたが、そんな俺を師匠は面白がってな。ある日いきなり弟子にすると言いだしたのだ。これに親も家族も大賛成でな。何せ藩とは言え三男に継げるものがないのは同じ、かといってどこか仕官に就くのもまず無理、剣術道場ならば好きなだけ暴れられる。それも天下の野牛、これを逃したらごく潰しと、他に道はなかったな」


「それで、養子に?」


「それはまだ先だ」


 返事して、せっかくおネギが返事をくれたのに無下に会話を切る形になってしまったとすぐに後悔、こういうところが話下手なのだと思い知る。


「……まぁなんだ。生れがどうであろうとも、弟子になったからにはそれが全て、俺は一介の門下生として一から修行が始まったわけだ」


 言いながら思い返す鴨兵衛、脳裏に浮かぶ思い出の数々、そのほとんどが、誰かに何かしらを叱られている場面であった。


「…………左京は幼少から一角ひとかどだった。ただでさえ数少ない女人の弟子でありながらグンを抜いて腕が立ち、みるみる腕を上げてな。当時最年少で師範代、そこから免許皆伝まであっという間、本物の天武の才とは、正に、だ」


 思い出すは徒然なる敗北、ひたすら打ちのめされた日々、こちらの方が大きいはずなのに見上げてる場面ばかりが思い出される。


 気分を重くしながら鴨兵衛、続ける。


「……そんなある日だ。師匠、野牛宗法が突如隠居すると言いだした。実力はまだまだ最強、十二分に戦えるというに、だが言い出したら聞かない人だ。止められるものなどいなかった。それで、問題は次を誰が継ぐかだったが、先生から一言『刀で決めろ』と」


「それは、斬り合え、ということですか?」


 コクリ、鴨兵衛頷く。


「剣を教えるならば何よりも強くなければ、との教えでな。流石に竹刀での試合とはなったが、段位も年齢も、それこそ流派も関係なく、我こそはと名乗るもの全て一箇所に集めての大試合、最後まで勝ち抜いて最後まで残った一人が全てを継ぐ。当時はかなりの大騒ぎだったんだが」


 反応、知らない様子のおネギに鴨兵衛、意外と驚く。


「……それに、当初俺も左京も興味がなかったんだが、仕切ってた高弟たちが勝手に話を膨らませておってな、どういう理屈か、勝ち抜いたものは野牛の道場だけでなく左京も手に入る、とされていてな」


「それは、お嫁さんに、ということでしょうか?」


 鴨兵衛、頷く。


「言った通り左京は名のある血筋だ。嫁にとれればその血も得られる。それがなくともあの美貌、普段より見合いだ側室だと騒がれていた。それを道場で庇っていたのだが、今度はその道場が逆に、となってな」


 ……なんとなく、戻りかけてたおネギの機嫌がまた悪くなっているのを、鴨兵衛あえて気が付かぬふりをした。


「師匠に何とかするよう頼んでも笑うだけ、決めるのは勝ったやつだと言って使えない。だったらと左京、自ら参加して、言葉ではなく剣でお断りを、となった。だが流石に一人で全員は辛いと、だから微力ながら俺も付き合うことにしたのだが……なぁ」


「……勝ったのですか?」


 ……頷く鴨兵衛、頷いて慌てて訂正を入れる。


「いやあれは、左京が譲ったのだ。まだ終わりではもないのに、互いに潰し合っては意味がないと、な。俺には手を抜いて負けようとするとバレバレだからな」


「それで、その、ひょっとして?」


 …………項垂うなだれるるように頷く鴨兵衛を、おネギは真ん丸な目で見つめてくる。


 意味すること、つまり鴨兵衛は、あの野牛流を継ぐものであった。


 この事実を前におネギ、機嫌不機嫌吹き飛とばして見せるは驚きの表情であった。


 これに鴨兵衛、何とかなりそうだと胸をなでおろす。


「……勝ったには勝ったのだが、勝った後に大いに揉めた。俺は、力はあったが、野牛の技を十分の一も……十も使えない。そんなのが野牛を継ぐなど無理だと、な」


「そんなこと!」


 ビクリ、おネギの強い言葉に跳ねたイサマル、けれど目覚めることなく鴨兵衛の膝の上で寝がえりをうつ。


「……最初に諫めてくれたのは師匠だった」


 その白い毛並みの背を、おっかなびっくり撫でながら、鴨兵衛、寂しげにほほ笑んだ。


「負けたくせに文句言うな、勝ちは勝ちだ、とな。それで大半は黙ったが、一部の古い弟子たちは燻ってて、これを黙らせたのが左京だ。できないものはできない。だからできる自分が一緒になって、できない分を補う、とな」


「一緒に」


 鴨兵衛、噛み締めるように頷いて見せる。


「勝ったら夫婦に、と言い出したのは向こう、その通りにすると言ったらみな黙った。それで、諸々の手続きを簡潔にするために先ずは野牛家の養子に、結婚はその後になるから今はまだ婚約で、俺がいない場での話だったから許嫁、とな」


 静かに、聞いているおネギを前にして鴨兵衛、鼻より息を吸い、口より静かに吐き出す。


「……その後も細々とした色々があったがなんとかまとまって、ようやっと俺が養子に入てての祝いの席、飲んで歌って騒いで、疲れてみなが寝静まって、迎えたのが……


 溢れでた最後の一言に、おネギの顔は一瞬にして引き攣り、みるみる青ざめていく。


 定まらぬ目線、強張る全身、滲む汗、急激な変化、鴨兵衛察する。


 ……やはりおネギは、あの夜のことを覚えていた。


 恐れていたこと、いきなり話してしまった後悔、それを取り戻そうと乗り出す鴨兵衛、その拍子にステン、膝よりイサマル滑り落ちる。


 これに慌てて手を伸ばした鴨兵衛であったが、目を覚ましたイサマルはその下をすり抜けてトトト、おネギのひざ元へまた戻ってしまう。


 そのまま駆け上ると後ろ脚二本で直立し、前足二本を立てかけて、長い鼻を伸ばしておネギの顎の下首筋をスンスンと匂いを嗅ぐ。


 これに、恐る恐るおネギ、静かに両手を広げてイサマルを抱きしめる。


 その目には、動揺はあっても、魂は残っていた。


 ……これならば、大丈夫だ。


 鴨兵衛、思わず目を瞑る。


 この様子なら、あの時のように、最悪に戻る心配は、なさそうであった。


 ならば、大丈夫だ。


 おネギならば、この先一人でもやっていけるだろう。


 ならば、もう、心残りはない。


 鴨兵衛、静かに目を開けると、ジッと見つめるおネギと目が合った。


 その、訴えかける眼差しに、鴨兵衛不器用ながら微笑み返す。


「……おネギ、これはなるべくしてなったのだ。俺があの夜、師匠を打ち倒したのも、俺たちがここまで旅をしてきたのも、そしてこれから、左京と戦うのも、な」


 鴨兵衛の言葉におネギ、俯くと、逃げるようにイサマルを強く抱きしめてその毛皮に顔を埋めた。


「…………斬られてください」


 埋めたまま、おネギが言い放つ。


「斬られて、足を落とされて、腕も奪われて、血塗れで、ついでに両眼も潰されて、ボロボロになって負けて来てきてください」


「おネギ」


「それでも!」


 自分を抑えるかのようにギュッとイサマル抱きかかえながら、おネギは言葉を続ける。


「……それでもいいから、生きて、生きて帰ってきてください。そうしたら、一生面倒見てあげますから」


 それは悲痛な、泣きそうな声であった。


 おネギの言葉、おネギの思い、全てをくみ取れた鴨兵衛、これに、例え嘘であっても約束残せば、一時でも気休めになると、わかっていた。


 けれども鴨兵衛、不器用故に、ただ黙って、部屋を後にしたのであった。

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