やらかしであった。

 茶屋を出た二人、向かう先は店主に教えられた蕎麦屋であった。


 出されたほうじ茶と団子、値段の割に悪くはない味であったがしかし、それだけでは鴨兵衛の腹は満福にはならず、むしろ呼び水となってより食欲が強まっていた。


 残って食い続けては茶屋の在庫も二人の財布も持たないとの事での店のはしごであった。


 人通りの少ない道、目印となる水路とおネギの間で進む鴨兵衛、二人道中考えることは辻斬りと河童についてであった。


 ……あの店主は河童の存在を本気で信じているわけではなかった。


 ただあまりにも捕まらない辻斬りに、その不気味さとこの町に張り巡らされた水路が合わさり想像膨らませただけだとのことであった。


 ただ、その話の最後の方で「山の方の村では本気で信じている連中もいるっすよ」と聞かされれば、思うところは蝉丸、それとあの村人たちであった。


 流石にあの蝉丸がそのまま辻斬り犯だとは信じられない。だとしたら昨日のうちに斬られてたはず、ない話であった。


 だがあの村人たちがそう信じているというのは、信じられることであった。


 となれば面倒事は必須、それも知ってる仲の河童が巻き込まれようとしている、とならば捨て置けない話であった。


 こういう時、言われるでもなく情報収集、あちこちで歩き忍び込み、あるいは想像もつかぬ方法で色々探りを入れてくるのはおネギであった。


 本人もそのつもり、食事終わって別れた後、待ち合わせはどこにしましょうと話すまでに進んでいた。


 …………ただ、と鴨兵衛、迷う。


 これが普段であれば、いやそれでさえ安心して送り出しているわけでもないのだが、ましては今回の相手が辻斬りとなれば、おネギに対する心配はなお一層であった。


 その理由はひとえにあの夜であった。


 それは口に出すのもはばかられるほど難しい話で、下手に触れれば全てがまた悪くなる。それ故にこの場で話して相談、あわよくば説得して、という器用なこともできないでいた。


 ならばどうするか、不器用な鴨兵衛、思い悩むのを顔に隠しきれてないその前を、歩くおネギ、二人の顔にかかるは向かい風、その一撫に二人同時にその身が強張った。


 左手に水路、右手に材木置き場、挟まれたさして広くない道、風上より現れた男、一見て、いや一嗅ぎでヤバいとわかった。


 悪臭、それも腐臭に近い、汗とも垢とも違った、もっと切羽詰まった身の危険を感じさせる臭い、一瞬脳裏を過ぎるはやはり辻斬りであった。


 だがその発端、風上より現れたその姿に、その考えは霞んで消えた。


 相手の男は『無宿人むしゅくにん』としか思えぬ風貌であった。


 ……読んで字のごとく、宿の無いもの、その理由は様々であった。


 一般的に想像するは罪人、罪を犯して逃げ回って没辣した姿、中には連座制を恐れた家族に追放されたものもいた。


 似たような理由では年貢の不払い、厳しすぎるがゆえに田畑を捨てての逃亡してるものもいた。


 だが実際、一番多かったのは飢饉によりそのままでた生きてはいけないと判断したもの達であった。


 いずれにしろ人別帳にない土地に流れ着いたものの境遇は悲惨であった。


 そもそも藩にとって人とは宝、働かせて年貢を納めさせる財源であった。


 それが逃げ出すは大罪、そしてその大罪人を招き入れたとなれば、それは藩が盗みを働いたと同義だと、太平の世でも思われていた。


 それ故に許可を持たない無職人を住まわせるは罪、働かせるも罪であった。


 そうなれば、生活は悲惨、良くて物乞い、最悪更なる罪を重ねるしかないのであった。


 そうした成れの果てともいえる姿を、男はしていた。


 見窄らしい身なり、ぼろきれに等しい服、その肌は樹木や泥を思わせる汚れ具合、そこに病による肌荒れが膿を滲ませていた。背を丸め、その腰にはもちろん刀など無く、その手も痛むのか右手で左の手首を押さえるのみ、刃どころかそれを隠せそうな荷物さえ持たぬ、悲惨な姿であった。


 何より、同情誘うはその頭皮であった。


 ハゲていた。


 それも坊主のような煌めき放つようなものではなく、ましてや河童などと揶揄やゆできるものでもなかった。まばらに残る黒髪、隙間に見える地肌、残る髪を束にして何とか髷にしてのその頭は、病か、あるいは精神追い詰められての結果なのか、見るも悲惨であった。


 止めと言わんばかりに、肌の荒れ具合に悪臭から、明らかに病気を患っているのも明らかであった。


 戸籍のある土地なれば治療も受けられるし、働けなくなっても最悪寺にでも駆け込み施しが得られるのだが、脛に傷有る身なのか、あるいは残る自尊心が邪魔をしているのか、それすらできぬ様子であった。


 悲惨、無宿人、その姿、そして己の未来、同時に見た気がした鴨兵衛、知らずの間にその足を止めていた。


 胸中渦巻くは同情による動揺、相手を憐れみながらも、だからと言って助けを求められてるわけでもなし、何かする義理もない。だけれどもそれでも何かできるはず、思い渦巻く思考が体の動きを忘れさせていた。


 その前を、まるで手本を見せるかのように、静かに歩を続けるがおネギであった。


 動揺隠すためか左手で襟を直すしぐさ見せて、後はそのまま平然と、当然のことだとの態度であった。


 その背、その仕草を見て鴨兵衛、この動揺こそ無礼、辱めることだと思い至り、考えるのはまた後にして、慌てておネギに続いた。


 自然と視線は下側へ、鴨兵衛、必死に無表情無関心そして無視を決め込んだ。


 そうして進んで進んで、二人と一人、互いに道の右側進んで、悪臭を挟んですれ違う刹那、三人、大きく動いた。


 ……最初に動いたのは無宿人の男であった。


 ジュユリ。


 異音、右手が引き抜いたのは、己の掴んでいた左腕であった。


 そこから放たれるは茜の一薙ぎ、狙う先はおネギの身、走る先は目線の高さであった。


 これに、流石のおネギも反応できず、僅かにその身を強張らせることしかできなかった。


 迫る赤、その代わりに反応するが背後の鴨兵衛であった。


 叫ぼうとしてけれど声が出ない半開きの口、涎垂らしながらその左手を前へ、伸ばした指先をその襟首に引っかけ引いて安全な間合いまで引き下げ、ぶっ飛ばした。


「ひょぇ!」


 短い悲鳴残し、おネギの体は宙に舞っていた。


 よりにもよってこんな場面での、鴨兵衛のやらかしであった。


 ただでさえ不器用、慌ててた上に、存外軽かったおネギの身、安全圏まで引いたまでは良かったが、その先まだ指にかかったままで力加減間違えて、外れた先が上であった。


 後悔、これまでにないほど大きな後悔、やっちまった。


 いとも簡単に行いながら、これまでにないほどに強大なやらかし、大きく脂汗垂れ流す鴨兵衛であった。


 おネギの身、案ずるも、だが振り返れない。


 その理由、辻斬りは目の前にいた。


 己が腕を引き抜くという異形、河童よりもよっぽと妖怪やってる相手は初手の居合い、奇襲に失敗してなお殺気納めてはいなかった。


 チャキ、と鳴らす先は赤錆まみれの刃、何人斬ったか、どれだけの血油が染み付いているのか、斬り慣れて、殺し慣れてる相手を前にして、視線を外せるほど鴨兵衛、おごってはいなかった。


 ボシャン!


 刹那の後、背後で水音、落ちた先は水路、地面に叩きつけられたわけではない。


 安堵と共に鴨兵衛、改めて腰の黒鞘を引き抜き構えた。


 剛腕をもってしてもズシリとくる重量、鉄を合わせた中に鉛を流し込んだ鈍刀は、この寒空にさらされ凍えていた。


 これに、安堵吹き飛び再びの後悔、やっちまったとの思いがぶり返す。


 この寒空、ここげる中で、水路の水の中へ、いきなり放り込んでしまった。


 いくらおネギがおネギとは言え、幼い子供、それを冷や水の中へいきなりとなれば、手足はかじかみ、筋はり、最悪心臓が止まる。


 命に係わるやらかしに、まるで自分が落ちたかのように強張る鴨兵衛へ、無宿人は遠慮なく斬りかかる。


 ビュ!


 風切り音、左腕引き抜き右手一本になっての半身の構え、前に突き出した右肩を軸に、右腕全体を曲がりくねらせ放つ斬撃は、小さく、細かく、そして速かった。


 大きく命を狙うのではなく、細かく傷つけ出血を、そして体力の消耗を狙う動き、に見えて実際は手首の内側首筋に腋の下、大きな動脈流れる急所へと立て続けに襲いかかる攻撃の連鎖であった。


 これに反撃したい鴨兵衛であったが間合いが近すぎた。


 普段の刀同士の戦いよりも二歩は近い距離、振るう間合いは残されておらず、突き出す先には相手はいない。極端な近距離戦、相手の土俵に持ち込まれていた。


 それでも相手の攻撃、その一つ一つを最小の動きで受けていなす鴨兵衛であったがその足は引き気味、一手ごとに後退迫られての後ずさり、劣勢であった。


 ザバリ。


 そこへ背後より聞こえるは水音であった。


「鴨兵衛様!」


 声、響くはおネギ、鴨兵衛、安堵する。


「ご存分に!」


 続く激励の声に、一切の憂いは晴らされた。


 ならば後は倒すだけであった。


 ズザリと踏むは踵、退がる動きより踏み止まり、剛力なる脚力にて力任せに前へ出た。


 ドン!


 体当たり、互いの右肩と右肩とがぶつかり合う音、一瞬止まって反発し、また剥がれる間合いの刹那、無宿人の右手がうねり鴨兵衛の喉を狙う。


 だがそれが届くより先、左手一本で大きく引いてた、鴨兵衛の左手一刀、突き上げるが早かった。

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