まだ終わりではなかった。

 ……戦乱の世より、道や橋の建築、保全はその地の支配者が行ってきた。


 現在では統一幕府、そこから降りて降りて、村長辺りが予算と共に命じられ、周囲の村人たちが年貢の一種として公共工事に従事させられる。


 それだけならば取られるだけではあるが、工事に働いた分だけ米などの他の年貢が免除される上、工事の間は飯が出るのが通常であった。また材木などを買い付けるのも地元の村からであり、臨時収入としては悪くはなかった。


 そもそも自分たちが利用する道や橋、見張るまでもなくきっちりと工事するであろう、というのが統一幕府の見解であった。


 しかし、実際にはその逆、儲けすぎるがゆえに乱造されているのが現状であった。


 対して壊れてもない道の修繕と銘打って予算を貰い、少しの公費支払うだけでほとんどを懐に収める。時には不要な道や大げさな橋が作られることもあると聞く。


 この吊り橋はその典型であった。


 地図上では、この橋は対岸へ、つつがなく通れるように見えるのであろう。


 だが実際はこの通り、地元民が『バカ橋』と呼ぶ馬鹿さ加減、渡ったところで行き止まりがあるだけであった。


 当然このようなものに予算を使ったとなれば関係各所がまとめて処罰され、村長当たりであれば打ち首は免れぬ大罪、ましてやあそこに屋敷があって隠し通すのは……とまで考えて、鴨兵衛更に気が付く。


 ……当代、副将軍は誰もが認める暗君であった。


 その暗君がこのような吊り橋を見つけたならば激怒は免れない。すぐさま連座制適用してここら一帯の村々は、比喩ではなく、一人残らず根絶やしになっていたことだろう。


 その気象の粗さ、残虐さは民の隅々まで知るところであった。


 それなのに恐れ多くもこのような吊り橋、かけることができるのはただ一人、その副将軍に他ならない。


 だがしかし、そこまで絶対的な権力を持つ副将軍ならば、こんな橋を渡す程度の端た金、面倒してまで稼ぐようなものではない。


 ともなれば、考えられるは副将軍本人ではなく、取り入り後ろ盾になってもらったものがいる、ということだった。


 具体的に誰がやったかは知る由もないが、そのための接待、ご機嫌取りの方法は、あの水牢を見た後ならばおおむね想像がついた。


 ……事実はともかく、現実今現在、目の前に道はなかった。


 どのような考察を重ねようとも道が無いならば進むことはできず、進めなないなら戻るしかない二人、仕方ないとまた吊り橋に足を向けた。


 次の瞬間であった。


「鴨兵衛様!」


 おネギが叫ぶのと、鴨兵衛が左手を払ったのはほぼ同時であった。


 チッ!


 熱く鋭く擦れる音、続いてすぐ後、二人の背後にバシュと音がした。


 左手手の甲に熱い痛みを感じながら鴨兵衛、チラリ振り返り見れば、背後の木の幹にズブリ、今しがた軌道をずらした矢が一本、刺さっていた。


 タラリ皮の剥けた手の甲からの出血、ベロり舐めとりながら再び前へむきなおり、射られた方角、霧の向こう、崖の反対側、吊り橋の先を凝視した。


 今の矢は、命を狙ったものに見えた。


 射角は吊り橋にほぼ平行、威力は十分、もし軌道をずらさなければ鴨兵衛の喉か胸に深々と突き刺さっていた一矢であった。


 死んでいたかも知れない射撃、一気に緊張が上がる二人、けれどもまだ霧の中、鴨兵衛は誤射の疑いを捨てきれてはいなかった。


「気を付けよ! こちらには人がいるぞ!」


 谷の間に木霊する鴨兵衛の声、これへの返事は第二矢であった。


 今度も喉か胸を狙う射線、これに鴨兵衛は黒鞘を抜き放った。


 鉄の鞘に鉛を流し込んだ鉄刀、居合の流れで逆袈裟に薙ぎ、飛来する矢の腹を打ってへし折り打ち落とした。


 この程度の狙撃、恐れる鴨兵衛ではなかったが、しかし狼狽はしていた。


「何者だ?」


「わかりません」


 二人、背負ってた荷物を奥へを投げ置きながらも視線外さず、相談する。


「先ず物盗りはないかと。ここで上手く当てたところで下手をすれば崖下に落ちて回収が難しいです。それに狙うならもっと良い場所が前々からありました」


「獲物と間違えてもなかろう。一射目はまだしも俺の声が聞こえたはずだ。俺はちゃんと話せていたか?」


「鴨兵衛、ちゃんと話せておりました。この距離ならば木霊もさほど影響ないかと」


「ならば、狙いは俺らの命、恨みか、あるいは」


 鴨兵衛が独り言に近い思案を進めると、不意に大風が吹いた。


 ガラリガラガラ、揺れる吊り橋、白い霧も目に見えて波打って、日が指すように晴れていった。


 見晴らし得て対岸、吊り橋の向こうに一人の男、見えてなお二人には見覚えのない顔であった。


 身なり服装は農民のそれ、大弓構える姿は武士が会得する弓術とは違い、弓を縦ではなく横に構える我流、にも関わらず先程の二矢、狙って放ったとするならば見事な腕前、道場ではなく実践の狩にて会得したものと推察された。


 そのような男、見覚えない鴨兵衛ではあったがしかし、構える大弓には見覚えがあった。


 あれはあの村に最初にたどり着いた夜、毒キノコの持て成し、その後の襲撃とコテンパン、その中にいた村人があの弓を持っていた覚えがあった。よくよく見えたわけではないがしかし、覚えがあるのはそれぐらいで、変わらず襲われる理由に心当たりはなかった。


「待て! 待つのだ! 俺は鴨兵衛! 昨夜百物語に参加し戻ったものだ! 貴君は他の誰かと勘違いしている!」


 黒鞘を正面に構えながら鴨兵衛の更なる説得に、男が見せたのは忿怒の表情に見えた。


 そして無言のまま、放たれる三弓、軌道は真っ直ぐ、けれども低く、横にずれ、先にいるは鴨兵衛ではなくその左側、背後に控えるおネギであった。


 ブワリ。


 刹那に鴨兵衛、膨れる。


 体温の上昇か、気迫の表れか、兎にも角にも着物膨らませ、流れるように構えを解いて右手一本、掴んだ黒鞘を横へ、右へ、おネギの前へと引き、そして放った。


 後ろから横を通って前方へ、ふり抜かれた黒鞘は鎌風巻き起こしながら、飛来する矢を正面より打って捉えた。


 鏃の先端より軸を通って矢羽を抜ける一振りにて、三の矢は宙にて粉と化し、無力化された。


「申し訳ありません」


 神業、披露した鴨兵衛に、助けられたおネギは謝る。


「今手元に礫がありません。あったところでこの距離、届くかどうか」


「構わない。俺がやる。おネギは、離れていろ」


 鴨兵衛の指示におネギ、コクリ頷いて奥へ、二本しか生えていない木の裏へと滑り込む。


 端より着物の裾が見えているが概ね隠れられて安全と見届けてから鴨兵衛、改めて射手の男へ向かい、吊り橋に足をかけた。


「来るな!」


 これにやっと男、声を発したかと思えば弓を捨て、代わりに足元に隠し置いてあったノコギリを拾い上げるや吊り橋を吊る縄の一本、鴨兵衛から見て左上のものにかけてギリリと引っ掻いた。


 これに、頭に血が上りかけていた鴨兵衛の足を止める。


 橋、切り落とされれば帰り道も無し、背後の崖を登るか降りるかしなくてはならない。


 まだ冷静さを残す鴨兵衛が橋より引くのを見届けると、男はノコギリ持ったままウンウンと頷いた。


「何が望みだ! 俺が何をしたというのだ!」


「やっただろ!」


 渡る代わりに声を投げる鴨兵衛へ、男は怒声を返す。


「お前は! よくも俺の怪談話を台無しにしやがったな!」


 百物語は、まだ終わりではなかった。


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