鴨兵衛、百物語を台無しにした。

精いっぱいのもてなしであった。

 戦乱の世が終わり、太平の世になった今、死の恐れは遠のいた。


 全国統一がなされ、戦火が消え、今では飢饉か疫病か、強盗か辻斬りか、いじめか天罰か、天災か副将軍か、あるいは妖幽霊の類と出くわさなければ安全に天寿を全うできる世と言えた。


 しかし人は欲深いもの、太平の平和を享受しながらも日に日にこれを変化のない退屈と捉え、娯楽を求めるようになっていた。


 都市部では劇場や高座、浮世絵や本など大衆文化が花開き、街道沿いの宿場町でも立ち寄る旅芸人に珍しい特産物、出入りが多ければイザコザも多いがそれもまた一つの娯楽であった。


 太平となったからと言って娯楽に特化しきれるものではないが、それでも人の出入りがあれば自然と新たな話題も増えるもの、始まりの自己紹介から些細な噂話まで、それなりに変化が産まれ、これが日々の刺激となって退屈を潰していた。


 だが、なーーーーーーーーんもない田舎は悲惨であった。


 そもそも街道から外れ、土地が痩せていて、人が住むに適さない土地に無理やり住んでいる集落を『田舎』と呼ぶのだが、故に新たな人や物は入ってこず、生き残るために最適化された生活から一歩でも踏み外せば飢饉や疫病や村八分で即に死ぬ。


 故に変化することも許されず、毎日毎年同じことを繰り返すだけ、それ以外何もない、けれども退屈だけは無尽蔵に取れる生活を強いられていた。


 毎日変わらぬ顔ぶれ、毎年変わらぬ仕事、年貢を納めに京に出ることはあっても人数は限られ、遊ぶ金は最初からなく、旅する度胸も発想も生まれない。一応村内に冠婚葬祭はあれども、そのどれも地味で面白みもなく、繰り返しの一つに埋没する。


 その中でも辛うじて変化と言えるのは、家が壊れただの道が崩れただの、今年は日照りが多いだの畑を猪に荒らされたど、下手をすれば変な形の野菜が獲れただの蛇が家の前を横切っただのぐらいしかない。


 その結果、弱者をいたぶり憂さ晴らしをしたり、あるいはよそ者に嫉妬の怨嗟を燃やしたりとするのだが、そんな田舎でも変化をもたらしてくれる貴重な存在がいた。


 遠方よりやって来て、その口で珍しいこと、新しいこと語りつくす存在、それは旅人であった。


 ……季節は夏の盛り、暑かった空気が夕立で程よく冷えた夜であった。


 海からも街道からも都会からも遠く離れた山々の中、田舎この上ない田舎の『北北西北村』は当然のように暗く、けれどもその中で一軒だけ、村長の一番大きな家だけが明るかった。


 その光源は板間の部屋の中央で鍋を煮る囲炉裏と、部屋の四隅に置かれたろうそく、合わせた灯りは、昼ほどではないが見るに困らぬ程度に明るかった。


「この村はろうそく作りで何とか食いつないでるんで、んなもんだからだけは売るほどあるんでさぁ。まぁ獣の脂ぁ混ぜてるんで臭いはきついけんども、これがなかなかの儲けなんでさぁ」


 独特の鈍り声は村長、正座してなお曲がった背中で苦労しながらも囲炉裏の鍋をかき混ぜ椀に掬うと、上座に座する二人の大きい方へと手渡した。


「かたじけない」


 椀を受け取ったのは熊のように大きな男であった。


 影の具合もあるだろうが、武骨で岩のような巨体、けれども刀を左横へ置き、畳の上で正座する姿勢はまるで樹木のように静止していて、まるで影のようであった。


 その顔、右頬には真横に伸びる切り傷が走り、やはり修羅場をくぐって来たと思わせる様相であったがしかし、その表情は驚きに目を見開いていた。


 見渡す部屋には他に三人、囲炉裏の向こう、玄関の土間を背後に正座してこちらを見据える男が横並び、揺らめく炎の灯りでもこの三人が村長含めて似通った目鼻、父と兄弟であると容易に想像できた。


「お侍様、お気に召しませんかねぇ」


「いや、そうではない」


 村長に大男は思ったより柔らかな声で答える。


「ただ、これほどまでのもてなしを受けるとは、長らく旅をしてきたが初めての事、少々面食らっておる」


 そう応えながら椀の中に目線を落とせばみそ仕立て、浮かぶは大きなキノコに山菜に、灰色の塊は猪か鹿か、獣の肉と見えた。


 海からも都会からも離れてるならば塩は貴重、それを用いる味噌もまた貴重であった。


 獣の肉も同じ、畑を荒らす害獣が多い田舎とはいえ、滅多に仕留められれるものではない。


 ろうそくだって、売れるほどあるとは言っているが、その値段を知れば四方に灯すなど、贅沢でしかなかった。


 色々と乏しい田舎とはいえ、これは紛れもなく精いっぱいのもてなしであった。


 そのことを察し、その上で驚く大男に、村長は歯の欠けた笑顔を見せる。


「こんな田舎にゃあ、滅多に人も来ないんでさぁ。外のもんと会うのも年貢の時とろうそく売りに行くときぐれぇで、それも毎回顔見知りばかり、こういっちゃあなんですが退屈なんでさぁ。そこでお侍様、代わりといっちゃあなんですが、ちとばかり外の様子をお聞かせ願えねぇですかね」


「それは、構わんが」


「そいつは良かった。実はずっと気になってた話がありやして、あの墨虎で関破りがあったとか、それも敵討ちのどさくさにやったってぇ不届き者、その後捕まったかどうか、噂ぐらい知りませんかねぇ」


 出た地名にピタリと固まる大男、その様子を村長は勘違いする。


「いやこれはこれは、先ずはささ、お召し上がりくだせぇ」


「それは、うむ」


 村長に進められて、それでも口を付けない大男はチラリ、己の右横、黒鞘を挟んだ隣でちょこんと座るもう一人へ目線を移した。


 それは少女であった。


 歳は十に届かぬ程度、色々と影に隠れているがそれでも整った愛らしい顔立ちだとわかる。小さく礼儀正しく正座する姿は、大男同様に動きがなく、本当に影のようであった。


「あぁあこいつはぁすまねぇでさぇ」


 慌てて村長、次の椀に汁をよそい、少女へと手渡した。


「頂きます」


 受け取る声は愛らしく穏やかなもの、ほっとかれてたことを怒ってない風に聞こえて、それはそれで起こっているように聞こえた。


 ともかく、二人に椀が渡ってようやくと言う風に大男は汁に箸をつけた。


「鴨兵衛様」


 その箸をピタリと止めたのは少女の声、しかして今度は鋭く冷たく、鋭かった。


 同様固まる村長とその背後三人、みなに見られる前で少女は、汁よりキノコをつまみ出すと、見せつけるようにピラピラさせて、それからひょいと村長の前に投げ捨てた。


「おネギ」


 鴨兵衛と呼ばれた大男の声に、おネギと呼ばれた少女は流し目で返す。


「これ、毒キノコです」


 ピシリ、と凍る空気の中、おネギは続ける。


「味が良く、見た目も無害に見えますが毒が、ただ強い毒ではないです。それでもこの分量、一口すすればまず間違いなく一昼夜は体が痺れて動かなくなります。もちろん、その間は無抵抗で」


「そんなこたぁあありませんよ」


 おネギの言葉を村長が遮る。


「暗がりで珍しいもんだから不安がってん野もわかりやすがね。こいつぁあ良い味が出るでさぁ」


 そう言って村長、鍋よりキノコをつまみ出すとひょいと食べる。


「ほらこのとおりでさぁ。さあさお召し上がりくだせぇ。猪鍋は熱いうちが一番うまいんでさぁ」


 笑顔で進める村長に、それを冷たい目で見つめるおネギ、それぞれの視線に掠める形で、鴨兵衛は橋と椀を置いた。


「お侍様?」


「わかっておる。おぬしらが持ったなどとは考えておらん。だがな、この暗がり、万が一も考えられる」


「あっしらが見間違えたってんかい!」


 声は奥、村長の息子三人の内のいずれか、そちらに向かって鴨兵衛は頷く。


「俺はおネギの眼力を信用している。いや、信じているが正しい。妹としてのひいき目もあるだろうが、そのおネギがだめだと言うのなら、俺は食すことはできん」


 そう言うと鴨兵衛、にじるように座り直し、そして両手を突き、深々と頭を下げた。


「無礼は承知、その上でどうか、この場は勘弁してくれないか」


 旅の浪人とて侍は侍、腰に刀差してるならば汚せぬ面子もあるだろう。


 それが田舎の村長相手に土下座を晒すは一大事、如何に礼儀作法の遠い田舎とてその重大さは感じられた。が、そこまでで、これより先どうすればよいかわかるものはいなかった。


 驚きに目を見開いて固まる村長と息子三人、一方で冷たくも複雑な表情で丸めた背中を見るはおネギであった。


 誰も動けぬまま灯りの火だけが躍るひと時、崩したのは村長であった。


「う! うぐぅう!」


 奇声、緊張、両手の指を鉤と固めて震えるとバタリと倒れた。


「毒キノコ」


 呟いたのは鴨兵衛、土下座より頭を上げてぴくぴくする村長を見下ろし、そしてチラリ横を見ればおネギが「ほらね」と微笑んでいた。


「こうなったらしょうがねぇ!」


 怒声、同時に立ち上がる息子三人、一拍子遅れて背後の障子戸が勢いよく開かれ、男たちがずかずかと入ってきた。


 服装から村人だろう、人数は定かではないが十より多く、村の男衆を総出でと想像できた。


 それぞれ鍬や鎌、弓矢などを持ち、残る空いてる手で手や顔や足などを叩いたり掻いたりしてる。長らく外に潜むうち、やぶ蚊にブクブクにされたのだろう、その顔はみな赤く、腫れていた。


 そんな村人の一人が土間より板間へ足を乗せると息子三人の内のどれかが叫んだ。


「まてぇや! 草鞋は脱いで泥落してから上がらんかい!」


「ちょっと待てその前に!」


「そっちが先じゃないだろ!」


 三人が三人、誰が何を話したかわからぬ前に立ち上がり、それぞれ動き出す。


 鴨兵衛、見て右側が土間の端に置いてあった水桶を指差し村人たちを誘導し、真ん中が袖を伸ばして鍋掴みにして囲炉裏にかかったままの鍋を掴んで右端へ、それで左端だった男が鴨兵衛たちの前を遮りぐるり大回りしてから村長に向かい、その両肩を背後から掴み上げ、引きずるように左側へと引いて行った。


「よしいいぞ。やっちまえ!」


 何とものんきな襲撃に、やや困惑の表情を浮かべながらも、鴨兵衛は右横の黒鞘を手に、ぬるりと立ち上がった。


「今回は、いささか早かったな」


 座っていてもわかる巨体は、やはり立ち上がると巨体であった。


 これに、村人はビビる。


「鴨兵衛様お気を付けを」


 そこへおネギの声が挟まれた。


「鴨兵衛様は今、鞘無しでございます」


 余計な一言、思わずおネギを見る鴨兵衛、これにおネギはツンと目線を外した。


「おい、鞘無しって?」


「あぁ」


「あぁじゃなくて」


 二人のやりとりを前にまだわかってない村人たち、だが一人が気が付く。


「あぁあああああぁ、鞘、刀、刺さってねぇ」


 指摘、見れば確かに、鴨兵衛の黒鞘は黒鞘だけであった。


 鴨兵衛は刀無しであった。


「じゃあやれんべ」


「んだんだ」


 あっさりと自信を取り戻した村人たちがにじり寄る。


 これを前に、鴨兵衛は大きくため息を吐いた。

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