その目は楽しんでいた。

 鴨兵衛が放った面打ちは、兜割りとなった。


 恐らくは拾われたと思われる兜であっても兜は兜、降り注ぐ攻撃から頭部を守る金属の武具、それをかち割れるはそれだけの剛力と耐えきれる得物の強度があってこそであった。


 その二つを兼ね揃えた鴨兵衛の一撃受けて、頭上の兜はばっくりと左右に割れて割れて、汗に濡れた髷が露となるや、奥太郎はばったりを仰向けに倒れた。


 どうやら気を失っている様子、けれども頭から出血はなく、また打った鴨兵衛自身にも、骨を砕いた手応えは感じられなかった。


 ……老巫女との約束、たがえるつもりはなかった鴨兵衛だけどがしかし、この奥太郎の兜と筋肉、首の太さがなければ危うかったと人知れずに胸をなでおろす。


「力任せ、自分本位、相手を見下し決めつける。それがお主の敗因だ」


 返事を期待せずに言い放つ鴨兵衛、そこへ竹槍たちが集まり、倒れた奥太郎を取り囲む。


「……神敵だ」


「こいつは神敵だ」


「神敵は」


「やめなさい!」


 声を木霊させ、その手の竹やりを逆さに構え始める竹やりたちに、立ちふさがったのは蛙巫女であった。


「この者には天誅が下りました。これ以上の罰、命を奪うはやりすぎです。神社に身を置く巫女として、これ以上は見過ごすわけにはまいりません!」


「しかし巫女様、こいつは」


「しかしではありません。どうしてもあやめるというのならまず私からその槍で突きなさい! さぁ!」


 たった一人で周囲を圧倒する剣幕、まるで子を叱る母のような有無を言わせぬ勢いに、竹やりたちは躊躇を示す。


 なるほど、あの老巫女の下にいるだけはあると鴨兵衛、感心しながら鞘を手に、後を任せて門へと向かう。


 こちらには猫巫女が、中へ押し込もうとする竹やりたちを押さえていた。


「通るぞ」


 その押し合いを力任せに割り歩き、鴨兵衛突き抜ける。


 そして門をくぐる手前、止めようとしても止められず、せめて元ただ眉を吊り上げ厳しい顔つきを向ける猫巫女と目が合った。


「案ずるな。死人は出すなと巫女様に言われている」


 これに、納得しきれていない様子の猫巫女であったが、それでも鴨兵衛の前より引いて道を譲った。


 そうして、砦の中へと踏み込んだ。



 ◇


 坂道を上がるとすぐに取り巻きらが転がっていた。


 みな泣き顔、うめき声を上げて、無事ではないが死んではいなかった。彼らは例外なくどちらかの手と、どちらかの足を怪我していた。


 一目でわかる打撲と、そこからなる出血、近場に転がる小石、おネギのなしたものと鴨兵衛にはわかった。


 そんな取り巻きらを超え坂を登りきると大きな建物が二つ、手前は神社で、奥が屋敷のようであった。


 更に奥からは獣の臭い、家畜小屋は裏返にあるのだろう、思う鴨兵衛は屋敷から向けられる視線に気が付いていた。


 チラリ見れば女の姿が何人か、どうやらあの兄弟か、あるいは取り巻きたちの家族がここに逃げ込んでいる様子、だが見ているだけで襲ってこない。ならば無害だと、鴨兵衛は視線をそらせた。


 その耳に届くはドタリとの音、寺の方から聞こえてきた。


 ならばそちらから、鴨兵衛、鞘を構えたまま、油断なく寺の中へ。


 開かれた襖を抜け、蝋燭灯る境内に、中に祀られている仏の像の前に、重なり合う二人の影を見つけた。


 一人は下、ナメクジの男、奥次郎、うつ伏せに倒れ、顔を真っ赤にして、床板を引っ掻いていた。


 その首に巻き付くのは細い帯、それを力任せに締め上げてるのは、その背に跨るおネギであった。


 小さな体であっても体重を乗せられれば脱出は困難、そして幼女の小さな手であっても、男を締め上げるには十二分であった。


 キリリ、静かに締まる帯、苦しみから逃れようと奥次郎、その見るからにべとつく右手で床に突き、おネギを持ち上げ立ち上がろうと力を込める。


 そこへシュルリ、伸びる白、巻き付くはおネギの右足であった。


 肝心な部分は影に隠れているとはいえ、あられもない大股開き、存外に長い右足を伸ばしておネギ、伸ばした足を奥次郎の腕に絡め、巻き付けて、跳ねて退かした。


 ビタン、突いた手を退かされ、僅かに起き上がっていた奥次郎の上半身が落ちて受け身も取れずにその顔を床板に叩きつけられた。


 ブシュリ、噴き出る鼻血、その赤に顔をこすり付ける奥次郎であったが、締め上げる帯からは逃れられていなかった。


 その、苦しむ顔を、見下ろすおネギのその目は楽しんでいた。


 跨り締め上げ退かす行為に、おネギの肌は種を帯びて、僅かに汗を滴らせるその顔には、その年ごろが醸し出してはならない色香が漂わせていた。


 しかしながら、漂わせる色香は毒のもの、触れれば痺れて溺れる麻薬であると、鴨兵衛には感じられた。


「おネギ」


 堪らず声をかける鴨兵衛に、おネギは首を締めながらゆっくりと、艶やかに流し目を向ける。


「……鴨兵衛様、思ったよりも苦戦なされたご様子ですね」


 普段と同じように聞こえて、それでも熱を感じさせるおネギの声であった。


「相手は騎馬武者だからな。そう簡単にはいかん。それより」


「わかっております。命まではとりません。ですが、もう少し」


 そう応えギリリ、首を絞める力をさらに強めると、下のナメクジ顔が赤より青に変色し始める。


「おネギ!」


 強めに繰り返す鴨兵衛の言葉に、おネギは一瞬きょとんとして、それから肩を竦めるとシュルリ、手を緩める。


 ぜはぁ!


 戻った呼吸に頬の肉を震わせる奥次郎の上より吹き飛ばされるように飛び退くおネギ、引き抜いた帯を輪にして頭を通して腰まで落とし、絞って縛れば元の着物姿に戻っていた。


「死なさず殺さずの拷問は、文字を書くよりも慣れてますのに」


 愛らしく一人呟きつつ飛び散っていた履物を拾いなおし履き直し、トトトと戻って鴨兵衛の横へちょこんと立つのはいつものおネギであった。


 すましながらも誇らしげに見上げてくる愛らしいおネギは、毒も汚れも知らない可憐な花に戻っていた。


 その表情、見降ろして鴨兵衛、教えることは多そうだと改めて肝に銘じていた。


 そんな二人の前で奥次郎、ずるりと引きずるように上半身を起こし、呼吸乱れたまま、血走った眼で、二人を見つめていた。


「奥次郎、だったな?」


 鴨兵衛の問いに、奥次郎はただ呼吸を整えるだけで、何も返さなかった。


 それでも奥次郎に相違ないと鴨兵衛、話を始める。


「お前の兄、奥太郎は打ち倒した。死んではおらぬが、気を失っている」


 この言葉、信じられぬと見上げる奥次郎に、鴨兵衛は続ける。


「俺は巫女様からの言伝を伝えに来た。神社を焼いた弁償と怪我させたものたちへの治療代、奪った銭、これらを残して荷物をまとめてこの地から立ち去るなら、これ以上責めはしない。だそうだ」


 言いながら、こんな言伝受けてないなと思い返す鴨兵衛、しかしあの老巫女の性格と、今宵受けた仕打ち、それに置いていくしかないであろう馬や土地、家屋を差し引けば妥当な提案であろうとは、計算していた。


 それをどこまで察したか、奥次郎はガクリガクリと頷いた。


 その姿、見届けて、鴨兵衛とおネギ、背を向け寺の外へ、一歩踏み出したところで立ち止まり同時に振り返った。


 派手に動いたのは鴨兵衛、振り返りざまに鞘を振るい、投擲された匕首を宙にて叩き落とした。


 その下で地味におネギ、シュルリと左袖より竹札一枚取り出すや、手首利かせて投擲していた。


 ガボ!


 命中したのは奥次郎の舌、匕首投げた時の格好のまま、半開きだった口の中にすぽりと竹札入り込み、またその表情を赤く染めた。


「仮の話だ」


 痛みと苦しみと驚きから慌てて竹札吐き出す奥次郎に、鴨兵衛語り掛ける。


「もしその匕首で俺たちの口を封じることができたとして、外のものたちはどうするつもりだ? ここら周囲のものたちが殺気だって集まってる中にその刃で立ち向かうつもりか?」


 正論、ぶつけられ、そして実力を見せつけられ、口の中に広がる痛みとアジトで、奥次郎、まるで溶けるように崩れ落ちた。


 これならばもうすまい、判断した鴨兵衛は鞘を腰に納めた。


「夜明けまでに出立しろ。さすれば命まではとらぬようにと、周りのものたちに伝えておこう」


 言い残し、二人は今度こそ寺から出て行った。

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