どれも達筆であった。

 本殿の裏、列より離れた場所に土蔵の倉があった。


 漆喰塗に瓦の屋根、ぶ厚い黒鉄の戸を潜れば中は、高い天井に石畳、恐らくは御輿か、あるいは貢物を保管するために建てられた倉なのだろう。しかし今中にあるは鴨兵衛とおネギの二人と、二人が賽銭箱の弁償のためになさねばらなぬ仕事の山だけが詰められていた。


 ……老巫女率いる群衆に、追い立てられ閉じ込められ、そして「働いて返せ」と言われて、指示された仕事、これが何の意味があるのか、何に用いられるのか、二人は知らされるままに黙々と手を動かし続けていた。


 まずは鴨兵衛、石畳の上に胡坐をかいたまま、手を伸ばし、倉の中で最も幅を利かせている竹札の山より、元は続く一枚より切り分けられたであろう一対を選び取ると並べて前へと置いた。


 それぞれの節から同じと確認するや横に置かれたすずりの中へ、右の人差し指をヒタリ、浸して墨を付け、程よく拭うや竹札へ、それぞれ三桁の数字、前より数えて一つ加えた数をサラリ、サラリと書いてゆく。


 そのための筆も渡されていた鴨兵衛であったが、己の力と経験を見れば、握れば折れると火を見るより明らかと、ならばの無手による指筆使い、それでも五枚に一枚は割りながら、書き上げられた数字はどれも達筆であった。


 その字に満足するや墨のない左手で二つを掴んで横へと流すと今度はおネギの仕事となる。


 二枚を節と節とがぴったり合うよう並べておくと、傍らに置かれたこの季節には早すぎる火鉢より、熱々に熱せられた件の焼き印を引っ張り出して札二つまたがる様にジュっと押す。できた焼き跡は割り印となって、遠目で見てもはっきりとした対となりえた。


 竹の焼ける臭いをフーと吹き消し、冷めたのを笹の葉でくるんで縛り、また別の山へと積み重ねて一つが終わりとなるのであった。


 それが、ずっと続いていた。


 単純作業の流れ作業、難しいことは何もなく、数え間違えと山を崩すのと、書き損じと焼き損じ、それ以外の鴨兵衛の破壊がなければ失敗がない仕事を、二人は黙々黙々黙々とこなしていた。


 外の様子が見れない倉の中、それでも刻む数字で数はわかれども、一向に減らない無地の竹札山が、長い長いこの先を象徴し、ただただうんざりしながらも手を動かすしか二人にはなかった。


「……少し、休みましょうか」


 そこに声を出したのはおネギであった。


 この言葉、並みの子供であれば本人が休みたいから、と受け取るのだが、おネギの場合は違って見えた。


 小さな手ながら手際のよい仕事、流れきた竹札を瞬く間に仕上げて並べて終えて、動く時間より待つ時間が長いほどであった。ならば休みも不要、ならばこの休みも純粋に鴨兵衛を思っての事だろう。


 これでは本当にどちらが年上かわからないとチラリと目線を向けた鴨兵衛であったが、すぐにその視線を戻す。


 きょとんとしまがらも涼し気な表情のおネギ、だけれどもその傍らには火種の乗る火鉢、冬場には心もとない火なれど、この倉の中を熱するには十分で、流石にこの熱は耐えがたいか、萌黄色の着物を開けで着崩し妖艶に肌を晒して熱を逃がしていた。


 幼女とはいえ、いや幼女だからこそ目を向けられず、かといって注意もできない鴨兵衛は、黙って頷くしかできなかった。


 それでも今しがた手にしてしまった竹札『八百九十三』だけはさらりと書いて仕上げた。


 その間にシュルリとおネギ、立ち上がると出入口の戸の横に置かれていた取っ手付きの水桶から柄杓で水を掬うと戻り、そして鴨兵衛へと差し出すのであった。


 これに、一瞬戸惑う鴨兵衛であったが、いつまでも待ち続けそうなおネギを前に、折れるように受け取ると、ゴクリと一口に飲み干した。


 その時、戸が軋みを上げて開かれた。


 元より音から鍵のかかっていないことを知っていた二人、慌てる様子はないが、それでも身構える鴨兵衛に着物を直すおネギであった。


 そして、開かれた戸より現れたのはやはりあの老巫女であった。


「中は少しは涼しいかと思ったが、大して変わらんな」


 老巫女は、装束の胸元を片手でつまむと、引っ張り広げ、そのあまり表現したくない胸部分に風を取り込みながら倉庫の中へ、じろり中を見回して、そしておネギにピタリと目を止めた。


「……あぁ?」


 不機嫌な声と共にずずずいと中へと踏み込む老巫女、これにびくりと驚き身を引くおネギ、だけども向かう先は鴨兵衛の前、その鼻先にぐいと祓串を突き付けた。


 これに反射で身を引く鴨兵衛であったが、それを読み切る老巫女はさらに奥へと突きつけ、変わらぬ距離で祓串を突き付け続けた。


「どういうことだ。何で、お前が、書いてる?」


 老巫女より突き付けられた言葉と祓串、横へ逃れようと身を捩る鴨兵衛だが、それさえも読み切られ、距離は変わらぬままであった。


「焼き印は、火は子供が扱うには危なすぎる。火傷、失火、火遊び、全て親の責任よ。それを未然に防ぐための大人と子供の二人一組、だというのに何でお前が、安全な、子供向けの、筆の方をやっているのだ」


 祓串ボンボン鼻を叩かれながらのこの指摘に、得心いったらしい鴨兵衛の表情を認めてから、老巫女は次におネギを見た。


 おネギ、いつの間にか老巫女より距離を取りつつも、その手左右には竹札一対が握られ、自然と構えを取っていた。


 その目つきはこの室温でさえも冷たいものを感じるほどに静かで、とても子供が見せる類のものではなかった。


「なんだおい、それが弁償しますと言ったやつの目か?」


 しかしこの老巫女、その視線に一切怯まなかった。


「弁償されるのはワシだ。ならば弁償のされ方もワシが決める。焼き印は鴨兵衛、書くのはおネギ、お前が書くんだよ」


 変わらぬ凄みの老巫女と、その前で頷いて見せる鴨兵衛、両者見ておネギは緊張を解いた。


 その様子に、立ち上がる鴨兵衛、祓串から解放されながら場所を譲ると、おネギもそちらへと移動する。


 なんとも言えない感じで入れ替わると鴨兵衛の尻で暖められた石畳の上にチョコンと座り、きょろきょろと見回し筆を見つけ、細い指で掴んだ。拙い持ち方、ぎこちない筆運び、よれよれの線、それでも読める字で竹札に『八百九十三』と書き入れた。


 これに何か言おうとした鴨兵衛を更に祓串突き付け黙らせて、老巫女はその眉間に更なる皺を寄せた。


「……新しい竹札を出せ。そして次は、自分の名前を書いてみろ」


 老巫女の指示に従うおネギ、新たな竹札を引っ張り出して、筆を執って……そのまま固まって、見せる困り果てたような眼差しは打って変わって、今にも泣きそうな、困った子供の表情そのものであった。


「…………なるほど、書けぬか」


 老巫女の一言に振り返るおネギが見たのは、鼻の穴に祓串をねじ込まれている鴨兵衛の面だった。


 フガァ。


「ここらの子供らは三つ四つの歳から字を学ぶ。その最初が自分の名前、次が数だ。それから順に教えていって、十を前に大人と同等の言葉を学ばせる。他より早い方だが、それでも大きな子供は自分の名前が書けるのは当たり前のご時世だ。だがどうだ。この子はその倍は超えてるだろ? あぁん?」


 グイイ、鼻にねじ込む巫女は答えを待ってはいなかった。


「それなのになんだこのざまは、二人旅の様子だがそれでもでかい貴様はちゃんと学んだか読み書きできて数も数えられる。なのにこの娘には教えない教えてこない。貴様の怠慢怠惰がこの子に押し付けた無知無学、これは殴りつけるに等しい虐待だ。違うか?」


 強い言葉に、鴨兵衛は打ちのめされた表情を見せた。


 そして、それを見たおネギは、これまでに見せたことのない、恥じ入るような、申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「クックックックック」


 その二人を交互に見つめて老巫女は愉快そうに笑う。


「よいよい。ならば今から学んでいけばよい。それだけの話、取り返しのつかないことではない。何ならワシが教えてやってもいい」


 老巫女の提案に二人、固まる。


「おぬしら弁償どころか今日明日の生活もままならぬのであろう。ならばこのままここで小銭を稼いでいけばよい。そのついでにおネギ、お前は学ぶのだ。なぁに後ろめたいというのなら、その分賽銭箱の弁償をまけてやろう。違う形で働いてると思えば気も楽だろうて」


 笑いながら老巫女は鴨兵衛の鼻より祓串を引き抜くと背を向け、戸へと向かう。


「どちらにしろ札づくりはそこまでだ。弁償抜きに一食と一泊はくれてやる。その後どうするかは、朝までに決めておけ」


 言い残し、戸を潜ろうとする老巫女、がその足を止める。


「だが言っておく。少なくとも、これぐらいは読めぬとこれからの時代は苦しいぞ?」


 そう言って蹴るは戸の横の水桶、その壁面にはこれまた達筆な字で『消火用水桶』『飲水禁止』『この中にタンを吐かないこと』とあった。


 鴨兵衛は老巫女を追い抜き、表へと飛び出した。

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