こうして仇は討たれたのであった。
敵討ち、言うまでもなくこの果し合いは敵討ちであった。
水源に青たち、助太刀の鴨兵衛、部外者は多かったが、結局のところ要は平一と、この菊吉との問題に舞い戻った。
仇を、とる。
無言で刀を受け取った平一は、その重さに僅かにぐらついた。
しかし日々の鍛錬、それが竹光であれ脇差であれ、繰り返していた腕ならば振るえぬ重さではなかった。
両手でしっかりと柄を握り、静かに上げると、刃の銀が目の前で踊った。
仇を、とる。
対する菊吉にはあまり変化が見れなかった。
ただ地面に蹴った跡と掻いた跡、這いずり逃げようとした痕跡が残るだけ、それも芳しい結果とはなっていなかった。
結果、あまり変化が見られず、逃げられもしてない菊吉へ、平一はふらりとありき出した。
仇を、とる。
「待つのだ!」
菊吉、声を上げた。
「あれは嘘なのだ! 我は! 我は殺してなどいないぞえ! 女に水を掻けたことも、砂馬に出たことも、一度も、ない」
段々と小さくなる声に、平一を止める力はなかった。
仇を、取る。
「もはや、それは関係あるまい」
代わりに応えたのは鴨兵衛であった。
「お前たちは、この親子を騙してここに引っ張り出し、命をとろうとした。それだけで斬るに値する」
「それはやつらから!」
「前後など知らぬ。どの道何もなければ、殺すつもりだったのだろう」
「それ、は」
仇を、とる。
「それに、だ」
鴨兵衛が冷たく見た先には、平四郎の腫れあがった顔があった。
「よって集って袋叩き、簀巻きにして人目にさらし、挙句に足蹴りもした。これだけで斬り合いには十分、敵討ちから無礼打ちに変わっただけだ」
冷たく、静かに、当然として語る鴨兵衛に、菊吉はもはや何も言えなくなった。
仇を、とる。
代わりに伸ばした手に、だけども鴨兵衛早かった。
あれだけあった間合いを、その巨体からの長い一歩で走破して、ダンと踏んだのは手が向かった先、転がる槍の上であった。
「腰のものを使うがいい。それで五分と五分、改めて果し合いだ」
絶望に青から白へ、菊吉の顔色が変わっていた。
……それを前に、平一の足は止まっていた。
「どうした。臆したか」
「そんな、ござらん!」
声を上げ、唾を飲み、それでも平一の足は動かなかった。
べっとりと濡れているのが己の汗であった。
うるさいと思ったのは己の鼓動であった。
歪んで見えたのは己の視野であった。
仇をとる。
やることはわかっていた。
この刀を振り上げ、頭目掛けて振り落せばよい。それで、頭が割れたり肩が切れたり、地がいっぱい流れて、大けがして、そして死ぬ。
ゴクリ、唾を飲む平一は、この場でようやく、初めて仇をとる意味を思い知った。
仇をとる。
それはすなわち、命を奪うことに他ならなかった。
人を、殺す。
思うだけで平一の全てが重く沈んだ。
太平の世、戦争も遠のき、人の亡骸を見る機会も減った昨今である。知識として「人を殺す」とは知っていても、実際に行うのも、見るのも平一には初めての事であった。
唯一、平一がその生涯で見て、触れた亡骸は、母のものであった。
その事実に、また一歩が踏み出せた。
仇をとる。
こいつを殺す。
思い、刀を握り、睨む先、平一の前に飛び出す小さな影があった。
「どうかお許しください」
それは小さな女であった。
年は、死んだ平一の母と同じかそれ以上、質の良い暗い赤の着物を着ているが、かんざしなどの飾りはなく、その頭には白髪がいくらか、そんな女が、地べたの上、土下座をしていた。
「はは、うえ」
漏れ出る菊吉の声に僅かに肩を震わせた女は、頭を下げたまま続けた。
「これまでの無礼、非道、不出来な息子に代わり謝罪申し上げます。本来ならばこうなる前に連れ戻すところですが、彼の者たちが邪魔をして敵わず、こんなことになってしましいました。その上で、無理を承知でお願いいたします。どうか、どうか命だけは、ご勘弁くださいますよう、お願いいたします」
ジリ、とは額を地面に擦る音、それを耳にして、平一は鴨兵衛を見た。
しかし、鴨兵衛は首を横に振った。
「敵討ち、果し合いは一度きりのもの、この場を流せば後から罪を裁くことはできん。その上で見逃すとなれば、甘さを通り越して怠惰とし、こちらが腹を切らねばならん」
「でしたら!」
鴨兵衛の厳しい言葉に声を張り上げた女は、一呼吸間を置いてから続けた。
「でしたら、この私めの命で勘弁いただけないでしょうか?」
「ははうえ!」
菊吉を後ろ手で制しながら女は続けた。
「今回の無礼はこちらの息子がそちらの父上様へ働いたもの、なればこちらも親が罰せられれば五分という物、二人の命を危険にさらしたことも含めて、この命一つでどうか、ご勘弁ただけませぬか?」
これに平一は泣きそうな表情となった。
仇をとる。命をとる。
これまでのようなそれでも取り繕うとする努力も見せず、あと一押しで涙零れる寸前、それほどまでにどうしてよいかわからぬところまで追いつめられていた。
人を殺すという事実に、平一は臆した。
例え卑怯者とののしられようとも、例えその面子がぐしゃぐしゃに瞑れようとも、この手で誰かを殺すという事実に、平一は耐えられなかった。
泣き出したい中、すがるように目線は、父で合う平四郎へと向かっていた。
それを感じ取り、そして静かに首を横に振る。
それに、平一は静かに刀を零して捨てた。
「なら、仕方あるまい」
落ちた音が耳より消える前に、鴨兵衛の声が届いた。
「代わりに髷を切り落とすのだ」
……この一言に、色々抜けて逆に体が冷え切った平一が、軋む動きで鴨兵衛を見返した。
「何、大衆の面前で髷を奪われたという恥辱があれば当分はここらの笑いの種だ。それにみっともない頭を隠すのに暫くは謹慎となるだろう。なんなら、そのまま仏門に入ってもいい」
鴨兵衛言いながら向けた視線に、向けられた菊吉はびくりと跳ねた。こちらもこちらで、現状が良くわからぬ様子であった。
「それで、よろしいのでござるか?」
余計な質問、だけども平一はしないではいられなかった。
「俺が決めることではない」
鴨兵衛が言ってのける。
「これは元より前らの問題、助太刀とはいえ部外者の俺が口を出していい領分ではない。それにだ」
チラリ、鴨兵衛が見た先にはおネギがいた。
「……幼い妹の前で、流血は避けたかったのでな」
その一言に得心が言った平一、どっと疲れが湧き出た。
「終わりではないぞ。脇差、使い方わかるか?」
「もちろんでござる!」
打って変わって元気な平一の声、すらりと抜かれた脇差もって、軽い足取りで菊吉の元へと向かって行った。
その股の間に水たまりができていることなど、最早些細な問題でしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます