応えただけであった。

 どこへ行っても、そこかしこに青たちがいた。


 あの尾が二股の蛇をあしらった札のある所が守護するところらしいが、それはすなわち町中であって、人込みに、町角に、居酒屋に、行く先々に青たちがいた。


 そして出くわす度、わざとらしく大きな声を張り上げ、頼んでもないのに宣伝を始めた。


 この親子二人が敵討ちの途中であると、そしてついに仇を見つけたと、そして明日果し合いがあると、その立会人になりたくばいくらいくらの銭がいるとの宣伝口上、その場の誰彼構わず触れてまわった。


 そうして名指しされ、好奇のめに晒される度に無理に作った笑顔を浮かべる平四郎と、目線も合さずがちがちに強張る平一、針の筵とはこのこと、ただ寡黙に、共に夕食を取った鴨兵衛におネギに対してさえ話すことすらできないでいた。


 そうして昨夜と打って変わって会話もなく、ただ胃に詰めこめるだけ詰め込んで逃げるように居酒屋を出るも、夕暮れの空の下、また大人数の青たちが揃い待ち受けていた。


「宿までご案内いたしましょう。道に迷って町の外に出たら大変ですからね」


 優しさを装った脅迫、暗に「逃がさない」と言っていた。


 それに返す言葉もなく連れられて行く親子二人の背中は、最早どちらが罪人で、どちらが仇を追う方なのか知れたものではなかった。


 そうして案内された宿はがら空きで、案内された親子と、巻き込まれた兄妹の二組だけが客であった。ただし宿を守るたと称し、既に少なくない青たちが出入り口に見張りとして立ち、空き部屋では行灯の灯りでサイコロ賭博にと詰め込まれていた。


 敵陣の中、逃げ場のない宿、二組が通された部屋は二つ並び、襖一枚で区切られた、宿の中心の部屋であった。


「どうぞごゆっくり」


 目の下に隈を浮かべ、げっそりと痩せた宿の主人が立ち去ると、ようやく青の視線から解放された。


 畳敷き、布団はそれぞれ二組ずつ、他には灯った行灯しかない質素な部屋、だけれども周囲には青の詰める部屋が並び、こっそりと抜け出すことの敵わない、まるで牢獄であった。


「明日は念願の敵討ち、早いのでもう寝るでござる」


 そう言うや平一、返事も利かずに親子の部屋へと入ってぴしゃり、襖を閉じた。


 対して平四郎、青のいない部屋に来れてようやく落ち着きを取り戻し夜盗に見えた。


 しかし、それでも蝋燭の灯りに照らされた顔は、初めて会った時より十も二十も老け込んだように見えた。


「すみませんねぇ。私らの、その、敵討ちに巻き込んでしまって」


「なに、知らぬ中ではないからな」


 平四郎と鴨兵衛、どこか他所他所しい会話、続けるべきは平四郎なのだが、その言葉が喉につっかえ吐き出せないようであった。


 その様子に、おネギがすくりと立ち上がる。


「兄上、少しお花を摘んでまいります」


「こんな時間にか?」


「お便所ですぅー」


 頬を膨らませながら出ていくおネギに、ハハハと笑う平四郎、しかしその笑いは長続きしなかった。


「いやぁ、何でこんなことになっまったんでしょうなぁ」


 やっと喉から出てきた言葉はどこか他人事で、だけどもしっかりと困り果てたと言っていた。


 ……そしてまたもや続かない平四郎に、鴨兵衛助け舟を出す。


「やはり、手形は偽装であったか」


 一言にぎょっと目を見開く平四郎、しかしすぐにまた突かれた笑顔に戻った。


「さすがは鴨兵衛殿、ご指摘の通りです。私らの手形は、関の少し前の村で仕入れたもの、真っ赤な偽物でございます」


 手形の偽造は関破りと同じ扱いの重罪であった。だがそんなこと、今はどうでもいいと平四郎は首を振った。


「話してしまえば、妻が無くなったことは事実です。ただ誰かに冷や水をかけられたとか、殺されたとか、そう言う誰が悪いという話ではなく、あの時あぁすればというのも浮かばないような、どうしようもないものだったのでございます。ですが、倅は、平一はそうは思わなかった」


 平四郎、振り返り向こうに平一が眠る襖を見る。


「元より思い込みの激しい子で、それで自分が母を殺したと、そんなわけないのに、それはもう自責の念に囚われてましてね、このままじゃいけないという時に故郷の兄から手紙が来たんですよ。家を継いだのは兄なのですが、産まれてくるのが娘ばかりで、それで次を婿に継がせるぐらいなら、直系の男子である平一を、とね。それで空気を入れ替えるつもりで、砂馬を出ることにしたんです」


 また視線を前に戻した平四郎、その目は伏せっていた。


「路銀は限られてましたが、手形の偽造は、正直何度かやってましたんで勝手は知ってたんです。砂馬なんて田舎だから手形をみんな見たことないから、安物でも案外通るんです。後は口上を合わせるだけ、ですが平一はあの性格なので、嘘は無理だと、だから自分を責めないようにするのと口裏合わせとの一石二鳥で敵討ちの旅に、とつい嘘を、後は故郷に帰って、家業を継ぎながら折を見て真実を、と思ってたんですがね。それが、こんなことに」


 ふわり平四郎、泣きそうな顔で鴨兵衛を見た。


「鴨兵衛殿、なんで私らはこんな目に合わなきゃならなんでしょう。敵討ちなんて口から出まかせ、殺されてないんだから殺した相手なんかで適用がない。なのにこんな、手ぐすね引いて大挙して待ち構えていて、逃げ道すら塞がれてる。私にはどうしてもそこが解らないんです」


「……それは、二人を斬りたいからであろうな」


 この答えに平四郎は目を見開き、そして首を激しく振った。


「そんなわけないでしょう。私らは銭もないし、名家の生まれでもない。こう言っちゃあなんですが、殺されるような悪いこともしてきてないつもりです。なのにこんな手の込んだことをして、斬りたいだなんて」


「いや、正確にいうならば、誰でも良いから斬りたかった。そこにたまたま斬りやすい二人がやってきてしまった、と言うべきだな」


 この答えを理解しきれない平四郎に、鴨兵衛は続ける。


「今の世は天下泰平ではあるが、それでも武力が名誉のままの時代だ。過去にどれだけ戦い、何人斬ったかが誉の目安となる。しかし、天下泰平、戦は消え、野試合も禁止、賞金稼ぎや敵討ちならば可能ではあるが、それでも易々と斬り合えるものではない。それ以外となれば喧嘩か辻斬り、あるいはもっとひどい悪行、斬ることはできても自慢することは叶わない。そこでこんな罠を、いや芝居を打ったのだな」


「しば、い?」


「狙うは敵討ちを理由とする偽装手形、用意しながらその裏であの青たちと繋がっており、その口上、内容を調べて用意しておく。そしていざ関を潜ったところに仇として登場、果し合いに、とな。手形はあっても敵討ちする気のないものたちなのだ。斬るは容易いだろう」


「いや、あの、待ってください。そんな人を斬るためだけにやってもない罪を被ったというのですか」


「被る必要もなかろう。その敵討ちの話はこの手形だけで終わっている。例え砂馬に入ったところで、そちらでは殺された事実さえないのだから捌きようがない。何かの拍子で全てがバレたとしても、手形偽造の罪人を、その芝居にのっとり面白おかしく成敗してやった、と更なる自慢話になるだけよ」


 最も、そんな単純な話ではないとは思う鴨兵衛であったが、今は関係ないだろうと口をつぐんだ。


 一方の平四郎、驚きの青白い顔から赤の顔へ、そしてすくりと立ち上がった。


「どちらへ向かわれる」


「決まってます。逃げるんですよ。こんな無茶苦茶な話、突き合ってられません」


「それは、難しいだろう」


 襖に手を伸ばしていた平四郎を、鴨兵衛の言葉が固めた。


「ここまで見てきた通り、宿にも町にもあの青たちが溢れている。それにただの旅人にも広く顔を見られたから、こっそりと抜け出すのは困難だ。例えそれができたとして、この関を潜るとき、改めで何と答えた? 身の上だけでなくこの先の故郷のことまで事細かに話したのではないか?」


 これに返事の代わりに平四郎、青ざめた顔で振り返る。


「敵討ちを逃げ出すとは即ち公務を投げ捨てたと同意、ならば相応の罪として追われることになるし、下手をすれば連座で故郷のその兄一家も巻き込まれるかもしれん」


「だったら!」


「手形偽造を届け出るか? それこそ極刑を受け継ようなものだ。良心の呵責に、ともなれば減刑もあり得るが、こうも明日の果し合いが広がるとなれば、命惜しさにと見られるのが通常、武士の恥として切腹は免れまい。その後さらし首が付くかつかないかの違いだろうな」


「…………だったら、もう助かる道はないのですか?」


「ある」


 悲壮な声の平四郎に、鴨兵衛は即答した。


「芝居に乗ってやるのだ。そして果し合いの場にて、あの鐘田を打ち取るのだ。さすれば敵討ちの成就、大手を振ってどこへでも行ける。その後ならば手形偽造だと騒がれても、本懐を成した親子への悔し紛れの嫌がらせと流されよう。見逃した関にも面子があるからな」


「そんな、それこそ無理ですよ。私らは斬り合いの稽古なんてしたことないんだ。これだって本物の刀じゃございません」


 そう言って腰に刺したままの打ち刀を引き抜くと、暗がりでもわかるほどの竹光であった。それも上下に動かす度にさらさらと音がした。


「中身は死んだ妻の遺骨、こいつは骨壺の代わりなんです。後は平一の脇差一本、それなのにあんなちゃんとした刀持った連中沢山、どうやれって」


「俺がいる」


 静かで、だけれどもどしりとした声で、鴨兵衛は応えた。


「敵討ちには助太刀が認められている。相手はあれだけ大人数ならば、一人二人増えたところで文句もあるまい。後は俺一人、片づけて最後をそちら二人が締めれば解決よ」


 ゆらり、行灯の火が風もないのに揺れ、揺れた灯りがただ座するだけの鴨兵衛を大きく見せた。


 ゴクリ、唾を飲む平四郎、その表情は納得しかけているように見えた。


 しかし、ふと目線を落とした先、平四郎が見たのは鴨兵衛が抜いて置いた腰のものであった。


 刀無しの鞘、芸人の小道具、それを目にして、平四郎は目を伏せった。


「……お気持ちはありがたいのですが、あなたにはおネギちゃんがおります。よそ様のもめ事で命を使うことも無いでしょう」


 そう言って平四郎、襖を開ける。


「一晩、考えて見ます。色々とお話、ありがとうございました」


 背中越しに礼を言い、頭を下げて、平四郎は平一の部屋へと消えていった。


「相変らず鴨兵衛様は、お優しいのですね」


 背後より突如のおネギの声に、内心どきりとしながらも鴨兵衛は平静を装った。


「仕方あるまい、知らぬ中ではないのだ。それにこの悪行はどうも気に入らなくてな。それに、形はどうあれ剣を教えたものが犬死するのは気に入らん」


「教えたって、素振りを二回見せただけではありませんか」


「あれで、わかるものにはわかるのだ」


「えぇそうですね。あたしにはたーんと伝わりましたよ」


 おどけるようなあやすようなおネギの言葉に、鴨兵衛はプイとそっぽを向いた。


 ◇


 夜更け、流石にサイコロ賭博も静かになったころ、鴨兵衛をおネギは揺り起こした。


「平四郎様が、お一人で出て行かれたようです」


「……そうか」


 鴨兵衛は一言、応えただけであった。

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