かたなし鴨兵衛、また何か壊した。

負け犬アベンジャー

鴨兵衛、茶屋の長椅子を壊した。

熊のように大きな男の尻であった。

 戦国の世から早百年、全国統一がなされたこの小さな島国は太平だった。


 いがみ合ってた国々は今や交易相手と変り、統一幕府の命により人と物とを運ぶ街道が全国津々浦々に張り巡らされるようになった。


 そんな街道の一本、裏街道ではないが表五大街道とも、どこぞの巡礼とも遠く外れてた東西にのびる街道に、茶屋の『ドクダミ屋』はあった。


 店舗そのものは藁ぶき屋根の小さなものだったが、往来に並べてある竹製の長椅子は四つ、そのどれもが一日を通して使われており、それなりに繁盛していた。


 季節は初夏、梅雨が明け、青い空に入道雲、熱い日差しが連日続くが、この街道は北側に清流の沢が並んで流れ、南側には背の高い木々が生え並び木陰を作ることで、季節を忘れるほどに涼やかだった。


 そんな茶屋にて、昼飯時が過ぎた頃、そろそろ蝉も泣き止むか、といった時間に、突如として爆音が響いた。


 まるで雷でも落ちたかのような大音響、居合わせた者たちは一斉に動きを止め、驚きと共に視線を向ければ、そこで長椅子の一つが潰されていた。


 支える四つ足は外へと広がり、縛っていた荒縄はところどころが千切れ飛び、横に渡した竹はどれも割れて折れてささくれ、完全に使い物にならなくなってた。


 あまりにも無残な破壊、潰したは、熊のように大きな男の尻であった。


 背には小さな風呂敷包み、腰には黒塗りの鞘、その身なりから旅の浪人だと知れた。


 ただ、その体は大きかった。


 寝そべれば畳より首から上と足首から下がはみ出るだろう巨体は、それに似合って太く厚く、小さすぎる紺の着物よりはみ出た手足は指の先まで濃い体毛に覆われ、爪も蹄のように厚い。その四肢の一部だけ見れば、その姿は人よりも獣を思わせた。


 黒い髪を雑に束ねて髷にした顔立ちは、厳ついと呼べるはずだった。太い眉、でかい鼻、がっしりとした顎には少々の無精髭、その右頬には斬り合ったのか、真横に走る刀傷があった。それだけならば武士もののふの面構え、なのだが、その黒い眼は驚きのあまり大きく見開かれていた。


 そんな大男の尻が、潰れた長椅子の上に乗っていた。


 何が起こったのかは一目瞭然だった。


「ちょっとあんた何してくれたんだい!」


 呆然とする中、一人声を上げ飛び出したのは茶屋の看板娘のおせんだった。きりりとした太い眉を吊り上げ、小さな口をへの字に曲げて、明るい黄色の着物の裾と赤い前掛けの前で腕を組み、黙ってれば器量よしの顔を厳しく吊り上げ、大男の前に仁王と立った。


「あーあーあーもうこれじゃ使い物にならないじゃないのさ! あんたいったいこの椅子になんの恨みがるってんだい! どーすんのさ! 明日だってこの椅子使うんだよ!」


 早口でまくし立てるお千、その前でのそりと起き上がる大男、その身を縮める猫背であったが、やはり大きいものは大きい。その体に怪我は見られないものの、その顔は不満を隠してなかった。


「……俺はただ、腰を下ろしただけだ」


 ぼそりと呟くような大男の声は存外に若く、怒りはないが、不満はありありと伝わってくるものだった。


「じゃあ何だい。ただ座ろうとしただけで椅子の方が勝手に壊れたってのかい」


「そうだ」


「馬鹿言うんじゃないよ。あんたの尻の下の椅子はね。今朝からずっーーと使って何の問題もなかたんだよ。それも一人二人じゃない。相席団体さんと四人五人、まとめて座ったってびくともしなかったんだ。それがいくらあんたがでかいからって、一人で潰れるわけないでしょうが!」


「これお千、止めないか」


 気の強さを存分に発揮して畳みかけるお千を止めたのは、慌てて飛び出てきた茶屋の店主、お千の祖父の弦五郎げんごろうだった。


「お侍様申し訳ない。手前どもの椅子が痛んでたようで、お怪我はありませんでしたか?」


 紺の着物に藍色の前掛け、もとより曲がってた腰をなお曲げて頭を下げる弦五郎にもお千は噛みついた。


「何甘いこと言ってるんだよ爺様、椅子壊された上に頭下げるこたぁないんだよ。大方、ここまで歩いて疲れたところにこの椅子見つけて、これ幸いと子供みたいにはしゃいで飛び乗って壊しちまったに違いないんだ。そんなやつに下手に出たところでつけ上がって逃げられるのが関の山なんだから! ここはびしっといってやんないと!」


 止めに入っても止まらないお千の口ぶりに、黙って聞いてた大男はその左手を、己の左の腰へと静かに伸ばした。


 その動作に、みな息を飲んだ。


 大男は見るからに浪人、ならば腰に差すとなれば一つだけ、抜き打ち一本、無礼打ちを連想するのは自然なことだった。


 誰も動けぬ中、弦五郎だけは必死に白髪だらけの頭を下げながら、しわくちゃな手でお千の手を引くも、肝心のお千は頑なにその場から動かなかった。


 ただまっすぐ、すくりと背筋を伸ばして、大男の目を見つめ返した。お千に逃げる素振りはなかった。


 空気が張り詰めた。


 その様子に、夏の暑さ以外の汗を握りながら、巻き込まれたくない、見てられない客らは自然とその視線を落とした。


 その流れで、大男の左手が掴んだものが目に入り、みな飲んでた息を吐き出した。


 大男が手を伸ばした先、腰に帯びてた黒い鞘は大男の大きな体に負けない太さと長さ、だがしかし、そこには柄も鍔もない、ただ薄暗い穴が開いてるだけで、肝心要の刀が収められてなかった。


 即ち、大男は鞘だけの、刀無しであった。


 しかもその鞘を引き抜くでもなし、ただずり落ちた帯を直すの留める始末に、張り詰めていた空気は弛み切り、大きな体がかたなしとなった。


 ……太平の世、武芸で身を立てる戦場のないこのご時世、金無し文無しで食うに困って刀を手放すのは珍しくない。


 しかしそれでも浪人は武士の端くれ、体面のために竹で作った偽の刀、竹光の一つも飾ろうというものだ。それをせずに堂々と、鞘だけの姿をさらしてお千に向かう大男には、とても武士の面影など見る影もなかった。


 刀無し、そう思えば少しは小さく見える大男、その口が何かを言い出そうとする前へ、遮るように滑り込む小さな影があった。


「ごめんなさい! また兄上がご迷惑をおかけしましったようでどうか勘弁してください!」


 二人の間に割り込みペコリと頭を下げたのは、小さな幼女だった。


 光を弾く緑髪は肩に届かないおかっぱで、それを揺らしてあげた顔は、幼い。おそらくは十にも届いていないだろう。きめ細かく雪のように白い肌、大きくクリっとした目に鼻筋の通った顔立ち、明るい萌黄色の着物と背中に背負った赤い風呂敷と相まって、ただいるだけで明るい愛嬌を振りまいていた。


「兄上はいっつもこうなんです。少し歩くだけで何か引っ掻けてはひっくり返すし、ちょっと触ったら何でも壊しちゃう。だから気を付けてっていつも言ってるのに、もうきかないんです。ほんとにごめんなさい。ほら兄上、兄上も謝って、ほら」


 そう言ってもう一度頭を下げる幼女、それを前にして、しぶしぶと言った感じながら続けて頭を下げる大男、兄上と呼ばれていながらもこの二人、とてもじゃないが兄妹には見えなかった。


 それでも二人そろって頭を下げる姿に、周囲で張り詰めていた空気が一気に緩んでいった。


 ただ一人、例外はお千だった。


「二人そろって頭下げたからって何だってんだい! それで椅子が生えてくるなら銭なんざいらないんだよ!」


「これお千」


「だって爺様、長椅子がだめになったのは変わらないでしょうが。明日だって使うんだし、せめて弁償してもらわなきゃ丸損じゃないの」


「あのー、そのことなのですが」


 二人のやり取りに幼女は恐る恐る頭を上げる。


「実は、あたしも兄上も路銀ろぎんが尽きてまして、今無一文なんです。この茶屋に寄ったのも、ここでどこか日雇いの仕事を紹介してもらおうかと。なので厚かましいお願いとは思いますが、椅子の弁償する分も含めてどこか仕事口を紹介してもらいないでしょうか?」


 幼女ながらはきはきとした立派な口上、その後ろに隠れて黙って頭を下げてるだけの大男、最早どちらが歳上だかわからない二人に、流石のお千も毒気を抜かれた。


「……わかったよ。そこまで言うならじゃあ働いて返してもらおうじゃないの。言っとくけど、びた一文まけないからね」


 お千のこの言葉に、幼女の上げた顔がなお明るくなった。


「ハイよろしくお願いします! あ、自己紹介がまだでした。あたしがおネギ、それでこちらが兄上の……ほら」


「……鴨兵衛かもべえだ」


 大男は不貞腐れたようにそう名乗った。

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