第228話   クラゲさんの魔法講座

 再編成案のたたき台を作ると意気込んだはいいが、夕食を食べてお風呂に入ると、急速に眠気が襲い掛かって来た。

 それでもエリックの書斎で、明日の会議のための資料作りに勤しむ。眠い目をこすりながら、布切れに再編成案を日本語で羅列していく。

 こちらの文字にも慣れてきたけど、書きやすいのはやっぱり日本語。これは私だけが読めたらいいから、効率の良い日本語を使うのは必然かな。


 幾つかのプランを書き込むと、大きく背伸びをした。


 こっちに来てから布や革、板切れなんかに文字を書き込んできたけど、結構慣れてきた。

 でもやっぱり、紙があればもっと楽なんだけどね。

 そうだ、紙ってどうやって作るんだろう。 


 気分転換に、魔導士の書を広げてみる。


 これを開くのも久しぶり。たしか、真ん中あたりに紙の作り方が載っていた記憶が。

 和紙なら楮(こうぞ)か何かの植物を煮込んで細かくしてから、網目状のもので漉すのよね。似たような植物を見つければ、案外簡単に作れるかも。

 そんなことを考えながら重たいページを捲っていると、積み重なった疲労が限界値を超えたのか、唐突に眩暈にも似た眠気に襲われる。

 あっ、まずい。

 それが最後の感覚。



 意識を取り戻すと、そこは淡い光に包まれた空間だった。

 なんか見覚えがある。

 ボーっとする頭のまま、辺りを伺うと5メートル先ぐらいで、青色に光る何かが漂っていた。


 「あっ、クラゲさん」

 

 光に向かって話しかけると、クラゲが振り返るように回転した。

 やっぱり前後があるみたいね。


 『おや、これは珍しい。江梨香の嬢ちゃんか』


 男の人の声が、頭の中で鳴り響く。

 やっぱりここは、クラゲさんの魔導空間だ。


 「お久しぶり、ってほどでもないか。こんにちはクラゲさん。王都ぶりです」


 ふよふよとクラゲさんが近づいてきた。


 『俺が呼んだわけでもないのに、この空間に入って来れるとはな。江梨香の嬢ちゃんの魔力が増したのかな? 』

 「そうなの? 自分では分かんないや」

 『もしくは、腕輪とお前さんの身体が馴染んだのかもしれん』

 「ふーん。そういうものなのね」

 

 それからしばらく、クラゲさんと雑談をした。

 普段、あまり話す機会が無いから、これは貴重。

 

 「そういえば、前々から聞きたいことがあったんだけど」

 『なんだ』

 「私が使ってる、この力だけど」

 『うん』

 「魔法って、なに? 」

 

 質問への返答は、笑い声だった。


 『これはまた、単純かつ複雑怪奇な問いだな』

 「やっぱり難しいものなのね」

 『そうとも言えるし、そうで無いとも言える』


 勿体ぶって、クラゲさんは左右に揺れ動く。


 「私にもわかるように、簡単に教えて」

 『気持ちは分かるが、それは一番難しい問いだぞ』

 「出来る限りでいいです」

 『構わんがその前に、お前さんはどう思っているんだ』

 「私? うーん。自分で使っているのに、これを言うのは恥ずかしいけれど、なんかよく分かんない不思議な力」

 『正解』

 

 ちょっと待ってよ。小学生みたいな返答に正解って、それは答えになっていないのでは。


 『そんな顔をするなよ。これも一つの正しい答えなんだからな』

 「不思議な力だけじゃ、納得できないの。分かってよ」

 『怒るなって。お前さんの師匠は何と言っているんだ。日頃から俺をこねくり回している、あの女魔法使いは』

 「コルネリア? 」

 『あいつ、そんな名前か。それで、訊ねたことはあるんだろう』

 「あるけど」

 『何と言っていた』

 「ええっと」


 もちろんこれまでも幾度となくコルネリアに、この疑問をぶつけてみた。

 ニースで私以外の魔法使いは彼女だけ。分からないことは直ぐに聞くし、コルネリアも親身になって教えてくれる。

 ただ、コルネリアの答えは、「火や水のエレメント」がどうしたとか、「世界に満ちているマナ」がなんちゃらとか、「大地を流れる地脈や生物の持つ生命力」が相互に作用してどうとか、分かったような分からないような、やっぱり分からない答えなのよ。

 私の理解力が乏しいってのもあるだろうけど、明確な理論体系がありそうで無いって感じがして、モヤモヤがとれない。

 そのことをクラゲさんに説明した。


 『お前さんの師匠の解釈も、間違っちゃいないが、確かにわかりにくいな』

 「でしょ」

 『しょうがねぇ。ちっと待ってな』


 そう言うと、クラゲさんは光を増した。

 光の強さが頂点を迎えると、光の中心に何か丸いものが現れる。

 それはどう見てもボールだった。テニスボールぐらいの大きさかな。


 『そのボールを投げてみな』

 「えっ、どっちに」


 白色の地面以外は、淡い光に包まれた何もない空間を見回す。


 『どっちでもいいさ。投げてみろ』

 「うん」


 言われるがままに、空中に浮かんだボールを掴み取って投げてみる。

 軟式テニスボールのような柔らかさを持ったボールは、10メートルほど飛んで地面に転がった。不思議なことは何もない。


 『普通は、そうなるよな』

 「うん」

 『次はそのボールを壁に向かって投げてみろ』

 

 クラゲさんの言葉と同時に、目の前に半透明の壁らしきものと、新しいボールが現れた。

 言われるがままに投げてみる。

 当然だけど、ボールは壁に当たって跳ね返ってくる。これまた不思議なことは何も起こらなかった。


 『それが魔法だ』

 「はい? 」


 予想外の返答に、声がひっくり返った。

 壁に向かってボールを投げたら、跳ね返ってくるに決まってる。これのどこが魔法なのよ。


 『魔法ってのはな。壁に向かってボールを投げることと同じなんだ。壁が無いところに投げると、ボールは真っすぐ飛んで行って、やがて転がる。だが、壁に当たったボールは跳ね返って、別の場所に転がっていくだろう。本来の物理法則を捻じ曲げて、結果を改変するんだ。つまり、魔法使いってのは、どこに壁があるか分かる連中の事なんだ』

 

 はえ? 壁が分かる? どゆこと。


 『魔法が使えない者は、この壁を認識する事が出来ない。そしてこの壁は目には見えないからな。実際に起こる事象としては、何故かボールが跳ね返っているように見えるんだ。だから不思議に感じるのさ』 

 「まぁ、壁が見えないのなら、確かに不思議な現象に見えるかな」


 少しだけど、言いたいことが分かった。


 『だろ。壁がどこにあるか分かってさえいれば、ボールを跳ね返らせることは難しくない』

 「ちょっと。待って待って。つまり、私たちはボールを跳ね返す壁を作れるって事なの」


 そんな壁を作った感覚は、ゼロなんですが。


 『違う。壁がどこにあるか認識できている状態が、魔法使いなんだ。壁自体は、どこにでもある』

 「どこにでもあるの? どこにでもあるんなら、普通の人でもたまたま、偶然にでもボールが当たって、魔法が使えるってことにならない? そんな人いるの?」


 コルネリアから聞いた話とは、大きく違うわね。

 魔法は魔法使いしか使用できないのが大原則って言ってた。


 『理論上ではゼロではないが、確率論的にはゼロに等しいから、結果としてはゼロだな。故にそんな人はいない』

 「うーん」


 なんとなくだけど、理解が進んだような気がしないでもない。


 「えっと。こういう事? 誰でもボールは投げれる。だけど壁の位置が分かんないから、ボールは跳ね返ってくることはない。でも私たち魔法使いは、壁の位置に向けてボールを投げることができるから、ボールは跳ね返ってくる。その結果として物理法則を捻じ曲げることができる。ってことなのかな」

 『おーっ。理解が速いじゃないか。前から思っていたが、お前さん頭いいな』

 「お褒めにあずかり、どうもです」

 『そこまで分かれば、次はどうすれば魔法を強化できるかも、分かるだろう』

 「ええっと。単純に、投げる球を速くするとかかな」


 そうすれば、跳ね返ったボールはより遠くに転がっていく。


 『いいぞ。他には』


 当たったみたい。


 「壁に当てる角度を変える」

 『その通り。まだあるぞ』


 クラゲさん。なんだか楽しそう。私もちょっと分かりかけている気がする。


 「うーん。なんだろう。変化球を投げるとかかな」


 野球のカーブとか、シュートボールを想像してみる。


 『ちょっと違う』

 「違うんだ。他に何かあるかな。分かんない」

 『壁が二枚見えていたらどうだ』

 「ああっ、そういう事」


 難しい数学の問題が解けたときと同じような感覚に包まれる。

 脳内をドーパミンが全開で走っているみたい。


 「ボールを一つ目の壁に当てて軌道を変えて、もう一つの壁でさらに軌道を変えるって事ね」

 『ご名答。そうなった時のボールは、どのような動きをする? 』

 「パチンコの玉みたいに、あっちこっちに飛んでいくわ」

 『答えがオッサンみたいだが、その通りだな』

 「オッサンは余計よ。でも、これを繰り返せば、どんな複雑な軌道だって描けるってことよね」

 『いいぞ。その複雑に跳ね返った球が更に、無数に飛び回っていたのが王都で見た、あの、いかれた塔。巨大魔道具って事さ』

 「はぁー」


 クラゲさんの言う通り、確かにいかれてはるわ。騎士団長の師匠、恐るべし。


 『今は分かりやすく壁と説明したが、この壁がいわゆる魔法式だ』

 「ふんふん。魔力っていうボールを魔法式っていう壁に向かって投げつけた結果、起こされた現象が、魔法って事なのね」

 『その理解で、大体あってる』


 凄い納得感。

 やっと魔法についての理解が進んだわ。


 「じゃ、その魔法式って何? 元からあるってことは、私たち魔法使いが作っているわけじゃないんでしょ。どうしてそんなものが存在するの? 」

 『・・・・・・』


 私の問いに、それまで饒舌に語っていたクラゲさんが黙り込む。

 あれ。どうしたんだろ。


 『分からん』


 しばしの沈黙ののちに、頼りない答えが返ってきた。


 「えっー。そこが一番大事な事なんじゃないの」

 『言われんでも分かっとるわ。だが、分からんものは分からんとしか言いようがない』

 「魔法生物の貴方でも分かんないの」  


 ってか、魔法生物って認識であってますよね。そう続ける前に、不機嫌な口調で返答が来た。


 『なら、お前さんは人間が何かと問われたら答えられるのか』

 「無理です」


 我ながら、ほれぼれする速さで即答できた。


 『それと同じさ。俺にも分ることと分からんことがある』


 なるほどね。この世界には見えない魔法式という壁が無数に存在していて、その壁に魔力が反応して、物理法則を捻じ曲げるって事か。

 その、魔法式ってのは、何か不明。

 うーん。あれ? ってことは。


 「今思ったんだけど、壁ってことは、壁がある箇所は空間が断絶してるって事? 断絶していなかったらボールは真っすぐ飛んでいくってことなんだし。次元だか時空が、違ったり歪んだりしているのかな?」

 『ほう。今の説明でそこまで理解できるとはな』


 急にクラゲさんの声が固くなった感じがする。


 「ほら私って、地球の日本からこっちに来たじゃない。だけど、この世界とは断絶してる。もしかしたらこの宇宙のどこかに、地球があるのかもしれないけど、そうなると私は、何光年だか何千光年だかを一瞬で移動したってことになる。でも物体は光より速くは動けないっていうから、これはとてもおかしな現象よね。もしかしたらこの断絶した空間に、なにかの魔力が当たったからじゃないの? そうすれば、今、私がここに居ることが説明できる。私自身が壁に弾き飛ばされたって事よ」

 『素晴らしい。極めて論理的な推論だ』

 「その断絶を探す。もしくは乗り越えるために、あの騎士団長の塔があるって事よね」

 『動かせないという、ごく小さな欠点を除けば、その通りだ』

 

 騎士団長の師匠はそれを理解し、幾重にも魔法式を解析していたって事か。やっぱ天才だわ。


 「なるほどね。なんとなくだけど魔法が何かわかった気がする。これは確かに不思議な力」

 『だから最初にそう言っただろうが。不思議な力で間違いはない。そしてなぜそのような力が存在するのかも、分からんてことさ』


 クラゲさんと話していて、魔法の不思議さについての理解が深まった。

 魔法を何もわからずに不思議な現象としての認識と、ある程度の理論体系を理解した上での不思議さは、同じ不思議でも重みが違う。

 私の中で、シナプスが繋がった感じがする。

 うん。これはいいことを聞いたわ。これからの魔法実習に生かそう。


 そんなことを考えていると、何か温かいものが右肩を揺らすような感覚を覚えた。

 なんだろう。


 『おっ、どうやら今回はここまでのようだな。俺もなかなか楽しめたぞ』

 「えっ、どういうこと」

 『お目覚めの時間って事さ』

 

 ああ、この空間から離脱するって事ね。

 そう理解した瞬間に、一つの疑問が浮かんだ。むしろどうして今まで浮かばなかったのか不思議な疑問が。

 

 「あの、貴方ってもしかして、私と同じ日本・・・」

 

 私の問いにクラゲさんは答えなかった。だけど何となく笑っているような気がした。


 

 「エリカ。エリカったら。起きなさい」


 深い海の底から、意識が一気に海面付近まで上昇した。

 ぼんやりとした魚油のランプの灯りが眼前で瞬き、身体がゆすぶられている。

 

 「はえ? アリシアさん」


 顔を上げると、寝間着姿のアリシアさんが、困ったような顔で私をゆすっていた。


 「もう。やっと起きたわね。こんなところで眠っていたら、風邪をひくわよ。自分の部屋で寝なさい」

 「すっ、すいません」


 慌てて飛び起き、口元を拭う。

 よだれとか垂らしてないわよね。

 幸いなことに、そこまで無様な姿ではなかった。どうやら、作業の途中で眠ってしまったみたいね。私が顔をつけていた部分には、分厚い書物が開いたままになっていた。

 どうやら魔導士の書を枕にしていたみたい。

 マジでよだれとか垂れてはいないわよね。

 慌ててもう一度確認する。

 どうやら書物は無事みたいだ。


 「お仕事は、明日になさい。もう、あの子にも困ったものね。エリカに頼りっきりなんですもの」

 「あっ、違うんです。私がつい、うとうとしちゃって」

 「分かりました。いいから、自分の部屋にお行きなさい。しっかり暖かくして眠るのよ」

 「はい」


 椅子から立ちがると、アリシアさんは安心したのか書斎から出て行った。


 そこで、私はふと思う。

 何か大事な話をしたような気がする。

 あれ? 何だったっけ。

 すっごく大事なことを理解した気がするんだけど、思い出せない。

 全力で記憶をたどるが、ぼーっとして、全てがあやふや。

 ・・・まっ、いっか。

 大事な事なら、そのうちに思い出すでしょ。

 再編成のたたき台は、明日にしよう。


 江梨香は魔導士の書をたたむと、書斎から出て行った。無意識の内に左腕をさすりながら。



                  続く

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