第223話 教会にて
エリックが村の子供たちと戯れていた頃。
ニースの村の中央広場。シンクレア家の対角線上。ギルド本部の左隣、宿屋の向いに位置する教会では、多くの職人たちによって建設が進められていた。
広場には石を削る音や木槌を振り下ろす音、職人たちの声が響き合い、賑やかな事この上ない。
冬の頭から始まった教会の建て替え工事も、秋が近づき終わりが見えてきた。
ニースを統括するレキテーヌ司教区は、教区内から多くの職人をかき集め、続々と送り込んでいた。また、派遣した修道士や、ニースの村人たちの献身も、突貫工事を後押ししていた。
皆の尽力の末に、教会の貌である礼拝堂は一回り大きな規模で再建され、残すは内装工事だけとなる。
その教会内ではメッシーナ神父が、建築担当の修道士を引き連れ、教会建設の進捗状況を確認して回っていた。
教会の様式に関しては、エリックも江梨香も一切口出ししていない。
メッシーナ神父と修道士たちに任されている。
「頼んでいた内装用の木材ですが、どうなっていますか」
「ご安心ください。神父様。十分な数の板材を確保できました。明日からでも板張りの作業に取り掛かれます」
「それは良かった。板が揃わないことには、漆喰が塗れませんからね」
「はい。板張りが終わり次第、壁画の作成に取り掛かれます」
「ようやく、ここまでこぎつけましたね」
メッシーナ神父は感慨深げに、息を吐いた。
新しい礼拝堂では、ラジック石の岩壁に木の板を張り付け、そこに漆喰を塗りこんで内壁とし、更にその上から神々の物語を、壁画として描く予定であった。
漆喰の上に顔料で描かれる壁画は、アフェッティオと呼ぶが、この技法のことは、地球ではフレスコ画と呼ばれている。
このアフェッティオ。美しいのだが、大変お金のかかる内部装飾であることも知られていた。
なぜなら、生乾きの漆喰の上に、水で溶いた顔料で描いていく画法であるため、漆喰が乾ききる前に終わらせなければならない。仮に失敗すると、漆喰ごと剥がす以外にやり直す方法が無いのだ。
アフェッティオを描く絵師には、速さと正確性が求められ、当然、このような技法を習得している絵師は、親方を名乗る者たちばかりであった。
また、壁一面を埋め尽くす多量の顔料を必要とする。
どれをとっても安い買い物ではない。
だが、ニースの新たなる教会は、費用の掛かるアフェッティオの導入が決定された。
これを可能にしたのは、レキテーヌ司教区から投下される多額の建設費であった。
レキテーヌ司教区は教えに対する真摯さに似て、ニースの教会への資金投下に一切の迷いが無いかのようだ。
アフェッティオによる装飾も、メッシーナ神父が言いだしたことではなく、予算を統括しているボスケッティー神父が、当たり前のように計画に組み込んだものであった。
確かに、有力な教会では、信者を驚嘆せしめる壁画制作が、一種の流行になってはいるのであるが。
「青色の顔料の補充は、どうですか? 青の顔料はなかなか手に入らないと聞きましたが」
「ご安心ください。そちらも問題ありません。本日、司教座教会から届きました。確認済みです」
神父は修道士の報告に、満足そうに微笑む。
顔料の中でも特に青色は貴重な品である。
国内ではほとんど調達できず、隣国や北方民との交易によって入手するため、値が張るのだ。
「では、こちらの壁面は予定通り"天地創造"。この世の原理と光を司る創造の神"ウルク・ラーン"。"青き清浄"にして、ニースの守り神でもある海神"コンス・ウェール"が描けますね」
「はい。右側には"黄金の穂"。大地と復活を司る女神"ラナ・ルタイス"を描きます」
「素晴らしい。荘厳かつ華やかな壁画となるでしょう」
「はい、残る西の壁面はどうしますか」
修道士の質問に、神父の視線は自然と西の壁面へとむけられる。
「ふむ。どうしたものでしょうか」
神々の物語を描くことが決まっている東面とは違い、西面に何を描くかは決まっていなかった。
「絵師からは、聖フィリアスの物語ではどうかと、話が出ています」
「聖フィリアス。確かに地元レキテーヌの、偉大な聖人ではありますが・・・」
修道士の意見に神父は言葉を濁す。
「神父様は、やはり、アルカディーナ様を・・・」
「そうですね。叶うのであれば、こちらの壁面には、エリカ様の物語を描きたいところです」
一方の壁に神々を描き、もう片方には教会の聖人や有力者を描く様式は、教会壁画の世界において、最も基本的な形でもある。
「しかし、肝心のエリカ様が・・・」
修道士の指摘に神父はため息を吐く。
「どうにか、お許しを頂けないものか」
礼拝堂の内部に、壁画を描くことが決まった時、メッシーナ神父は、江梨香を題材とした壁画を考えていた。
だが、この事を江梨香に伝えると、「いや!!絶対にやめて!!」との返事が返ってきた。
それも神聖語で。
本人の了承なしに壁画を描くことは出来ない。かと言って、滅多と存在しないアルカディーナを無視して壁画を制作することも出来ない。
神父の苦悩は深い。
「あの方は、ご自身が目立つことを忌避される傾向があると、エリック様も言っておられました」
神父の台詞に修道士は、何とも言えない表情を浮かべた。
「分かりますよ、あなたの気持ちは。目立つことを先頭を切ってなされるのに、目立つことは嫌いなのです」
「それは、エリカ様の中でどのように解釈されているのでしょうか」
「難しいことではありませんよ。あの方にとって、それが道理にかなっていれば、良いのです。結果として目立っただけです。目立ちたくて行ったわけではないので、目立つという結果がお嫌なのです。これは推測ですが、当たっていると思います」
「はぁ。だからアフェッティオの画題にされるのは嫌だと」
「そうなります。しかしです。エリカ様は、ニースにおられるアルカディーナなのです。当教会が描かずして、どこの教会が描くというのでしょう」
「神父様の仰せの通りです。ニースの教会にこそ、エリカ様の壁画を描くべきです」
「貴方もそう思いますか」
神父が水を向けると。修道士は全身を使って同意する。
「はい。思います。エリカ様はニースに降臨されると、ノルトビーンから砂糖を作る製法を広められました。そして、ドルン河の守りに尽力され、アルカディーナに列せられる栄誉を受けられました。これだけでも素晴らしいことなのに。更には、王都で無実の罪で捕らわれたマリエンヌ様をお救いになられるなど、どれをとっても、壁画を飾るにふさわしい逸話です。全てを描くとなると、西側の壁面だけで足りるかどうか。神々には恐れ多いことながら、東の壁面も使わせていただきたいぐらいです」
修道士は鼻息荒く捲し立てた。
「貴方の熱意は分かりました。一旦、落ち着きなさい」
「はっ」
「そもそものお話になりますが、マリエンヌ様は王都にてご自害なされたことになっています。エリカ様のお許しが出たとしても、お救いした場面は描けませんよ。もし、勝手に描き、周りに知れ渡れば、王都とのいざこざに繋がります」
神父の指摘に修道士は冷静さを取り戻した。
「これは、失礼を。つい、自分の言葉に熱くなってしまいました」
「よいのです。貴方と私の想いは同じです」
熱くなった修道士をたしなめるメッシーナ神父であったが、西側の壁面を見つめ、つい本音が零れる。
「ですが、王都での逸話とまでは申しませんが、何としても逸話の一部でも良いから、描かせていただきたいものです。砂糖のくだりだけでもと思うのですが」
新たなる教会の建設資金の一部は、江梨香が開発した砂糖精製によるものであることは、疑いようがなかった。
「はい。その為には、アルカディーナを説得するしかありません」
「あの、エリカ様を説得・・・」
神父は無意識のうちに眉をひそめる。
口にすると、その困難さがさらに際立つ。
「ご信頼厚いメッシーナ神父様の他に、誰に出来ましょうか」
「信頼が厚いのであれば、シスター・ユリアこそ適任です。エリカ様の説得は、彼女に任せてみましょう。どう思いますか」
メッシーナ神父の言葉に、修道士はゆっくりと首を振った。
「お言葉ですが、シスター・ユリアの説得では難しいかと」
「どうしてです。彼女は王都まで出向き、エリカ様と共にマリエンヌ様をお助けするため、奔走したのですよ。信頼が薄いわけがありません」
シスター・ユリアは、エリカ様の信頼に応え、王都の教会の者たちとの間を取り持ったとか。高位の聖職者との折衝は、一筋縄ではいきません。数多くの困難があったはずです。
彼女が祭礼儀典長様と交渉して、教皇様のお膝元、メッカーローナ広場を借り受けたと聞いた時は、心の底から驚きました。
これは、エリカ様から直々に聞いたお話。
嘘があるとは思えませんが。
「仰せはごもっともですが、私が思うにシスター・ユリアは、エリカ様に近すぎます」
近すぎる・・・
修道士の言葉に、一瞬考え込む。
「仲が良すぎて、言葉に重みが無いと言いたいのですか」
「はい。親しいことは良いことではありますが、親しすぎると、お互いの言葉が軽くなります。彼女に任せると、逆にエリカ様に説得されてしまいます」
修道士の推察に感心する。
「よく見ていますね。『デルトナント記』第七章・第三節。"心の距離が近すぎると、お互いの言葉が軽くなる"ですか。至言です」
「ですので、ここは神父様のお力が」
これは、非常に骨の折れる仕事になりそうですね。
「分かりました。私が説得致しましょう」
続く
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