第220話   領主の業務

 グレ村の件を処理したエリックが、一息つくためにギルド本部を出ると、そこに新たな問題が届けられた。


 「あっ、いたいた。おおい。エリック様。東の森の外れで、木を切っている連中がいたぞ」


 弓を背にした若者が、小走りでエリックに駆け寄る。

 報告に来たのはエリックの家臣の一人で、名前はブノア。

 昔からニースで猟師を生業にしている若者だ。エリックやエミールよりもやや年上で、同じ村で兄弟のように育ってきた。


 普段は猟師として、森で獲物を仕留める生活を送っているが、先年の北部戦役にも人夫兼戦士として父親と共に従軍した。狩りで鍛えた頑健な身体を持つ。

 エリックが騎士に取り立てられたのを契機に、家臣として加わった。

 農民上りばかりのエリックの家臣の中では、荒事にも慣れている男だ。

 弓の扱いは父親を超え、村一番との評判だ。エリックも、こと弓の腕前に関してだけは、ブノアに一歩劣る。 


 「また、ロド村の仕業か」

 「ああ、そのようですぜ」

 「・・・・・・」


 本部の前を行き交う荷馬車を眺めながら、エリックはため息をつくのを堪えた。


 ニースの入会地では、他の村の者が木を切ったり、下草を刈ったり、獲物を仕留めたりしてはいけない。

 これは、王国における村落の掟の中でも、最も基本的な掟だ。

 それを隣村の連中が破ったようだ。この場にロジェストがいれば、入会権の侵害と言ったであろう。


 「で、どうした」

 「弓を構えて怒鳴り付けてやったら、慌てて逃げていったよ」


 ブノアの話し方は、家臣にしては馴れ馴れしい。子供の頃の癖が抜けていないようだ。

 ただ、彼なりに丁寧に話そうとする努力が見て取れるので、エリックとしても煩く言うつもりはない。


 「よくやった。助かるよ」

 「ただ、あいつら、ここ最近、何度も侵入しているようだな。前は年に数回ぐらいだったが、今年は俺が追い払っただけで、四回以上ある。親父も何回か出会った言っとりますから、見つけていない分も合わせたら、十やそこらではきかないかも」

 「分かってる。俺もロド村には苦情を入れているんだがな」


 春先ぐらいに一度、ロド村を統括する代官に手紙を出してはいた。


 「聞き流されてるとしか思えませんぜ。別の場所では、下草を刈り取った後もあった。ありゃ、場所を間違えたんじゃねぇ。わざとだ」


 エリックは憤慨の息を吐いた。


 人の入会地で、やりたい放題やってくれるな。

 森に生える下草は、一番簡単で確実な肥料だ。集めた下草を野焼きし、燃え尽きた灰を土に混ぜ込むことは、どこの村でも行われている。

 当然、ニースでも行われている農法だ。

 ニースには、魚を使った肥料があるとはいえ、あれはビーン畑に優先されている。他の畑は昔ながらの農法から変わっていない。

 また、枯れ木や枯れ枝なども、日々の煮炊きや、冬の暖を取るための貴重な燃料だ。

 ロド村の連中は、それをニースの入会地で無断で集めている。

 俺も前までは、頻繁に見廻りをしていたが、騎士になってからは疎かになっている。ここ最近は、ブノアの親子に任せっきりだ。


 「しかし、どうしてわざわざ、ニースの森で草を刈るんだ。そんなに下草が足りていないのか。ロド村は」

 「違うんじゃないかな。俺もロド村の入会地を軽く見回ってきたが、連中の入会地は変わりねぇ。草も木も充分に生えてたぜ」

 「連中。どういうつもりだ」

 「嫌がらせだろうな」

 「嫌がらせは分かる。だが、そうなった切っ掛けが分からない。ニースの者が、ロド村で問題を起こしたとは聞いていないぞ」


 何かを切っ掛けに村同士が揉めると、このような諍いが増える事はある。それは父からも教えられていた。

 だが、今回はニース側は、何も問題を起こしていないはずだ。

 それとも俺の知らないところで、何かあったのだろうか。王都に出向いていた頃に何か。

 エリックの言葉に、ブノアは手を振って否定する。


 「エリック様。それは違うよ。原因があるとすれば、エリカ様だ」

 「エリカだって」

 「そうそう」


 エリカが何かしでかしたのかと思ったが、ブノアの答えは違った。


 「エリカ様が来られてから、うちの村はロド村よりも豊かになっただろう。ロド村の連中は、それが羨ましいんだ。切っ掛けが有るとすればそれですぜ」

 「そんな理由でか? 」


 流石にそれは、エリカの責任とは言えないぞ。


 「だども、それぐらいしか心当たりがない。隣村が急に豊かになれば、腹の一つも立つもんだ」

 「・・・妬みか。参ったな」


 予想外の答えに困惑しかない。


 「もしも、うちと揉め事があったのなら、向こうも何か言ってくるはずだろう。だが何もない」

 「確かに。ロド村から何か言われたことは無い」

 「そうなったら、後は妬みぐらいしかないぜ」


 ブノアの言葉に頷く。


 彼の予測は、的を得ている気がする。

 今年に入ってからのニースの急速な発展は、ニースで生まれ育った自分が一番驚いている。その発展を妬む者が現れるのも仕方がないことか。俺が代官になったばかりの頃は、ニースとロド村に大きな違いはなかったのだから。

 だがそうなると、こちら側も折れる訳にはいかない。

 妬みによる嫌がらせに屈するなど、あり得ないことだ。


 「分かった。我々に問題が無いのであれば、それでいい。次からは、人数を連れて行ってくれ。エミールにも言っておく」


 エリックは家臣の若者を、巡回に出すことにした。人数を増やして、ロド村に圧力をかけるつもりだ。

 この命令にブノアは喜ぶ。


 「おっ、奴らを分からせるんだな。なら、得物はどうするよ。俺は弓を普段から持っているが、連れていく奴らも弓を持たせますかい」


 ブノアが早とちりをした。


 「違う。お前一人だと、軽く見られるだろう。だから人数を出すんだ。こちらも人数が揃っていれば、連中も大人しく引き下がる。喧嘩の為じゃない」

 「でも、引き下がらなかったらどうするんで」

 「向こうは、武装していないのだな」

 「ああ。流石にそこまでは。斧や鉈は手にしている奴はいたが、剣や槍はまでは」

 「なら、こちらも得物は無しだ。もしも連中とやり合うことになりそうだったら、一旦退いてくれ」

 「退くって。逃げるんですかい」


 エリックの命令に、ブノアが難色を示す。

 自分の入会地を荒らしている不届きもの相手に、逃げ出したくはないのだろう。


 「悔しいだろうが、頼む」

 「だども、俺たちが逃げたりなんかしたら、連中が更に図に乗らないか」

 「図に乗るだろうが、堪えてくれ。心配するな。我々もやられっ放しにはしない」

 

 まだ、納得いたしかねると言った様子のブノアを前に、一呼吸置く。


 「いいか。知ってのとおりロド村は将軍閣下の直轄地だ。うちの入会地が荒らされているとはいえ、正面切っての衝突はしたくない。閣下の所領への攻撃と見なされるかもしれないからな。後の事は俺に任せろ。報いは必ず受けてもらう。必ずだ」


 エリックの強い言葉に、ブノアもようやく納得した。


 「分かりやしたよ。でも、棒ぐらいは許してくれ。連中が襲い掛かってきたら、それでぶん殴って防ぐ」

 「いいだろう。だが、殺しは絶対に無しだ。後が困るんだよ。色々と・・・」


 入会地の問題は、一旦様子を見よう。

 ブノアの言う通り、領地を荒らしている奴らをぶん殴って事が終わるのであれば、簡単だが、そうはならないだろう。

 放置するつもりはないが、性急に事を運ぶ時期でもないように思える。何か手立てを考えよう。

 どうしても拗れる様であれば、将軍閣下に報告するなり、ロド村に家臣を引き連れて乗り込んで直談判するなりすればいいさ。

 そうは言っても、頭の痛い問題に変わりはないがな。

 エリックが弱音を吐くと、ブノアは嬉しそうに答えた。


 「なるほどね。分かりやしたよ。しっかし、領主様ってのも大変だ」

 「他人ごとみたいに言いやがって。一日ぐらいなら、変わってやってもいいぞ。ギルドの業務と領主の責務で一日が終わるので良ければだがな」

 「とんでもねぇ。ニースの領主はエリック様と決まっとります」

 

 ブノアは慌てて手を振り、逃げるように去っていった。



 ブノアが逃げ去ると、マリエンヌがタナトス伯への返書の下書きを持ってきた。

 エリックはそれをギルド本部で受け取る。


 「ご領主様。こちらで、いかがでございましょう」


 提出された木の板には、流れるように美しい文字の列が並んでいた。


 「流石ですね。こんなに達筆な書は見たことがありません」


 お世辞抜きに褒めたたえる。


 「お褒め頂き、光栄にございます」


 マリエンヌの手紙は文字が美しいだけではない。書かれている文言も簡素かつ丁寧だ。

 時節の挨拶に始まり、今後の取引に関しての了承。そして招待への感謝の言葉が連なっている。

 一見すると、騎士どうしの対等な書式にも見えるが、所々に、相手に対しての敬意を表す文言が添えられていた。これならば、仮に伯爵閣下ご本人が返事お読みになられたとしても、失礼には当たらないだろう。

 そんな出来栄えだ。

 なるほどな。こんな風に書くのか。

 俺が書いていた代官の報告書とはまるで違う。

 やはり貴族の教養は、俺のような平民上がりとは違いすぎる。今まで見た手紙の中で、最も洗練された手紙だろう。

 しかし、どこかで見たことがあるような。あっ、エリカの手紙で見た筆跡に、近いのではないだろうか。


 「マリエンヌ様。もしかして、エリカの手紙の代筆をなさいましたか」


 エリツクの問いに、マリエンヌは激しい反応を見せる。


 「はい。私が謀反人の娘として逃げている最中、エリカに拾われました。その時にエリカから貴方様へのお手紙を、口述筆記させていただきました。お気付き頂き、嬉しゅうございます」

 「やはり。通りでエリカにしては、良くできた手紙だなと思いましたよ。貴方の手によるものだったのですね」

 「はい。エリカが私に初めて与えた仕事です」

 

 マリエンヌ嬢は、実に嬉しそうに答えた。

 エリカの奴は人使いが荒いからな。容赦なく彼女に代筆を頼んだのだろう。

 内容の確認を終え、下書きをマリエンヌに返す。


 「問題ありません。このまま、お願いします」

 「承りました。ところで一つお尋ねいたしますが、ご領主様は領主の印章をお持ちでしょうか」

 「領主の印章? 」

 「はい。公文書に捺す印の事です。この返信は、ノルトビーンの取引を認める証文にもなりますので、印章を押す必要がございます」

 

 マリエンヌの指摘にエリックは慌てる。

 

 「持っていません。代官の印章はありましたが、領地を拝領した時に将軍閣下にお返ししました」

 「そうですか。ご領主様は騎士になられて日が浅いと伺っておりましたので、もしやと思いましたが」


 印章。そんなものが必要なのか。

 タナトス伯からの手紙を確認すると、文言の末尾に何かの神獣を描いた印が捺されている。

 これがタナトス伯の印章か。

 代官の時にも必要だったのだから、領主となった今は猶更だ。これはエリカにも伝えないと。あいつも持っていないだろう。


 「申し訳ない。早急に作ります」


 慌てるエリックに、マリエンヌは優しく応えた。


 「いえ。無ければ無いで構いません。こちらの書き方を変えるだけです。後ほどご領主様直筆の署名を頂くことにはなります。署名を以て印章の代わりにいたしましょう」

 「よろしいのですか」


 訊ねる声に心配の色が滲んでしまうが、マリエンヌ嬢の返答は明白であった。


 「はい。この程度のやり取りでしたら、問題はありません」

 「分かりました。それでお願いします」

 「はい。しばし、お待ちくださいませ」

 

 こうしてニースの公文書は、マリエンヌが取り扱う下地ができたのだった。



 マリエンヌ嬢が機嫌よく部屋から出ていくと、今度はロランが入ってきた。

 

 「若。今、よろしいですか」

 「ああ、構わない」

 「ハッティのところの次男坊が、家を建てたいと言っとります」

 「本当か。ロルフが家を」

 「はい」

 「それは、おめでとうだな」


 エリックの貌に、明るい笑みが広がる。


 家を建てる。

 これは王国においては、納税者になると同義である。

 王国の基本的な税は、各集落の戸口数と各家の総収入で決められていた。

 これは、課税側からすると、簡単に税が徴収できる仕組みではあるが、いろいろと問題の多い仕組みでもあった。

 戸口数で税が決められるという事は、極端な話し、六人家族の家と十二人家族の家とでは、耕す畑の大きさに違いが無ければ、課税もほぼ同じになるのだ。

 こうなると節税のため一つの家屋に、大人数の家族が暮らすことが、ニースに限らず王国では常態化していた。

 シンクレア家は例外的に、父ブレグが百人長にまで出世することができたから、一つの家で親子四人が暮らせていたのだ。


 一つの家に多くの家族。

 家屋の大きさにもよるだろうが、あまり居心地の良いものではない。

 家と畑を継げる長兄なら、まだ我慢も出来るだろう。しかし、継げない次男以下の兄弟たちは、居候としての長く苦しい生活が続くのだ。

 これが大きな畑や資産を保持している者なら、兄弟たちに分け与えることも出来よう。だが、ニースのように耕作地が限られた村では、下手に財産を分与すると、際限なく一戸当たりの収入が減っていく。

 これでは独り立ちしたくとも出来ない、難しい問題であった。


 そんな彼らを救ったのが、砂糖のギルドである。

 砂糖精製によりニースの経済活動が一気に活発化したため、次男以下の兄弟たちにも、独り立ちの余裕が出てきたのだ。

 領主のエリックとしても、課税対象が増えることは、自身の強化につながる。

 いや、そんな事よりも、狭い家を飛び出して、一人の男として独立できることは、同じ男としても喜ばしいことだ。

 何よりも、家を建てたいという者が増えるという事は、ニースの領民が豊かになってきている、何よりもの証であった。

 自身の栄達よりも、領民の生活を第一に考えたいエリックとしては、これほど充実感に包まれることは無い。


 「それで、土地の割り当てについての相談です」

 「ああ、いいだろう。それにしても増えたな。家を建てたい奴が。今年に入って何人目だ」

 「家臣にした連中を含めると、二十人近いですな」


 エリックが家臣にしたものは、長兄、次男坊関係なく、独立のための家を要請していた。

 元の家で暮らしているのは、先ほどのブノアぐらいのものだろう。

 彼は猟師という仕事柄、山奥に家を構えている。


 「結構なことだ。ただ、こうも増えると、土地の割り当てが難しいな。少し時間をくれと伝えてくれ」

 「はい」


 大して広いとは言えない村の中に、そう都合よく空き地があるわけでもない。新しく家を建てるためには、周りとの調整が必要であった。



                 続く



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