第127話 看板娘
「いいわよ」
アリシアの答えは簡潔だった。
「本当ですか。母上」
頼んだ側のエリックが聞き返す。
「ええ。そんなに忙しいのなら、私が手伝いましょう」
「アリシアさん。ありがとうございます。助かります」
よし。アリシアの言質を取った。
江莉香は心の中でガッツポーズを決めた。
「宿屋に酒場が付いているのね。懐かしいわ」
アリシアが遠い目をする。
懐かしい?
二人して首を傾げると、アリシアが昔話を始めた。
「私は若いころ、故郷の街の酒場で働いていたのよ」
「母上がですか」
「そうよ。料理を作って、運んで、お皿を洗って、酔っぱらい共の相手をして、大変だったけど楽しかったわ。お母さん看板娘だったのよ」
「母上が、酒場の看板娘・・・」
初めて聞いた話らしく、エリックが目に見えて狼狽える。
まあ、アリシアさんは顔立ちといい立ち居振る舞いといい、全体的に可愛らしい感じたから、男どもが寄ってきそう。納得。
「そのこで、お父さんと出会ったのよ」
「ええっ」
エリックがぽかんと口を開けた。
唐突に、エリックの両親のなれそめ話が始まった。
こ、これは私が聞いていい話なんやろか。
気配を消して。アリシアのお話を拝聴していると、どうやら若かりしエリックパパが、アリシアさんを口説き落としたらしい。
要するに酒場の看板娘をナンパしたって事よね。やるわね。
なんだか、エリックから聞いていた印象と随分違うわね。もっと真面目な堅物をイメージしてた。
アリシアの話に、エリックの顔がどんどん赤くなる。
うーん、息子としては、聞きたくない話かもしれへん。
そう言えば、私もお父さんとお母さんの、なれそめの話は聞いたことがない。あまり進んで聞きたいとも思わないかな。興味がないわけではないけど、聞いてはいけない気がしないでもない。
えぐい話になったら、私も受け止める自信がないわね。
暫くの間、アリシアの思い出話と言う、エリックにとっての精神的拷問劇が繰り広げられたが、とにかく宿屋の女将さんが決まって良かった良かった。
しかし、看板娘のアリシアさんといい、貴族令嬢のセシリアといい、高根の花を狙うのは親子そろって同じなのね。
妙な所が同じで、感心してしまった。
これって遺伝なのかな。
ひとまず最初に宿屋が完成した。
思ったより早い。
建物は、広場を囲むようにくの字型をしている。
外装に私の領地、モンテューニュ産のラジック石を使用したので、薄紅色で統一され、ポップな印象になっている。とても要塞の一部には見えなかった。
だが、城壁側の一階には、天井近くに明り取り用の細い窓があるだけで、人が出入りできるような開口部は無く、全ての出入りは広場側のみだ。
壁の厚みも、普通の家屋よりはるかに厚く、窓から腕を伸ばしても、外まで届かないだろう。
見た目は家壁だけど、実質的には城壁だ。
そのせいもあって、一階は昼間でも全体的に薄暗い。
二階は一階に比べると窓の数が多く、お日様の光が差し込むが、宿の窓というよりは、お城で見かける矢狭間のように、上下に細長くて狭い。ようにと言うか、矢狭間その物なんだけどね。緊急時になったら、ここから敵に向かって矢を射かける設計らしい。
はぁ、考えられているわね。
裏側から見ると、城壁というか倉庫と言うか、少なくとも宿屋には見えない。
代わりと言っては何だが、広場側は印象ががらりと変わる。一階の酒場は、開放的なオープンテラスに、二階の宿の部分も大きな窓に、バルコニー付きの洒落た作りになっていた。
こっちは南欧の、リゾートホテルを思わせる造りだ。
裏側のデザインはバルテンさんがして、表側のデザインは私がしたのよね。
今思えば、我儘言い過ぎたかな。
完成したと言っても、出来上がったのは外装だけで、内装はこれからだ。
特に二階は、区切りの無い大きな空間が一つあるだけだ。
その空間に、それまで教会に泊まっていた職人さんたちが、雑魚寝をする。
冬の冷気と、未完成の石造りの宿、控えめに言っても激寒だ。
そんな職人さんたちのために、村の蒸し風呂を開放した。
これが、職人さんたちに大好評。
仕事終わりに蒸し風呂で身体を温め、ロッシュと呼ばれるビールの親戚のような酒をひっかけて食事をする。心も体も温まり、リラックスした状態だと、寒さにも耐えれるようになった。
もともと、教会の部屋も寒かったらしい。質素だからね。
好評だったので急遽、宿に蒸し風呂の設備を追加してみた。
この世界には、気の利いた暖房器具などない。
暖を取ろうとすると竈の近くに居座るか、煙突からの放射熱にありつくか、もしくは、竈で熱した石を、温石として部屋に持ち込むぐらいだ。
宿屋の部屋を暖める、効果的な方法は思いつかなかった。部屋ごとに火種を用意すると、火事になるリスクが跳ね上がる。
一方、蒸し風呂なら、火の管理は一か所だけで楽だ。
仮に火事が起こったとしても、宿屋本体から離れた場所に建てれば延焼の心配は少ない。更に、蒸し風呂に入ると、小一時間は寒さが気にならなくなる。その間に布団にくるまってしまえばいい。
この、蒸し風呂のお陰で冬場でも、相当快適なホテルになるだろう。
うん。そうしよう。きっと、風呂上がりの一杯の効果もあって、酒場が更に繁盛する。
日本とは違い、敷地が、建蔽率が、とうるさくないこの世界。蒸し風呂の増設場所の確保は簡単だった。
問題点があったとしたなら、これを話したときに、エリックが少しだけ、眉をひそめただけだったもん。
そして、酒場の内装は、全てアリシアの指示に従った。
竈の大きさや、数、位置、食糧庫、調理場、客席、使われる食器や調理道具、全てだ。
それらが、アリシアの要望通りに整えられていく。
エリックも、私があれが欲しい、これが欲しいと言うと、渋ったり時には首を横に振ったりするが、アリシアが必要だと言うと一切口答えしない。
よく躾けられていることで。
アリシアの要望も、流石、元酒場の看板娘。細かい所まで徹底していた。
客に出す食器は全て木製。間違っても陶器は使わない。割れるし、喧嘩が起こると凶器になるかららしい。
な、なるほど。思いつかなかった。
調理道具にもこだわりがあるらしく、鍛冶屋のルッキネロさんに、特製の巨釜を注文したり、モリーニさんに命じて、オルレアーノから色々なものを取り寄せる。
その姿に頼もしさを覚えた。
サービス業は、経験者にしか分からないことが多いわよね。頼んでよかった。
アリシアの指導の下、酒場が完成する。
広い調理場に、厳重に管理された食糧庫。正に、アリシアの城と言った趣ね。
調理場が完成したら、やってみたいことがあったのよね。その為の材料も揃えてある。
「エリカ。こんなにたくさん、どうしたの」
酒場の調理場で、江莉香は漁師から貰ってきた小魚を、調理台の上にぶちまける。
「新しい料理を作ろうと思って、貰ってきました」
包丁を握った江莉香は、体長十五センチぐらいの、背中が青みがかった小魚を次々に開いていく。こちらに来てから、魚を捌く機会も多く、その動きは手馴れた物となっていた。
鱗を剥がし、頭を落として内臓を取り除き、背中を開いて骨を取り除く。
やっていることは、蒲鉾の下処理と大して変わりはない。
「随分と丁寧に捌くのね。これからどうするの。焼くの、それともスープに入れるのかしら」
アリシアが感心して見守る中、次々と魚の開きが完成する。
この魚は地元でテバリと呼ばれ、ニース近海で良く獲れる魚だ。焼いたり、煮たり、蒲鉾の材料となったりする。
「これはですね。ふっふっふ。ついにこの時が来たのよ。今までやりたくても出来なかったことが、出来るようになったのよ」
アリシアの質問に不敵な笑みで返した江莉香は、大鍋を火にかけ、その中にある液体を投入した。
鍋の中を見たアリシアがさらに驚く。
「エリカ。何をしているの。そんなにたくさんのザイト油。勿体ないでしょ」
「そうなんですよ。今まで勿体なくてできなかったことが、遂にできるんですよ。アリシア」
「なにをするつもり・・・まさか」
「はい。今からアジフライを作ります。正確にはテバリの天ぷらですけどね」
江莉香はアリシアに向かってVサインをして見せた。
「テバリを油で揚げるなんて。そんな贅沢、大丈夫なの」
「心配いりません。ザイト油は商会から安く融通してもらいました」
「だからといって」
大鍋に並々と注がれたザイト油の海を見て、アリシアが呆れる。
江莉香は開いたテバリの水分を布で拭きとると、全体に小麦粉をまぶしていく。
そして、ふるいをかけた小麦粉に水と卵を混ぜ合わせた。
「こんなもんかな」
大鍋の上に手をかざして、油の温度を確かめる。衣の種を数滴、油に落とすと、サッと上がってきた。
「OK ではでは、行きますよ」
テバリを衣の種にくぐらせ、どんどん、鍋の中に投入していった。
「なんてこと」
アリシアが、跳ね上がる油に恐怖を覚える。
ここからは、経験と直感で、揚がっているかどうかを見極める。
江莉香は老舗の天ぷら職人になりきって、テバリを睨みつけ、揚がったと感じるや否や箸でつかみ取る。
この箸は、木工が得意な村人に、無理を言って作ってもらったのもだ。
お箸とお玉があれば、九割の料理は作れる気がする。
江莉香は、テバリの天ぷらに箸を突き刺し、硬さを確かめた。
「よしよし、ちゃんと火は通ってるわね」
後は、油をきったら完成。皿の上にテバリの天ぷらを並べ、上から塩を振りかけアリシアに差し出す。
「どうぞ。熱いですから気を付けて下さい」
「ええ」
おっかなびっくり、アリシアがテバリの天ぷらを口に含む。
江莉香も口の中に放り込んだ。
「アッツ」
言った傍から、自分が火傷しそうになる。
口をハフハフさせて冷ますと、テバリの白身と油が口の中一杯に広がる。
ザイト油の独特のハーブのような風味が加わってはいるが、一年ぶりに口にした白身のフライは、脳がしびれるほどに美味しく感じた。
「うん。美味しい。やっぱり揚げ物は最強よね。これはロッシュに合う」
これは、お酒のお供に最高。みんなに受けるわ。確信。
「どうですか。アリシア」
真剣な面持ちで咀嚼しているアリシアに声を掛ける。
「何と言えばいいのかしら。凄い味ね」
「そうでしょ。美味しいでしょ。これを酒場の目玉にしたらいいんじゃないかと思って」
「この、揚げ物料理を店で出すの」
「はい。テバリは海でたくさん獲れるし、油も確保したから、看板料理になると思います」
「そ、そうね。でも、値段が高くなるわよ」
比較的安く融通してもらったとは言え、大量のザイト油を使う料理だ。流石にリーズナブルとはいかない。
「大丈夫。一度この味を覚えたら、無理してでも食べたくなりますって。普段食べられないからこそ、憧れは強くなるってもんです」
江莉香は、鼻歌を歌いながら、残りのテバリを天ぷらにして、エリック達や、仕事を終えた職人たちに振舞った。案の定、彼らからは大好評を博し、その勢いで、テバリノ天ぷらは酒場の看板メニューに決まった。
続く
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