第125話 ニースの守り
騎士に叙任されてからのエリックとエリカの一日は、慌ただし。
朝起きて朝食と礼拝を終えると、誰かしら面会の希望者が訪れる。
それは、砂糖を売ってほしいどこかの商会の交渉役であったり、二人に仕官を求める武芸者であったり、教会の関係者であったりと様々だ。
そして、ギルドも徐々にではあるが大きくなり、会議をするとシンクレア家の執務室には七、八人の人間が詰め掛ける。
シンクレア家はニースの中で最も大きな家ではあるが、押し掛ける訪問者と、ギルドの人間で常に慌ただしい。
「はぁ。落ち着かないわね」
訪問者の相手を終えたエリカが、うんざりした様子で頭を掻いた。
「そうだな」
答えるエリックの横を、洗濯物を抱えたゼネイラが小走りに通り抜ける。
エリカも騎士に叙任されたからには、今までの様に女中をするわけにもいかず、家の中の細々とした家事は、彼女と娘のネノヴィアに任されることとなった。
今のシンクレア家では、常に十人近い人間が動いている。
落ち着かないのも無理はない。
「エリック様。新しくお屋敷を立てましょう」
昼食後、領主としてメッシーナ神父から教会の増築に入るとの報告を聞き終わると、バルテンが口を開いた。
皆の視線が、バルテンに集まる。
将軍閣下の推薦で家臣となったバルテンの扱いは、未だ決めかねているが、年齢と実績を鑑みると、彼がシンクレア家の家臣筆頭格になるだろう。
仕えてくれている年月ではロランが一番だが、引退したとはいえ百人長を務めたバルテンに、ロランは終始、丁寧に接する。
一度、軍団兵になってしまえば、引退したと言えどもその序列は絶対だ。
必ずロランから先に挨拶をし、バルテンがそれを受けるのが日常となっていた。
騎士に成っていなければ、俺もそうしただろう。
同じ百人長と言えども、経験と実績が違い過ぎる。
「ニースは新しく騎士領となりました。それを周囲に知らしめるためにも、お住まいを新しくいたしましょう」
「この家を増築するのか。確かに手狭になってきたからな」
エリックは、すっかり狭く感じるようになった書斎を見回した。
昔は一人でこの机の上に魔導士の書を広げて、読めもしない神聖語と不思議な絵を見て楽しんでいたのだが、エリカがやって来て、ギルドが設立され、騎士となり家臣が増えた今は窮屈に感じる。
エリックの言葉にバルテンは頭を振った。
「いえ、増築よりも、新しくお作りになった方がよろしいでしょう。騎士の方は領地の防衛も兼ねて、攻められにくい館を構えます。中には山の上に城塞を構える騎士もおられます」
「城塞・・・」
それはエリックにとって、甘美な響きであった。
男として生まれたからには、城の主という言葉には抗いがたい魅力を感じる。
ランドリッツェの砦のような立派な城塞に、セシリアを迎える。
その未来に思いを馳せ、小さく身震いした。
エリックは、自らを飾り立てるための屋敷には興味はないが、セシリアと暮らすに相応しい屋敷に関しては、大いに興味がある。
見る人が褒めたたえるような屋敷を空想した。
堅固な城塞もいいが、セシリアにより相応しい屋敷は、王都エンデュミオンで見た、光り輝くような王宮や、荘厳な神殿教会のような物かもしれない。
あれほどの宮殿ではなくとも、それを模した屋敷を建ててみたい。
そして、今のエリックは、それを空想のままで終わらせない力を持った立場となったのだ。
夢見心地のエリックの姿勢は、自然と前のめりになる。
主の興味を引いたことを確信したバルテンは、さらに話を続ける。
「教会の増築が始まるのでしたら、お屋敷も同時に建設すれば、職人や資材の調達の手間と値段が大幅に減らせるでしょう。また、ニースの者たちも冬の間は手が空いている者も多いでしょう。領民を無理なく建設に参加させることもできます」
「なるほど。今から、建設に入れば、春の種まきまでの間は村人が手伝ってくれるという事か」
「はい。冬の間仕事の少ない領民も、手間賃が入れば喜んで手伝うでしょう」
流石、代官の経験が豊富なだけあり、人の使い方に無駄がない。バルテンから学ぶことは多そうだ。
「そうだな。この家も手狭になった。母上やレイナもこうも人の出入りが激しいと、落ち着かないだろう。いい機会か」
乗り気になったが、ある事に気が付いた。
それは、資金だ。先立つものが無ければ煉瓦一つ買うことが出来ない。
「いい案だとは思うが、金がない。屋敷は当分お預けだ」
屋敷を建てるのに幾らかかるのか想像もできないが、手持ちの資金では到底足りない事だけは確実だ。
だが、バルテンはその辺りも考えての発言であった。
「資金の問題は確かにありますが、この春の租税を建設に当てに出来るでしょう」
「ああ、そうか。今年からニースの税は私が使えるのか」
バルテンの言葉に前が開けたような気分になる。
この春の租税から、半分以上がエリックの取り分となるのだ。そこにギルドが収める税の一部も、ニースに入るのだ。
それなりの額が見込めるだろう。
「はい。それを使いお屋敷をお建てに成ればよろしいかと」
バルテンの言葉に続きロランが同意した。
「バルテン殿仰る通りですな。シンクレア家も代官所として手狭になりました。それに以前に比べニースは豊かになりました。その噂は遠くまで響いているでしょう。ニースの豊かさを狙って賊が襲ってこないとも限りません。いざとゆう時の守りの為にも屋敷が必要でしょう」
ロランの同意に意を強くしたバルテンが、更に言葉を連ねた。
「屋敷の壁は高くし、可能であれば水を張った堀を張り巡らせば、容易に近寄ることもできません。山の上の城塞が最も守りに適しておりますが、流石に資金が足りません。ただ、将来の事を考えると、それも選択肢の一つです」
ギルドのお陰でニースは豊かになりつつあるが、それを狙った者たちがいつ現れるか分からない。屋敷はそのような不届き者たちを防ぐためにも必要か。
「よし、それなら、屋敷を建てよう」
エリックは浮き立つ心を押さえつつ決断した。
「反対」
すぐ隣からの一言に、書斎の空気が凍り付いた。
領主となったエリックに、遠慮なくこんな台詞が言える人間は、今のニースには一人しかいない。
エリックは困惑してエリカを見つめた。
「なぜだ。エリカも今の家は落ち着かないと言っていたじゃないか」
「ああ、誤解しないでね。お屋敷を建てるのに反対しているんじゃなくて。えっとね。順番が違うかな」
「順番。何の順番だ」
「建てる順番よ。バルテンさんとロランの言う事はもっともだし、変な人たちがニースに来ても、安全に追っ払える屋敷は必要だと思うわよ。でも、それより先に建てなきゃならないものがあるわよ。えっと、どこにやったかな」
エリカは立ち上がり、書斎をキョロキョロと見回す。
「何を探しているんだ」
「地図よ。地図。前に描いたやつは何処」
「地図? 」
「ああ、あった、あった」
エリカは書斎の片隅に立てかけてあった、大きな板を持ち上げ机の上に置いた。
皆が立ち上がり机の前に集まる。
その板には、ドーリア商会が港を建設したいと言っていた時に、エリカと二人で描いた将来のニースの姿があった。
「これ、覚えているでしょ」
「覚えている。俺が描いたからな。確かに屋敷を建てるとかは話していなかったか」
その板には、どこにもエリックの屋敷は描かれていなかった。
当初の計画には、エリックの屋敷は含まれていない。
「まず、今から教会を増築するでしょ。神父様。増築中は教会は使えますか」
エリカの質問にメッシーナ神父がほほ笑む。
「はい。日々の祈りの妨げにならぬように配慮いたします。礼拝は今まで通りできますよ」
「宿はどうです」
「宿ですか」
予期せぬ追い打ちに神父が口ごもった。
「教会が増築に入ったら、宿を貸すのが難しくなりますよね。修道士の人も居る訳ですから」
「そうですね。今のようにはお貸しできないかもしれません」
「そうなったら、ニースに来た人が困るでしょ。最近はただでさえ、訪れる人が増えているのに、増築の職人さんまで来たら。みんなどこに泊まればいいのよ」
エリカの指摘にバルテンが応える。
「それは、村の者に宿を貸すように、申し付ければよろしいのではありませんか」
「二、三日ならそれでもいいですけど、増築には時間が掛かるから、それより先に、ニースに来る人の宿泊先を作るべきよ」
「オルレアーノに有るような宿屋をか」
街でよく見かける、一階を酒場にした宿を思い浮かべる。
「そう。それよ」
エリカは指を鳴らして乾いた音を立てた。
どうやったんだそれは。
「教会の増築と一緒に宿屋を作って、いや、出来たら先に作った方がいいかな。ともかくニースに来る人が泊まれる場所を確保するのよ。で、次がギルドの本部。当分はそこが代官所を兼ねるのよ。本部が出来たら、ここで会議もしなくていいし、訪ねてくる人もそっちに来るでしょ。それが終わったら屋敷でも何でも作ればいいと思うわよ。でも、最初は宿屋。次が教会と代官所兼ギルド本部。最後にお屋敷よ。この順番は変えない方がいいと思う。いつ来るか分からない山賊よりも、確実にやって来る人たちの対応が先だと思うのだけど。どうかな」
エリカが語り終わった後、誰も口を開かなかった。
確かに、ギルド本部を作り、そちらで執務を行えば家は落ち着くか。
この慌ただしさは、家と代官所とギルドの本部が、一緒くたになっているのが原因だ。
「それに、屋敷で守るっていのも、なんか気に入らない」
エリカの言葉に、エリックは身構える。
「どういう事だ。なら、何で守る」
エリカの気に入らないという発言は、他の人の言葉よりも頑なな意味を持っていることを、経験上知っているからだ。
「だって、お屋敷で守るって事は、お屋敷とその近くに住んでいる人しか守れないじゃない。ニースのみんなが逃げ込める大きさの屋敷なんて作れないし。山賊が襲撃して来た時に、守れる人と、見捨ても人に分かれるわ。それが気に食わない」
エリカの言いたいことは理解した。
俺もエリカの言う通り、ニースの者たちを、守れるものと守れないものを分けたくはない。
「お屋敷以外にニース守る方法は無いの。全員とまでは行かなくても、出来るだけたくさんの人を守る方法よ」
「ニース全体を守るのであれば、村全体を囲む城壁を築くのが一番だが」
とりあえず思いついたことを口にする。
「完成に何年かかるのよ。それ」
「そうだな。見当もつかない」
村を囲む城壁など、何年もかかる作業になる。
しかし、屋敷で守るという事にしてしまうと、下手をすると屋敷に住んでいる者だけが助かる結果になりかねない。
領民を見捨てて、自分だけ助かった騎士エリック。
これほど騎士として不名誉な呼び名があるだろうか。そんな後ろ指を指されるぐらいなら、盗賊と正面から戦い、斬り死にした方がましだ。
つまりこの場合、屋敷は無用の長物となり下がる。
「城壁以外の簡単な方法でニースを守る方法か」
「そうそう。ないなら。お屋敷で守るしかないけど」
議論を続ける中で、エリカは要求の水準を下げたが、エリックの心中では、ニースを屋敷だけで防衛する案は消え去った。
「この地図は、エリック様がお作りになられたのですか」
それまで、二人の議論を黙って聞いていたバルテンが声を上げた。
議論の間、バルテンはエリカが置いた地図を無言で睨みつけていた。エリックを見つめる視線は険しいままだ。
「ああ、先の戦役前にエリカと二人で描いたものだ」
自らの意見を退けられるようなエリカの発言に、腹を立てているように見えた。
バルテンは再び地図に視線を落とし、エリックの書いた線を指さした。
「この線は道ですな。この先がオルレアーノに続くと」
「そうだ。海岸のここに、港を作る作らないの話をしていたんだ」
「なるほど」
前にもジュリオ殿を相手に、似たような話をしていたな。
「お屋敷以外でニースを守る方法ですか・・・・・・失礼ながら、上から描き足してよろしいですか」
バルテンは机の上の炭を手にした。
「ああ、構わない」
エリックの返事と同時に、バルテンは地図の上に素早く何かを描き込んでいく。
何をしているんだと、皆で覗き込む。
エリックの描いた地図の上に、力強く新しい炭の線が増えていく。
「出来ました」
バルテンが描き終えると、広場を中心にいくつかの建物が配置されている。
これだけでは描かれたものが、何かよく分からなかった。
「説明してくれ」
「はい。まず、ここが教会です。広場を挟んで宿、ギルド。そして、ここにお屋敷を建てれば。広場を中心に、簡単な砦になります」
「砦。どういうことだ」
バルテンの言いたいことが分からない。なぜ、教会と宿、そしてギルドが砦になるんだ。
「教会、ギルド、宿、お屋敷の壁を連ね。簡単な城壁とするのです。広場の入り口に櫓を付けた門を建てれば砦になるでしょう。何かあれば、村の者たちは広場に逃げ込めばよいのです。これだけで、守りは強くなり、多くの領民を守れるでしょう」
エリックはその形に見覚えがあった。
「まるで、軍団の陣営地を小さくしたような作りだな」
「おっしゃる通り、これは、陣営地の作りと同じです」
「ニースを陣営地にするのか。確かに守りが強くなるな」
「はい。お屋敷一つで守るよりも、守りやすいかと」
バルテンの説明にエリカが感心したように声を上げた。
「ふーん。他の建物も使って全体でお城にするんだ。面白いアイデアね。この造りをどんどん、外に増やして行ったら、村全体が一つのお城になるのか。なんだかオルレアーノみたい」
「確かに、オルレアーノに似ているな」
広場を中心に放射状に街が広がっていく。言われてみれば確かにオルレアーノだ。
「いかがでしょうか。時間と資金は掛かりますが、よい町になるでしょう」
バルテンはエリカに挑むように向き直る。
「これは賛成。都市開発に時間とお金がかかるのは覚悟してるから、大丈夫よ」
バルテンは自身に向かって突き出された、エリカの親指を見て表情を和らげた。
よし。エリカが賛同した。後は。
「メッシーナ神父はいかがでしょう。教会が砦の一部となってしまいますが」
「勿論構いません。教会は神々と子羊たちのための家なのです。村の者たちの役に立つことこそ本懐。教会の設計も見直しましょう」
問題なく了承してくれた。
「ありがとうございます。では、村の広場を中心に陣営地を見習って、宿、ギルド本部。最後に屋敷を建てることにする」
エリックの宣言に、エリカ以外の全員が頭を下げた。
後に、用途の違う複数の建物を統合して、一つの構造物として扱う建築様式の事を、ニース様式と呼ばれることとなった。
ニース様式は後世、建築史の中で一つのターニングポイントとして語られることとなる。
それは、この会議でバルテンが、提案した建設様式が元になっていた。
続く
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