第30話 奴隷
酒屋で管を巻いていた村人たちを宿に叩き込んだ次の日。
いよいよ、新商品の蒲鉾のお披露目がやって来た。
蒲鉾を売るにあたってエリカから一つの注意を受けていた。
「エリック。今回は蒲鉾売れなくていいから。と言うかたぶん売れないから」
「どうしてだ。前よりも味も形も良くなったじゃないか。どうして売れないんだ」
エリカの言い分に首をかしげる。
「そりゃ、あなたは何度か食べたから、抵抗ないでしょうけど、オルレアーノの人たちは初めて見るんだから。何がなんだかわからない食べ物、売れるわけないでしょうが」
「なら。どうするんだ。こんなにたくさん作ったんだぞ」
荷台に積み上げられた木箱には、詰め込めるだけ詰め込んだ蒲鉾が入っている。
「ちゃんと、考えてるわよ。今回は採算度外視。サービスタイムよ。私のマーケティング戦略にひれ伏しなさい」
「後ろ半分何言っているかわからない。神聖語を混ぜるな。俺にもわかる言葉で頼む」
「いいから。市が開いたらね・・・・・・」
「エリック様。よろしいんですかい」
売り子を任せた村人が心配げに顔色を窺う。
「ああ。やってくれ。エリカが言うには20本も売れたら成功らしいからな」
「それじゃぁ、始めますよ」
村人はよく通る声で道行く人に声をかけ始めた。
「さあさあ。皆の衆。ニースの新しい魚料理だ。食べて行ってくれ。なに。お代はいらねぇ。気に入ったのなら買ってくれればいい。まずは食べてみてくれ」
小枝を削った小さな串に、切った蒲鉾を突き刺して道行く人々にタダで配り始めた。
「食ってみてくれ。ああ。金は要らねぇ。ニースの新しい魚料理でカマボコって言うんだ。今日が初なんだ。うまいぞ。さぁ。そこの兄ちゃんも食ってくれ。心配すんな。魚のハムみたいなもんだ」
タダで食べられると言うことであっという間に人が集まる。
人だかりができると後は芋づる式に人が増えていく。ちょっとしたお祭り騒ぎとなった。
「みんな。カマボコを切らすなよ」
店の後ろでは他の村人たちが蒲鉾をナイフで切り分けていた。
後から後から人がやってきて蒲鉾を口にしていく。
食べたものは、まず首をかしげる。
なるほど。初めて食べるときはそんなものか。これは、普通に売っていたら大量に売れ残っただろうな。
だが、たまに美味しいという反応を返すものがいた。
ああ。やっぱり美味しいと思う者もある程度は居るのか。
しかし、美味しいと反応したものも、蒲鉾の値段を見るとなかなか手が出ないらしい。塩漬けの魚に比べれば安いが、干物よりは高いからな。
干物はいつものように売れていく。石鹸は一瞬でなくなった。
「もう一回ください」
どこかの女中が、一つ目を食べた後、考え込むと二つ目を要求した。
「ねぇさん。すまないが一人一個と決めてるんだ」
「いや。構わない。もう一つ食べてもらえ」
断りを入れる村人にエリックは許可を出した。
考えているということは買う可能性もあるかもしれない。どの道、余ってしまうだろうからケチケチしても始まらん。
「ありがとうございます」
食べた後、またもや考え込む女中。
「これは、どれぐらい持ちますか」
「持つって何だい。ああ。いつまで食えるかってことか。10日は日持ちするぜ。冷えた場所にしまっておけばもっと持つ」
「そうですか。20本ください」
「何だって」
予想外の言葉に村人は聞き返した。
「だから、このカマボコでしたっけ。20本ください」
「おっ、応。毎度あり」
女中は財布から銀貨を取り出す。
戸惑いながら振り返る村人に、エリックは積まれていた蒲鉾を20本手渡してやる。
エリカ。いきなり20本売れてしまったぞ。どうなっているんだ。
「あなたが初めてのお客ですよ。20本も買ってくれるとは、ありがとう」
エリックは大口のお客に礼を言った。
「いえいえ。うちのお屋敷である昼食会に出そうと思いまして、旦那様は珍しい食べ物が好きですから。喜ぶでしょう」
そう言って女中は籠いっぱいの蒲鉾を買っていった。
不思議なもので一度売れると、ぽつりぽつりと蒲鉾を求める人たちが現れる。
江莉香の予想に反して蒲鉾はすんなりとオルレアーノの市民に受け入れられ、市が終わる前にほとんど売れてしまった。
「凄いじゃねぇですか。カマボコ。こんなに売れるとはねぇ」
「半分はタダで配っちまったが、こんなに儲かったのは初めてですぜ」
村人の一人がお代を入れた箱を振ってみせる。中には普段見かけない銀貨も数枚入っている。
「みんな。ご苦労。帰り支度をしてくれ。俺は市を見回って必要なものを買いだしてくる」
「わかりやした」
必要なのは布地と鉄、他には葡萄酒も買っていかないとな。最近安定して鉄が買えるから村の農具が充実してきた。ビーンの畑用にもう少し買っていこう。
エリックは一人市場を巡ると、人だかりができている一角があった。
「さあ。みんな。見て行ってくれ。今回も生きのいいのを揃えたぞ」
鞭を持った男が台の上に立ち聴衆に呼び掛けている。
「まずは、こいつだ。若いし身体つきもいいから、よく働くぞ。3アスでどうだ」
台の上に男が引き出される。
粗末な衣服に腕には木枠が嵌められていた。
「ああ。奴隷市か」
エリックは足を止めて眺める。たまにだが、オルレアーノの市にも奴隷市が立つ。
農場や家庭内で使う奴隷を求める者が多く、賑わっていた。今のところニースの村には奴隷がいない。奴隷を買う余裕のある家が少ないからだ。
奴隷市は基本、競りの形式で行われる。
ほしいと判断したものが複数いれば、値はどんどん上がっていく。
よい値段になるのは若くて働き盛りの男だ。職人の技能を持つものはさらに高い。逆に安いのは年寄りや子供。そして、一番高いのは年頃の美しい女。美しければ美しいほど高値になっていくから、金貨が何枚あっても足りないこともあるらしい。
次々と売れていく奴隷たちを眺めていると、良いことを思いついた。
「そうだ。奴隷に開墾させればいいじゃないか」
農繁期のため、どの家も忙しくて新しい畑の開墾までは手が回らないが、奴隷ならすぐに開墾に使える。エリカも喜ぶだろう。
エリックは競りに参加すべく輪の中に入っていった。
「よし。次だ。こいつは捕まえるのに苦労した。北の蛮族の中でも特に凶暴な奴だ」
台の上に金髪の大男が引き出される。背丈は見上げるばかりで両肩は筋肉に覆われている。腕や足には刀傷が無数にあり、歴戦の戦士のような男だった。
「見ての通りいい身体つきをしているだろう。こいつなら片手で熊も一捻りだ。200アスから始めよう」
銀貨200枚と、かなり高額な競り値が提示された。
確かにその価値がある身体つきだ。しかし、奴隷商の威勢のいい声に応えるものはいなかった。
それはそうだろう。軍団兵一人の年間収入に近い額だ。そう簡単に入札できない。
「おいおい。どうした皆の衆。こんな出物はそうそうないんだぞ」
誰も値を付けないことに、奴隷商は困ったように笑う。
「そんな大男。奴隷として使えねぇよ」
「そうだな。いつ、こっちがやられるか分かったもんじゃねぇ」
客たちは笑いながら奴隷商に言葉を投げる。
確かに、暴れられたら取り押さえるもの一苦労だ。下手をすれば人死にが出かねない。
「情けないことを言うなよ。皆の衆。ちゃんと鎖でつないでいたら大丈夫だ」
「うちは、奴隷を鎖でつないだりしねぇよ。そんなことしたら使いもんにならないだろうが」
「鎖でつなぐなら鉱山奴隷にでもしちまいな。そんな大男が入れる坑道があればだがな」
「軍団で買ってもらえよ。まぁ。後ろから刺される覚悟がいるか」
客たちは面白がって笑いながら野次を飛ばす。
「オルレアーノの市民は腰抜けかい。こんなもん鞭の一振りで何とでもなるぞ。おい。しゃがめ」
奴隷商は男の足元に鞭を一打ち。
だが、男はそれに動ぜず。奴隷商を睨み返した。
「なんだ、その態度は。しゃがめ」
今度は棒で足の関節を打った。
たまらず男は崩れこむ。しかし、瞳の色は衰えない。男の頭の中では奴隷商は八つ裂きにされていることが見て取れた。
「ほら。大人しいもんだ」
奴隷商は聴衆に示してみせるが、男の怒気にみな及び腰だ。
これは、あの男を買うものはいないな。気を抜いたら後先考えずに襲い掛かってきそうだ。危険な猛獣を買う者はいないだろう。だが、あの身体つき大したものだな。
よし。
「100アスなら買おう」
エリックは手を上げた。
「いやいや。兄さん。100アスはねぇよ」
奴隷商は苦笑いを浮かべる。
「そうか。でも、今日は200アスでは売れないぞ」
「別に今日売る必要はないからな」
「王都まで連れていけばいい値で売れるだろうがな」
「そうだぜ。兄さん解ってるじゃないか」
「でも、王都まで連れていくもの手間だな。この前、船で王都まで行ったが船賃で3アスもかかったよ。奴隷は安くなるのかい」
エリックの言葉に、奴隷商は黙り込んでしまった。
「王都まで連れて行って売れなかったら大損だぞ。ここで私に100アスで売れば儲けは出るだろう」
「冗談じゃねぇよ。兄さん。こいつは手に入れるのに苦労したんだ。100アスじゃ。割に合わないさ」
「売れないものに苦労しても、意味ないんじゃないか。でも、確かにいい身体だ。熊を一捻りできる男はそうは居ないな。少なくとも私には無理だ」
「そうだせ。兄さん。こいつの価値がわかってくれたかい」
「わかったよ。なかなか、凶暴な男だね」
エリックはほほ笑むと周りから笑い声が上がる。
「奴隷商さんよ。もっと大人しいのはいないのか」
「使う前に、こっちが縊り殺されちまうよ」
さらに野次が飛んでくるのを見て奴隷商は男を売るのを諦めてしまった。
「ええい。お前はもういい。次だ次。次の奴を連れてこい」
奴隷商は男を台から降ろすと次の商品を持ってきたのでエリックはその場を離れた。
市が終わり商人たちが片付けを始める頃。エリックは再び奴隷商の前に顔を出した。
「やあ」
「なんだい。兄さん。競りは終わったぞ」
奴隷商は不機嫌そうに答える。
「さっきは、すまなかった。悪気はなかったんだが。ついな」
「何度も言うが、100アスでは売れないぞ」
奴隷商の視線の先には檻に入れられた男がいた。
「わかっているよ。でも、次の市までは売れないな。次はどこに行くんだ」
「ベネーシュの市で売るさ」
「ベネーシュか。オルレアーノと同じぐらいの大きな街だ。移動には2週間はかかる」
「何が言いたいんだ。兄さん」
「いや。あの体を維持するためには、食費もかかるだろうなと思ってな。私も軍団兵の端くれだがあんな立派な身体をした軍団兵は見たことが無い。肉をたくさん食べていたんだろうな」
エリックの言葉に奴隷商はため息をついた。
「150アスだ。それなら兄さんに売ってやるよ」
「120アス」
「駄目だ」
「でも、身体がしぼんだら安くなるんじゃないか」
「わかった。わかったよ。俺の負けだよ兄さん。140アス。これ以下は駄目だ」
「よし。140アスだな。買うよ」
エリックが手を差し出すと、奴隷商は渋々と言った態で握手した。
エリックの前に男が引き出される。間近で見ると見上げる格好となり、自分より頭二つ分上に大きく横幅も二人分ありそうだ。
「言葉はわかるか」
エリックの問いかけに男は微動だにしない。
刺すような視線を向けるだけだ。
これは中々難しいぞと覚悟を決めた時、男の背後から何かの叫び声が聞こえた。
振り返った男の視線の先には二人の子供がいた。二人とも檻の中から手を出して泣きながら男に向かって何か呼び掛けていた。
「あれは」
「この、男の子供だろう。いつも一緒にいたからな」
エリックは奴隷商に問うと、想像通りの答えが返ってくる。
「そうか。子供も売れなかったのか」
「まあな。小さい奴隷はなかなか売れない」
「いくらだ」
「あの子供の値段か」
「そうだよ」
奴隷商はしばらく考えて。
「二人で10アスだ」
「買おう」
エリックは即答した。
「慈悲深いこって。兄さん。奴隷を甘やかすと痛い目にあうぞ。気を付けな」
「甘やかしているつもりはないんだが、家族は一緒の方がいいだろう。そうだ、母親はどうした」
「そっちは他の奴に売れたよ」
「売れてしまったか。誰に売ったんだ」
「聞いてどうするんだい」
「いや。出来れば譲ってもらおうと思ってな。そうすれば、この男も大人しくなるかもしれないだろう」
「そういう事か、確か母親の方はまだ受け取りに来てねぇ。後は持ち主と勝手に交渉してくれ」
子供たちを檻から出すと、走って男にしがみついた。
エリックは母親が入れられた檻の前で買い主を待ち、受け取りに来た持ち主と交渉すると、卸値の倍額で話をつけることに成功した。それでも父親の半分以下の価格だった。
カマボコの売り上げどろこか、代官としての俸禄の半分が吹き飛んでしまったな。
念のためと、銀貨をたくさん持ってきて正解だった。
それでも、これだけ屈強な男なら、悪い買い物ではないだろう。砂糖作りに成功すれば一瞬で返って来る額だ。
エリックは奴隷商の下働きの小僧に駄賃を渡し、村人たちを呼ぶことにした。
檻の前で木箱に腰かけて、ぼんやりと通りを眺めていると。
「礼を言う」
急に男が言葉を発した。
エリックは立ち上がり男の方を向く。
男には念のため手かせと足かせをしている。母親と子供の方にはいらないだろう。子供たちは必死に母親にしがみついている。泣き止んでくれたらそれでいい。
「なんだ。言葉が通じたのか。礼は要らないから村で開墾を手伝ってくれ。その身体なら岩とかも動かせるだろう」
「いいだろう」
村人たちが馬車を引いてやって来るのが見える。さて、なんと説明しようかな。
エリックはゆっくりと背伸びをした。
続く
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