第20話   力無き者

 月下の庭でセシリアに誓いを立てたエリックは自分の寝床で寝返りを打つ。

 目が冴えて全く眠くならない。

 目を閉じても先ほどの出来事が脳裏をよぎる。

 これまでも漠然と功績を立てて成り上がろうと考えていたが、誓いにより明確な目標ができた。

 なんとしてもセシリアを迎えに行く。そんな崇高な目的だ。しかし、いったい時間はどれ程あるのだろうか。セシリアが学園を卒業する二年後か。いやそれは考えが甘過ぎる。卒業前に有力者の子弟と婚約してしまうと考えるのが現実的だ。そうなると一年か。たった一年で将軍なり若殿なりを唸らせるような成果を上げなくてはならない。


 なんだ。何ができる。

 エリカのお蔭で村は自給自足の態勢から一歩踏み出した。海産物の取引を続けていけば、いずれ目に見える形となって現れるだろう。だがそれは自分の力ではない。エリカと魔導士の書の力だ。自分は手伝っただけだ。

 そして、セシリアにはエリカを利用しないと約束した。

 しかし現実には、エリカの助けがなければ魔導士の書すら読み解けない。内容が解らなければ知識の宝庫も宝の持ち腐れだ。

 神聖語を勉強すべきか。だがそれも学ぶとすればエリカからしかできない。メッシーナ神父も神聖語は理解できるが、魔導士の書は高等神聖語で書かれている。神父も読めない言語なのだ。


 「何て。無力なんだ。俺は」


 エリックは眠るのを諦めて寝台から起き上がる。

 心臓の鼓動が早くなる。焦りだ。目標が明確になったからこそ、そこへの道のりの遠さに愕然とする。いてもたってもいられず立ち上がり部屋を歩く。


 「一年。一年でたどり着けるか。いや。たどり着くしかない」


 しかし、どうやって。ニースの代官の任期は7年などと悠長なことを考えていた自分を殴りたい。


 「エリカの力を利用しないで、村を豊かにする方法。そんなものあるか。今の俺に。武勇もない知識もないんだぞ。あるものは何だ」


 右手の拳を左手の平に何度も打ち付ける。

 どれぐらいそうしていたのだろう。隣の寝台で影が動いた。


 「どうかしましたか」


 呟きが大きかったのか、それとも動き回る音に気が付いたのかエミールが目を覚ました。


 「いや。何でもない。起こしてすまなかった」

 「かまいませんよ」


 エミールは枕元の水瓶から水を飲んだ。


 「はぁ。もうそろそろ朝ですね。おはようございます」


 閉められた木戸からぼんやりと光が漏れている。


 「ああ。おはよう」


 どうやら今夜は眠りそこなったようだ。眠気など全く感じないので不満はないが。


 「どうしました。エリック様」


 様子が変なことが伝わったのかエミールが尋ねる。


 「何でもない。少し眠れなかっただけだ」


 今の自分の葛藤は誰にも言えない。


 「若殿から何か言われましたか」

 「若殿に? いや、何も言われていない」


 若殿の興味はエリカの魔法の力の有無についてだけだ。何かを言われることはない。


 「ここにきて一週間近くになる。こんなに長居するつもりはなかった。そろそろニースに帰らないとな」


 エリックは話題を変えた。


 「そうですね。自分も村が恋しくなりましたよ。王都は賑やかでいいんですが、田舎暮らしの自分は圧倒されますから」


 エミールは大きく伸びをした。


 「王都の道は覚えたか」

 「はい。ご命令通り毎日違う場所を巡りましたから」


 エミールは朝などのエリカが外出しない時には王都を歩き土地勘を鍛えていた。


 「これなら。エリカ様も喜んでくれるでしょう」


 エミールは引き出しから茶色の塊を取り出した。


 「なんだそれは」

 「これはですね、王都で売られているあらゆる商品の値段を書いたものです」


 エミールはボロ布から作られた原始的な紙の束を振って見せた。


 「物の値段。エリカがそれを? 」

 「はい。何が高くて、何が安いか知りたいそうです。食べ物に雑貨、銅やレンガ。王都で売っている物の値段を手当たり次第に調べておきましたよ。村に帰ってから何に力を入れるか考えるときの材料にするそうです。やはりあの方は凄い人ですね」

 「見せてくれ」

 「どうぞ」


 エリックは受け取った紙に目を通す。

 およそ市場で売られている商品が、その日ごとの値段の変動と共に書かれている。


 「お前一人で作ったのか」

 「はい。大変でしたよ。買いもしないのに値段を聞いて回るのは。昨日は顔を覚えられて、また来たって感じでしたよ。商会の回し者に間違えられたりして」

 「そうか」


 エリックはエミールの話の半分も聞こえていなかった。

 手が震える。

 そうだ。これしかない。この方法しか。今の無力で無能な自分にできる方法。なりふり構っていられる身分ではないのだ。

 エリックは己の浅ましさにめまいを覚えた。

 


 江莉香は朝食を終えて一息ついていた。

 いつもならここらあたりでコルネリアが訪ねてくるのだが今日は気配がない。やはり昨日の発言が不味かったか。


 「魔法不要論みたいな話になっちゃったかな。怒ってるかな」


 考え込みながら屋敷の回廊を歩いているとエリックがやって来た。


 「エリカ。少しいいか」

 「エリック。怖い顔して、どうしたの」


 なぜか殺気立っているような気がする。しもうたセシリアも怒らせてしまったか。やばい。エリックはお嬢様一筋だから代りに怒りに来たのかもしれない。

 江莉香はびびって後ずさる。


 「話したいことがあるんだ。聞いてくれ」

 「いいけれど」


 人気のない場所に来るとエリックはいきなり。


 「俺は。セシリアお嬢様を愛している」

 「へっ」


 愛の告白をしてきた。

 ここにいない人への告白をなぜ私に言う。

 本人に言いなよ。びっくりだよ。


 「知っている」


 あらゆる感想を脇に置いてそう言うとエリックは驚きを露わにする。


 「なぜ。知っている」


 アホか、こいつは、そんなもん見ればわかるわ。


 「それはともかく、それで、何。私にそれをお嬢様に伝えてほしいの」


 なんや。思ったよりチキンボーイじゃないか。がっかりやわ。


 「違う。それは、セシリアには昨夜伝えた」


 エリックは真っ赤になって答える。

 なんと。そいつは失礼。勇者であったか。

 頬が自然と緩んでしまう。


 「ほうほう。それでお嬢様はなんと」


 思わず前のめりに聞いてしまう。エリックから言い出した事なんだから聞いても問題ないよね。


 「迎えに来いと言ってくれた」



 エリックの答えに江莉香は叫び声のような歓声を上げた。


 「ちょっと。エリカ。静かにしてくれ」

 「なにそれ。凄い。いいわね。身分違いのロマンス。エリック。偉い。よく言った。よくやった」


 江莉香はエリックの背中をバンバン叩く。


 「痛い。叩くな。それでだな。俺はセシリアに相応しい男になると決めたんだ。それには代官として功績を上げるしかないと思うんだ」

 「ふんふん」

 「だが、俺にはまだその力がない。本来なら時間をかけて自分で実力を蓄えるべきだが、おそらく時間は二年と無いだろう。二年もたったらセシリアは誰かと婚約しているだろう。センプローズ一門にとって魔法使いの娘の嫁ぎ先だ。有力貴族から大商会の跡取り、果ては王族まであり得るんだ。そうなってからではすべてが遅い。それまでに何とかしたいが俺だけの力では夢物語だ」


 そこまで一気に捲し立てたが一呼吸置く。

 心臓の音が痛い。息をするのもやっとだ。


 「自分勝手な言い分だが俺の、いや俺たちの幸せのために。エリカ。お前の力を俺に貸してくれ。この通りだ」


 そう言うとエリックは江莉香の前に跪いた。

 彼女の助力なしでは目的の達成はできない。それが現実なら、その現実を受け入れるしかないではないか。利用ではなく助力ではまやかしと言われるか。でも、まやかしでもなんでも構わない。これしかないのならこれを行う。

 江莉香はそんな感情が渦巻くエリックの姿を冷ややかに眺める。


 「ふん。確かに。虫のいいお願いね。自分とお嬢様のために私に力を貸せと」

 「そうだ」

 「それで、エリックとセシリアがくっついて、私にどんな得があるの」


 江莉香の問いにエリックはしばらく沈黙し、絞り出すように答えた。


 「何の得も無い。俺とセシリアからの感謝以外に捧げるものを持っていない」


 何も持っていないそれが現実だ。


 「助けてやった恩を返せとか言わないの」

 「もう。十分に返してもらっている。これ以上は釣り合わない」


 考えなかったかと言えば嘘になるが、それは言えない。そんなことでは駄目なんだ。


 「残念ね」


 江莉香の返答にエリックは目の前が暗くなる。


 「フフッ。本当に残念」


 なぜか江莉香が笑っている。面を上げると、そこには満面の笑みを浮かべた江莉香が立っていた。


 「エリカ」

 「小賢しい損得を並び立てたら、その横っ面蹴っ飛ばしてやろうと思っていたのに。本当に残念」


 しゃがみこんでエリックの顔を覗き込んでくる。


 「いいわ。手伝ってあげる。その代わり二人して一生私に感謝しなさい」


 望んでいたが聞けるとは思っていなかった答えが返ってきた。


 「エリカ。ありがとう。ありがとう」


 エリックは江莉香の手を取り縋り額に押し付けて感謝した。

 目の前に光が差し込んだ瞬間であった。


                          続く

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