第6話 異世界
救助されて一安心した江莉香であったが、さらなる衝撃を受ける。
建物の中にいた時から違和感を覚えていた。
電気をつけないのだろうか、部屋の中が妙に暗い。そして全体的に粗末なつくりの物ばかりだ。
そして、家から外に出た時にそれはピークを迎えた。
「どこなんよ。ここ」
それまで京都かその周辺だろうとタカを括っていたが大きな間違いだった。
京都なら西に行けば関西の中心都市大阪、南に行けば奈良、東山を超えれば滋賀と、それなりの街が広がっている。
明らかに京都周辺ではない。いや、日本ですらないだろう。
建物は石と木材で作られており、家の前の道は申し訳程度の石畳。道行く人が江莉香を物珍しそうに見ているが全員外国人だ。いや、ここが日本でないのなら江莉香だけが外国人なのかもしれない。
そして、道には一台の車も走っておらず。電信柱一本もたっていない。
「なに。どないなってはるんや。意味わからん」
外国に拉致されたのだろうか。
拉致と言えば北の将軍様の国だが、そこではないことだけはわかる。
「ア、アメリカ? 」
何かのTVでアメリカに現代文明を使わないで暮らしている共同体が出てきたがそこなのか。しかし、アメリカなら英語圏、最低でもスペイン語を使用するだろう。助けてくれた人たちからはどちらのニュアンスも感じ取れない。
「エリカ」
振り返ると、助けてくれた女性が立っていた。
この人はエリックの母親らしく名前は、たぶんアリシア。
「はい」
何語で話しても通じないので日本語で通すことにした。
その後はアリシアについてその手伝いをした。どうやらこの家に置いてくれるらしい。
江莉香には客間らしき一室が与えられた
それは、この絶望的状況下で唯一の救いだった。
江莉香はこの親子に感謝した。
そしてここでの暮らしは予想通り、いえ想像以上に厳しかった。
まず、電気が無い。水道もない。ガスも引いていない。通信回線なにそれ美味しいの。
黒いワンピースとエプロンを与えられる。これが作業着なのだろう。着替えてみるとなんだかメイドみたいだ。いや。メイドとして置いてくれているのだろう。感謝しなければ。
「こんなことで、メイドコスをすることになるなんて」
水は井戸でくみ上げるが、ポンプなんて文明の利器は存在しない。ロープを付けた木製のバケツを投げ入れてくみ上げる。囲炉裏の火は種火が無い場合は、何と火打石を使って起こすのだ。
火打石なんて時代劇の銭形平次で女将さんが平次に魔除けみたいにキンキンと打ち鳴らす所しか見たことがない。火を起こすのに四苦八苦していると見かねたアリシアが代わってくれた。
薪割に挑戦するが上手くいかない。子供のころからキャンプは好きだが薪割をするほどの本格的なものはしたことが無い。持ちなれない鉈をふるうと手が赤くなって痛い。
なんとか両親に、いや日本国に連絡を取りたいが方法も見当が付かない。
言葉が通じない。馬車はあるが車はない。鉄道なんて探すだけ無駄だ。
海沿いの集落だったので海に船でも通らないかと観察するが、木製の小舟が行きかうばかりで貨物船などの大型の船は見かけない。もちろん空には飛行機雲一つとしてない。どれだけ田舎なんだろう。いや。飛行機は田舎とか関係なく飛ぶだろう。それが一機も見ないなんて。
日が暮れるとここの人たちは一斉に就寝する。照明が無いのだから当然なのだが江莉香には早すぎる就寝時刻だ。仕方ないので眠くなるまで夜空を見上げる。光源が無く空気も澄んでいるので夜空は観たことが無いぐらい綺麗だ。しかし、そこに浮かんでいる星座は見覚えの無いものばかり、南半球に来たのだろうか。
時折、感情があふれて嗚咽と共に涙が流れる。アリシアが心配そうに見てくるので慌ててぬぐう。
落ち込んでいても仕方ない。
良いこともある。母親のアリシアは親切だし息子のエリックも何かと世話を焼いてくれる。そして妹のレイナは自分を姉の様に慕ってくれた。
昼前になったころ江莉香はエリックの部屋の掃除をしていた。叩きではたいてから箒で床を掃く。それから雑巾がけだ。エリックの部屋は二つあり寝室と書斎。寝室の掃除を終えると今度は書斎だ。エリックの持っている本はどれも大きく小さいものでも百科事典の様だ。一度中身を見たがページは動物の皮で出来ており書かれた文字はアラビア文字並みの意味不明な文字だった。
いつもは本が数冊転がっている立派な机に、今日は大きな本が一冊開いたまま置いてあった。
叩きではたきながら徐々にテーブルに向かうと、違和感を感じた。
なんだろうと机に目をやると。
「漢方薬一覧と製造方法」の文字。
「えっ」
それは紛れもなく日本語であった。
あまりのことに声も出せずに固まる。
そこにエリックが帰ってきた。
江莉香はエリックに走り寄ると彼の手を引き机の前に連れていく。
なんだという顔をするエリックに本の一節を指さし。
「日本語。日本語」
と叫んだ。
やっと見つけた手掛かりに江莉香は興奮する。
エリックはそんな江莉香を落ち着かせようと机の前の椅子に座らせる。
江莉香は分かってもらおうと立ち上がろうとするが、エリックは落ち着けとばかりに肩を押しつける。
エリックは本を指さし。
「ニホンゴ」という。
「そう。日本語」
江莉香は大きく頷く。
するとエリックは何を思ったのか文字の一つを指さす。
なんだろうと考えたが、そうか。読んでみろと言う事ね。
「脂肪分」
また違う文字を指さす。だが、センテンスの途中を指されたのでエリックの指を右に動かす。
「放冷作用」
江莉香の言葉を吟味するようにエリックは黙り込んだが、今度は江莉香の手を取って付いてくるようにと合図する。
ああ。きっと日本語がわかる人のところに連れて行ってくれるのね。
江莉香は期待を胸にエリックに手を引かれるままに付いていく。
エリックの家の向かいにある建物へと入っていく。たぶん宗教施設だ。村の人たちが集まってお祈りをしているところを見た。
内部はがらんどうで正面に祭壇が有り、神様らしき人物像が数体並んでいる。お寺と教会を足して二で割ったような作りだ。
エリックが呼びかけると中から人が出てきた。黒一色の質素な恰好。カトリックの神父みたいだ。いや、きっと神父に相当する人なのだろう。
その人はエリックと何かを話すと笑顔で江莉香に向き直った。
「コンニチハ、ゴキゲンイカガデスカ」
それは紛れもなく日本語であった。
「日本語が話せるんですね。ああ。良かった。わたし道を歩いていたら知らない男に襲われて、気が付いたらこの近くの山に連れ去られていたんです。家族に連絡を取りたいんです。電話のある場所をご存じありませんか。それと日本の大使館か領事館の場所を教えてください」
飛び上がらんばかりの歓喜に包まれる。これでやっと帰れる。そうだ。宗教関係者と言えば知識人と相場が決まっている。小さいころ東寺の僧侶から子供には訳の分からないご高説を聞いたではないか。どうしてもっと早く気付かなかったのだろう。
江莉香の興奮に神父は落ち着けと手を振る。
「すみません」
江莉香は深呼吸して落ち着こうとする。自分だって道端で外国人観光客から早口でしゃべられたら困る。
それからゆっくり会話をする。
まず名前を言う。少しづづ会話を続けたが段々と認識の差が出てきた。
日本に帰りたいと伝えると「神がどうしたとか修行がなんだ」みたいなことを言い出す。
そしてついに日本語を神の言葉とか言い出した。
江莉香は日本に生まれて日本が好きだが、最近のエスノセントリズムの風潮を鼻で笑う主義の人だ。だてに京都人をやっているわけではない。日本語は面白いが神聖だなんて思ったこともない。多くの言語の一種でしかない。
徐々に狂ってくる認識の違いに焦りを覚える。
「ここはどこですか」
せめてこれが解れば後は自分で何とかしよう。
「カミニエラバレタ、セイナルオウコク、ロンダーノレキテーヌ」
聞いたこともない国を言われる。
江莉香は馬鹿ではない。現役で国立大に入ったのだ。今のヨーロッパ、いや世界にそんな名前の国はない。過去にも聞いたことはない。中世イタリアのロンバルディア王国なら知っているが明らかにそれとは違う。
とたんに神父が怪物に見えた。日本語がわかるのに意思の疎通ができないそんな化け物に。
「タイムスリップ。いえ、もしかして地球ですらないの」
足が震え。落胆と恐怖に泣く。
そんな江莉香の頭をエリックが優しくなでる。
たまらずエリックにしがみついて泣いた。
ただただ怖かった。
続く
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