異世界チート知識で領地経営しましょう
加藤 良介
第1話 プロローグ
夕暮れ迫る峠道を、複数の男たちが、荷馬車を引いて進んでいた。
男たちは疲れ切っており、足取りは重い。
その隊列は、一人の青年に率いられていた。
青年は手馴れた様子で馬を操り、その動きには若さが漲っている。時折揺れる、腰に佩いた長剣が、彼が只の村人でないことを表していた。
背後には、同じように馬にまたがった男と、四台の荷馬車の列が続く。
迫る暗闇に、先を急ぎたいが、道は上り坂。荷物を積んだ馬車の足は遅い。
青年が後ろを振り返ると、視界に遠く、オルレアーノの街が夕日を浴びて輝いて見えた。
空気が澄んでいるのか、いつもより明瞭に見える。青年はその美しい景色を見てため息をつくのだった。
やがて日が落ち、男たちが灯した僅かな灯火だけが、峠道を照らす。暗闇の中を進むのは危険だが、この先に野営に適した山小屋がある。
そこまでは進むつもりだ。
山の天気は変わりやすい。峠を登るにつれ、空模様も急速に悪くなっていった。
まずいなと思った矢先、鼻頭に雨粒が当たった。
「もう少しだ。頑張ろう」
青年が後に続く男たちを励ますと、彼らは無言でうなずいた。
降りしきる雨に追い立てられるように進み、山小屋まであと一息というところで、道の傍らに黒い塊が横たわっていることに気づいた。
「ロラン。明かりを」
青年は後ろの男に声をかけ馬から降りると、その横たわっているものに近づいた。
「人だな。行き倒れか」
行き倒れなど別段珍しくもない。街道を歩けば嫌でも目に入る光景だ。
灯火が近づいてくる。
ロランと呼ばれた初老の男が灯りを掲げると、影の正体が露わとなる。
やはり人であった。
触れようとすると、ロランが声を上げた。
「若」
その声色には自制を促す響きがあったが、青年の動きは止まらない。
「逃亡奴隷だろうか」
行き倒れで一番多いのは所有者の元から逃げだした奴隷だ。彼らは束の間の自由を手に入れ、そして倒れる。運が良ければ元の所有者に引き渡され、悪ければそのままとなる。どちらがより幸福かは彼らが決めることだろう。
ただ、逃亡奴隷にして身なりが妙だ。
倒れ込んだ人は、見た事のない衣装を身に纏っている。
青年は、うつ伏せになっているその身体を引き起こした。
その時になって、倒れていたのが女であることに気が付いた。女の口元に耳を当てると、微かに息の揺れを感じ取った。
「良かった。まだ、息はあるな」
女の身体は冷えてはいたが、大きな外傷などは見当たらない。
恐らく空腹か疲労で力尽きたのだろう。次に女の首筋や手首を確認する。
「奴隷ではないようだ」
奴隷になると、首筋や腕に奴隷紋と呼ばれる刻印が打たれるのが習わしだ。
それは、所有者の家紋であったり数字であったりする。奴隷紋のある者を勝手に連れ去ると窃盗扱いとなる。
この女にはそれが無かった。
「どうなさるのです」
「見覚えはないが、この道を通っていたのなら、ニースに縁の者かもしれない」
ロランの問いに、暗に助けることを伝えた。
「わかりました」
ロランは女を担ぎ上げると荷馬車に横たえた。
「雨が強くならないうちに山小屋に向かうぞ」
再び隊列は動き出した。
山小屋で一晩を明かし、翌朝ぬかるんだ道を抜け、家のあるニースの村に帰り着く。
その間、毛布にくるまれた女は意識を取り戻さなかった。
「若。この者はどうなさいますか」
「とりあえず家に運んでくれ。息があれば、そのうち気が付くだろう」
「承知しました」
女は毛布に包まれたまま、家に移される。
垣根と木戸だけの粗末な門の前で、母と妹が出迎えてくれている。
妹のレイナが走り寄ってくる。
「兄さま。おかえり」
「ただいま。レイナ。ただいま戻りました。母上」
「おかえり。エリック。雨には濡れなかった。オルレアーノの街はどうだった」
笑顔で出迎える母の言葉に、思わず苦笑いを浮かべるのだった。
エリック・シンクレアは海沿いの小さな村、ニースの代官を務めている。
代官の役目には徴収した税を、領主が住む街に納めに行くものがあった。
エリックは村で取れた燕麦や大麦を馬車に詰め込み、護衛の傍らオルレアーノの街に向かったのだ。
街の徴税官に税を納めた後、街一番の屋敷に向かう。
この街の領主であり、エリックのパトローネのセンプローズ将軍に挨拶をするためだ。
そして何より会いたい人がいた。
「エリック来てくれたのですね」
一人の少女が満面の笑みで迎えてくれる。
「十六歳のお誕生日おめでとうございます。セシリアお嬢様」
美しい金髪をなびかせる少女に、精一杯のお辞儀をする。
「ありがとう。また。エリックに追いつきましたからね」
セシリアも軽くひざを折って挨拶を返した。
「そうですね」
「祝いの宴には出てくれるんでしょう」
セシリアはエリックに一歩近づき、見上げる。
「いえ。私は贈り物と、ご挨拶だけです。これでお暇いたします」
「どうしてですか。祝ってくれないの」
「いえ。決してそんなことは」
エリックが言いよどむとセシリアは笑顔で。
「なら、いいでしょ。はい、決めました」
「しかし、宴に出れるような恰好では」
エリックは自身の身なりを指し示す。白を基調とした上下に赤の線の入った軍服。ここまでの道中で薄汚れ、とても見栄えが良いとは言えなかった。
セシリアは一歩後ろに下り、顎に手を当ててエリックを眺める。
「別にそれでいいです。軍団兵の制服なら別に問題ないわ。お父様だって宴の時はいつも軍装なんですもの。あっ、そうだ。その恰好が嫌なら兄様の衣装を借りましょう」
「若殿の。とんでもございません。それはご容赦を」
エリックは慌てて手を振った。
「そう。背格好が同じぐらいだし、似合うと思います」
「似合う似合わないの問題ではございません」
「なら。そのままでいいです。で、何を贈っていただけるのですか」
「えっ」
「贈り物を用意していると、言ったではありませんか」
「それなら、先ほど執事殿にお渡ししてあります」
エリックの言葉にセシリアはむくれる。
「エリック。どうしてわたくしへの贈り物をアルに渡すのです。ちゃんとわたくしに手渡してくださいな。アル。アルフレッド。エリックからのプレゼントを持ってきて」
奥から小柄な老人が進み出ると、セシリアに小箱を手渡した。
エリックが用意したささやかな贈り物だ。
「開けても? 」
「もちろんです」
セシリアが小箱を開けると、中から木彫りの人形が出てきた。
「まあ。可愛い。熊さんですね」
「あの。いえ。猫のつもりです」
「あら。そうでしたか。そういえば猫のような? 」
セシリアは木彫りの人形を手に取って、色々な角度から眺める。
「すみません。猫がお好きだったので」
「どうして謝るのですか。わたくし、とても嬉しいです。青いお目目ですね」
「はい。ニースで取れましたので使いました」
人形には宝石というには慎ましい、青色の石が嵌め込まれていた。
「わたくしとお揃いですね。エリックが彫ったの」
セシリアは蒼い瞳を輝かせてエリックを覗き込む。
「はい」
「ありがとう。とても嬉しい」
「お嬢様。そろそろお時間でございます」
執事がそっとセシリアに声をかけた。
「そうですか。ではエリックまたね」
一礼するとセシリアは部屋の奥へと消えていく。
エリックにとっての幸せなひと時は終わった。
夕刻から始まった宴は、大勢の出席者でにぎわっていた。
それはセンプローズ将軍の権威の強さを表している。
幸せな時間の後には、必ずそれを取り返そうとする時間がやってくる。エリックはそう信じている。
今がその時だ。
宴の片隅で目立たぬようなしていたエリックに、わざわざ声をかけてきたものがいた。
「軍団兵がどうしてこんなところにいるのだ。警備なら門でやりたまえ」
純白の軍装に、華麗な曲刀を佩いた青年騎士が、エリックの前に立つ。
ニースの村人から見れば代官であるエリックは平民ではないが、騎士から見ればただの平民と変わりない。
「将軍閣下からのご許可を得ております」
「それでも辞退するのが筋であろうが」
「ご命令でしたので」
エリックにとってセシリアからのお願いは、将軍の命令と同じ重さであった。
エリックの返答が面白くなかったのか、青年騎士は鼻で笑うとその場を離れた。
それでも彼は自分の意見を言うだけ誠実であったかもしれない。それ以外の人々はエリックを居ないものとして扱っていた。
あたりが静かになると、楽師たちが奏でる楽し気な音色が響きだした。舞踏が始まったようだ。
当然エリックには踊る気はないし、エリックと踊ろうという物好きな子女は周りにいない。
ただ楽に合わせて踊る人々を、自分とは無縁の光景として眺めるのであった。
ある意味で、先ほどの騎士殿の言い分は正しい。
場違いなのはエリックが一番痛感していることだ。宴に出席しているのは貴族か街の有力者とその子弟。小さな村の代官など自分だけだろう。
その様に自分を卑下しているエリックにも野心はある。
いずれ武功を立てて、騎士に取り立てられ、さらに貴族の地位を得たいと思っている。その暁には故郷のニースの村周辺の領主になりたい。今は任期が終われば交代させられる代官だ。ただの役割でしかない。
だがその望みも薄い。
父たちの世代で大きな戦いは終わったというのが、この頃の人々の共通の思いだった。
北方の異民族は撃退されて久しい。
戦が無ければ手柄の立てようもない。
ならばどうすればいいのか。
まずはいつ戦が起こっても武功が立てられるように、自身の武芸を鍛えなくてはならない。
そして、代官である間にニースの村を豊かにしよう。もし成功すれば再び代官に任じてもらえるかもしれないし、もっと大きな町の代官になれるかもしれない。
代官の任期は八年、父の跡を継いで一年たった。残り七年しかない。その期間の間に大きな功績を立てて、彼女を迎えに行くのだ。
だが、それも浅はかで叶わぬ夢だろう。
輪になって踊る人々を眺めながら、そう考えるのであった。
思考の迷路で迷い疲れたエリックは、頭を冷やすため庭に出た。
センプローズ将軍邸は庭も広く、池もある。
宴の喧騒に背を向け池に近づく。
いつの間にか日は暮れ、空には月が輝いていた。
「エリック」
月を仰いでいたエリックに声がかかる。
「セシリアお嬢様」
振り返ると、青と白の軽やかな衣装を身にまとったセシリアが近づいてくる。
その姿は美しく、月明かりに照らされて淡く輝いて見えた。
「踊り疲れました」
「ずっと踊ってらっしゃいましたから」
「見ていたのなら、あなたはどうして来てくださらないの。わたくしと踊りたくないのですか」
「踊りは苦手です」
「知っています」
セシリアは手を差し出す。
「踊り疲れたのでは」
「エリックは別です」
そう言って笑う。
エリックはセシリアの手を取った。
二人は舞踏とも呼べないような足運びで、池の端で回るのであった。
「エリック。見て」
セシリアは胸元から首飾りを取り出す。
「急いで作りました」
首飾りの先端には、エリックの贈った猫の人形が取り付けてあり、青い石の瞳がこちらを見ていた。
この刹那、エリックはセシリアを抱きしめたい衝動と戦う。
両手が激しく震える。
この人を妻に迎えたい。
それは、エリックの心からの叫びだった。
だがこの人は、エリックのパトローネ。センプローズ将軍の娘。自分とは身分が違い過ぎる。
センプローズ将軍は自分のことを目にかけてくれているが、それは自分が忠臣の息子だからであり、娘を与えるなど思いもしないだろう。
この人を妻に迎えられる人は幸せ者だろう。
決して自分の手に届かない。
かつてはそうではなかったのに。
運命は残酷なまでの現実をエリックに突き付ける。
例えエリックが武功を上げて出世したとしても、彼女に見合う立場を手に入れるのに何年かかるだろうか。その間に彼女はどこかに嫁いで子をなしているだろう。それを遠くからただ指をくわえて眺めている自分。
エリックは自分の想像に気が狂うほどの衝撃を覚えた。
このまま。セシリアを誘拐でもして自分のものにできれば、それが例え一時であっても後悔しないのではないか。
刹那の葛藤であったが、エリックにとっては長いものであった。
先ほど会場で受けた居心地の悪さなど、この葛藤に比べれば枯れ葉一枚の重みもない。
「わたくし、もうすぐ王都の学園に通うこととなります」
セシリアの言葉が冷水となって降り注ぎ、エリックの胸に新たな痛みが走る。
「はい。存じております」
王都には、貴族や有力者の子弟を集めた学園があるらしい。センプローズ将軍の娘であるセシリアは、当然通うことになっていた。
「エリックに会えなくなって寂しいです」
「セシリアお嬢様」
「エリックはどうですか」
先の衝動が再び身体を巡る。せめてもの慰めとしてセシリアの肩に手を置いた。
「私も寂しいです」
「そうですか。では、王都に来てください」
セシリアはあっけらかんと言ってのける。
その言葉に心が軽くなるり、僅かな可笑しみを感じた。
「そういうわけには」
それが出来れば、どれほど救われるだろうか。
「私にはニースの代官という役目がありますから。残念ながらお嬢様に伺候できません」
父が命懸けで手にした役割、簡単に投げうっていいものではなかった。
「そうですね。わたくしも残念です」
セシリアは俯く。
彼女は王都エンデュミオンに旅立ってしまう。
エリックの心には、熱い怒りと冷えた悲しみが同時に沸き上がった。
いつの間にか楽の音は止み、宴は終わった。
続く
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