通勤の朝
@mountainbird
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ある日の朝、乗り換え駅のベンチに一人、女性が座っているのを見つけた。
どこか遠くを見ているようだった。
視線の先が気になって、次の日そのベンチに座ってみた。
何ともない、至って普通の景色だった。
一本早い電車に乗ってみるのは、今日が最初で最後だろう。
「あの」
「ぇ」
突然話しかけられて、声にならない呻き声が漏れた。
「隣座っても良いですか?」
昨日の
「ぁ……はい」
「いつもこの時間なんですか?」
「えぇ、まあ。」
「お疲れみたいですね、お仕事大変なんですか?」
「……そうですね、色々と。」
「……。そういえば、最近電車の窓開いてますよね。気づきました?なんか風強いなあって思ったら、窓の上の方が開いてたんですよ。不思議ですねえ、誰が開けたんでしょう?」
「ああ、それは。」
言おうとしたところで、目の前の女性がマスクを付けていないことに気がついた。最近はマスクの有無なんて気にしなくなっていたから、今の今まで見落としていた。
……。どうしようか。別に指摘されるくらい気にしないかもしれないが、変なことを言わない方が良いだろうか。うん、そうだ。きっと特別な理由があるに違いない。そういったことを口に出す必要だって無いじゃないか。
意見のできない心の弱さを礼儀正しさのせいにして、言葉を飲み込んだ。
「……えっと、何ででしょうね。はは。」
女性はちょっと不思議そうだったが、気にせず他の話へと移った。
人形のように綺麗な肌と、水晶のように透き通った瞳と。あとは覚えていない。
次の日、二本早い電車に乗った。
ベンチを目掛けると、んっと体を伸ばしている女性の姿があった。
伸び終わりにこちらを見遣る女性と目が合って、
「「あ」」
と二人で言った。
その日の女性は照れくさそうだった。
「次の電車が来る前に飲み物のひとつでも買って差し上げようと思っていたんです。立ち上がる前の準備運動というやつなんですよ?」
「そもそも、ずっと体を動かしていない方が良くないのです。たまにちょっと体を動かすのでないと、血流が悪くなりますから。」
「気を抜いてはいましたけど、いつもああじゃないですからね?だって、私を気に留めている人なんて貴方くらいだと思っていましたし、その貴方はまだ来ないと思っていたんですよ。端的に言って、周りに人がいくらいたって、私は実質的に一人だと思っていたのです。」
「……。別に一人だからああなるってわけじゃないですけど。」
非道いもので、話なんてどれも聞いていなかった。
ただ、ひとというのは恥ずかしがるとそんな風に顔が赤くなるのだな、とか、今日の昨日より動きが多いのは、二度目の対面であるというだけではないだろうな、とか考えていた。
蒸し暑さも流れる汗も気にならないのに、身体はいつもよりずっと熱い気がした。
幾日だろうか、その女性と話す日々が続いた。
決めたことは無いが、いつも一本前だった。
女性とは他愛もないことばかり話した。それが心地よかった。
たまに日常的なことの質問をされた。話してみると、まるで数月前に越してきた外国人のように、知らないことの多いひとだった。
不思議なひとは、好きだ。
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