今日あの子は第三車両に乗っている

もぐら

朝の電車

 僕はいつも通り学校に指定された無個性で固められた制服を身にまとい、今日も学校へ向かう。

 毎日同じ通学路、同じ光景、唯一毎日違うのは天気だけ。毎日毎日ロボットのように反復作業を繰り返している感覚だが、それが普通であり、ある意味社会的生物である人間のサガなのだろうと思う。


 社会のルールに従って、社会が敷いたレールを歩くという極めて機械的な行動をいかにそつなくこなせるかというのが人間的な生き方であり、最早一種の矛盾ではないかと疑ってしまうが、この矛盾を疑わない人ほど『世渡り上手』と呼ばれるのだろう。今日も僕は同じアスファルトを踏み、同じ改札を通り、『痴漢ダメ、絶対!』と書かれたポスターが壁に張られた階段を駆け上がる。


 どうせそんな勧告ポスター張っても意味なんてない。悪いことをやっている人なんて、自分が悪いことをやっていると認識していないか、ましてやよかれと思ってやっているだけなのだ。

 ――と、これもポスターを見るたびに考えてしまう。自分の思考ですら反復行動という牢獄に囚われてしまったようで、中々いい具合に日本社会に染まってきたとつくづく己惚れてしまう。


 しかし、そんなコピーアンドペーストしたような日常の中でも楽しみはあるもので、僕は通学の電車が嫌いではなかった。


 電車が二つ隣の駅に到着すると、電車右側のドアが開く。

 スーツという名の大人の制服を身にまとったサラリーマンという軍隊とともに、一人の女子高生が乗車した。


 その長い黒髪のモデル顔負けのスタイルと、涼しげで透明感のある表情をぶら下げた女性を僕は知っている。

 最近僕の高校に転校してきた転校生である神崎渚(かんざきなぎさ)だ。神崎は乗車するとドア付近でスマホをいじり、なるべく人と目線を合わせないような姿勢を取る。それは電車に乗った大多数が取る行動であり、多数決が民主主義の根幹なのだとすれば、民主主義的に正しい行動を神崎渚はとったのだ。


 制服という名の公開アイデンティティを身にまとっている以上、彼女は僕の存在にも気づいているだろうし、クラス内で自己紹介をしたのだから、同じクラスメイトであると彼女は認知しているだろう。


 僕たちは決して会話をすることがない。

 ろくに話したこともないのだから別に仲が悪いわけでもないのだが、ろくに話したことがないからゆえの気まずさが、僕と彼女の間の透明な壁を作り出している。


 だが、別にいい。

 彼女ほどの美女を毎朝拝みながら通学することが出来るだけで眼福だ。成績も、スポーツも、顔面偏差値も突出したものがない僕に手が届く相手でもないし、このように眺めているだけで主に土下座して感謝しなければならないだろう。


 あと三駅だが、神崎とは話さない。彼女も僕に話しかけようとはしない。

 僕がつぶやくのはSNSでのみで、神崎に何かをつぶやきかけることはない。


 僕はその他大勢がそうしているように、スマホに視線を配る。

 普段そうしているように僕はスマホでSNSを確認し、写真を眺める。


 果たしてスマホがなかった時代に人々はどの世に電車の中で時間を潰していたのだろうかと不思議と思考してしまうが、グーグルで検索をすると、どうやら紙媒体の新聞や本を読んでいたらしい。こんなくだらない疑問ですら、ほとんどがグーグルで検索をすれば答えが出てくる世の中だが、僕には一つ答えのない不思議があった。


 指に刺さったささくれほどうっとおしいものはなく、平凡な日常に漂う些細な謎ほど脳内を埋め尽くすものはない。


 それは目の前にいる神崎渚という女性が作り出したものであり、それが『恋』と呼べるほど単純であればよかったのだが、『恋』という単語で括れるほどはっきりしたものではなく、とりあえず僕の日常にいる神崎渚が謎そのものだったというだけの話だ。


 どうしようもなく、そしてくだらない。

 それよりも『なんで駅にあるゴミ箱は結局同じ袋に入るのにペットボトルと空き缶で口が分かれているのか』を考えたほうが有益なのではないかとすら思えるのだが、別のささくれを指に刺したところで、もう片方のささくれの煩わしさが消え失せるわけでもない。


 ただただ、僕はよどんだ思考の中で神崎渚の行動の意図を悶々と考えるほかなかった。

 神崎渚は毎日のように電車に乗って通学する日常は決して金太郎飴を切ったかのように瓜二つではなく。


 ――神崎渚は毎日違う車両に乗っているのだった。

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