恋するスラッガー
大部屋創介
第1話
中学時代はずっと野球部の補欠だった青木淳哉。
これからはもう野球部のキツい練習をしなくて済むと思うとせいせいする。
なにしろ自分の中学校の野球部は都内一のスパルタ練習で有名であった。
毎朝五時に起き、朝食を無理やり腹に詰め込み、学校に行き、鉄アレイを持って五キロのランニングの後、肩慣らしのキャッチボールからのバッティング練習。昼休みになると空いた時間を使ってグランド整備。そして放課後はランニング、ダッシュ、キャッチボール、遠投、フリーバッティング、ノックと朝の倍の練習が夜まで続く。
もう野球はうんざりであった。
野球は辞めた今でも好きだが、毎日のスパルタな練習をするのはもうこりごりだ。
淳哉は中学の三年間、野球の練習漬けだったが、試合に一度も出たこともなかったのである。
体力も後輩部員よりも劣り、野球の技術も大したレベルでもない。
三年生だからというお情けの理由で背番号の十八番をもらってなんとかベンチに入れてもらっていたのだ。
中学の地区大会の決勝戦の試合もベンチで見ていたが、負けても淳哉は悔しくなかった。
ずっとベンチで出番が来ないということはわかりきっていたし、自分が出ない試合だから勝っても負けてもどうでもよかったのだ。
負けて試合に出ていた仲間が悔しがっていてもなんだか他人ごとのようであったのだ。
自分は何のために野球部で辛い練習を続けていたのだろうか。
ゲロを吐くこともあったほどの辛い練習に毎日耐え続けて、一体何の意味があったのだろうか。
自分が試合に出て負けたのならともかく、淳哉は練習試合すらまともに出たことがなかったのだ。
それでも淳哉は野球部を辞めずに続けていた。
それは野球が好きだからか。
それとも惰性で続けていたのだろうか。
辞めるのがみっともなかったからだろうか。
それは本人すらもわからない。
それが青木淳哉の中学時代なのであった。
淳哉が入学したのは私立馬場高等学校体育科である。
馬場高等学校はスポーツの名門校として有名である。
陸上競技、水泳、体操、自転車競技、テニス、ハンドボール、バスケット、バレー、サッカー、バドミントン。
どこの部活も全国大会に出場するほどの強豪校で、体育館は四つもあり、他にもトレーニング施設が設けられているほどの充実ぶりだ。
淳哉としては高校から別の運動をするつもりはない。
どの部活動も中学で良い成績を残した熟練者が多いため、素人が入部しても迷惑かけるだけだろうと思っていた。
昼休みの教室、入学したてでまだクラスの仲間と打ち解けられていない。
他の生徒は仲の良い友人を作っている。
淳哉は教室の窓際で一人で弁当を食べながらぼんやりと考えていたら一人の女の子が淳哉の席の前に立った。
そこには褐色の肌に若干くせのあるショートカットの髪型に目尻がつり上った大きな目にニヤけた面が特徴的なジャージ姿の少女がいた。
「どったの・・・・・・」
淳哉は女の子が少し苦手ではあるが、おそるおそる話をかけてみた。
すると、その少女はニヤけ面で淳哉の腕を掴み、淳哉はそのまま廊下に引きずり出された。
「パンパカパーン! たった今、君は四人目の野球戦士として選ばれましたー」
舌足らずな喋り方にちょっとだけ見える白い八重歯が見える少女は淳哉にそう告げる。
「・・・・・・」
淳哉は呆然としていた。
「背、ちっこくてセカンドっぽいなー」
確かに淳哉は中学ではセカンドを守っていた。いや、今はそんなことよりもなぜこの少女が自分が野球をしていたことを知っているのか。
そしてこの学校には野球部がなかったはずだ。
もしかすると、これから作ろうとでも言うのだろうか。
「先生から聞いたんだ。青木は中学で野球部だったんだってな」
「ま、まあな……」
「私は柳瀬ゆきまる。一緒に野球しようぜ!」
「・・・・・・女子は高校野球に出れねぇよ」
「ふふーん、それなら問題ない。私が作ろうとしているのは社会人野球のクラブチームだ! それなら男女制限がないから関係ないぜ!」
「な、なるほど、そんな手があったのか・・・・・・四人目って言ってたけど、俺の他にどんな奴がいるんだ?」
「昨日転校してきた四街道と、あとお前のクラスの栗本がいるぜ」
「えぇ! 栗本も野球すんの!?」
淳哉が驚くのも無理もない。
何を隠そう栗本は陸上選手としてかなり有名だった。
国内大会だけではなく、世界陸上やオリンピックの百メートル走に出場するほどの超が付くほどのスーパースプリンターだ。
初めて教室で栗本を見かけたときも淳哉は驚いていたのだ。
中学生にして日本記録を保持し、世界の舞台で大活躍し、スポーツ新聞やニュースでも大きく取り上げられているほどのトップアスリートが自分と同じ学校に通っている。
同じ教室で授業を受けているのも不思議なぐらいなのだ。
「おいおい、冗談だろ・・・・・・」
そんな自分とは住む世界が違うようなスター性のある陸上選手の栗本が高校から野球をするなんて正気なのだろうか。
※※※
世界一足の速い男を決める、世界陸上男子100m走決勝戦。
名立たるトップアスリート達が横一列に並んでいる中に、世界に挑もうとする日本人の少年がいた。
彼は栗本良平。十五歳ながら日本の陸上界を震撼させる大記録を打ち立てて来た天才的な選手だ。
中学総体、ジュニアオリンピックなどの国内大会では敵なし、そしてユースオリンピック、世界ユースなどの同世代の中でも敵なしだった。
そんな彼も昨年のオリンピックでは予選を通過するのがやっとであった。
一年間トレーニングを積み、更なる成長をした良平はこの世界陸上男子100m走決勝戦に挑む。
日本人が100m走で世界一になる可能性に日本中が期待し、熱狂していたが、良平はこの競技で世界の壁を痛感することになる。
結果は4位、タイムは9.96秒。
日本記録である。良平の調子は悪くなかったはずだが、1位とわずか0.04秒差で惜しくもメダルを逃した。
『――日本人の十五歳の少年がここまで世界と渡り歩いたことによって、全国民に勇気と希望を与えたことでしょう。彼はまだまだ十五歳。このまま順調に成長すれば世界記録を更新し、栄光を手にする日が来るでしょう。また次回の大会で彼の活躍を期待致しましょう』
世界一足が速い中学生。そして世界一足が速い日本人。彼の称号は括弧付きの世界一に過ぎなかった。
日本に帰国した良平は世界一を目指すべくトレーニングを積んだが、何度走ってもタイムはこれ以上縮まらなかった。
十五歳にして良平は日本人という体格・体質の限界を知ることになったのだ。
そして中学校を卒業した良平は体育の名門校、馬場高等学校に入学することになった。
※※※
放課後の廊下。
「おーい青木ー」
帰宅しようとカバンを持って廊下を歩く淳哉に良平は声をかけ、振り返る淳哉。
「お前もゆきまるって女から野球に誘われたんだろ」
「あぁ・・・・・・そういえば栗本も野球するんだってな」
「ゆきまるが今から第二グラウンドに来いって言ってたぜ。一緒に行こうぜ」
良平の身長は一七五センチと言ったところだろうか。細身だが筋肉質な身体つきは流石はトップアスリートと言ったところだ。
下駄箱で靴を履き替え、第二グラウンドに向かう良平と淳哉は話をしながら向かっていた。
「ところで、なんで栗本ほどの陸上選手が野球なんかするんだ? 陸上で忙しくないのか」
「陸上はやめた」
「・・・・・・マジで?」
「マジだよ。もともと俺は野球がしたかったし、小学生の頃から都内の陸上大会で記録出してたから先生や親に陸上をやれって言われててさ。陸上は高校まででいいからって約束で始めてたんだけど、なんかえらいことになってしまってさ」
「えらいことって・・・・・・まぁ、日本記録だもんな。ってあれ? それだったら野球部のある高校に行けばよかったんじゃないの?」
「知らないのか? ここの学校来年度から本格的に野球に力を入れるって話で、それを聞いて俺は一年早いけど来たんだよ。新設野球部なら経験者じゃなくてもレギュラーにもなれそうだろ?」
「そうだったのか」
「ほら、あそこの工事してる屋内施設、野球グラウンドになるんだぜ」
良平が指を差した方向には大掛かりな工事をしている屋内施設である。
「すげぇ豪勢だなー流石はスポーツの名門って感じだ」
そうこう話しているうちに第二グラウンドに到着した。
「そういえば俺、グローブ持って来てねぇし、何をするんだ」
「グローブ、俺は買ってすらない・・・・・・。今日はメンバーの顔合わせじゃね? 二組の四街道っていう奴も誘ってるみたいだったけど」
「――俺のことか」
後ろから声がして、二人が振り返ると、一八〇センチのガッチリとした体格に冴えない顔をした坊主頭の男がいた。
「四街道猛。柳瀬って女がクラブチーム作るみたいだから来年までそこで野球をしててもいいかなって思って来たんだ」
「栗本良平だ」
「あっ、えと、青木淳哉」
自己紹介をする三人だが、身長差に違和感がある。
淳哉の身長は一五五センチ。良平とは二〇センチ、四街道とは二五センチも身長が離れているため、淳哉はどうも畏縮してしまうのであった。
「ところで、ゆきまるは?」
良平が訪ねる。
「やぁやぁ、三人の野球超人よ。私が四人目の超人・柳瀬ゆきまるだ」
そこに現れたのは純白のユニフォーム姿のゆきまるであった。相変わらず八重歯とニヤケっ面が特徴的である。
「で? 今日は何をするんだ。俺達二人はグローブ持ってきてねぇぞ」
淳哉は言う。
「えぇ、ないの?」
ゆきまるが残念そうな顔をする。
「そりゃあ、俺なんか野球するつもりがなかったし、突然だったから・・・・・・」
と淳哉。
「俺はまだ買ってない・・・・・・」
と良平。
「俺は自主トレするために持ってきてるぞ」
と四街道。
「流石、四街道くん! そのやる気は高評価だぜ!」
ゆきまるが親指をグッと突き出す。
「でもグローブ一つじゃ何もできねぇじゃん。どうするんだよ」
淳哉は言う。
「・・・・・・近所のバッティングセンターでも行くか?」
四街道は提案するとゆきまるは「賛成っ!」と言って飛び跳ねた。
※※※
四人はバッティングセンターに到着した。
それぞれの実力がどの程度なのかを探っていくためにまずは順番に打っていくことになった。
最初はゆきまるからである。
「よし、さあ来ぉい!」
一二〇キロの右打席のコーナーを選んだゆきまるはほとんどの球を芯で捉えて正面に打ち返している。
スイングにも波がなく、素人とは思えなかった。
「なかなかやるじゃん。野球やってたの?」
良平はゆきまるに訊ねた。
「野球は本格的にやったことはないけど、中学はソフトボール部のキャプテンだったんだよ」
淳哉から見てもゆきまるは自分よりもバッティングは上手く、どんどん自分に自信がなくなってくる。
「じゃあ次は青木!」
「俺!?」
中学野球を引退してからバットを握るのも久しぶりである。
女の子が一二〇キロで打ってたんだから自分も同じ速度で打っておかないと情けないと思い、ゆきまるが打っていたところと同じ場所に入る。
結果は半分空振りで半分バットに当てられ、そのうち芯で捉えたのは三球だけだった。
みんな特に何も反応しないということは可でもなく不可でもなくと言ったところだろうか。
「じゃあ次は俺ね」
良平は左打ち用の打席に入る。
「あれ? 左打ちなの?」
「左打席の方が有利だからそっちで練習してるんだ。まだ俺は素人だからどっちの打席の癖もついてないしな」
打席に入った良平の結果は二〇球のうち四球ボテボテのゴロを打った。
「あらら、全然ダメだ」
良平は苦笑いで打席を出てきた。
「さて、後は・・・・・・」
「俺、一番速いマシンで打っていいか?」
四街道が言う。
「おう、そうだな。四街道は経験者さんだもんな。私達参考にするよ」
四人は奥の方にある一五〇キロのコーナーの前にいき、先に入っている客のバッティングを見ながら待つことにした。
「速いなー、俺全然見えねぇよ・・・・・・」
先に入っている客もどうやら手こずってるようだった。
「こんなの打てるのかよ。これはメジャーリーガー級だな」
「マシンだからタイミングさえ掴めばそんなに問題ないぞ」
簡単に言う四街道。
「まぁまぁ見てなって」
とゆきまる。
四街道が一五〇キロの打席に入る。
初級、バットの真芯で捉え、快音が室内に響き、「ホームラン」と書かれた的にボールを見事に命中させる。
二球目、全く同じように真芯で捉え、的へ打ち返す。
淳哉と良平はその華麗なバッティングに魅了され、その実力は流石に常軌を逸していた。
「・・・・・・何者だアイツ?」
良平は訊ねる。
「ふふーん、聞いて驚くな! 四街道こそ、リトル・シニアリーグ史上最強のバッターにして、ユースワールドカップ三連覇の立役者だー!」
自分のことでもないのに偉そうに腰に手を当てて威張るゆきまる。
「に、日本代表選手かよ・・・・・・!」
淳哉は驚き慄く。
「通りで上手い訳だ」
オリンピックアスリートとしての余裕からだろうか。良平は驚かずに感心する。
「でもなんでウチの高校に来てるんだ? そんなエリート球児なら他の強豪校に行くんじゃないの?」
「前の高校の野球部、暴力事件でなくなったんだって」
「あっ・・・」
淳哉には心当たりがあったようだ。それはつい最近ニュースで報道されていた名門野球部の不祥事での廃部事件であった。
「なるほど、それで四月なのに転校をしてきたのか・・・・・・」
「転校生は一年間公式戦には出られないんだって」
そうこう話している間に四街道は二〇球のボールのうち、一〇球を打込んでいた。
今までのボールは全てジャストミートさせていた。
すると、四街道は一度深呼吸をし、隣の左打席に入った。
そして何事もなかったかのように今まで通り、一五〇キロの豪速球をいとも簡単に的に打ち返してしまった。
「おいおい、マジかよ・・・・・・」
この打撃力でスイッチヒッターである。素人目にもわかる相当な熟練者だ。
さすがの良平も驚き、淳哉に至ってはレベルが違いすぎる実力を見て、魂が抜けたような表情だった。
その後、ホームラン賞として、四人で店の人に記念写真を撮ってもらい、写真は店のホームラン賞のコーナーに並べられた。
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