76.内なる敵
議場に入ると、すでに東南の護り手がそれぞれ付添人を従えて席についていた。パジオとエイレンが入室すると両集団は二人の機嫌を窺うように、チラチラと控えめだが落ち着きのない視線を送ってきた。
東手ヌジマは若干の硬さは否めないものの、人当たりの良い笑みを繕ってみせた。南手フォエルマは十日前の失態を気にしてか、表情を強張らせてパジオの一挙一動に身を震わせていた。
部屋の中央に設置された円形の大テーブルには、それぞれが統治する地方の方角に合わせて席が設けられていた。東西南北の並びの通り、パジオの席はヌジマとフォエルマに挟まれた席だ。
議場の広さ、テーブルの大きさに対して、部屋の中の人数はかなり少なめだった。これは国の内々の話が流出するのを防ぐために、護り手と共に議場へ入室できるのは各々が選出した書記役一人、騎士一人と制限されていたからだ。警備面で心もとないと思われるかもしれないが、基本的に事件事故が起こった場合は主催者側の責任となるので、護公会議が開催されている間はヌジマが騎士や兵士を城中に配置し、徹底した警守に当たらせているので心配はなかった。
加えて議場入りを果たせなかった各手の連れの騎士達が部屋の前に並び立っているので、期間中この一室はタハボートで最も堅牢な守りを誇る場所と言えた。
パジオがエイレンと共に席につくと、今回の議長を務めるヌジマがテーブルの上で手を組んで気もそぞろに親子に挨拶をした。
「やぁ北手殿、久方ぶりですな。ご息女も遠路遥々お出でいただき感謝する。滞在中に何か不足があれば遠慮なく申し付けてくれ」
「どうも、こちらこそ手厚い歓迎感謝する。昨年の東部は特に大変だったと聞いたぞ。もし相談事があるならガガラを訪ねるといい。いつでも時間を
「おぉっ、それはまことか!? いやぜひお願いしたいっ! 西部ほどの被害ではないといえ、うちも酷いものでなぁ! このところの天災にはどうしたものかと考えあぐねていたのだっ!」
援助の申し出とも取れる発言にヌジマの血色は途端に良くなった。何度か融資を頼んでみてはその度に断られていたというのに、まさか私的な会談ではなく、他の護り手もいるこの場で向こうから手を差し伸べてくれるとはと、彼は大いに驚き、喜んだ。
逆に、両者のやり取りに顔色を悪くしたのがフォエルマだ。先日同じ内容で追い出しを食らったのに、どうしてヌジマだけ色よい返事を受けたのかと、水面で呼吸する魚のように口をパクパクと開閉させていた。
生前のパジオはフォエルマを嫌っていた。領地の運営が下手なくせに自尊心だけは一丁前で、とにかく自分の頭を下げずに部下に問題を解決させようという
エイレンにはこうして人形の自律行動の元となる記憶……その一部である”心情”という器の残留物も思念の共有で送られてくる。他の個体についてもそうだ。一人一人好くもの、嫌うものが違う。千を超えた人間のありとあらゆる感情が波となって絶えずエイレンの人格を飲み込もうとしているのに、彼女はそういう能力なのだと割り切って平然としていた。数多ある人格の中で己を見失わないというのは並外れた胆力であった。
パジオを取り込んだエイレンは、彼を取り巻く四公間の不安定な関係を利用してやろうと
以前よりタハボートの軍国化を強く主張する西手に対し、変革に反対派のパジオ。どっち付かずのヌジマとフォエルマ……と、この四人をうまく対立させれば内戦へと発展し、多くの人間が入り乱れる機会を生み出せる。その混乱に乗じて国民の体を奪い尽くし、全土を人形で埋めようというのが彼女の考えだった。
できればブノーシュでの滞在中に各護り手を乗っ取っておきたいところだが、叶わなかった時の保険としてまず日和見主義の二人に格差を作っておく。これで邪険にされたフォエルマは西手にすり寄り、優遇されたヌジマはパジオ側に付くという算段だ。内戦前の構図としては上々だろう。
念の為、分かりやすく恨めしそうにしているフォエルマに追い打ちをかけておく。
「そういえば、今日はユーイン殿は来ていないのか?」
「……ユーインには私が留守中の領地を任せておりますが……何故ヤツの所在を気にするのですか?」
「ふっ……いやな、君も東手殿と似たような悩みを抱えていただろう。領地の運営に関する重要な事柄を領主自ら願い来ず、執政任せにするわけがないからな。てっきり君は何かしらの理由で今の役を降りて、ユーイン殿が新たな南手になるのかと思ったのだよ。だが、単に君が交渉のできない無能というだけの話だったのだな。これからも議場で青臭い意見が聞けると思うと安心したよ」
「なっ―― !!」
パジオの言葉にフォエルマは顔を真っ赤にして絶句した。
フォエルマは前南手であった彼の父親が病死したために若くして跡を継いでおり、周囲に
パジオをキッと睨み付け……ここで感情が表に出てしまうところが彼の未熟さだったが、お陰でフォエルマが西手側に回る手はずは整った。調子のいいヌジマは一緒になってフォエルマを嘲笑っているし、これほど気の抜けた連中ならブノーシュで簡単に体を乗っ取れてしまうかもしれないと、パジオを操作するエイレンは心の中で余裕の笑みを見せていた。
この時のエイレンは認識が甘かった。
今まさに彼女の考えを正してくれる人物が、議場の入口の扉を開けた。
「やあやあ、一年ぶりだなぁ皆の者よっ!! 俺が最後の入場みたいだな? 今年も誰一人欠けず集まれたことを嬉しく思うぞ!!」
―― ランカガ・スタウツーデュ。
その風貌はまさしく
ランカガは
「パーージオよぉーーっ、元気にしておったかぁ〜? ミェンタージュ嬢はまた一層麗しくなりおったなぁ!! 毎日顔を拝めるのが羨ましいぞぉ!!」
そう言って座っているパジオの背中をバシバシと叩き、近くにいるミェンタージュの皮を被ったエイレンにも声を掛ける。
見た目通り豪快な絡みを見せるランカガに、議場にいる一同は揃って何とも言えぬ表情をしていた。この様子だけ見ればお調子者の大男だが、そうではないと誰もが知っていた。
侮りや呆れなど微塵も含まれていない……全員の心中を占めているのは”恐怖”だった。
次の瞬間、ニコニコと気持ちのいい笑顔を浮かべていたランカガから一瞬で表情が消え、彼は骨張った大きな手で視線だけを向けていたパジオの顎を無造作に掴み上げ、頭上にいる己の方へと首の向きを無理矢理変えさせた。
「お前、本当にパジオか?」
金の中央に置かれた黒点が冷たくパジオを捕らえる。
エイレンはゾッとした。まるで自分を取って食おうと狙いを定めているかのように、ランカガはパジオの体を伝って自分を見下ろしていた。
そもそも何故気付かれた? 違和感などなかったはずだ、人形の言動は本人の記憶を頼りに発動している。外見も行動も全てが人間の頃と同じだというのに、ヌジマもフォエルマも騙せていたのに何故この男は
呆気に取られた議場の空気に押され、エイレンはハッとしたようにパジオを動かした。
「いっ、きなり何なんだ! 気安く触れるなど、とても大領主の振る舞いとは思えないっ! 二度はないぞっ!」
「いやなに、これも野生の勘というやつだ。近頃は奇怪な現象が多いからな、人を化かす魔物がおらんとどうして言い切れる?」
パジオに抵抗させ、ゴツゴツとした大きな手を振り払わせる。
軽々しく述べられた言い分も見た目通りの
「ちと試してみよう。俺の誕生日を言ってみろ」
ランカガは真面目に悩むように腕を組み、片手でたっぷりと蓄えた自身の顎髭をいじりながら言った。
馬鹿らしい……実に馬鹿らしい流れだが、疑いを晴らすには付き合う他ない。
「まったく何だと言うんだ……! ……七月、七月の二十八日だ。くだらない問答に時間を費やすつもりはない。今の無礼は特別に許してやるから、早く席につけ」
「俺が自分の成人を祝う会で起こした事件は?」
「せっかくの祝いの日なのに好物が出なかったと料理の乗った皿を投げつけた時のことを言っているのか? それとも主役のくせに中抜けして、親類のご婦人に
「では俺の妻の人数は?」
「……いい加減にしないと会議中に一言も発せられないように髭ごと口を氷漬けにして塞いでやるぞ」
「ウーム……妻関連の話を振ると怒り、相変わらずの減らず口……確かに本物のようだな。俺の勘違いだったか」
ランカガは小さく唸りながらも、やっと用意された自席へと向かっていった。
エイレンはパジオの影に隠れてホッと息を吐いた。本当に勘の鋭い人間がいた。認めたくないが、ベルトリウスが言っていた通り、見抜いてしまう人間はいるのだ。
だがこれはどうしようもないことだ。自分の能力は完璧なのだ。万が一に今のような問い詰めがあれば、
「ぜ、全員集まったことだし会議を始めようかっ! では、手元の資料を……」
そうして恐劇に付き合わされたヌジマは未だほぐれない顔で何とか笑みをつくり、そそくさと進行を進めた。
これより、三日間に渡る護公会議が始まりを告げる――。
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