74.机上の殴り合い

「本日は南部よりユーイン執政官しっせいかんがお越しになられますので、こちらの落ち着いた藍色あいいろのお召し物はいかがでしょうか? 同じ型の浅緑もお嬢様の瞳の色とお揃いで大変素敵ですが、才知を感じさせるのはどちらかと言うとこの――」

「別に何でもいいから……あなたが適当に決めて」


 早朝から部屋を訪れた若い使用人の女にそう冷たく言い放つと、彼女は車輪付きの衣装掛けの中から特にすすめた藍色のワンピースを取り出した。


 この使用人は、エイレンが肉体を乗っ取った”人形”の一人だった。

 エカノダの強化を受けたエイレンは進化した脅威性を存分に奮った。元は流動体である彼女にとって、体液の一滴一滴が己の精神を宿す分身だった。本体エイレンが直接手を下さずとも、乗っ取りを済ませた個体が別の標的に体液を与えることによって、新たな寄生が可能となっていた。

 そうして本来の体の持ち主達は自らの身に何が起こったのかも知らぬまま、魂を地獄送りにされた。

 この地盤固めに尽力してくれた人形達の利便性は、ベルトリウスやエカノダの期待を遥かに超えていた。彼ら、彼女らは普段は個々の肉体に染み付いた記憶……またそれに伴う習慣にならって自律的に行動し、加えて見聞きした情報の全てを常時エイレンに転送するという共有思念を有していた。

 逆にエイレンの意思や考えも人形達には自動的に伝達されており、だからこそ使用人が人間の習慣にのっとって答えの知れている無駄な質問を繰り返してくるのが食傷しょくしょう気味になっていた。


 しかし、隣で同衾どうきんする少女はこの意味のないやり取りを気に入っているようだった。



「どれも素敵。とっても似合ってるよ」

「……今のエイレンはミェンタージュなんだから、それってミェンタージュを褒めてることになるんだよ? エイレンはエイレンを褒めてほしいのにさ……イヴがミェンタージュのこと可愛がるんなら、こんな体、変身してたくないなぁ……?」


 いじけるエイレンにイヴリーチは鈴を転がしたような声で小さく笑い、差し込む朝日と同じ金糸の髪を優しく撫でてやった。天蓋てんがいを備えた豪華なベッドの上で、長い胴を幾重にも巻いて収め、微笑む姿は何とも神秘的な妖艶さを放っていた。


 こうしてエイレンに対しては大人びた振る舞いをするイヴリーチだが、一緒にミェンタージュの私室を訪れた初めての日の様子は忘れられない。

 お姫様が眠るようなベッドや色とりどりに輝く装飾品など、奉公時代の屋敷でも目にすることのできなかった本物の上流層の暮らしに囲まれ、イヴリーチは夢の世界に迷い込んだ少女のように、年相応にはしゃぐ姿を見せてくれた。

 ミェンタージュの髪より、ちょっぴり黃味が強くて一本一本が太い金の髪……その隙間から覗く笑顔ときたら、まなこに映る一瞬ごとの光景を全て切り取り出し、額縁に入れて部屋中を彼女で埋め尽くしたくなるほど……その一挙一動がエイレンの胸を刺激した。


 周囲に誰もいないのに二人で一枚の毛布を頭から被り、暗闇の中たわいもない話をしたり……離れの塔の天辺に登り、塵のように小さく見える城下の人間達を観察したり……そんな何気ない時間が永遠に続けばよいのだが、エイレンは消えたミェンタージュに代わって令嬢としての仕事をこなさなければならなかった。

 ガガラが魔物の街と変わり果てても、対外的には知られていないのだから以前の通り交友は続く。今日のように、よその地域からやって来た客人を受け入れるのも必要なことだった。


「これも練習でしょう? 大事な時に能力が解けちゃったら大変だもんね。変身し続けて体を慣らさないと」

「解けないもん! エイレン失敗なんかしないのに、あの男が心配しすぎなの!」

「あの”人”、でしょ? 口が悪くなった時は何て言うんだっけ?」

「ムムゥ……!! ごめんなっ、さぃぃ〜〜っ!!」


 ベルトリウスから課された、”常に变化した姿を維持すること”という指令を実直に守り続けているエイレンは、彼への恨めしさからつい口が悪くなり、何度目かも分からない注意を受ける。

 ぶつくさと文句を垂れながら、これも二人だけの楽園を生み出すためと寝間着を脱ぎ、使用人が携える藍色のワンピースに腕を通した。




◇◇◇




 エイレンは着替えを終えると、何名かの使用人を連れて城の玄関ホールで待機し、訪れたユーイン執政官に慎ましい挨拶をした。

 共和制であるタハボートは”まも”と呼ばれる四人の公人が互いを抑止しながら運営していた。ここ、北部を統べるパジオ・アラスチカは通称”北手ほくしゅ”。今回来訪したユーイン執政官は南部の護り手、通称”南手なんしゅ”であるフォエルマ・アナビーニホの直下の部下であった。


 エイレンは軽い世間話を交えながらユーインを応接間まで案内した。これは本来ならば跡継ぎである男児、特に嫡男ちゃくなんに与えられる役目であったが、アラスチカ家はミェンタージュ以外に子がいないために彼女に割り振られていた。

 若い世代の間ですら男尊女卑の思想が強い現代。少なく見積もっても齢四十を越しているユーインは表には出さないものの、内心では男と同じ舞台に立とうとするミェンタージュに冷ややかな感情を抱いていた。

 彼の内面に気付いてもエイレンは話題に挙げなかったが……互いに当たり障りのない会話をしている間にパジオの待つ応接間に到着したので、役目を終えたエイレンは前腹部でたおやかに手を重ね、小さく一礼して大人しく去った。






「―― なるほど。資金難で金の無心。その頼み込みを本人が書をしたためることもなく執政任せとは……いやはや、ご立派だユーイン殿。主君の代わりに厚顔無恥の看板を背負うのは気苦労が絶えないだろう?」

「……近頃、西手せいしゅ様からよく連絡をいただきます。例のお話を進めたいとのことで……南手は貴方様からの融資ゆうしを受けられなかった場合、西手様の誘いに乗るしかないと……」


 ユーインはエイレン……ミェンタージュの前で張っていた肩をすぼめ、弱々しい目で機嫌をうかがうようにパジオを見つめた。


 南手のアナビーニホがユーインを送ってきた理由は、パジオが言った通り金の無心のためであった。

 軍事力や資源など、これと言って特化したものがないタハボートは近頃金銭的な面で厳しい状況にあった。主に自然災害や魔物被害への対処費用に資金が飛んでいっているわけだが、どの地方もやりくりに困る中、唯一余裕を持って運営されているのが北部だった。

 パジオは裏競売で荒稼ぎした分を懐に収めつつも、それなりに領地の管理費にてて還元していた。まぁ、市民の命を売り買いして得た金なので、決して誇れたことではなかったが……。


 他の護り手達はパジオの一人勝ちを憎いほどに羨みはしても、黒い商売について追及はしなかった。万が一に支援を求める可能性を考慮すると、彼の心証しんしょうを損ねる行為は避けておきたかったからだ。

 仮にを真似て商売を始めれば、パジオは二番せんじの成功を全力で阻止しに掛かるだろう。では、いっそのこと裏競売を罪に問うてアラスチカ家を取り潰し、資財を没収して各地方で分配するのはどうか? という意見も出たが、そうなると統治者の消えた北部で民による反乱が起きるのは必至……乱の鎮静や難民の対処で取り上げた金は消し飛び、それどころか自領地の民には好ましくない反骨精神が伝播でんぱしてしまうため、これも却下された。


 結果、北部の一人勝ち。

 古くから馬が合わず手を取り合うつもりのない西手を除き、東南の二名は如何にパジオに媚びて金をせがもうと躍起やっきになっていた。



「せっかくの春迎えの時期だというのに、相変わらず品のない男だ。奴には次の顔合わせで直接返事をくれてやると伝えなさい」

「……残念です」


 ユーインは肩を落として呟いた。細かい説明がなくとも”返事”は分かりきっていたからだ。


 その後、ユーインは長居することなく馬車に乗って南部へ帰ってしまった。

 パジオは城の上階から遠のく影を見送ると、その足でミェンタージュの私室へと向かい、彼を待っていた愛娘まなむすめ……の姿をした魔物と、その半蛇の友、傭兵風の男二人が集合していた窓際のテーブルへと歩み寄った。


 ―― そう、このパジオもまた、エイレンが操作する人形の一人だった。

 本物はあの裏競売の夜に散り、遺体はベルトリウスに命じられていたコリッツァー盗賊団の手によって大切に保管されていた。……すでに魂の抜けた器は、すんなりとエイレンを受け入れてくれた。


 パジオはミェンタージュ……エイレンの隣の席に座ると、差し迫ったとある問題について話を切り出した。


護公ごこう会議というものがある。タハボートの東西南北それぞれの地区を束ねる大領主が集まり、様々な案件について議論を交わす場だ。それが十日後、東部のブノーシュという街で開かれる」

「十日って……移動も含めたら出発まで日がないじゃないか。どうしてそういう大事なことを早めに相談しとかないんだ」

「……別に、ただ最近の国の現状を話し合うだけだもの。肉体に染み付いた記憶を頼りに適当に相槌を打っていれば終わるわ」


 抑揚のない声で反論してくるエイレンに、ベルトリウスは深々と溜息を吐いた。

 護公会議……上手くやれば全ての護り手をエイレンの人形にできる絶好の機会だ。だというのに、エイレンはろくに情報の共有も行わず、自分独りで行き当たりばったりで事を成そうとしている。いや、もしかしたら本当にただ会議に参加して帰ってくるつもりなのかもしれない。

 懐く気配がない分、余計に扱いづらさを感じさせる彼女にベルトリウスは頭を悩ませていた。いくら見た目が良くても、家人かじんにも吠え続ける犬というのは次第に鬱陶しく思えるものだ。


 だが、エイレンはエイレンで、ベルトリウスの反応に不快感を示した。


「何を心配しているの? 私なら、いちいちあなたの指示を聞かなくとも自力でやり遂げられる」

「やり遂げられるだって? ハッ……平民のフリもまともにできない未熟もんが、どの口でほざいてんだ? こないだ外から来た商人と酒場で会ったけどな、そいつは街の異変に気付いてたよ。君のお人形さん達があまりにも欠落してるせいだ。大口叩くなら、もっと人間と遜色そんしょくなく動かせ。目利きの商人ならまだしも、そこら辺にいるような若い男に正体がバレるなんて情けない話だ」


 あからさまに見下す目で言い放たれると、エイレンの頭の中で”カチンッ”と何かの音が降った。


「何なの? 何であなたにそこまで言われなきゃいけないの? 不満があるなら私は何もしないわ。城でじっとしてる。無断で会議を欠席して他公に目を付けられようが知らない。あなたとエカノダが望む乗っ取り計画が潰れようがどうだっていいもの。私の気を損ねたあなたが悪いよね? あなたが攻撃的な態度を取るから計画が頓挫とんざするんだよ?」

「そうなりゃ別の計画を進めるだけさ。ああ……手を貸してくれない非協力者には褒美を与え続ける必要はないな? じゃあイヴリーチは地獄に返して、金輪際君と関わらせるのはやめよう! これも俺の気を損ねた君が悪いよな? 君が攻撃的な態度を取るから大好きな人と引き剥がされるんだよ?」


 嫌らしく笑い、自身の台詞を引用して煽り返してくるベルトリウスにエイレンは拳を強く握って怒りをこらえた。……こらえたが、返す言葉が見つからない。見つからないというか、怒りで思考が焼き切れて声に出すまでに至らない。

 パジオと挟み込むようにエイレンの隣席に座っていたイヴリーチは、見たこともない親友の表情にたまらず仲裁に入った。


「お兄ちゃん、あんまりエイレンをイジメないで! この子は生まれてからずっと塔に閉じ込められてたから、まだ外の生活を知らないだけなの……!」

「おいおい、まるでこっちが悪いみたいな言い方だな? 喧嘩をふっかけてきたのはどっちだ? 俺は優しく助言してやっただけなのに、いちいち噛み付いて雰囲気を悪くするのは? そもそも塔に閉じ込められてたって言っても、人間を大勢乗っ取って知識を引き継いでるんだから俺達以上に物を知ってるはずだ。なら、その言い分は通らないな」

「……そういうの、大人げないよ……」

「相手の痛い所をわざと突いてやるのが大人のやり方さ」


 ああ言えばこう言う……まさに売り言葉に買い言葉……。

 イヴリーチは蚊帳の外にいるケランダットにチラリと目を向け、助け舟を求めた。最近の力関係はベルトリウスの方が上に見受けられるが、言ってもこの中では人形であるパジオを除いて最年長だ。子供相手に酷く醜い争いを展開する相棒に、流石に一言くらい制する声を掛けてくれるはず……。


「……」


 が、なかった。

 目が合ったケランダットは、二秒も経たずにまぶたを下ろして外界から逃げた。

 面倒に巻き込まれたくないだけなのか、隣の男に意見できないだけなのか……最早高圧的に腕を組んで座っているだけの置き物に、イヴリーチはがっくりと肩を落とした。


 行儀悪くテーブルに肘をつき、いたずらが成功した悪ガキのようにほくそ笑んでいるベルトリウスにイヴリーチが渋い顔をしていると、血が出そうなほど拳を握り締めていたエイレンが僅かに唇を震わせた。


「……じゃあ、勉強させてもらうわ。その大人のやり方」


 俯きがちだった顔が上げられる。努めて冷静な話し方ではあったが、その目は完全にわっていた。


「エイレン……」

「ははっ、いい目をしてるじゃないか! 俺は喜怒哀楽の”怒”を担当かな? 会議の日までにたくさんお喋りしようぜ。会場で煽られても受け流せるくらいに精神を鍛えてやる」

「もう……いい加減にしてよっ!」


 イヴリーチが声を張り上げて注意すると、ベルトリウスは一層楽しそうに笑んでみせた。


 険悪な空気の中、護公会議でどう動くか話し合いは進んだ。

 大まかな筋書きが出来上がると、ベルトリウスとケランダットは退室して城からも出ていった。きっと寝泊まりしている宿屋にでも向かったのだろう。

 必要以上に口を挟まず進行役を務めていたパジオも部屋から追い出すと、エイレンは变化を解いて元の銀の妖精の姿に戻った。


 そして、イヴリーチの手を引いてベッドに誘導し……先に彼女に腰掛けさせると、黒鱗輝く腹に向かって頭から突っ込むように抱き付いた。


「むぁ”ぁ”〜〜〜〜っ!! ぐやじぃ〜〜〜〜ぃ”ぃ”よぉ”ぉ”〜〜〜〜っ!!」


 細く薄っぺらい少女の腹にしがみ付きながら、エイレンは勢いよく足をバタつかせて鼻声で叫んだ。ベルトリウスに言い負かされたのが相当こたえたようで、目から大粒の涙をこぼしながら耳まで顔を真っ赤に染めて、”ゔーゔー”と顔を左右に振り乱しながらうなる。


「あの言い方は酷いよね……エイレンだって大変なのに……」

「ヒッグ……!! あいぢゅのっ、だめじゃに”ゃいにょ”に”っ……!! イヴのだめに”ゃにょ”に”っ……!! ウ”ゥ”ゥ”〜〜っ、顔おもいだじだだけでっ、むぅ”〜〜がぁ”〜〜づぅ”〜〜ぐぅ”〜〜〜〜っ!! 一発なぐっどげばよ”がっだぁ”〜〜〜〜!!」

「ふふっ……一発くらいなら、よかったかもね」


 イヴリーチは殺伐とした雰囲気をどこかにしまったエイレンにホッとして、つい彼女の物騒な泣き言に乗っかってしまった。


 きめ細やかな銀の髪を撫でるようにといてやる。この幼子のようにすがり付いてくる温もりが、今や離れがたいほどに愛おしく感じられていた。

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