71.読書の時間

『 力と叡智 』

 著 ナーム・ミットマンセン



 神代の始まりは未だ定かにはなっていない。

 私はキルテ暦六二二年、教会より派遣され、カーフ大陸にあるホツ国のとある遺跡へと向かった。そこで発見された古い石文いしぶみの解読作業に参加することとなった私は、地元の調査団と共に七年の歳月をかけて成果を上げた。運び出しの際、手を貸してくれた近場の鉱夫こうふ達があやうく石文を落としかけたのには肝を冷やしたが……無知とは本当に救いようがない。彼らに悪びれた様子は毛ほどもなく、今持ち上げている石文が彼らの命をどれだけ犠牲にしても足りないくらい価値があるとも知らず、仲間内で失態を笑い合っていた。(こうして文字にして未来へ書き残すくらいなのだから、当時の私の怒りのほどもお分かりいただけるであろう。石文の、神の御言葉の前だと何の罰も与えなかった己の寛大さを評価したい)


 ……ともあれ、解読は滞りなく進んだ。これも多くの協力あってのこと。この手記を通じ、関わった全ての協力者に感謝する。

 石文の内容は以下の通りである。




 ”まず虚無より双神が生まれた。

 双神が生まれると世界は光に包まれ、祝福の力によって植物が芽吹いた。

 双神は互いの心の臓を裂き、義神を増やした。

 そして義神によって、あらゆる命が生まれた。”




 ……この石文の発見は大いに教会を喜ばせた。今回の調査で今まで不明だった二点について明らかになったからだ。


 一つ、最高双神であるロトナスとマルカダスは、””よりいでたったということ。

 二つ、義神……つまり双神以降に名を連ねる神々は、双神の心臓を裂いて生まれた、言わば”分身”であること。


 ロトナスとマルカダスはそれぞれの心臓を裂き、新たな神を生み出した。ロトナスの子とされているアブカシュギル、マルカダスの子とされているペーレンテーヌはこうして生まれたのだ。ロトナスとマルカダスのどちらかが実は女神にょしんであったとか、どちらかが両性具有りょうせいぐゆうであったとか、今まで様々な説が議論を呼んだがこれにて決着だ。

 双神の子、アブカシュギルとペーレンテームもまた心臓を裂いて新たな神を生み出したのだろう。神々はそうして系譜けいふを紡いでゆくのだ。今後の教典きょうてんもどんどん改編されていくのだろう。教会からの仕事が増えそうだ。

 さて、次項からはロトナスとマルカダスの性質の違いについて個人的に詳しく ―― ……




◇◇◇




『 原初の罪 〜 美の嫉妬、その行方 〜 』

 著 サル・マ・タスマルニアムス




 今日こんにち美の神として知られるカヤスリエは、一方では嫉妬の神とされている。これは神学、芸術学を学びし者の間では初めに教えられる話である。



 ―― カヤスリエは女神である。まだ霊界に神々の住まう冥界しか存在しなかった頃、カヤスリエは己が誇る生まれ持った美で他の神を誘惑するのが日課だった。相手が男神だんしんだろうが女神だろうが無性だろうが、お構いなしに声を掛けては己のわがままで振り回すことを喜びにしていた。実際至上の美しさを有する彼女に微笑みかけられると、皆最後には横暴を許してしまっていた。

 そんなカヤスリエには同じ心臓から生まれた弟がいた。それがジェプシェである。


 ジェプシェは大山を背に抱えられるほど大きな、体毛に鋭い針の付いたネズミの姿をした男神であった。平和すぎる冥界で力比べの相手がいないと日々ぼやくロトナスを想い、心臓を裂いたアブカシュギルより生まれ出たジェプシェだったが、他の神々が人型であるのに対し、ジェプシェの姿形はかなり奇怪に見えてしまった。大変に驚いたアブカシュギルは、その場で我が子を遠い荒野へと放り投げた。


 捨てられたジェプシェは孤独の身を嘆き、独り荒野で縮こまって泣いていた。毎日泣き続けた彼の涙は次第に川となり、何もなかった土地には草花が生え、たまに空間にひびが入りそうなほどの大きな嗚咽を漏らすと地形が変動し、辺りは立派な山岳地帯へと変化した。

 そうして彼が生まれてから何十年と経った頃、親恋しくなったジェプシェはついにアブカシュギルを求めて旅に出た。

 闊歩かっぽする巨躯は大いに目立ち、初めて見るジェプシェに興味を持った神々は声を掛けて呼び止めた。しかし大きすぎるジェプシェに対し、神々は小さすぎた。ジェプシェにとっては周囲に羽虫が飛び交っているようなもので、彼は悪意なく神々を撃ち落としてしまった。

 この一件が双神の耳に入るとアブカシュギルは大慌てで己が恥をび、冥界一の勇士であり、神々の長であるロトナスに我が子の暴走を止めてくれと泣き付いた。

 一歩足を進めるだけで地を揺るがし、通りの山々を破壊してゆくジェプシェはすでに厄災として扱われていたが、ロトナスはそんなジェプシェを瞬く間に仕留め、アブカシュギル並びに他神々から称賛しょうさんの嵐を浴びた。


 かろうじて一命を取り留めたジェプシェは、列の中に長年再会を夢見たアブカシュギルの姿があることに涙した。ロトナスは自身の技を受けて尚、声を上げて泣くほどの余力のあるジェプシェを評価し、打ち合いの敵手として召し抱えてやった。

 一方、事の発端となったアブカシュギルは方方ほうぼうから非難され、同じ刻に生まれた妹ペーレンテーヌの宣言によって、”虚偽きょぎの神”という不名誉な称号を授けられた。


 召し抱えられてからのジェプシェはロトナスに心酔した。追い求めたアブカシュギルより親として、師として完璧だった最高神を慕い、いつも後ろをついて回った。手のかかる子ほど可愛いと言うべきか、堅物だったロトナスもジェプシェを可愛がり、彼をネズミの姿から自身を模した筋骨隆々の人型へと変化させ、彼が捨てられたあの地域一帯を”ホンボール”と名付けて不壊ふえの祝福を与え、依然巨体に変わりない彼がそれでも自由に住まえる領地として定めた。




 カヤスリエはこの頃からジェプシェに対する憎しみの念を強めていった。端的に言うと、唯一自身を他の神々と分け隔てなく叱責する峻厳しゅんげんなロトナスが、突然に現れた異形の弟に入れ込んでいるからである。

 それだけではなく、ジェプシェがロトナスの下について以降、彼らと共に打ち合いを楽しむ神々が増えてきてしまったのだ。平和だった冥界に”戦い”という娯楽が生まれてしまった。カヤスリエのわがままに付き合うよりも闘争による発散の方が有意義だと唱える神が多くなると、いよいよカヤスリエの胸中きょうちゅうは穏やかではいられなくなった。


 そして、ついに冥界を揺るがす出来事が起きてしまう。

 カヤスリエは実の弟を誘惑し、彼に同族殺しをさせたのだ。


 美しいカヤスリエから”百の神の金羽が欲しい”と頼まれたジェプシェは、ホンボールから出ると手早く近隣の神々を引っ捕まえ、背に生えた黄金の羽をむしって奪い回った。ロトナスが駆けつけた頃にはすでに百の屍が詰み上がっており、当惑するロトナスにカヤスリエは、”ジェプシェのあれは乱心ではない。彼は以前より傲慢に力を誇示こじするような発言をしていた。自分はそんな弟が恐ろしくて止められなかった”と、心から嘆く演技をしてみせた。神々の頂点に立つロトナスが、如何なる理由があっても同族殺しを許容することはないと知っていた。


 カヤスリエの思惑おもわく通り、ロトナスはジェプシェを処罰した。

 しかし、泣く泣く己の凶行きょうこう理由わけを語ったジェプシェを哀れんだ打ち合い仲間の神々が今度はカヤスリエを非難し、双方の言い分を聞いたマルカダスの助言によってジェプシェは断命ではなく冥界からの追放へと減刑された。

 ロトナスは最後の別れのその一瞬まで涙を枯らさなかったジェプシェを哀れみながら虚空へと放逐ほうちくすると、カヤスリエにもホンボールへの永久幽閉の罰を与えた。ジェプシェが消えてからというもの、元より個でいることを好いていたロトナスは一層独りを好み、二度と他神に笑顔を見せることはなかったという。



【解説】


 本書の主題の通り、これこそ原初の罪であると言えよう。それまで平和だった冥界に嫉妬の芽が生え、成長した私怨しえんにより多くの神が命を落とした。実に人間臭い話であるが故に、神々に無欠を求める”熱心”な信徒からは無神論者達の悪質な作り話と忌み嫌われている。

 私は学者として、そしていち信奉者として上述を作り話だとは思わない。一説には魔物の故郷である”地獄”をつくったのが、この追放されしジェプシェではないかと言われている。 ホンボールに幽閉され暇を持て余したカヤスリエは地上のありとあらゆる生物を生み出したと伝えられている。彼女と同じ心臓から出たジェプシェならば、同様に魔物を生み出す能力があるのではないか……加えてロトナス譲りの闘争心があれば、行き着いた地で己をないがしろにした神々に戦いを挑んでも不思議ではない。


 あくまで一説であるが、面白い見解だ。カヤスリエは今の世界をどう見ているのであろうか? 些細な憎しみで弟を追い出したがために、まさか永遠を牢獄じみた場所で過ごすとは思わなかったであろう。この話には他者を陥れると己にも罰が返ってくるという良い教訓も含まれている。私のお気に入りの神話の一つだ。


 ……最後に、私は各地の伝承を調べ歩き、まとめた知見をこうして著書に記しているが、皆に気を付けてほしいのが、これがカヤスリエを欺く唯一の手段ということである。

 神々はちっぽけな人間のやる事なす事にいちいち干渉してこないのが基本だが、カヤスリエだけはこと己の美貌や評判に関わる話には常に聞き耳を立てている。俗的な言い方ではあるが、ホンボールに幽閉されている彼女は本当に暇なのだ。

 彼女は我々人間……いや、生命体全ての母であると言えるが……母の悪口は言いたくないが、正しき神話を伝えることが私の使命だ。


 ……とにかく、彼女の包囲網ほういもうから逃れるには私のように筆記で情報を残すしかない。命が惜しければ、決してカヤスリエに醜聞と取られるような話を口にしてはいけない。酒の席の軽口も中身を選ぶことだ。彼女はいつだって諸君らの声に耳を傾けている。











 ―― 本書の著者タスマルニアムス氏はこの作品を出版してしばらく、多くの研究者の目前で突然奇声を上げて絶命した。死因は不明。ただ一つ確かなのは、文章として神の目から逃れても、それらを見聞きした人々の口にふたをするのは不可能だということだ。学問とは犠牲により進歩するものであるが……このような最期は悲惨なものだ。皆、改めて気を付けられたし。


 一〇七三年、亡き師をいたみ、勇気ある愛弟子ヤーマル・コルトンが忠告する ――




◇◇◇




「……読めねぇ」


 ベルトリウスは流し見していた分厚い本をパタンと閉じた。


 寝込む相棒を待つ間、暇に悩んだベルトリウスは部屋の棚に飾られていた本を何冊か取り出し、ベッド横に移動させた椅子に座りパラパラとページを捲っていた。

 ジールカナンで使われる文字と同様のもので構成された文章は、ある程度は読み進めることができたが……所々タハボート特有の文法や単語が出てくるので、熟読と呼べるほど内容に集中することはできなかった。


 そして太陽が天辺まで昇り切った真昼になると、いつの間にやら荒い息を静めていたケランダットが突然何の前触れもなく体を直角に起こし、目を覚ました。


「……長いこと寝てたな。いや、あの怪我の具合からしたらお早いお目覚めなのか?」


 ベルトリウスが声を掛けると、落ち窪んだまぶたにはまった眼球がこちらに向けられる。

 ケランダットはベルトリウスが手にしていた本と彼の顔を交互に見つめると、数秒の間を置いて意外そうに呟いた。


「……お前、本読めるのか」

「あー、うん。ちょっとはな。どれも難しくて読めやしねぇけど、他にやることないし暇すぎたし……時間潰しに別の部屋見て回ってたら、お前隣に気配ないの察して這って追い掛けてくるんだもんな。ははっ、マジモンの幽霊かと思ったよ。生霊いきりょうってやつ?」

「……なんだって?」

「はぁ……あんだけ騒いでたくせに覚えてねぇの? ”どこにも行かないでくれぇ〜!”、って泣き付いてきたのは? とにかく俺にありがとうの一言くらい寄越せよ」


 これ見よがしにベルトリウスが溜息を吐くので、ケランダットはエカノダに腕を折られた後の記憶を辿るが……あの時は激痛のせいで意識が曖昧で、ベルトリウスが言うような迷惑を掛けたという記憶は都合のいいことに一切持ち合わせていなかった。

 すっかり正気を取り戻したケランダットは、鼻を鳴らして呆れたように言い放った。


「いつ俺が泣き付いた。そんな情けない台詞を吐くわけがないだろう」

「うっわ出たよっ! 言ってだろうがよぉ、ガキみてぇにビービー泣きじゃくって俺の手を掴んでさぁ! あん時ぁもう恐怖すら感じたねっ、大の男が一人にするなだぁ、見捨てないでくれだと女々しく喚きやがって!」

「言うわけがねぇ。嘘吐くならもう少しマシなのを考えろ」

「あ”ぁ”〜〜〜〜!? おっま……俺の一晩を返せよ!? せっかく夜街に出向くのを我慢して看病してやったのに、時間をドブに捨てさせやがって!」

「知るか。勝手にどこへでも出掛けりゃよかっただろう」

「ハァァァ〜〜〜〜!? ンだおめぇ〜〜〜〜っ!?」


 無表情で売り言葉に買い言葉を繰り出すケランダット……ベルトリウスは握りこぶしをわなわなと震わせて声を荒らげた。


「そんだけ口が達者ならもう居てやる必要はねぇなっ!? 了解も得たことだし俺ぁ明日まで街から帰ってこねぇから!! 邪魔しにくんなよ!!」

「……病み上がりの仲間を放って商売女の所へ行くのか? お前は最低だ、義理がない……」

「テメェいい加減にしろよ!?」


 ベルトリウスは恨めしそうに見つめてくるケランダットの頭をまた殴ってやりたくなった。

 結局その日はケランダットに湯浴みをさせ、身なりを整えた後に快気かいきを祝って二人で街へ出掛け、酒場をはしごして飲み明かした。

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