59.大人日記(12…)

「規則を破ればすぐに家へ送り返し、冬の支援分を年貢に上乗せして取り立ててやるからな。だが、問題を起こさず真面目に働き続ければ、支援は支援だ。余計な取り立ては無しにしてやる。いいか、俺の言うことに逆うな。反抗するな」


 屋敷に到着するなり、待ち構えていたトベインがつらつらと述べた。

 筋部分の中央が少し出っ張った所謂”ワシ鼻”をしたトベインは、二人を品定めするように上から下までまじまじと見つめ、ひとしきり満足すると控えていた従者に命じて、用意しておいた食糧の詰まった大袋を父に渡した。


「ふんっ……計画性もなしに子供をつくり、あまつさえ我が身可愛さに成長した子を売るとは情けない男だ」


 屋敷の者に見送られる中、遠ざかって尚ペコペコと頭を下げながら振り返り、謝意を表す父に向かって荘園の主は冷たく言い放った。


 トベインの屋敷で暮らしていたのは、彼と彼に仕える六名の大人の使用人、それに外部から派遣された兵士十名。一番数が多いのは、奉公として貧しい各家から繰り出された住み込みで働く少年少女だった。

 着いて早々にイヴリーチは調理、洗濯、裁縫などの家事をこなす女方の作業場へ、アリムは農作業や家畜の世話などの力仕事をこなす男方の作業場へ案内された。


 集落でも弟妹以外の余所の家の子供がいなかったわけではないが、ほとんどの時間を大人と共に仕事に費やしていたイヴリーチにとって、十名以上の同年代の人間に囲まれることはとても新鮮な体験だった。

 皆、新参者にはなかなか警戒を解いてくれなかったが、初日の針仕事を共にしたグリーという純朴な少女だけは、いち早く心を開いてくれた。


 グリーは年頃に現れる擦れた部分のない純朴な少女だった。

 屋敷へ送られた子供は親寂しさに初週はだいたい使い物にならないが、イヴリーチは特に手際が良い。それに容姿が整っていて、奉公人ではなく、どこぞのお姫様のようだ……など、社交辞令と分かっていても本気で照れてしまうくらいに愛想良く歓迎してくれた。

 歳が一個違いで接しやすいグリーにイヴリーチはよく懐き、グリーもまたイヴリーチを可愛がってくれた。

 二人はしばしば互いの境遇について教え合った。


 屋敷に移り八日目。初週を乗り切った今日の話の種は、主人であるトベインだった。

 荘園にはいくつかの集落が存在し、イヴリーチの一家が属していた集落を含めて五つ点在している。トベインは農奴の働きようや作物の成長度合いなどをこまめに観察し、指導し、定められた割合の年貢を徴収する。そして、集めた年貢をさらに上の役人へ引き渡して初めて、トベインの年間を通しての大仕事が終了する……と、先輩の奉公人から教えてもらった主人の仕事内容をグリーは得意げに説明してくれた。

 しょっちゅう集落を訪れていたトベインの謎が解け、イヴリーチは感心するように声を漏らした。


「収穫が少ないとトベイン様がお役人様に怒られるからね。だから、いっつもピリピリしてるんだよ。目とかこーんなに! つり上がっちゃってさ!」

「わっ、誰かに見られたら大変だよグリー!」


 グリーが人差し指で自身の両の目尻をグイッと上へ引っ張るので慌てて止める。冷えきる水の刺激を我慢しながら大型のバケツで掛布を洗っていた二人は、周囲に誰もいないことを確認して笑いあった。


「でも、トベイン様って意外といい人なんだね。思ってたより普通っていうか……ご飯やベッドが当たるなんて思わなかったよ」


 イヴリーチはかじかむ手を温めながら言った。

 到着した時にトベインから言われた通り、仕事を真面目にこなしていれば不自由はなかった。むしろ家より良い暮らしだ。一日三食の食事が与えられ、大部屋の寝室には簡易だが個人のベッドも用意されている。

 作物の出来を確認しに集落まで降りてくる時のトベインは横柄に見えたが、実際はそこまで悪い人間ではないのではと思った。グリーは”毎日同じ仕事はつまらない”、”親に会いたい”と、度々愚痴をこぼしていたが、イヴリーチにとっては家族のいる生家の方がよっぽど窮屈だった。

 返答がないのを不思議に思い、グリーを横目でチラリと確認してみると、常時穏やかな笑みを浮かべている彼女の顔には影が差していた。


「……あの人は酷い人だよ。あなたはまだ悪いところを見てないだけ。むしゃくしゃしてる時に目が合うと女の子でも平気でぶたれるんだから。私も他の子も経験がある。でも、イヴは……別のことを心配した方がいいかもね」


 グリーは意味ありげな言葉を投下して、”さぁ、作業に集中しよう”と話を強引に終わらせた。


 数日後。姉弟が屋敷で働き始めてから、ちょうど二週間が経った日のことだ。

 いつものように起床を知らせる外の鐘の音で目を覚ましたイヴリーチは、他の子供と同様にまず身支度を整え、それからグリーと合流しようと彼女のベッドまで赴いた。

 グリーの様子が昨日と違うことには、すぐに気が付いた。

 挨拶をしたというのに、グリーはイヴリーチの声がまるで聞こえていないかのように背中を向け、上着の首部分の紐を結んでいた。

 イヴリーチは三度声を掛けた。


 ”おはよう”

 ”グリー、どうしたの?”

 ”調子が悪いの? 大丈夫?”


 軽く肩に触れてみても、彼女がこちらを相手することはない。

 確かに昨晩まで普段通り会話していたのに、いったいどうしたというのか……イヴリーチが途方に暮れていると、背後から数人の含み笑いが聞こえた。

 振り向くと、そこには初日の挨拶以外でほとんど交流のなかった女子五人が薄ら笑いを浮かべて立っていた。


「やめなよぉ。グリーが嫌がってるの、わからないのぉ?」

「え……?」

「アタシら気になってたんだよねぇ、初日からグリーに馴れ馴れしくしすぎじゃないかってさぁ。グリーは先に働いてる先輩なんだよ? いくらあの子が優しいからって四六時中ベッタリくっついちゃって……本当はグリーも迷惑してるんだから。ね、そうでしょグリー?」

「え……うそ、だよね? グリー……?」


 グループを率いているらしい中央の少女二人の悪口あっこうに隙を突かれ、イヴリーチは動揺してしまった。

 否定を待てどもグリーは僅かに体を揺らしただけで無言を貫き、やはり顔を合わせようとはしなかった。それは唐突に口撃を仕掛けてきた少女達にくみするという意思の表れであり、何が何だか分からない展開に、イヴリーチは刃物で心臓を突かれたような鋭い衝撃に襲われた。

 深い悲しみに傷付くイヴリーチを見て、少女達はキンキンの笑い声を響かせながら楽しそうに続けた。


「知ってるよ、あんた男子に色目使ってるんでしょ? あっちの作業場にチラチラ顔出してるらしいじゃない。こんな場所で男探りとか恥がないわけ?」

「それはっ、一緒に来た弟がちゃんとやってるか気になって見に行っただけで――」

「そうそう〜、ご主人様にも怒られたことないらしいしさぁ、その顔って大人にも通用するんだぁ? すごぉい!」

「はっ……なにを言ってるの……?」

「イヤーー! やっばいねそれぇ! ガキのくせに色仕掛? 気色わる〜〜っ!! あんたみたいのを”インラン”って呼ぶんだよ? ひとつ賢くなったねー、おめでとぉー!」

「っ、そんなことしてないってば! 人の話聞いてよ!」


 反論しようとすると、さらに大きな声で掻き消してくる。イヴリーチは目に涙を溜めながら半ば叫びながら反発した。

 気が付くと、部屋中の他の奉公少女達がこちらを見て仲間内でひそひそ話をしていた。発せられる侮りの言葉や視線を辿ると、行き着く先は嫌味を言った少女達ではなく、イヴリーチだった。

 たまらず部屋を飛び出すと、後にした室内からドッと大きな笑い声が起こる。

 こんなことがあった直後に顔を合わせられず、イヴリーチはこの日の朝食を抜いた。食事は男女共同で取る。奉公人全員が揃ってから食前の祈りを捧げ、年長者から順に手を付けてゆくのが決まりだ。

 だから、一人食卓に現れなかったイヴリーチを、奉公人の世話役を務めていた中年女性の使用人は強く叱り、以降は必ず席に付くことを約束させられた。


 完全に孤立したイヴリーチへの嫌がらせは口撃だけに留まらなかった。一度輪から外れた者に対し、子供の排他性は常軌じょうきを逸して働くものだ。

 ある時はスープに虫の死骸を浮かべられ、ある時は衣類の肌が触れる面に小さな針を隠し縫いされ、またある時は厩舎きゅうしゃの糞溜まりに服を捨てられた。

 他にも深夜の睡眠時間中に鼻を摘まれて呼吸を止められたり、女子以上に関わりのない男子へも食事での接触で変な噂が広がったのか、たまの外でのすれ違い時に汚い罵りを受けるようになった。


「あんたねぇ、良くない報告ばっかり受けてるよ。いい加減にしないと旦那様に言い付けるからね」


 世話役はイヴリーチばかりを注意した。

 自分の印象が悪いことは知っていたが、しっかりと身の潔白を訴えれば世話役も理解してくれるはずだと、不毛な行為に対処してくれるはずだと、イヴリーチは一縷の望みをかけて現状を説明した。

 しかし、返ってきたのは同情や解決への糸口ではなく、一発の張り手だった。


「言い訳するんじゃないよ、まったく嫌らしい子だね! どうせ家じゃ何の苦労もせずチヤホヤされてきたんだろ? ここはそんな甘い所じゃないんだからね! 私は何年も前からあの子達の面倒を見てるけど、一度もイジメしてるとこなんて見たことないの! いい子ばかりなの! そうやって他の子を貶めるような性格してるから仲間外れにされるんだ、当然のことだよ! 反省しな!」


 フンッと鼻を鳴らすと、世話役は踵を返してどこかへ行ってしまった。


 実直に生きていれば、いつか必ず報われると思っていた。

 ジンジンと熱を帯びゆく頬が、この世の理不尽の片鱗を見せてくれた。


 ……依然としてイジメは続いたが、イヴリーチは何とか耐えていた。

 酷い仕打ちも続くと慣れてくるもので、たまに虫入りの皿を隣の席の子の皿とこっそり入れ替えたり、厩舎行きであろう見た目に差異がない作業着は、傍観役に徹している無関係の少女の物とすり替えたりして反抗してみせた。

 イジメっ子からすれば上手く切り抜け始めたイヴリーチが余計に憎たらしく感じるもので、ついに集団暴行という直接的な手に持ち込まれたが、幼い頃からクワを振って鍛えられたイヴリーチの肉体は屋内仕事しかしてこなかった同世代の少女達を圧倒し、複数人まとめて返り討ちにしてしまった。

 容赦なく顔を狙った反撃は無論世話役へ伝わり、イヴリーチは強烈なビンタを三発食らい、丸一日食事抜きで折檻せっかん部屋へ隔離されることとなった。


 折檻部屋でイヴリーチが気を揉んだのは自身の今後ではなく、アリムについてだった。

 唯一頼れる相手であるアリムには、イジメが始まって以来会っていない。また移動の隙間時間にでも姿を覗きに行きたいが、きっとアリムも姉がイジメの対象になって巻き添えを食らっているだろうし、良からぬ噂が広まっているこの時期に彼と接触するのは、さらなる悪手だと思ったので止めていた。

 食事の席でひと目顔を見るだけで充分……それも、あちらと目が合いそうになると先に視線をそむけて避けた。今以上の迷惑は掛けたくなかった。

 だが今回、結局自分の忍耐が足りないせいで騒ぎを起こしてしまった。アリムへ飛び火しないことを願うばかりである。

 狭く暗い押入れのような空間で、イヴリーチは最愛の弟を想って啜り泣いた。


 そんな悲しみの中、救いの手を差し伸べてくれたのは意外な人物だった。

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