43.横暴の穴蔵 ― 1

 市場から外れた暗い路地……自身を掴み上げていたベルトリウスの手を払いのけた物乞いの男は、打って変わっての力強い眼力で、身長差のあるベルトリウスを忌々いまいましそうに見上げていた。


「あんたさん、選ぶ相手を間違えてるようですが」

「いいや、合ってるさ。宝石を売りたいんだ。買い取ってくれ」


 市場で今にも殴り掛かってきそうな雰囲気で接近してきた青年が、別人のように人当たりの良い顔付きで勝手に話を進める様に、男は不快感を露わにした。


「……あたしは物乞いですよ。今すぐに役に立つ物が欲しいんです。食い物か金……それ以外はいりません。ましてや石なんて……」

「安い演技はいい。あんた賊の一味だろ? こっちは手っ取り早く金が欲しいだけなんだ。なぁに、すぐ足が付くような物じゃない。万が一を考慮して裏に流すだけだから、早くお仲間の盗品商の所に案内してくれよ」


 そう淡々と述べるベルトリウスに、男は観念したように深い溜息を吐いて、禿げ上がった頭を掻いた。


「先に答えな。どうして俺が盗品に関わっていると分かった? 誰か俺の正体をバラした奴がいたのか?」

「ははっ、そんなの……単に俺も盗賊をやってたから見分けがつくだけさ。それっぽく体を汚してみせてるが、隣にいる本物の物乞い共に比べりゃ肌につやがありすぎる。痩せ型だが栄養のある食事を定期的に取り続けている証拠だ。そういう奴は大抵、表で一般人のふりをして情報集めをする”耳役”だからな」

「……チッ、気に食わねぇが……いいだろう。商人の居場所を教えてやる」


 同業者とはいえ、擬装を容易く見破られてしまった男は矜持きょうじが傷付いたのか、尚のこと不機嫌そうに顔をしかめながらも目的の場所を教えてくれた。


「この大通りを真っすぐ進むと第三市場に着く。そこでカンテラが五つ掛かった宿屋に入って、店員の赤髭の男に”チェリルが忘れたスカーフを取りに来た”と伝えろ。そうすれば、さらに案内が始まる」

「どうも」

「……問題を起こすんじゃないぞ。ただでさえ持ち場にしてる市場で騒がれてんだ、これ以上俺に迷惑をかけないでくれ」


 男のささやかな頼みに無言で手を振って答えると、ベルトリウスはケランダットに目配せをして横の大通りへと抜けた。


「あいつ盗賊だったのか」


 一連の流れを傍観ぼうかんしていたケランダットは、ベルトリウスがわざわざ男に濡れ衣を着せてまで市場から連れ出したのかようやく理解した。

 裏社会の人間は基本的に自分優位で物事を進める。格下と判断されれば骨までしゃぶられる世界では、時に手荒な行動に出た方が上手く話を進められることもあるのだ。


「大都市には盗品を扱う奴らが組織的に居着いてることが多い。特にここみたいに取り締まりの緩そうな所じゃな。もしかしたら街の盗賊団も領主と絡んでんのかもしれねぇ、換金ついでに探り入れてみっか」

「どうせ俺の出る幕はない。好きなようにやってくれ」

「へへっ、任せときな。俺ぁこの手のが得意なんだよ。……ところで、ここの物価ってどうなってんの? 宝石一個の値打ちとか知ってる?」


 ヘラヘラと笑みを浮かべるベルトリウスに尋ねられ、ケランダットは少し考えてから口を開いた。


「値打ちか……まず、タハボートの通貨はイズだ。銅貨一枚で一イズ、銀貨一枚で二十三イズ。金貨は市場で出回る代物じゃないから確かな額は知らんが、だいたい九十イズ前後か? 傭兵のひと月分の給金が……まぁ、その団や仕事内容によるが、俺が所属していた所は二十前後だった。出店の安酒が一イズで二、三杯飲めるから……八十イズくらいはいくんじゃないか? 俺は昔から着飾るもんに縁遠かったからな、相場の良し悪しは分からん」

「ふーん……じゃ、そんくらいを目安に駆け引きするか」


 売値を決めている間に第三市場に到着した二人は、カンテラが五つ掛かった特徴的な建物をすぐに発見し、中へ入った。


 そこは三階建ての民家二軒分の、大きいとも小さいとも言えないごく普通の宿屋だった。

 入口の扉の開閉に合わせ、上部に付いていた小さなかねがカランと鳴る。一階部分は食堂を兼ねているようで、食事を取りながら会話をしている一般客の姿がちらほらと見受けられた。

 内装に目立った汚れはなく、暖炉やランプの橙色の明かりが温かみを感じさせる、落ち着いた雰囲気の店だ。先に情報を得ていなければ、ここが盗賊の隠れ家だなんて誰も疑いもしないだろう。



 ベルトリウスらが受付台の前に立つと、食堂のテーブルを布巾で拭いていた年増の女性が用を尋ねに。


「いらっしゃいませ。お泊りですか? お食事だけですか?」

「あー、いや、そっちの人をお願いします」


 ベルトリウスは女性に断りを入れ、奥の調理場で作業をしていた大柄な赤毛の男を指差した。

 女性は何故他の店員を指名するのかと不思議がることもなく、”お待ちくださいね”とだけ言って後ろに下がり、赤毛の男に声を掛けてこちらに向かわせた。

 ずんずんと近付いてくる男は、女性と違い鋭い圧迫感を放っている。男が前に来ると、ベルトリウスは例の合言葉を口にした。


「チェリルが忘れたスカーフを取りに来たんですけど」

「……こちらにどうぞ」


 赤毛の男……通称”赤髭”は無愛想な表情を変えず、一般の宿泊客を案内する時と同じように食堂脇にある階段を上っていった。

 赤髭は二階の廊下の突き当たりの部屋の前で立ち止まると、ポケットから鍵の束を取り出し、その中の一本を鍵穴に差し込んで扉を開けた。しかし扉の先にあったのは、また同じ型の扉であった。

 別の鍵を使って新たに出現した扉を開けると、そこには床に穴が空いた、部屋とも呼べない収納庫のような狭い密室があった。穴には地下へと続くはしごが掛けられていて、赤髭は今しがた通ってきた二つの扉を順に閉め、内側から鍵をかけ直すと、はしごを伝って下へ潜っていった。


「付いて来い」


 顔が沈みきる前にそう告げると、赤髭は窮屈そうに体を動かして黒い円の中へと消えた。

 奥で詰まらないようにベルトリウスも間隔を開け、はしごに手足を掛ける。下りる直前に最後尾を歩いていたケランダットと目が合うと、彼は如何にも億劫そうな顔付きで穴に入る自分を見つめていた。

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