第三章 口腹の幸福

40.悪の華

 地獄へ戻った二人は困惑した。

 見慣れた荒野に帰ってまず目に留まったのは、キラキラと玉虫色に輝く城であった。


「これ……エカノダ様が建てたのか? 入っていいのかな……」

「俺が知るか……」


 城といってもこじんまりとしたものだが、領地を発った時にはなかった建物に、ベルトリウスとマギソン―― 改めケランダットは、少し考えてから入口らしき空洞をくぐった。

 中は明かりがなく真っ暗だったので、夜目が効くベルトリウスが先導した。外観こそきらびやかだが内部は簡素な造りで、どの壁も外壁と同じ素材でできているようだった。


 途中、枝分かれする箇所もあったが、正面の道を選び続けると開けた場所に辿り着いた。

 そこは広間だった。ついさっきまで戦闘を行っていたダストンガルズ邸の玄関ホールと同じくらいの広さで、最奥に構えられた段差を越えた先にはどうやって用意したのか、鈍く発光する赤い玉座が設けられていた。

 その玉座で足を組み、あでやかに座る女……久々に顔を合わせたエカノダは、マスク越しにニッコリと微笑んだ。


「よく戻ったわね。ここも随分変わったでしょう?」

「いや変わり過ぎって言うか、何て言うか……一体どうしたんです、この城は?」

「ググウィーグの死体を加工して建てたの。せっかくの領地……好きなように開拓しなければ面白みがないわ。それに、成り上がるにはそれなりに落ち着く拠点が必要だと思わない?」

「開拓、ですか……それにしても玉座って。如何にも成り上がりの趣味っぽいですね」

「何か言った?」

「いいえ……」


 こうして締まりのないやり取りを交わしていると、今回は死なずに任務をこなしてきたんだなという実感が湧いた。

 エカノダは優雅に腰掛けていた玉座から降りると二人の元へ寄り、特にケランダットの顔をじっくりと見つめた。通路同様に広間もまた光源がなく真っ暗なのだが、前に立つエカノダの気配と視線を感じて、ケランダットは眉間にシワを寄せた。


「……なんだ」

「さっぱりした顔付きになったわ。以前より雰囲気もいい」

「……そうか」

「あら! 返事もできるようになったじゃない! 成長したわねぇ?」

「……」


 無視ばかりしていた以前の態度を揶揄やゆするエカノダに、ケランダットは口を尖らせてそっぽを向いた。

 茶化してはいるが、彼女なりに心配していたのが分かる。ケランダットも見送られた時のエカノダの態度を覚えているので、これは両者共に照れ隠しをしているだけなのだ。ベルトリウスはぬるい友情ごっこに内心くだらないとあざけりを入れた。


 目の前の部下からどう思われているとも知らず、エカノダはベルトリウスに視線を移して尋ねた。


「あとは? 何か報告はある?」

「あー……地上で管理者に会いました。スニカっていう人間の男の格好をした奴で、本人曰く領地争いには興味ないらしいです。どうしてか襲撃の手助けをしてくれて……」

「手助け? 妙ね……別の管理者の獄徒にそんなことするなんて。本能が備わってないのかしら……」

「本人も敵意は否定してましたし、実際向けられた感じもありませんでした。能力も目的も分からずじまいで去ってったんですが、一応気になったんで伝えときます」

「そう……とりあえず注意しておきましょう。次に見掛けても警戒を解かないように。知能の高い魔物が管理者を名乗ってるだけかもしれないし、本当にただの気まぐれな管理者かもしれない。とにかく、そいつを信用してはいけないわ」

「分かりました」


 そう言ったものの、エカノダは腕を組んでやや考え込む様子を見せた。それほどスニカの存在は管理者の中では異端なのだろう。

 彼女が黙り込んでいる間にベルトリウスは思い出したようにケランダットの背後に回り、腰のポーチを勝手に開けて、しおれ気味の一輪の花を取り出した。


「これ植えていいですか?」


 何の気なしに花を掲げて話すベルトリウスに、エカノダは硬い表情を崩して気の抜けた面を見せた。


「何なのそれ?」

「咲いた時の色で運勢を占う花らしいですよ。面白そうだから摘んできました」

「お前、案外乙女趣味なのね……まぁいいわ。どこにでも植えて――」


 ”いいわよ”、と言い掛けたところでエカノダは何かをひらめき、言葉を止めた。


「いいこと思いついた。付いて来なさい」


 ベルトリウスとケランダットは、目を細めて間を通り過ぎていった女主人の後を黙ってついて行った。何回か通路を曲がって行き着いた場所は、例の強化と改造を行う卵が鎮座ちんざする部屋だった。

 丸い輪郭りんかくの奥には、鱗をまとった長い尾が放り出されている。


「お疲れ様、イヴリーチ」

「はぁーい。もうすぐ終わりまー……ん? あっ、お兄ちゃん! おじさん! おかえりなさい!」

「ただいま。んな所で何してんだ?」

「あー……お手伝い、かな。あはは……」


 苦笑いしながら卵の裏から抜け出してきたイヴリーチは三人の元へ寄ってくると、エカノダと同じようにケランダットへと目をやり、羨望せんぼうの眼差しを向けた。


「すっきりしたみたいだね。うらやましい」


 ベルトリウス達が留守のうちに事情を聞かされていたのか、イヴリーチは実年齢よりも落ち着いた面持ちで呟いた。

 ただでさえ苦手な子供という生き物に生暖かい目を向けられ、ケランダットは決まりが悪そうに視線をそらした。

 すると、その視線の先……イヴリーチが現れた卵の裏側から、もぞもぞと動く謎の影を発見した。


「ココッ……ココッ……」


 奇妙な声を漏らしながら登場したのは、体長一メートルほどの芋虫に似た魔物だった。

 全身は青く、芋虫らしく段のついた団子っ腹に人間の腕が一対いっつい生えている。目鼻などの部位がない球体のような頭部には中央に薄く十字の切れ目が入っており、鳴く度にそこがフッとめくれ上がり、のこぎり状の歯牙が覗いて見えた。


 異なる種族が混ざった肉体は強い違和感を発していた。

 ケランダットは目が合った……気がする、その魔物の外見に不快感を露わにした。相手は両手に柔らかい粘土ねんどに似た半液体状の何かを掴んでいて、それを床にボタボタと垂らしながらこちらと向かい合っている。

 互いに名乗りを上げない両者の隣で、イヴリーチ、エカノダと閑談かんだんを交えていたベルトリウスも遅れて見知らぬ魔物に反応した。


「こいつは何ですか?」

「作業員のトロータンよ。新しく生み出した魔物で、体内で素材を加工することができるの。ここを築き上げてくれたのもトロータンよ。お前達が地上で活動している間に獄徒総出で建てた根城なのだから、大事に使いなさいね」

「はぁ……了解です」


 ベルトリウスがトロータンに向かって挨拶代わりに軽く手を挙げてみせると、相手からは”コッ”と舌打ちに近い鳴き声が返された。

 顔合わせが終わると、トロータンは器用に腹をうねらせてイヴリーチのそばへと移動し、表情を曇らせる彼女の足元で歯を剥き出しにして何やら喚き始めた。


「コーーーッ、コッコッーーー!!」

「ひぃんっ! また怒ってる! 誰か助けてよぉーー!」


 イヴリーチはビクリと跳びはね、エカノダを盾にするように細い体の後ろに回り込んで逃げた。

 ベルトリウスとケランダットが不在の中、地獄では女王の指示の下、拠点の建設が行われていた。まずトロータンがググウィーグの死骸を飲み込み、体内で半液体状に加工する。前もって作っておいたおけにドロドロになった”元”を注ぎ、他の魔物に手渡す。設計通りに巨人ノッコとイヴリーチが加工材料を立体的に重ねてゆくと、ググウィーグであった物はすぐに凝固し、元の硬い石へと材質を変化させた。


 だが、所詮しょせんは素人の造り。当然だがあらが目立つ。

 細部を整えるためにトロータンは城のあちこちを往来し、すでに固まってしまった床や壁に歯を突き立てては溶かし、手直しを加えた。

 元より作業員の数が足りない上に、現場を取り仕切るトロータンは移動速度が遅く、全体を見て回るには時間が掛かる。イヴリーチが彼を抱いて移動の手助けをしていたのだが……少しでも希望からそれた動きを取ると今みたく独特の鳴き声を上げるトロータンに、イヴリーチは辟易へきえきとしていた。


 そんなこんなで泣き付いてみてもエカノダは庇ってはくれず、イヴリーチの肩をムズッと掴むと、無情にもトロータンの前へ差し出した。


「職人肌なのよ。もう少し付き合ってあげなさい」

「そんなー!!」

「ちょっと卵を使うから、二人は他の部屋の作業を優先しなさい」

「コォーーーーーーーッ!! コッ、コッーーーー!!」

「ひぇぇーんっ!!」


 怒鳴り散らすトロータンの弾力のある腹を抱えると、イヴリーチは情けない悲鳴を漏らしながら部屋を出て行った。”いいように使われているな”と、帰ってきた二人組はすごすごと去る少女の背中を哀れんだ。


 勝手気ままに振る舞うエカノダは卵に歩みを進めると、厚い殻に手をついて振り返った。


「ベルトリウス、ここに花を突っ込みなさい」

「え、ここにですか?」

「魂を与えて魔物にするの。どう? 面白いでしょう?」

「ええ、まぁ。戦力が増えるのは大歓迎です」


 あっさりと受け入れたベルトリウスは余計な口を利かないように、手にしていた花……フポリリーを卵の中に入れた。

 この装置で自分が強化を受けることはあっても、外から見学するのは初めてだった。

 エカノダは目をつぶり、殻に手をつけたまま意識を集中させた。すぐに終わるものだと思っていたベルトリウスはしばらく待っても動きのない主人に飽きてしまい、相棒と共に壁にもたれ掛かってポツポツと会話を交えながら時間を潰した。


 そうして、やっと目を開けたエカノダが卵から手を離すと、中から吐き出されるように小さな粒が飛び出てきた。


 それは”種”だった。

 種は部屋の中央に落ちると、石の床を貫いて根を下ろした。一粒の麦芽ばくがほどの小さな種から発芽はつがしたそれは、太いくきがまた別の太い茎へと絡まり、何層にも合わさって大木と遜色そんしょくない極太の幹へと成長した。しまいには”ズドォーン!!”と強烈な破壊音を立てて天井を突き破り、外の荒野の赤い光が室内に差し込んだ。

 新緑の一枚一枚が風に吹かれて膨らんだ船ののように、たくましく大きく育ち、ある程度成長の波が緩やかになると、天を射抜いた茎頂けいちょうにできたつぼみがゆっくりと開き、中から赤と黒の花弁を交互に付けたフポリリーがまばゆく咲き誇った。


「あら、綺麗」


 エカノダは涼しい顔で言った。

 壁にもたれていた二人は瞬く間に大華へと成長したフポリリーを見上げて唖然とした。


「根城は大事に使うんじゃなかったんですか!?」

「男が小さいことを気にするものではないわ。それに私は例外なの」


 やはり傍若無人ぼうじゃくぶじんなエカノダには、ベルトリウスの指摘など無意味に終わった。

 頭上にそびえ立つフポリリーは、己の開花を祝して生き物の如くツルをうねらせて踊っている。瓦礫がれきと化したググウィーグ産の壁がパラパラと悲しい音を立てる中、先程退室した獄徒二匹が騒ぎを聞き付けて戻り、そして愕然がくぜんとした。


「イヤァーーッ!! イヴ達が苦労して組み立てた城がぁーー!!」

「コーーーーーーッ!?」


 イヴリーチとトロータンは見事に破壊された天井を見上げて頭を抱えた。


「赤と黒って占い的にどういう結果なんだ?」

「知らん……普通花弁は一色だけだからな。赤だけなら”可もなく不可もなく”ってところだが、黒いフポリリーなんて初めて見た」

「へぇ〜。じゃあ、なんか特別感あるし、”当たり”だな」

「”外れ”だろ。黒だぞ?」


 城を破壊する原因となった花を持ち帰った二人は、仲間の嘆きに知らん顔をして悠々と語った。

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