39.帰郷

 ラスダニアはマギソンと同じ目をしている。黒曜石こくようせきをはめ込んだような暮夜ぼやの色をした瞳に、他者を突き放す鋭い眼差し……流石は兄弟と言うべきか、ラスダニアもまた表情の乏しい男だった。


「外の……あれはお前がやったのか」


 遺体の着衣で、内庭に倒れていたのが父親だと気付いたのだろう。目を見据えたまま淡々と話す兄に、マギソンは奥歯を噛み締めてから答えた。


「そうだ、俺がやった……あんたもあの男と同じように惨めに殺してやるよ……!」

「……愚かな」


 そう溜息混じりに吐かれた言葉に、マギソンの中で二十年間押し殺していた感情が爆発した。


「愚か……愚かだって!? 愚かなのはあの男の方だろうが!! あいつが名付けに失敗したから俺は落ちこぼれとして生きていく羽目になったんだっ!! あいつのせいで俺はっ……!!」

「そんなこと……単にお前に才能がなかっただけの話だ。それに父上はお前が小さいうちに新たな名をお与えになっている。罪滅ぼしは済んだはずだ」

「”そんなこと”だと!? そういうっ……恵まれた能力と環境で育ってきた奴に言われんのが一番ムカつくんだよぉ!!!! 何が罪滅ぼしだ!! 勝手にすっきりしてんじゃねぇよ!!」


 マギソンは血が滲みそうなほど拳を強く握って叫んだ。


 マギソンという名は偽名だ。

 この世界……ヴランに住む人々にとって、名前というのは特別なものだった。それは神から生まれて初めて贈られる言葉であり、この世に生を受けた祝福のあかし……魂の結び付きである。よって尊ばれ、与えられた名を否定することは重い背徳的行為と見なされていた。改名を法律で禁止する国があったり、犯罪者ですら偽名を名乗るのを避けたりするくらいだ。


 そんな世間の目をかいくぐり、ラズィリーはマギソンが九歳の時に改名を受けさせた。

 懇意こんいの司祭に内密に取り仕切ってもらい、元の名を捨てて新たな名を授かった。捨てられた元の名は、特殊な儀式を経てその者から”去る”。人々の記憶から取り除かれるのだ。存在したという事実は残るが、それがどのような名だったのか誰も思い出せなくなる。本人でさえもだ。その現象が”神に見捨てられた”と解釈され、人々は改名を受けた者をみ嫌うようになった。


 神の加護が消えたということでマギソンの家庭内での立場は一層悪くなったし、扱いも酷くなった。国を出てからは身元の発覚を恐れ、家名を隠すことにした。これ以上この身に不名誉を背負わせたくはなかったが、どうせ新天地で生きてゆくのだからと自分に言い聞かせ、”マギソン”という偽名を名乗り……そうした自分だけが堪え忍んできた理不尽を、事もなげに流そうとするラスダニアが許せなかった。 


 怒りの激流に飲まれたマギソンは自身の剣に手を掛けた。己の魔術をやすやすと打ち消す男だ。剣で斬り掛かったところで、かなう相手ではないことは分かっている。こうして自分が注意を引き付けている間に、ベルトリウスが隙を突いてくれることを願っていた。


「利き腕でも落とせば大人しくなるか」


 冷気を帯びたラスダニアの一言に緊張感が高まる。

 一触即発の空気の中、マギソンの狙いを裏切るかのように、テーブルの裏に隠れていたベルトリウスが突如として立ち上がり姿を見せた。勿論ラスダニアはベルトリウスに鋭い視線を向けた。


「何者だ」

「馬鹿っ……何でいま出てくるんだっ!!」

「くくっ……んな怒んなよ……」


 一か八かの機会を失ったマギソンは、焦りから声を荒らげた。

 ラスダニアは薄笑いを浮かべる異様な肌の男にさしたる反応も示さなかった。反対にベルトリウスの方は食い入るような目でラスダニアを凝視し、真横で騒ぐマギソンをなだめながら挨拶をした。


「あー、弟さんの友達ですけど……お会いできて光栄です、お兄様?」

「……」

「……ふ」


 しばらくラスダニアと無言で視線を交えたベルトリウスは……数秒の間の後、口から勢いよく息を噴き出した。


「ふはっ!! 駄目だ我慢できねぇっ!! お前ら兄弟メチャクチャ似てんなぁっ!? 髪型しか違わねぇじゃん!! あっははははっ!!」

「……」

「だからっ、今言うことじゃねぇだろっ!!」


 空気を読まずに笑いだすベルトリウスの頬に、マギソンの裏拳が飛ぶ。

 確かにマギソンとラスダニアの顔はよく似ていた。双子と言われれば信じてしまいそうなくらいにそっくりで、街中を歩いていて住民から指摘されなかったのが奇跡に思えるほどだった。


 殴られたベルトリウスはふらつきながらゲラゲラと笑い続けた。場違いな言動で気をくじく相棒にマギソンはさらに苛立ちが暴発してしまい、漂い始めた妙な雰囲気にラスダニアは眉をひそめた。


「おかしな者にたぶらかされたみたいだな。父上を手に掛けたのはそいつか」

「違うっ、俺がやったんだ!! 俺の魔術で!! ふざけたことを言ってんじゃねぇ!!」

「いいや、お前に父上に対抗できる力などない。そいつがやった……お前は金でも積んで依頼したのだろう」

「違うって!! 何なんだよクソッ!! 俺がやったっつってんだろうが!?」

「……ろくでもない所で過ごしたのだな。随分と口が悪くなった」


 ラスダニアは目を細めて言った。その瞳には父を殺めた弟に対する怒りや悲しみなどは含まれておらず、ただ哀れみだけが映っていた。

 何か考えるようにマギソンをじっと見つめたラスダニアは、自身の隣に立っていた兵士長に粛々しゅくしゅくと令を下した。


「肌の赤い実行犯はこの場で斬首。教唆きょうさ犯である長髪の男は私が直々に身柄を預かり、以後然るべき罰を与える。いいな」

「はっ!」

「おいっ、ふざけるなっ!! 俺が実行犯だっ!! 聞けよっ!!」


 少しばかり仲間の手を借りたとはいえ、自力で父を倒した事実を認められず教唆犯扱いされたマギソンははらわたが煮えくり返る思いだったが、己を生かして捕らえようとする兄に僅かばかりの恐怖が芽生えた。父ほど感情を剥き出しにしていなくとも、やはり兄も自分に報いを受けさせようとしているのだ。


 躊躇が見え隠れするマギソンの隣で、波が去ったベルトリウスは廊下に押し寄せる兵士の中に見覚えのある顔を発見した。


「スビ!!」


 大きな声で名を呼ぶと、後方に隠れていた男の肩がビクリと揺れた。

 ラスダニアも兵士達も追い詰められし者の悪足掻わるあがきだと気に留めなかったが、ベルトリウスは構わずに奥の青年に話し掛けた。


「お前がこいつらを連れてきてくれたのか! よくやった!」


 まるで内々で繋がっていたような口振りに、流石に周囲の兵士達も聞き捨てならないと非武装の男を睨んだ。後ろにいた青年は”ちょっ! ちょっ!”と焦ったように掛け声を発しながら、列を掻き分けて前へ出てきた。


「あんたっ、この状況が分かんねぇのかっ!? オレはあんたを裏切って通報したんだっつーの!! いやっ、ってか、最初から仲間じゃなかったしっ!! み……皆さん違いますよっ、オレは完全にこいつらとは縁を切ったんすからね!? だからオレの前科はなかったことにしてくださいね!?」

「……つくづく思うよ、俺は人に恵まれてる。本当によかった、テリーじゃなくお前を選んでおいて……お前は俺が思った通りの人間だった。危うく見逃すところだったよ」

「へへ……何ワケの分からねぇことを言ってんだ? オレを使って時間稼ぎのつもりですか? 仕返ししようったって無駄だぜ、こっちには兵士さんと領主様がいるんだかんな! あんたはオレに触れることもできねぇ! へっ、へへへへっ!」

「いや、もう触ってるよ」


 そう答えた瞬間、ベルトリウスは自身の上体を低く倒し、マギソンの腰をすくって肩に担ぐと、背後にある大きな縦長のガラス窓を突き破って外へ逃げた。

 ラスダニアは咄嗟に風の刃を放ったが、獣のような瞬発力で一気に駆け出したベルトリウスの足を止めるには至らず、太ももの裏側をいくらか切り裂いただけとなった。


 ここは三階……魔術師であるラスダニアは術を応用して窓から後を追いかけることができたが、一般人である兵士達は屋敷内の階段を下って追いかけるしかなかった。

 市民スビからの密告で弟のそばにいた男が魔物だというのを知り、用心しすぎたのがあだとなった。二手に別れて後を追おうと、ラスダニアと兵士達が一斉に動き出そうとしたその時――。



 ブシャッ。



「へ?」


 スビは自身の肩から噴射した赤茶色の液体に、気の抜けた声を漏らした。

 それは皮膚を突き抜け、しぶきとなって表へ飛び出した。近くに立つ兵士、そしてラスダニアの背中に付着し、ジュワッと音を立てて鎧や肉を溶かし始めた。


「うがあ”あ”あ”あ”あ”あ”っ!!!!」

「おい大丈……ヒッ!! アッヅ!! なんだこれぇっ!?」

「イ”ギッ!? ダズッ”、ゲェ”ェ”ェ”ッ”!!」

「うおおっ、あれに触るなっ!! 退けっ、後ろに下がれっ!!」

「先が詰まってるんだよっ、押すな潰れるっ!!」

「おいっ、早く逃げろよっ!! 先頭の奴はなにやってんだ!?」


 スビを起点に拡散した”毒”は、素早く侵蝕を開始した。

 叫びを上げて地に伏せた同僚を抱えようとしたとある兵士は、うっかり液体に触れて新たな餌食えじきになり……次々に倒れゆく仲間の姿に取り乱してしまった後方の兵士らは、一刻も早く退散しようと我先にと押し合いになったりした。


 予期せぬ攻撃に場が騒然となる中、発生源となったスビは呆然と立ち尽くしていた。


「ぅ……あ、ぇ……っ?」


 スビは上手く頭を働かせられないでいた。突然の出来事に混乱しているのではなく、すでに脳に毒が達していたためだった。

 悲しいかな、死の間際に走馬灯がよぎる。まだ幼い頃、畑仕事に励む父と母の隣で泥遊びに夢中になった時のこと……数年前、病で伏せた父の最期を母と泣きながら看取った時のこと……。


 そして、あの一軒家を襲撃した日の丘で、ベルトリウスから掛けられた言葉を思い出した。



『少なくとも長生きはできないな』



 確かにあの時、肩を叩かれた。別の日もそうだ。ベルトリウスが触れるのは決まって液体が弾け出た肩だった。

 もしかすると、彼は出会った頃から自分にこの役目を――。


「か……ぁちゃ……」


 スビは立ったまま意識を手放した。

 一人故郷に残してきてしまった母のことをいるように、目からは茶色の涙が溢れていた。



 ……一方、入室してすぐの扉付近では、至近距離で弾けた毒から幸運にも免れた兵士長が、片膝をついて呻きを上げるラスダニアに駆け寄っていた。


「ラスダニア様っ、大丈夫ですかっ!?」

「ぐっ……!! ”火よジジャ”……!!」


 ラスダニアは廊下で倒れる兵士達が液体に蝕まれてゆく様を見て、同様の被害をこうむる前に魔術の火で毒を焼き、蒸発させた。

 幸い対処が早く大事には至らなかったものの、毒を焼くために火を当てた首の後ろの皮膚はただれてしまった。皮肉にもその焼き跡が生まれた場所は、マギソンが幼少期にコデリーから遊びと称して焼かれた部分と同じ位置にあった。


 罪人は逃してしまうし、自身は体の痺れが残って動けない。

 ラスダニアはすぐに街の門を封鎖するよう兵士長に伝えたが、折よく部屋に入ってきた一人の兵士が、肝心の敵が思わぬ所で発見されたことを知らせた。


「へっ、兵長っ!! 奴ら下のホールにいますっ!!」

「何っ、外へ逃げていないのか……!? とりあえず動ける兵で取り囲むんだ!! 絶対に逃がすんじゃないぞ!!」

「はいっ!」


 兵士長は下の階からやって来た若い兵士の報告に定型文のような命令を出した。だが、このような惨劇を生み出した相手に対し、魔術を使用できるわけでもない一般の兵士達を差し向けても意味がないことは薄々気付いていた。

 ラスダニアは動揺する兵士長の腕を掴んで言った。


「肩を貸してくれ、私も下に向かう……位置さえ分かれば術で仕留められる」

「はっ、分かりま――」


 その時、兵士長の返事を遮るようにして、ゴゴゴゴゴッと大きな地鳴りが鳴り響いた。同時にあの肌の赤黒い男のおぞましい笑い声が階下から聞こえ、弟のたけりも届いた。


「兄上っ、あんたはいつも見てるだけだった!! これからもずっと、俺がやることを指をくわえて眺めてろよっ!!!! 俺がっ、あんたの弟がっ、ダストンガルズの悪名を世界中に轟かせてやるっ!!!!」


 年を重ねたせいか、記憶に残る弱々しい少年とはかけ離れた、別人のような太い声だった。

 怨嗟の咆哮ほうこうが終わると、地鳴りも共に静まった。顔を上げられないラスダニアの元に、玄関ホールから上ってきた別の兵士が新たな情報を持ってきた。

 ”二人は忽然と現れた大穴に飛び込み、直後にその穴は消失してしまった”、と……。


 摩訶不思議まかふしぎな出来事の連続に兵士長はラスダニアから指示を仰ごうとしたが、押し黙る彼の心情を思うと、今すぐにとはならなかった。




◇◇◇




 迎えに来たクリーパーの腹の中で、ベルトリウスはパックリと裂けた太ももの傷口を指でなぞった。


「くっそ痛ぇ……もうちょい深かったら走れなかったぜ……」


 ラスダニアが放った攻撃は、ベルトリウスの身にしっかりと深手を負わせていた。

 三階から飛び降りた後、屋敷に戻ったのは意表を突くためだ。毒の噴射にラスダニアを巻き込めたのは嬉しい誤算だった。お陰でクリーパーが到着するまでのもう一息といった時間を稼ぐことができた。欲を言えばラスダニアに遭遇する前に拾ってほしかったが……マギソンの啖呵たんかがなかなかに聞き応えのあるものだったので、良しとする。


 瓜二うりふたつだった兄弟の顔のつくりも面白かったが、スビの滑稽な踊りようも痛快であった。

 毒は最適なタイミングで発動させられるよう以前から仕込んでおいた。スビのように一人では何も行動できないくせに自尊心だけは一丁前に持ってる人間は、大勢を味方につけて仕返しできる機会があればつい乗ってしまう傾向にあると知っていた。

 しかし、ああいった臆病な人種はすぐには決心が付かない。街をフラついて少しばかり考えただろう。自分達と行動を共にしてたのは街の住人に見られているし、反乱に参加したせいで故郷や周辺地域ではお尋ね者……とくれば、二人を売って情報提供の見返りに己の罪を軽くしてもらうのが一番賢い選択だ。そうしてオーレンの近郊で職を見つけ、つつましく暮らせば……と、ベルトリウスの見立てはこんな感じだった。

 この予想は見事当たっていた。スビは二人と別れた後、街の中でああでもない、こうでもないと悩み抜いた。そして、ちょうどベルトリウス達がラズィリーと戦っている頃に意を決して門兵に声を掛け、話はすぐに外出中のラスダニアの元に飛んだのであった。



 ……何もかもが思い通り。ベルトリウスは成功がもたらす得も言われぬ余韻に浸っていた。

 総合的に見て、今回は収穫の多い旅だった。エカノダの強化によって活用の幅が広がった能力の確認もできたし、何よりマギソンが自分に好意的になり扱いやすくなった。


 ベルトリウスは上機嫌でマギソンを見た。クリーパーに回収されて以降、ずっと顔を隠して体を震わせていた彼をまじまじと眺めていると……。


「……ふっ、くははははははははははははっ!!!! あっっははっ!! ひひっ、ひはははっはははははははははっひっ!!!! ひっぁはっ、はっ、ひひっっ!!!! ぃひひひはあ!!!! はーーーーっ、あっははっ、はははあーーーーーーっ!!!! はーーーーっ、はぁーーーーーーーーっ、うっ、うぅぅぅぅぅぅっ…………!!!!」


 マギソンは大笑いの末、ボロボロと大粒の涙を流し始めた。

 長らく使用していなかった表情筋のせいでいびつに出来上がった笑顔は、どこか晴れ晴れとした輝きを放っていた。

 ベルトリウスは目を丸くして閉口し、しばらくはその不気味な感情の渦が収まるのを待つしかなかった。


「ぅ”ぅ”……ぅっ、……………………」

「……だいじょうぶか?」

「……あぁ」


 ベルトリウスは、”そっか……”としか返せなかった。久しぶりに心の底から気持ち悪いと思えるものを見たと、思ったことは言葉に出さないでおいた。

 二人の間に沈黙が訪れ、この空気をどうしようかとベルトリウスが下唇の端を甘噛みして考えていると、先に口を開いたのは目を真っ赤に充血させたマギソンだった。


「俺の名前……本当はケランダットって言うんだ。ケランダット・ダストンガルズ……お前には一番に知っておいてもらいたい」


 憑き物が落ちたように、ぐしゃぐしゃに汚れた顔を服の袖で拭い、柔らかく微笑むマギソン……いや、”ケランダット”。

 ベルトリウスもまた、穏やかな笑みを返して彼の再起を祝福した。



 さぁ、あるべき場所へ帰ろう。

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