14.天に昇る少女

「……案外早かったな」


 それが、再会してまずマギソンが発した言葉である。

 こうも早くベルトリウスが大蛇を処理して追いつくとは思っていなかったのか、平坦な声は少しばかり感心した言い方をしていた。


「てめぇ、何で先行ってんだよ」

「お前が食われてたから」

「助けろよ!」

「あの蛇は俺の手に余る」

「本当は倒せるのに面倒だったからそう言ってんじゃねぇだろうな?」

「……」

「無視かよ! ……しかしまぁ、ああいう場面で無慈悲に仲間を見捨てられるのはいいことだ。俺だってお前の立場なら置いて逃げただろうしな」

 

 一転してからからと笑うベルトリウスにマギソンは呆気に取られ、異常なものを見る目付きで凝視した。


「お前……イカれてんのか?」

「俺は合理的に考えてるだけさ。お前は人間だから死んだらそこで終わりだろ? 俺はエカノダ様さえ無事なら何度でも復活できるわけだし、どっちが犠牲になるかなんて決まりきってる。だから嬉しいんだ、お前が簡単に他人を切り捨てられる奴で。安っぽい罪悪感や哀れみを振りかざして一緒に死んでもらっても、迷惑なだけだからな」


 確かに合理的だが……まともな精神ではない。

 これまでに幾度となく仲間を裏切り、責め立てられてきたマギソンは内心戸惑っていた。こんな人間は初めて見る。命に制限がなくなると皆こういった思考に行き着くのか、単に目の前の男がおかしなだけなのか……。


「……進むか」

「おう」


 会話を止めたマギソンの方から切り出すと、二人はまた同じ道を向かった。

 日が暮れるまで森を散策してみたが、大蛇を下して以降めぼしい標的に出会うことはなかった。あれだけ数の多かった普通の蛇ですら一匹見掛けただけ……これ以上の成果は望めない気がした。


「ほとんど狩っちまったみてぇだな。出るか、この森」

「このまま正面に向かえば、森を出てタハボートの南西部に行ける……はずだ」

「へー、よく知ってんじゃん。んじゃ、その南西部で暴れられる居住地を探そう」


 マギソンが示した方面は本当に森の出口に続いていた。あれだけ木々に溢れていた道から短い草だらけのわびしい高原へと風景は切り替わり、ほとんど沈みかけの夕日が一層周辺の空気を静めていた。

 二人はだだっ広い黒緑の地をお互い無言で歩き続け、隆起した地面のこぶを二つ乗り越える頃には完全に陽が消え、地平線も分からない暗さになっていた。


 そうして夜目が利くベルトリウスを先頭にひたすら南西を目指していた時のことだ。

 どこからか流れくる騒音にベルトリウスは周囲を見回し、遠く離れた奥の道の右手側からやって来る、いくつかの揺れる影を発見した。


 二人は即座にその場でかがんだ。息を潜めながら、囁くように言葉を交わす。


「ありゃ馬車か……?」

「暗すぎて俺には何も見えん」

「うーん……ちょっと様子見すっか」


 二人はじっと前方の影に集中した。影との距離は目算もくさん百メートル以上。右手からゆっくりと視界の中央部へと移動してきて……こちらとの距離が徐々に縮まると、騒音の正体は明らかになった。はっきりと聞こえる馬のひづめの音。影の正体は馬車だったのだ。

 後をつければ必ず人の集まる場所へと案内してくれる、まさに渡りに船だ。ベルトリウス達は馬車が通り過ぎるのを待った。しかし、二人から見てちょうど正面に差し掛かった辺りで馬車はいきなり動きを止めた。

 馬車の奥には林がそびえているため、背景も影も黒く上手く確認はできないが……よく目を凝らして見ていると、荷台部分からポロッと何かがこぼれ落ちた。

 そして、落ちたものはふらふらとよろめき体勢を立て直すと、こちらに向かって疾走してきた。

 

「だれかっ!!!! だれかぁーーーーーーっ!!!!」


 それは幼い少女の叫び声だった。

 ここに自分達がいるのを知っているかのように、小さな体は一目散に駆けてきた。


 ベルトリウスとマギソンはお互いかがんだ状態で顔を見合わせた。少女はあっという間に顔の表情が分かるくらいの位置まで来ており、よく見るとその後ろにはもう三人、物凄い形相で追いかけてくる大人の男達がいた。

 どうせ見つかってしまうのなら仕方ないとベルトリウスは諦めて立ち上がり、一拍いっぱく遅れてマギソンも体を起こした。


「そっ、そこの人っ!! たすけてくださいっ!!」

「邪魔すんじゃねぇぞテメェらぁ!!」

「おいやめろっ! あぁっ、クソッ!」


 少女の悲痛な叫びに焦ったように、後からやって来る男の一人がベルトリウス達に向かっておどしの言葉を掛ける。それに対して仲間の男が待ったをかけるなど、追跡者達は何やらごたごたと揉めていた。

 一方の少女は最後まで勢いを殺さず走り続けると、どこの誰とも知らないベルトリウスの腰に飛びつくようにしがみ付いた。


 胸まである癖のない美しいブロンドの髪が汗や力走のせいで乱れ、顔中に張り付いている。

 少女は目を白黒させたままベルトリウスを見上げると、荒い息が整わないうちに声を張り上げて助けを求めた。


「あいつらに殺されるんですっ!! おねがいしますっ!! たすけてっ!!」


 服の裾を掴んで離さない少女をどうしてやろうかと、ベルトリウスは片眉を上げて考えた。やっと追いついた追手の男達は動きを緩めながら傭兵風の二人と対峙するように近付き、中でも一番温和そうな者がぎこちない笑みで声を掛けてきた。


「ハ、ハハッ、馬鹿言っちゃいけねぇお嬢ちゃん、誤解だよ……いやぁお兄さん達悪いね。この子がちょっと……誤解してしまってね。行き先が同じだから馬車に乗せてあげたんだけど、そしたら一緒に荷台に乗ってたコイツらがさ、馬車が大きく揺れた時に体勢を崩して彼女に覆い被さっちゃって……別に襲おうとかそんなんじゃないんだ! そういう誤解をさせたのなら謝るから、ね?」

「嘘っ!! 私の妹を殺したくせにっ!! お兄さん馬車の荷台を見てっ、私のいもっ……妹がっ、首を締められて死んでいるからっ!! 妹がっ……いもうとがぁっ……!! うぅぅ”ぅ”ぅ”っ……!!」


 両者思い思いに言い分を述べるが、誰がどう見ても怪しいのは男達の方だ。背後に控える図体の大きい仲間二人は落ち着かなそうにベルトリウスとマギソンを睨み付け、”余計なことをするな”とでも言いたげに威嚇してくるし……。


 ベルトリウスは降って湧いた獲物に口角が上がるのを抑え、質問した。


「行き先が同じってことは、ここら辺に集落があるのか?」

「え? あ、あぁ! この先に俺達が住んでる村があるぞ! この子を追いかけたのもさ、もう暗いから泊まってけばどうかなっていう親切心からなんだよ! 決してやましい心があるわけじゃないんだ! 朝になったら勿論っ、この子の行きたい場所へ送るつもりだったさ!!」

「騙されないでっ!! こいつらは犯罪者なんだからっ!!」

「チッ……おい、もういいだろ」


 この不毛ないたちごっこに嫌気が差したのか、先程走りながら怒鳴り声を上げていた方の男が背後からヌッと前に出てくると、彼はそのまま速歩きでベルトリウスに近付き、体重を載せた重い拳を側面から繰り出し、形の良い顎に叩き付けた。

 力いっぱい殴られたベルトリウスは、少女を腰に抱いたまま地に倒れた。襲ってきた男は続けて隣りにいたマギソンにも拳を放ったが、残念ながらその攻撃は難なく避けられ、マギソンは素早く抜いた剣で突き出されたままの男の腕を切り落としてしまった。


「ギャアアアアアアアア!!!!!!」

「うわっ……!!」

「剣を持った相手に丸腰で突っ込むなんて馬鹿なのか?」

「クソッ……この野郎ぉぉぉぉっ!!」


 仲間が倒れたのを受けて、もう一人背後に控えていた男が隠し持っていたナイフを構えて突進してきたが、これもまたマギソンは軽くいなし、熟れた果実でも貫くかのように柔らかい肉を裂いて盛り上がった胸板に剣身を突き立てた。


「ヒッ、ヒィィィーーーーッ!!!! す、すみませんでしたっ、いのちだけはおたっ、おたすけをっ!!!!」


 説き伏せる役を担っていた温和そうな男は腰を抜かしながら必死に命乞いをしたが、マギソンはさして関心がないように、開閉する男の口に向かって剣を刺し込んだ。

 瞬く間に立場は逆転……というか、どちらが優位かは装備を見た段階で気付けたはずだが……仲間の死を受けて、最初に腕を切られた喧嘩っ早い男が額に脂汗を浮かべながらののしりの言葉を投げてきた。


「グゥゥッ……テ、テメェら後悔させてやるっ……俺達ジョイ商会に盾突たてついて、ただで済むと思う―― !!」


 恨めしそうに吐かれる台詞を断ち切るかの如く、マギソンは男の心臓を一突きにした。

 これで襲撃者は全滅した。自身が戦っている間も倒れっぱなしになっていたベルトリウスに目を向けると、横になって悠々と観戦を楽しんでいた彼の紫の瞳とバッチリ視線が交わった。


「へへっ、見ろよこれ。殴られた時に前の歯ぁ欠けちまった」

「……首が折れるよりよかったじゃねぇか」

「あの程度じゃ折れねぇよ。それにしてもいいこと聞いちまったな。ジョイ商会だってよ。この先に村があるって言ってたが、十中八九こいつらが悪事働くためのねぐらだろうな」

「攻め込むのはいいとして、それはどうするんだ」


 マギソンはベルトリウスと共に体を起こした少女を指差した。

 少女は辺りの死体を見つめて、呆然としている。


「うーん……君はどうしたい?」


 ベルトリウスは少女の肩を支えるように軽く手を添わせ、優しく声色で尋ねた。悪人のくせに、こうして心ある人間をいつわれるのが彼の厄介なところだった。

 少女は力なくベルトリウスを見上げると、大きな目からこれまた大粒の涙をこぼしながら、顔をゆがませて答えた。


「私……私も連れていって……!! 妹を殺したやつらの仲間を、一人でもいいから殺してやる……!!」

「でも俺達は君を守るほどの余裕がないかも。死んでしまうかもしれないよ?」

「構わないっ!! おねがいっ、妹の仇を取らせて!! 守ってなんて言わないからっ!! 私が死んでも、見捨ててくれればいいからっ!!」

「……あぁ、”見捨てる”なんて……今日の俺はその言葉に弱いんだ」


 ベルトリウスは少女の嘆きを噛み締めるようにうっとりと天を仰いだ。

 残酷なまでに美しい自己犠牲の精神だ。執念に燃える炎に薪をくべる行為ほど、面白い遊びはない。


「お兄さんにいい考えがあるんだ。でも、それをやるには君の覚悟が必要だ。まさに死ぬ気のね。できるかな?」


 いつくしむように微笑む男の瞳は、月明かりもない闇の中で怪しく輝いていた。

 不穏な台詞……何をやろうとしているのかは分からなかったが、それでも少女の決意は固かった。

 黙って頷く彼女の返事を受けて、ベルトリウスはミハで揃えた小振りのナイフを懐から取り出した。そのナイフをどうするのか……などとは聞かなかった。少女はすぐに次に訪れる展開を理解し、揺らぐことのない目で前に立つ魔性を見つめた。


「絶対、思い知らせてくれるんだよね?」

「勿論。それも君の手でね」


 ベルトリウスはためらいなく少女の胸へとナイフを振り下ろした。薄い体が小刻みに震える。胸と口から溢れ出た鮮血がジワジワと服に染み込んで広がる。

 苦しいだろうに、少女は暴れる様子ひとつ見せず、ただベルトリウスの手を強く握って耐え……息を引き取った。


 完全に動きを止めた少女を横抱きにして立ち上がると、ベルトリウスは隣に突っ立っていたマギソンが目頭を押さえて俯いていたのに気が付いた。


「意外だな。子供が死ぬのは耐えられないか?」

「……お前のやっていることは快楽殺人と同じだ」

「勘違いするなよ、俺はこの子の願いを叶えてやったんだ。今に分かるさ」


 そう言って、ベルトリウスは少女を抱えたまま林の前で放置されていた馬車の方へと歩いていった。

 残されたマギソンは足元に転がる死体をしばらく見つめてから、何とも言えない胸のつかえをごまかすように後を追った。

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