徴兵と精霊王の加護
それから、どうやって帰ったのかはっきり覚えていない。
とりあえずルトを放って一人で帰ってきたことはわかる。今一人で毛布にくるまって、ベッドの上にいるから。
「……アイリス」
コンコン、というノックのあと、ルトが気遣わし気に部屋に入ってきた。
「……アイリス、ごめん。俺、アイリスのことが心配で」
わかってるよ。
でも、余計なお世話だよ。
私はシスイに、あんなにはっきり無理だなんて言われたくなかった。たとえ自分でもわかっている事実だとしても。
「……許すから、もうシスイとのことは放っておいて」
「アイリス……」
毛布から少し顔を出してルトを見ると、ルトのぎゅっと握りしめた拳が少し震えていた。
「……アイリス、俺、戦争に行くことになったんだ」
私はガバッと毛布をはね除けてルトを凝視した。
「……うそ」
「本当。三日前に、知らせが来たんだ。俺は、行かないといけない」
ルトは、最初にここへ来た時に比べると本当に大きくなった。ルトは狩りも畑仕事も上手くなって、二人で食べる分にはあまり困らなくなっていた。背は私を追い越したし、筋肉だってついた。
……いつの間にか、徴兵の対象になるくらい成長していたんだ。
私はどうして気づかなかったのかと自分を罵った。
ルトはこんなに成長していたのに、いつまでも可愛くて小さな弟だと思って、そんなことになるなんて考えたこともなかった。
「ルト……嫌だ。行っちゃ嫌」
ルトはもう、私にとってかけがえのない大切な家族だ。
この四年間、二人で力を合わせて生きてきた。
ルトがいなくなるなんて考えられない。
ふるふると首を振って引き留めるけれど、ルトは悲しそうに笑って、受け入れてはくれない。
「俺が行かなかったら、アイリスがどんな目に合うと思う? 俺は行くよ。頑張るから、一人になっても、アイリスも頑張って。……アイリスが夢中になっている『シスイさん』にアイリスを任せて、安心して行きたかったんだけど……精霊王じゃなあ」
ふふ、とルトが苦笑した。
だから、シスイにあんな風に聞いたんだ。
私を任せられる存在なのかって。
でも、シスイは精霊王で、私とは相容れない。
「ルト、嫌だよ。父さんも、戦争に行って帰ってこなかった。ルトだって帰ってこられないかもしれないじゃない」
「……俺の父さんもそうだったよ。でも、行かないと。みんな、徴兵からは逃げられない。逃げたら、残された家族がひどい目に合うからね」
徴兵から逃げ出した人の家族は、若い女性はどこかへ連れて行かれ、老人や子供は殺される。
国の兵士たちは、見せしめとしてそんな惨いことを平気でするのだ。
──本当にこの国は腐ってるよ。
「ルト……!」
私は涙がぼろぼろ出てきて止まらなくて、ベッドから飛び出してルトにしがみついた。
ルトは私を優しく抱き留めてくれた。
「初めて話をした時と逆だね。アイリスからこんな風に抱きつかれることになるとは思わなかったなあ」
くすくすとルトはおかしそうに笑う。
「う、うぅ……っ、ルト……いつ行っちゃうの……?」
「……知らせが来た時には一週間後って言われた」
あと四日!?
私は愕然としてルトを見上げた。
「だから、それまではずっと俺と一緒にいて? アイリス」
悲しそうに笑うルトに、私は涙を流しながら頷くことしかできなかった。
ルトが徴兵に行くまでの四日間は、シスイのところにも行かずルトとずっと一緒に過ごした。
一緒に畑で作業をして、料理をして、狩りに出かけ、ごはんを食べる。
一緒に寝ようと言ったのだけれど、それは拒否されてしまった。「勘弁して」って、ちょっと失礼じゃない? そんなに寝相は悪くないと思うんだけど。
──そして、四日目の朝。
無表情な兵士二人がやってきて、ルトを連れていってしまった。
最後の抱擁をする時、私はやっぱり涙が止まらなくてぐしゃぐしゃの顔になっていたのに、ルトは少しも涙を見せなかった。
「いってきます」
ルトは笑ってそう言った。
大嫌いな戦争に行かなきゃいけないなんて、きっとルトの方が私より何倍も辛いのに。
ルトは私なんかよりも、ずっとずっと成長して、強くなっていたのだ。
私はルトと別れたあと、すぐにシスイに会いに森へ行った。
シスイに会いたくて会いたくて堪らない。
話を聞いて欲しい。辛かったねって、優しく微笑んで欲しい。
会いたいよ、シスイ。
私は歪みを通り抜けて、泉に到着した。
「シスイ……!」
彼を呼ぶと、キラキラと光が集まってきて、シスイの形をとる。
「どうしたの、アイリス。もう泣いているの?」
眉を下げて心配そうに尋ねてくれるシスイに、すでに限界だった私の涙腺は決壊した。
「るっ、ルトが、連れていかれちゃった。戦争に、行っちゃったの。もう会えないかもしれない。嫌だよ、シスイ。大事な家族なの。もう会えないなんて、嫌だあ……」
泣き崩れた私に、シスイは少し手を伸ばしかけて、引っ込めた。
シスイは私に触れることができない。実体がないから。
「……アイリス、泣かないで。僕、アイリスを助けてあげたい。アイリス、僕の加護を受ける?」
「か、加護……?」
私はシスイが言ったことの意味がわからなくて、次々とこぼれてくる涙を拭いながらじっとシスイを見つめた。
「うん。僕は人間に興味がなかったから、加護を与えたことはないんだ。でも、アイリスを助けるためには、加護を与えるのがいいんじゃないかと思って。僕の加護があると、小精霊たちは大抵言うことを聞いてくれるよ。つまり、魔法が使えるようになる」
どうやら、シスイは私にも天族やら悪魔族やらが使う不思議な力を与えてくれるつもりらしい。
「その力で、力ずくでルトを取り戻せってこと?」
私に不思議な力を与えることで、どう助けてくれようとしているのかわからない。力ずくで取り戻せたとしても、二人とも処罰されるだけだ。
「ううん。その力で戦争を終わらせれば、ルトは帰ってくるでしょう? 小精霊たちも戦争は嫌がっているから、きっと協力してくれるよ」
私は唖然とした。
私が、戦争を終わらせる? そんな、そんな大胆なこと考えもつかなかった。けれど、それができれば、確かにルトは帰ってくる。
「やる! 私、戦争を終わらせて、ルトを取り戻す! 加護、よろしく! シスイ!!」
ガバッと立ち上がると、シスイは嬉しそうに笑った。
「それでこそアイリスだ。君に僕の加護を与えよう」
そう言って私の方へ手をかざし、キラキラと輝く様々な色の光を私へ振り撒いた。
《アイリス!》
《アイリスー!》
《加護をもらったんだね!》
《見える?》
《僕たちのこと、見える?》
「うわっ!?」
その途端、小さな可愛らしい生き物たちがふわふわと私の周囲を飛び回り、私に話しかけてきた。
《彼らが小精霊だよ。ずっとここで君を見ていたから、すでに気に入られているね》
シスイがクスクスと笑った。小精霊ってシスイから聞いていたけれど、想像してたよりずっと可愛らしい。
《よろしくね、みんな》
あれ? 今何か、言葉が変だった気がする。
思わず喉を押さえると、シスイは「ああ」と言って説明してくれた。
《これは精霊語だよ。小精霊たちにこの言葉でお願いすれば叶えてくれる》
「せ、精霊語?」
なんだか言葉が口から出る時に勝手に変換されているみたいだ。
《今まではアイリスの言葉に合わせていたけれど、僕もこちらの方が使いやすいからこっちで話すね。アイリスはどっちでもいいよ。小精霊に話す時は勝手に変換されるでしょう?》
軽い調子で言っているけれど、これって結構すごいことだと思う。
私は小精霊の一匹をつついてみた。やっぱり、シスイと同じで触れないみたい。
《一応、魔力も解放しておこうか。小精霊たちの力が足りない時は、魔力を与えてあげて》
「魔力? 私にも、そんなものがあるの?」
《人間は魔力を扱うのが苦手だからね、魔力を持っていても、外に出ないよう閉じ込めてあるんだ。魔力をほぼ持たない人間の方が多いけれど、僕が惹かれたアイリスなら、きっとたくさん魔力があると思うよ》
「……っ」
さらりと言われた『惹かれた』という言葉に胸がときめく。
こんな小さなことでも言葉が出ないほど嬉しいだなんて重症だ。
シスイは自身の手にキラキラと光を集め、小さな銀色の杯を作り出した。その中には澄んだ水がなみなみと入っている。
《これを飲んで》
杯を渡されて、私は迷いなくぐいっと飲み干した。
その瞬間、ぐわっと眩しいほどの金色の光が胸から溢れ出した。
「わっ!? なにこれ!?」
《それがアイリスの魔力だよ。さすがアイリス、人間の魔力とは思えない量だね。悪魔族並みにあるんじゃないかな》
……それって、褒めてるの?
それから、私は魔力の扱い方やどんな魔法を使えるのかをシスイから教わった。魔力の扱い方が少し難しかったけど、慣れれば簡単だ。
──そして五日後、私は不思議な力の使い方をあらかた習得した。
「じゃあ、シスイ。私、ちょっと国に喧嘩売ってくるね!」
《うん。頑張ってね》
私の穏やかでない発言に対しいつも通りの穏やかな声で私を送り出してくれるシスイ。
「急がないと。ルト、もう少し待っててね!」
風の魔法でぎゅんぎゅんと風を切って向かう場所は王城。
なんとか国の偉い人たちに、戦争を終わらせる約束をとりつけないといけない。
「たのもう!」
私は、ザッと音を立てて、堂々と城前にいる兵士たちの前に姿を現した。
ええと……ちょっと言葉を間違えたかもしれない。
とにかく、ためらってなんていられない。シスイからこんなにすごい力をもらったのだ。私は戦争を終わらせて、ルトを絶対に取り戻す!!
「私、戦争を終わらせるために来たの。とりあえず、国王に会わせてくれる?」
「「……」」
兵士たちは唖然としている。まあ、そうだよね。
「私は、精霊王のお言葉を伝えに来た、精霊王の使者です。戦争を今すぐ終わらせなければ、大変なことになりますよ!」
ただの小娘が言うより説得力がありそうだ、とシスイと相談して、この設定で行こうと決めてきたんだよね。
「せ、精霊王……?」
「そうです! 精霊王は今すぐ戦争をやめろとおっしゃっています。さもないと……」
私はピッと指を上に向ける。
《……》
私は小声で精霊に多めに魔力を渡して魔法を使う。
だんだんと、黒い雲が上空を覆い始めた。
「お、おい……」
「雲が……」
ゴロゴロゴロ、と雷鳴が響き渡り、ピシャアアアンッと、すぐそばの木に雷が落ちた。
「うわあああっ」
「雷が落ちた! 燃えてるぞ!」
「消火だ! 急げ!」
「くそっ、さっきまで晴れてたのに、どうして急に……!」
私の言葉が聞こえていなかった兵士たちが、遠くで騒いでいるのが聞こえる。
私のそばにいた兵士たちは、腰を抜かし唖然として私を見ていた。
「……お怒りになる、とおっしゃっています」
私は出来るだけ恐ろしく見えるような笑顔を作ってそう言った。
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