過去編

アイリスと精霊王の出会い

※この章はナディアの前世であるアイリスを主人公として、精霊王やフィルの前世の少年を中心にお話が進みます。戦争中で、少し重いお話になるので苦手な方は飛ばして頂いても本編に支障はありません。平気な方はしばらく過去編にお付き合いくださると幸いです。



◇◇◇◇◇


「なんだと? まだあの場所を落とせんのか」


アルバトリスタ国王は脂肪を蓄えすぎてたるんだ頬を手で持ち上げ肘をつき、だらりとした体制で戦果に関する宰相の報告を聞いていた。


「……なにぶん、兵士たちも疲弊しております。十分な兵糧もなく、厳しい行程で士気もなかなか上がらず……せめて環境を整える資金を調整してくだされば」

「なぁ~にを言っておる。兵士など腹が膨れて寝る場所さえ与えておけばよい。そんなことに余の金を使うなどもったいないわ。なんとかしろ。これ以上金を使わずな」

「…………」


アルバトリスタ国王は隣国の豊かな土地を手に入れるべく八年前に戦争を起こしたが、長く膠着状態が続き、先日行った作戦の結果も芳しくない。


イライラと人差し指を叩き、不満をあらわにする。


「返事はどうした?」

「……かしこまりました」

「ふん。のろまが」


頭を下げた宰相に向かって一瞥を投げ、国王はその場を後にした。


この国王は、国や国民、その持ち物まで全て自分のものであると完全に思い込んでいた。

それゆえ、どんな無茶な指示も要求も、国民は喜んで受け入れるべきだと信じて疑っていないというとんでもない愚王であったのだ。



その日の夕食時。


「あ~よかった~食事が元に戻ってる~」


すでに二十歳を越えているのにどこか舌足らずな話し方をする、アルバトリスタ唯一の王子である息子の言葉に国王は得意気にふんと笑った。


「昨日の食事は貧相だったからな。担当のコックは食糧がないなどと言うものだから、それならば国民からいくらでも徴収しろと脅しておいたのだ。王族たる我々の食事を用意するのは国民の義務なのだから当然だろう」


国王の言葉に王妃も頷いた。


「さすがは陛下でございますね。よかったわ、昨日パンと肉二切れとスープと果物ひとつだった時は、一体どうなることかと思いましたもの」

「ありがとう父上!」


国民がいくら飢えようとも気にもかけない王族は、アルバトリスタという国を徐々に確実に蝕んでいた。


これは、後にこの国をフェリアエーデンという精霊が溢れる国に変える、一人の少女のお話である。



◇◇◇◇◇


「くそったれーーー!!」


私は今日も罵詈雑言の限りを尽くす。


「ふざけんじゃないわよ! 人が一生懸命育てた野菜勝手に徴収とか言って持ってくとかもう国ぐるみのただの泥棒よ泥棒! 自分の食べ物くらい自分で用意しろ! それができないなら戦争なんかすんな、バカヤローーー!」


はぁ、はぁ、と荒い息を整えようとするけれど、なかなか怒りは治まらない。今日は、やっと実をつけた野菜をこの国の兵士たちに根こそぎ持っていかれた。悲しくて悔しくて、涙がぼろぼろ零れてくる。


──この国は腐ってる。


いつも思う。

どうして戦争なんかするんだろう。どうして今あるもので満足できないの?

あんたたちが戦争なんかするせいで、こっちがどんだけ苦労してると思ってんのよ!


会ったこともない国の偉い人たちに悪態をつく。

もちろん、こんなことを大声で叫んだりしたら処罰の対象になって兵士たちにどこかに連れていかれることになる。その先でどうなるのかは知らないけど、下手したら死刑になるのかもしれない。


けれど、この場所でなら、誰にも聞かれることはない。私はそう気づいて、嫌なことがあると度々ここに来て怒りを発散しているのだ。


──そう、この不思議な泉がある場所に。


この泉を知ったのは、半年前のことだ。




◆◆◆



私はアイリス。


アルバトリスタという国に住むただの平民。


今は戦争真っ只中で、ぴっちぴちの十六歳だっていうのにオシャレや恋をする暇も余裕もない。蜂蜜色の髪と緑の目というありふれた容姿だから、オシャレできたとしても、恋なんてできるかどうかわからないけどね。


とにかく、毎日が辛くて食べるだけでも精一杯。


両親はとっくに亡くなった。

父さんは徴兵されて戦死、母さんも後を追うように病気になって。十歳の頃だったかな。


それからは本当に頑張った、私。

一人っ子で頼れる親戚もいない。周囲の大人たちは女の子が一人で生きていけるわけがないとこそこそ言うくせに誰も私の面倒を見ようとはしなかった。まあ、自分たちだけでも大変なのはわかるから、別にいいけどね。


残してくれた家には小さな畑があったから、そこで母さんがやっていたのを思い出しながら野菜を育てたり、森に食べ物を取りに行ったり、罠を張って小さな動物を捕まえたり。

料理は元々ある程度できてたけど、解体はさすがにできなかったから近所のおじいさんに教えてもらった。取れた肉を半分渡せば喜んで教えてくれた。


初めて解体した時は衝撃が強すぎて倒れそうになったけど、もうすっかり慣れた。今では一人で捕獲から解体まで何でもやるわよ!


最近は数が減っていてなかなか捕まえられないけれど、今日はなんとか野ウサギを一匹捕まえて、家に帰る道を歩いている。


そう、歩いていたはずだったんだけど……。


「ここ、どこ?」


おかしいな。もう何回も来ている森で、私が迷うはずないのに。


そろそろ森の出口のはずなのに、全く景色が変わらないし。どうなってるの?


一旦立ち止まって周囲を確認してみる。


すると、ある木と木の間にぼんやりと景色が歪んで見えるところがあった。


「なにこれ?」


そっとその場所に手を当てると、ぐにょんと空間が歪んだように波打ち、歪みの先にあるはずの私の手が……消えた。


ビュッと反射的に手を引っ込める。恐る恐る確認すると、ちゃんと手はくっついていた。


よ、良かった。なくなったかと思った……。


ドックンドックンと胸を打つ心臓の音がうるさい。


なにこれ? どうなってんの?


この歪みの先はどうなっているんだろう。もしかして、どこか別の世界に繋がっているとか?


私は会ったことはないけれど、この世界には魔術という不思議な力を使える者がいるらしい。悪魔族とか天族とかって言ってたかな。


もしかしてこれは、そういう人たちが使った魔術というやつなんじゃないだろうか。


私は興味が抑えられなくて、再びその歪みに手を差し入れた。


……特に痛みもないし、通り抜けられそう。


私は思い切って、一気に体ごとその歪みを通り抜けた。


……のだけれど、目の前にはまたたくさんの木。


あれ? 同じ場所?


そう思ってよく周囲を確認すると、先ほどとは明らかに違うことに気がついた。


大量の澄んだ水の塊、いや、綺麗な泉がすぐそばにあった。


「わぁ、綺麗……」


私は思わず駆け寄って、泉の水に手をつけた。

冷たくて気持ちいい。

泉の水はとても澄んでいて、飲み水にもできそうだ。試しに一口、手で掬って飲んでみる。


……美味しい!


「なにこれ、めちゃくちゃ美味しい! 水ってこんなに美味しいもの!?」


水は井戸から汲むのが普通だけれど、この水とは全然違う。ここの水が美味しいのか、井戸の水がまずいのかわからないけれど、この水は飲むと体が浄化されるように感じるくらい美味しい。


水浴びしようかなと思ったけれど、やめだ。こんな美味しい泉で水浴びなんてしたらもったいない。


「ていうか、ここ、本当にどこなの?」


村の近くにこんな泉があれば今まで気づかないはずがない。それに、この戦争中の国でこんな綺麗な泉が残っているわけがない。


兵士たちがずかずかと森に入っていって自然の恵みを根こそぎ採るものだから、最近では木の実すらなかなか見つからないのだ。森は荒れ放題で、綺麗な場所なんてほとんどない。


「不思議なところ……」


もう一度よく周囲を見渡す。すると、また明らかに先ほどまでいたところとは違うことに気がついた。


「……先がない?」


周囲には木が生い茂っているけれど、ある程度先の方には木がなくなっている。いや、木が、ではなく、空間が。奥にはただ真っ白な空間が広がっている。


……えええええ!?


明らかにおかしい! いや、でもここは魔術で作られた空間とかなのかもしれない。きっと元いた場所とは違うところなんだ。


ていうか私、帰れるの?


焦って来た方向へ走って戻った。空間が歪んだような場所がまだそこにあった。


飛び込むと、そこは見覚えのある森の出口だった。歪みに飛び込んだところとは違う場所。


なのに地面には、なぜか私が今日捕った小さな野ウサギが落ちていた。


それから私は頻繁にこの不思議な泉を訪れるようになった。


本当に不思議なことなのだけれど、森に入って「行きたい」と思えばあの歪みが現れるようになったのだ。

そしてまた歪みから出れば、森の出口近くに出られる。


ここは水は美味しいし、この場所にいると落ち着くし、完全に一人になれる。


狭い村に住んでいるから、常に人の目はあるものなのだ。


そして気づいてしまった事実。

ここなら何を叫んでも処罰されない!!


もう本当に、あいつらには言ってやりたいことが山ほどあるのだ。でもそれを口にすることさえ禁止されて。息苦しくて嫌になるけれど、この場所なら叫び放題よね!


実際に口に出して悲しかったことを叫んだら、たまに涙もぼろぼろ出てきた。でも誰もいないし、気にせず泣きながら叫びまくる。


しばらくそうやって怒りを発散させると、とてもスッキリするのだ。

ここがどこだとか、どうして来られるようになったのかなんてどうでもいい。


これだからここに来るのは止められないのだ。そうして、泉を見つけて早半年。




「あんたたちなんか泥水でもすすってろ、この腐れ外道ーーー!」


わあーん、と今日もいつものように泣き叫ぶ。

昨日、私に獲物の解体を教えてくれたおじいちゃんが亡くなった。食べ物がなくて、痩せ細って。私もたまに様子を見に行って食べ物を分けてあげたりしてたけど、毎日十分な食べ物をあげられるわけではない。


残念なことに、こういうことは日常茶飯事なのだ。


「う、うっ……」


なんで国は戦争を続けるんだろう。この戦争はアルバトリスタから仕掛けたものだと聞いている。領土を広げるためだとか、国をさらに豊かにするためだとか言っているけれど、豊かどころか畑を耕す民まで徴兵して土地は痩せ細っているし、今現在こんなに国民が苦しんでいるのに、バカじゃないの? ううん、バカとしか言いようがないわ、この大バカ!!


今日は叫んでもなかなか涙が止まらない。

おじいちゃん、助けてあげられなくてごめんね……。


「……何がそんなに悲しいの?」


どこかから、いやすぐ近くから声が聞こえて、私は伏せていた顔をガバッと上げた。

この場所で誰かに会ったことなんてなかったのに、私以外にもここに来る人がいたのだろうか。


顔を上げると、声の主はすぐに見つかった。


その人は、泉の上に──立っていた。


いや、きっと人ではないんだろう。泉の上に立っているのもおかしいし、何より顔が。顔が人間とは思えないほど美しいつくりをしている。


見たこともない美しい銀色の髪は長くてサラサラと流れている。とても触り心地が良さそうだ。

銀色の長いまつげに縁取られた優しげな二重の銀色の目は神秘的で吸い込まれそう。

鼻筋はすっと通っていて、小さな口はどこか可愛らしい。白い布をくるくると巻いただけのような服を着ていて肌はあまり出ていないけれど、体格は男性のようだ。顔だけ見れば女性でも通りそうな美人。私とは比べるのもおこがましい、その辺の美女より上をいくかなりの美人である。なにこの存在?


「え、と、あの……」


あれ、今私に話しかけた? 何て言ってたっけ?


「君、いつもここに来ては泣いたり叫んだりしているね。何がそんなに悲しいの?」


きっと人間ではないその美しい男性は、親切にも再び同じことを聞いてきてくれた。


……ん? ちょっと待って。いつも、って言った?


「あ、あの、も、もしかして、私が何回もここに来て叫んでいたの、ずっと聞いていた、とか……?」


お願いどうか否定してください、という願いを込めて口にした質問は、あっけなく肯定されるという結果に終わった。


「うん。いつも誰かの悪口ばかり言っていたね。でも最後にはスッキリしたような顔をして帰っていってたから放っておいたんだけど」


……土に埋まりたい!


もうやだ! 誰か私を隠して! あんな罵詈雑言を見知らぬ人に半年もの間聞かせ続けていたなんて信じられない、いや信じたくない!


せめてと両手で顔を隠すけれど、真っ赤になっていることすら隠せていないだろう。


うああああ、と悶えていると、クスクスと笑う声が聞こえた。


「君は面白いねぇ、僕は人間に興味を持ったのは初めてだよ。ねえ、叫ぶくらい誰かに話を聞いてほしいなら、僕が聞くよ。教えて、君は何を悲しんでいるの?」


そんな優しい言葉をかけられたのは久しぶりで、またぽろりと涙が出てきた。


今はみんな疲弊していて、他人に優しくできる余裕なんてないのだ。家族には優しくするだろうけれど、私にはその家族はもういない。


私が何を思っていて、何に悲しんでいるのかなんて、興味を持って聞こうとしてくれる人なんていなかった。それなのに、会ったばかりのこの人は、悪口を散々聞かせていた私の話が聞きたいんだって。


笑顔で話しかけられたのだって久しぶりなのに。


「わ、私の住む国のこと、知ってる? アルバトリスタっていうの……」

「ううん、人間の営みには興味がなかったから。でも確か国というのは、人間が区分けしている土地のこと、だったかな?」

「そう。そしてその国同士が今戦争中で、あ、戦争っていうのはね……」


物を知らないその人に話すのは少し手間がかかったけれど、うん、うん、と真剣に聞いてくれるので全く苦痛ではなかった。

むしろ、「そうなんだ、ひどいね」とか「そんなことがあったの? 悲しいね」と言って私に共感してくれるこの人に話をするたび、心が軽くなっていった。


「今日はもうお帰り。またいつでもおいで」


そう言って私を送り出してくれる。


本当にそう思ってくれているかな、迷惑じゃないかな、と心配になったけれど、その人はどこまでも優しい顔で私に手を振ってくれていた。


帰る時、ふと思った。

あそこで水浴びなんてしなくて本当によかった……。


そうして、私は以前にも増して泉に通うようになるのだった。

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