暗闇


 ついに侯爵邸へやってきた。


 馬車を降りる時から、私の勝負は始まっているのである!

 つまり、お嬢様らしく振る舞わなければならないということだ。ルトの手を借りられるとはいえ、教えられた通り下を向かずに降りることすら難しいんですけど!


 少し震えながらもなんとかやりきり、達成感を感じながらルトを見上げると、顔を背けて笑いを堪えていた。


 むうう! しょうがないでしょ、初めてなんだから!


 でもいつものルトに戻ってよかった。

 さっきはなんか怖かったもんね。


 ルトが腕を差し出してくれたので、それに手を添えて歩き出す。


 ルトは馬車を降りる前に、マントと同じ素材と思われる黒くて大きな帽子を被り、口元以外を覆う豪華な仮面をつけていた。


 こうやって堂々と歩く姿を見ていると、ルトはやっぱり貴族なんだろうな、と思う。


 こういうことにすごく慣れている感じだし、顔見知りにバレないように、がっつり顔を隠しているみたいだし。


 でも綺麗で珍しい銀髪が少し見えてしまっているのと、なぜかこの状態でも隠しきれてない色気のせいで知り合いにはバレちゃうんじゃないかな、とナディアは心配になった。



 ルトが招待状を見せて、無事屋敷に入ることができたけれど、みんな少し驚いたように私を二度見したりする。やっぱり変だよね!? この小猿の仮面~!


 そして令嬢方の視線を集めまくるルト。

 こんなに顔を隠しているのに、滲み出る色気に当てられて頬を染める女性が続出している。


 ……ルト、もうちょっと抑えて!


「……結構人が多いね。見つけられるかな」


 ルトが小声で呟く。

 その言葉で、私はハッと本来の目的を思い出し、小声で尋ねた。


《みんな、いる?》


 するとふわりふわりと精霊が姿を現した。


《なあに~?》

《どうしたのー、ナディア》

《この会場に、嫌な感じがする人はいる?》

《いないよー》

《でも近くにはいるよ~嫌な感じがする~》


 精霊が円らな目を細めて顔をしかめた。可愛い。


「この会場にはいないけど、近くにはいるみたい」


 そう報告すると、ルトは少し目を見開いてから、少し口元を緩めた。


「……頼もしいね」


 わあ~、さらに色気が増しましたよ。

 逆、逆! 抑えてってば、ルト!


 すると、どこからともなく優雅な音楽が聞こえてきた。ラトルの曲だ。これは、ファーストダンスによく使われるらしい。


 ちらほらと、何組かの男女がダンスを踊り始めた。


 ふと気づくと、ルトに誘ってほしそうに何人かの女性がチラチラとこちらを見ていた。

 隣にいる私には変なものを見る目を向けながら。


 ……えーと、私はちょっとどいているべき?


 端の方に行っておいて、犯人の侯爵令嬢が来たら報告すればいいかな。


 すすす、とルトから離れようとすると、ルトが私の手をパッと掴んだ。


「どこ行くの?」

「え? えーと、あ、いや、わたくしお邪魔かしらと思いまして。よろしければ、例の方がいらした時に報告しに参りますよ」


 すると、みるみるルトの機嫌が降下した。


 え、なぜ!?


「失礼」


 取り囲む女性陣をかわし、私の手を掴んだまま目立たない角の方へと向かった。


「君は俺に他の女性と踊ってほしいわけ?」


 なぜか壁に追い詰められて責められている。

 ルトは私よりだいぶ背が高いので、すごい迫力だ。


「いや、あの人たちがルトと踊りたそうにしてたから。でもルトが嫌だったんなら離れるべきじゃなかったね、ごめん」


 ちゃんと壁役になるべきでした。


「そうじゃなくて……」


 ハァ、とため息をつかれた。


「いや、悪かった。君はこういう場所に不慣れなんだから、俺から離れないようにして」


 ルトが疲れたように言った。


 はっ!

 そうか、ルトと離れると私がいつボロを出すかわからないもんね! ルトは私を心配してくれてたのに、私ってば勝手に離れようとして、おバカ!


「ごめんルト、もうルトから離れないようにする」


 ぎゅっとマントを掴んで真剣な顔でルトを見上げると、ルトはなぜか一瞬びくりと体を硬直させて、ふいっと目を逸らした。


「……そうして」



 そんなことをしている内に、音楽が変わった。トゥールの曲だ。


「……お嬢さん、私と踊っていただけますか?」


 ルトがニヤリとした笑みをたたえて、手を差し出した。


 え、今!? でもこの音楽、トゥールだよ?


『男性が女性をトゥールに誘うことは、あなたと親しくなりたいです、と言っているようなものなのですよ』


 先生の言葉が頭をよぎる。

 いやいや、そんなまさかね。たまたま始まった音楽がトゥールの曲だっただけだよね。


 少し躊躇ったものの、差し出された手を無視してルトに恥を掻かせるわけにはいかないし、さっき私はルトから離れないと宣言したばかりだ。


 私はゆっくりとルトの手を取った。


 ルトは満足そうに私の腰に手を回し、ぴったりと引き寄せた。


「……ルトは意地悪だね」

「そうかな? どうして?」


 すっかりご機嫌になってトゥールを踊るルトを見ていると、焦る私をからかって楽しんでいるようにしか見えない。


 しかし、ルトに思わせ振りなことを言われたりダンスとはいえぴったりくっついたりされると動揺しちゃうんだよ! とはとても言えない。


「……なんでも!」


 ごまかして、ぷいっと顔を背けてやった。

 クスッというルトの笑い声が聞こえた。


 そうしてしばらくルトと踊っていると、急に精霊たちの焦ったような声が聞こえた。


《ナディアー!》

《嫌なものが近くに来てるー!》


 えっ!?


 フッ、と、突然会場から光が消えた。


「!?」

「何だ!?」

「どうなってるんだ! 真っ暗だぞ!」


 あちこちから焦ったような声が聞こえる。


「ルト!」

「大丈夫、落ち着いて」


 ルトが辺りを警戒した様子で早口に言い、私を抱え込むように抱きしめた。


 とりあえずルトは何ともないみたい。

 少しホッとしたけれど、状況が掴めなくて不安になってくる。


「何が起こってるのかな」

「わからないけど、あんまり良いことじゃなさそうだね」


 何も見えず、状況が掴めなくて、焦りばかりが募る。


「ぐあぁっ……」


 突然、誰かのうめき声が聞こえた。


「うわあっ!?」

「うぅっ……」


 すると、あちこちからも苦しそうな声が聞こえ始めた。


 な、なに!? みんな、どうしたの!?


「く……」


 見上げると、ルトも苦しそうに荒い息を吐いていた。


 私はなんともないのに、会場中の人が何かに苦しんでいる?


「ナディアは……平気、なの?」

「わ、私は大丈夫だよ! どうしたのルト、苦しいの?」


 どうしよう、どうしよう!?


 そのうち、バタリ、バタリと人が倒れるような音が聞こえてきた。


「う……」


 ルトが、ぎゅうっとナディアを抱きしめる腕に力を入れる。


 ルトが、苦しそう!


 しっかりしろ、私! 私がなんとかしなきゃ。今は私しか、動けないんだから!


 私は、きっ、と暗闇を見据えた。


《明るくして!》


 大声でお願いすると、ブワッと光が広がった。


「なっ!?」


 どこかから、聞いた覚えのある若い女性の声が聞こえた。


 コンスタンス侯爵令嬢!?


 ルトから体を離し、周囲に目を走らせる。

 でもまず目に入ってきたのは、たくさんの苦しそうな招待客たちだった。


 ほとんどの人は片膝をついたり蹲っていて、何人かは倒れて動かない。


 ぞわり、と背筋が寒くなった。


 ルトはまだ立っているけれど、胸を押さえて息を荒くしている。


 明るくなったけど、まだみんなを苦しめてる原因はなくなってないみたい。


 ここにいるみんなが呪いにかけられているってこと!?


 でも、心に隙がないとかからないって言ってたし、ここにいる全員が呪いにかかるなんてあるわけない。じゃあ、毒とか? でも私はなんともないし……。


 ええい、もうなんでもいいよ!


《苦しんでる人たちを助けて!》


 すると私を中心に、ぶわっと光の層が広がっていった。


 精霊たちは私の曖昧なお願いを叶えてくれたようで、光の層を通り抜けた人たちの顔から苦しみが和らいでいく。

 驚いているようなたくさんの視線が私の方に向けられているのを感じた。


「きゃあっ!?」


 バシッという音がして、そちらを振り向く。


 会場の入り口近くで、尻餅をついたコンスタンス侯爵令嬢が呆然とこちらを見ていた。仮面で半分顔を隠しているけれど、髪色も同じだし、間違いない。


 そしてそのそばには、黒く透き通った大きな石が転がっていた。

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