月に弾丸

新芽夏夜

 彼女は私に「カーミラ」としか名乗らなかった。だからここでも彼女のことはカーミラと書くだけで本名は明かさない。これは世間を憚るためというよりも、その方が私にとって自然だからである。


 カーミラと出会ったのは母の実家があるS県に帰省していた時だった。当時の私は小学校から中学校へと続くエスカレーターの、どちらでもない踊り場に立っていた。


 帰省していたのは母と私の二人だけで、父は仕事のために東京の家に残っていた。帰省の主な目的は祖母の一周忌だったが、遺品の整理がまだ終わっていないということで、卒業式の三日後から私達だけ先に来ていたのだった。


 母は毎日忙しくしていたが、私は特にすることも無かったので毎日縁側でうたた寝をして過ごしていた。日当たりが良く、障子を閉めれば他の部屋から死角になる縁側は、私のお気に入りの場所だった。帰省の一番の楽しみは、亡くなった祖母とそこに並んで座ってお茶を飲むことだった。


 祖母は物静かな人だった。そしてよく独りでいる人だった。祖父は私が生まれる前に亡くなっていて、子供達――母の兄弟だ――も皆仕事や結婚で家から離れており、小さな田畑と共に一人で暮らしていた。田舎らしく近所の人達は皆昔からの知り合いで、互いに助け合いながら暮らしていたが、祖母だけは何故かその輪から外されているように感じることがあった。祖母と二人で外を歩いている時に近所の人とすれ違うと、しばしば露骨ではないもののそっと距離を置かれた。母と一緒に歩いている時は「あらこんにちは。今年も帰ってきていたんだね。今度はいつまでこっちにいられるんだい?」と気さくに話しかけてくるような人が、だ。嫌われているというより避けられている。拒絶されていないが疎外されている。祖母はそんな人だった。幼かった私は浅慮にも祖母に直接疑問をぶつけたことがあった。どうしてみんなおばあちゃんと仲良くしてくれないの? そう聞かれた時の祖母の悲しそうな微笑みが今でも思い出される。


「病気、だからだよ」


 祖母の答えはそれだけだった。どんな病気だとも、誰が罹っているのかとも、祖母は決してそれ以上のことを話そうとはしなかった。思慮に欠けていた私は当てずっぽうに、おばあちゃんは何か重い病気に罹っていて、他の人はみんな病気がうつらないように仕方なく少し距離を置いているのだと想像した。果たしてそれは当たらずも遠からずだったのだが、母兄弟もあまり積極的に祖母と言葉を交わさなかったため、私だけがよく祖母の話し相手をしていた。祖母のいなくなった縁側は、変わらず日当たりは良かったが、どこかうら寂しい感じが拭えなかった。うたた寝しているとたまに祖母の夢を見ることがあったが、目覚めた時の虚しさはその寂しい感じを強めるだけだった。しかし生来のインドア派で放課後に友達と遊ぶ時も家の中で遊ぶことが多かった私には、縁側以外の居場所をこの田舎に見つけることが出来ずにいた。


 その日も、同じく帰省していた大学生の従兄が連日無為にゴロゴロしているだけの私を見かねて強引に散歩に連れ出さなければ、私の体内時計は睡眠過剰で昼夜を逆転させていたことだろう。


 普段はあまり散歩することは無かったが、春の麗らかな日差しが気持ち良かった。車通りの少ない道を歩いていると時間の流れもゆるやかに感じられた。


 しかし車通りが少ないと言っても全く車が走っていないわけではない。時間の流れがゆるやかに感じられるからと言っても車までのんびり走るわけではない。寧ろ見通しのいい田舎道では制限速度を何十キロも超えて走りがちだということも後に知った。


 町で一番大きな病院の前の交差点に辿り着いた時だった。


 最初に連想したのはスーパーの精肉コーナーでパック詰めされて並べられているそれだった。赤というよりピンクに近いそれ。スーパーか台所でしか見ることの無いそれは、アスファルトの上でひどく不釣り合いに、しかし何よりも鮮烈に横たわっていた。


 ネコだった。三角の耳が二つついた丸い頭、細い尻尾も見えたからネコだっただろう。車に轢かれたネコの亡骸が転がっていた。土埃と血で赤黒く染まった毛並みは元の色を容易に教えなかった。


 血溜まりに沈む肉塊から咄嗟に目を背けてしまったのはもはや条件反射と言ってもいいだろう。生理的嫌悪は脳ではなく脊髄で感じる。「見てはいけないものを見てしまった」という怯えが一瞬で全身を満たした。


 だが一足遅れて湧いて出たのはネコに対する哀れみだった。きっとあのネコは何も分からないまま突然車に轢き殺されたのだろう。それでいて行き交う人にも見向きもされず、未だにこうして亡骸を野晒しにされているのだろう。そんなネコが可哀想になり、そして一瞬でもそれを気味悪がった自分を恥じた。その罪滅ぼしの思いもあって、ネコの亡骸をどこかに埋めてあげようと従兄に提案した。


 ところが従兄は頑として拒絶した。そんな事はしなくていい。死体に触ると病気をうつされてしまうから、絶対に近寄ってはいけない。こういう死体は後で専門の人間が回収して処分してくれるから、このまま放っておけばいい。


 普段は優しい従兄の態度は、寧ろ軽蔑に塗り潰されていた。そしてこれほどの剣幕で怒鳴られたのは初めてだった。私は驚きと恐ろしさで何も言い返すことが出来ず、強引に手を引かれてその場から離れていった。


 ネコに背を向けて来た道を戻って行く時、交差点の反対側に建つ病院、その三階の窓辺に人影を見つけた。カーテン越しだったため様子をうかがい知ることは出来なかったが、こちらをじっと見ているような気がした。しかしそれを確かめる間も無く、そのまま従兄によって家まで連れ帰された。


 夕食後、事の次第を聞いた母にも同じように怒られた。「死体はとても怖い病気を持っているのだから、絶対に触っては駄目!」それではネコがあまりに可哀想だと反論しても、聞く耳すら持ってもらえなかった。「聞き分けなさい!」という言葉は誤魔化にしか聞こえなかった。反抗期とは徐々に足を踏み入れているもので、それが表に出るのは大抵突然だったりする。自分の精一杯の善意を理不尽に否定されたと思い込み頭に血が上った私は自分でも知らないうちに叫んでいた。


「じゃあお母さんは私が死んでも病気がうつるからって私を道端に捨てるってことね⁉ そうよ、おばあちゃんが死んだ時もそうしたんでしょ⁉」


 母が目を見開き、カッと顔を赤くしたのが見えた直後、パンっという乾いた音が左耳の鼓膜を貫いた。衝撃で足がもつれ、耐え切れず倒れ込んでしまった。遅れて左頬がジンジンと熱を持ってきた。痛い。痺れる。熱い。口の中をどこか切ったらしく、口の中に広がる鉄の味が不快だった。揺れる頭の中で熱さと痛さと怒りと悲しみと理不尽と不満とがミキサーにかけられたようにぐちゃまぜになって、こぼれた涙に居たたまれなくなって、気付いたら家を飛び出していた。

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