第9話  海で――1

「みんな若いんだから疲れてないでしょう。海に行ってお腹を減らしてきなさい」


 部屋に荷物を片付けた後、水着に着替えるようにと雪江の母親、妙子から指示されて、再び六人を乗せた車は山を降り、寺院の駐車場に停まった。


「このお寺を抜けた前が海水浴場だから」という、勝手の分かった尚美達のあとを、バスタオルや女性達の着替えも一緒に持った、冬馬達三人の男性がついていく。


 ここ何日か、女性達に主導権を握られた感じに安幸が、「なあ。結婚するってこんな感じなのかな」と呟く。


 二人でいるときにはとても可愛いと思った。

 優しくて、気が利いて、よく笑い素直だ。それに六人でいる時には見せない個性も垣間見せる。


 だが女性同士、仲間が居るとき、男に対する態度は大きく変わる。

 女性が最強になるのはこんなときかもしれない。

 

 あらかじめ決めていたのか、女性達は一定の時間が経つと列車の座席をローテーションして相手を変えた。

 何度目かのローテで雪江が冬馬の横に座ったとき、「ねえねえ冬馬。さっき安君から聞いたんだけどさあ。ナオの教室移動のとき、おんぶの権利、後輩君に取られそうになったんだって?」 そう言ってホットパンツから出た白い足を冬馬の腿にこすりつけてきた。

 冬馬は二重の意味でパニクり、「ち、違うんだって。あれはナオが走ってるのを見られたことをナオに感づかせない為にだな……おっ男は女性を庇ったことなんか言わないんだよ」

「ふーん。なんだ。そっか。つまらない。後輩君とナオ取り合ってバトルすればいいのに」そう言って「ねえ私の足ってどうかな。綺麗?」と足を伸ばす。


 霞子が来たときは「冬馬知ってる? ヤス君とユキ。二人で映画デートしたらしいよ」と初めて聞く情報を知らせた。「それでねユキがホラー見たいって言ったら、俺もって言って付き合ったらしいの。でも、本当はヤス君ホラー大嫌いなんだって。知ってた?」

「いや。だって俺達そもそも三人では映画行かねえし」

「ホラー嫌いだって言えばいいじゃんねー。男らしくさ」


 何故か女性達による、その時の安幸の評価は、嫌なものを嫌と言えない優柔不断ということになっているようだった。


 女性同士、三人になった途端、その態度は傲慢で、命令口調で、恩着せがましく、『女』を振りかざす。


安幸が言う。


「多分な。それが平和の秘訣なんだよ。女性が家庭の全権を握り、男は生活基盤を確立する。そういう分類と妥協、或いは我慢によって家庭は維持されるのさ。俺がホラーは嫌だってあのとき突っぱねてみろ。今頃俺の評価は傲慢で我が儘な奴って事になるに決まってる」

「その分類された隙間と我慢を埋めるのが愛って訳か」

 愛という言葉に若干の照れを感じながら冬馬が言うと猛男が「その愛は、結婚後セックスの回数と共に減少するみたいだぞ」 

 安幸が「その分類による隙間が広がったときにさ。隙間狙う女性が現れると浮気とかあり得るんじゃね」

「それで、その女性の目的が慰謝料だったら、隙間産業か」

「クッ……冬馬おもしれえ」

 男性達から、ワッと笑い声が上がり、女性達が振り返った。


 先導している政夫が、松林の間に建てられた二連のタープテントに案内した。

 日陰にサイドテーブル付きのサマーベッドが六っつ並んでいる。

 政夫は雪江に「愛浜さんのだ。儂はそこに居る。シャワーと着替えは太田の名前を出せばええ」

 そう言って引き返していった。


「じゃあ私達は準備があるから、あなた達は先に海に入っててね。あっ。それとも冬馬。私の体に日焼け止め塗りたい?」

 尚美が上着を脱ぎ、ビキニの水着になりながら日焼け止めを振ってみせる。

 安幸が「フォール」と言った。

 フォールは危険を知らせる山用語だ。 

 雪山でパーティの誰かが滑落したときに、この合図と共に輪にしたロープにピッケルを突き刺して止める。

 冬馬がニマッと笑った。

「ナオ。わかってるぞ。触った途端にキャーとか痴漢とか言って騒ぐんだろ」

「なーんだ」と雪江が残念がって尚美の手からクリームを取った。「バレてるじゃん」


 砂が焼けて足の裏が熱い。

 右足が熱を感じる前に左足に替えて、三人は全速力で走り海に飛び込むと、遊泳禁止標識のフロートまで泳いでいった。流石にこの辺りは人が少ない。

 

 湾と言っても北に長く、日本海に繋がって海流があるせいか、水が綺麗だ。深くなっている所は水温の低い層があり気持ちが良い。

 だがそれは、離岸流ほどでは無いにしても、海流が早くなる場所があるということで要注意だ。

 猛男が「おい、この下、流れができるかも。気をつけろ」と注意喚起する。

「了」「分かった」 

 三人は遊泳禁止のブイに掴まって波に体を任せる。

 猛男が「最近ユキが過激になってないか。お前らどうなってるんだ」安幸に訊く。

「どうもなってない。なりようがないんだな。この状況を見ろ。網元の一人娘だぞ。後に付いてるものがデカすぎるだろ。俺も卒業したら地元に帰ってやることがあるし」

 キスまでOKという取り決めは、まだ有効らしいが、安幸と冬馬は、そのキスにまでも至ってない。

「それだな。前に冬馬とナオの事をカスミが言ってただろう。平易な言葉で言うと欲求不満」

猛男の分析に安幸が答える。

「ああ。情動的不安感とかいうやつだろ。ユキの行動がそれだとすれば、人間は面倒くさいな。犬なら吠えまくってストレス一発解消だけど」

 冬馬が「あっ」と声を出した。

「それだけど、そのナオやユキの行動って、面白くないか。男のリビドウを触発させるための潜在的行為だとしたら、因果関係を立証できれば論文が一つできる」


 猛男が「そんなことよりヤスがユキをデートに誘って吠えてみればどうよ一発解消するんじゃねぇか」


 そのとき冬馬の足にヌルリとした感触がまとわりついた。かなり大きいイカかタコが巻き付いた――そんな感触に「ヤバイ」大声で二人に言った途端ガボッと音を立てて二人が引きずり込まれ、海面から見えなくなった。


 冬馬は本能的に息を大きく吸い込み、足に絡まる物体を確認するため潜る。

 見ると透明なナイロンの芯にゼリーというかスライムのような物体が巻き付けられた、ロープのようなものが両足に絡まっている。

 いつの間にか、水中から近づいてきた尚美たち三人のイタズラだと分かった。

 安幸に次いで、最後に猛男が幾分怒った顔で浮上する。

「ビビったあ。パニクった。恐かった。こんなことしてお前等、絶対医者にむいてねえわ」と、ぼやくと女性達はハイタッチして喜んだ。


「ねえ、息継ぎ競争しよう」雪江が言った。

「ルールは男女の組どうしで、潜る時間を競うの」

 二人は協力して男女どちらか一方の潜水時間を長くするために協力する。という単純なゲームだが、『協力して』というのがミソだ。


「いくよ。ブレース」

 雪江の合図で一斉に潜る。

 尚美が冬馬に体を寄せる。一分を三十秒ほど過ぎて尚美が息を吐いた。冬馬に口づけして、冬馬の息を吸い取る。

 肺の空気が無くなった冬馬が浮上すると、猛男、安幸が浮かび上がり、安幸から三十秒ぐらいたって、尚美、霞子、雪江の順で浮上してきた。


 尚美が「さすが漁師の娘」というと雪江が、「ヤス君、全然口開いてくれなくってさー。十秒も酸欠でいたの」

「ご免。意味が分からなかった」

 霞子が「弱い男は彼女に息を譲って沈んで行くってゲームなのよ」という。

「タイタニックかよ」冬馬が言う。猛男が「それ、むしろカッコ良くないか」と言ったとき「三回勝負の二回目。ブレース」と雪江が言った。


 今度の尚美は最初から冬馬の首を抱いて、口を付けてきた。

 だが息は吐かず、舌で冬馬の口を開ける。

 海水と尚美の舌が冬馬の口を満たした。

 冬馬は二人の体が離れないように尚美の腰を抱き、尚美の舌は冬馬の舌を絡めた。

「二人一緒の時間を長くしよう」

 指と指を合わせたサインで意思が通じた。

二人は口をつけていたが空気の遣り取りはせず、息の続く限り抱き合って体を密着していたから一番早く、一分三十秒程で、同時に浮上した。


「次、ラストだよ」という雪江の声も息が荒くなっている。

「ブレース」

 尚美は合図から一拍遅らせて、潜る直前冬馬に「抱いて。もっとキツく」そう言って口づけをした。

 下着よりも布面積の小さな水着の尚美を抱きしめた冬馬が立ち泳ぎで足を振ると、お互いの足が絡まるように交差した。

 その繰り返しに冬馬が「やべえ」と声にならない声を出して体を離そうとすると、尚美が「大丈夫」と唇を動かし、離れた腰を再びより強く密着させる。

 冬馬は全身を硬直させ、尚美を抱く腕に力を入れたとき、腰が痙攣した。

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