第5話  冬

「みんなでスキーに行かないか」

 冬休みの或る日、学生通りの喫茶店、ミルフィーユに猛男が五人を集めて言った。


 これまでは、実家を持たなくなった冬馬のために毎年三人で雪山で正月を過ごしてきたが、霞子が、六人で一緒に居たいと言い出したのでと、猛男が提案した。


「学生のときに男性と付き合うのは男性を観察するため」と言っていた霞子たち三人だったが、この頃はよく、それぞれのペアで買い物や食事に出かけていた。

 正月もできることなら一緒に居たいとは思うのだが、二人きりでという状態が意味するところを考えると、そこまでの関係性には進まないというのが、女性三人のdetermine(決めたこと)なので、それならという霞子の希望だった。


「でも、タケちゃんさん達はスキーできるみたいだけど、私達は全然できないんだもの」

 全く経験のない尚美が不安そうに言う。

「スノボなら、緩斜面で半日も遊んでれば滑れるようになるよ」

 安幸の言葉に被せるように冬馬が「君ら上昇志向が強すぎるんだよ。暖かいロッジで雪景色見ながらアイス食べるとか、美味いコーヒー飲むとかさ。ソリで遊ぶだけでもいいんじゃないか」

「それに……」猛男がバッグからパンフレットを出した。

「志賀高原ならゴンドラやリフトを乗り継いで、標高二千百の寺小屋山頂まで行ける。東館山ひがしたてやまの喫茶店から見る眺望は凄いぞ。君ら絶対見たことがない景色だよ」


 雪江の「楽しそー。私、二人だけでも行く」と安幸を見ていった一言で決まった。


 志賀高原の古いホテルが新館をオープンしたので、記念イベントに旧館を破格値で提供するプランが、参加者がなく没寸前なのだという。

 旅行会社のバイト経験がある猛男は、いち早くそのパックを押さえて、みんなに図っていた。


「但し、最少催行人員の三十五人以上確保することが条件だからな。お前らで南北の剣道部員に声をかけてみてくれ。俺も当たるから」


すでに何人かの部員が帰省していたが、尚美が学部のOBにも声をかけたので、大人三人と小学生一人のファミリーが参加してくれた。

 結局全部で三十八人になり、年末年始をスキー場のホテルで過ごすことが決定した。


 全ての段取りと調整を終えた出発の前日、再び六人がミルフィーユに集まった。

「皆、有り難うな。ようやくと言うか、ともかくここまで来た。後は個人の持ち物を忘れないようにしてくれ」

 猛男が「安全を祈念して」と言って乾杯した。


 バスは明日三十一日の十時半、大学の正門前を発車する。


 通常のスキーライナーはバスステーションとホテルを直結して運行し、夜二十二時ごろ出発する。

 夜道をひた走るバスの中で客は眠り、明け方ホテルに到着するのがパターンだ。

 だが猛男は敢えて日中の走行、夕方ホテル着に調整しなおした。

 

車中泊の疲労と、凍った道路の夜間走行というリスクを避けるためだったが、バスがチャーターだったのと、ホテルも通常のサービスはしないということで特に問題もなく変更する事ができた。

 だが一つだけ不都合が生じた。


「あと一つ頼みがある。ナオと冬馬。お前達、明日、俺の車で先行して、ホテルで部屋割りをしといてくれないか」

 そう言って参加人員名簿を尚美に渡し、「冬馬なら俺の車、走り慣れてるし」と、予備キーを冬馬に渡した。


  

「いやー。実は私が運転してたとき、スピード違反で高速道路でパトカーに捕まっちゃったの。それでおそくなっちまった」

 部屋割りの名簿ができたのが、バスの到着時間にギリギリだったことについて、ホテルのミーティングルームで尚美が言い訳をする。


 猛男の車はスバルの四駆で、一見ラリーカーに見える程度にチューンしてある。

「分かる。あれは走りそうだものね」 

 誰もが尚美の言葉に納得した。

 それでお巡りさんが恩着せがましく、切符は切らないけど――何て言うもんだから、これで切符切ったら、渋滞の時なんかガバガバ儲かりますよね、って言ったら、お巡りさんの逆鱗に触れちゃってさ、説教が始まってしまったのよ」


 どうも話しが繋がらないと首を傾げる皆に、「低速違反なんだよ」と小声で冬馬が説明する。


  高速道路に入いってすぐのSAで、尚美と運転を代わって冬馬が仮眠した。

 一眠りした頃、車の真後ろでパトカーのサイレンが鳴り飛び起きた。

「運転手さん。左によって停まって下さい」と言う拡声器に促されて左に停まると

 降りてきた警官が窓から覘いた。


「どうかしましたか」

 先にそう言ったのは警官のほうだ。

「どうかしたって? 何でしょう。スピード違反?」

 尚美に代わって冬馬が訊ねる。

「まあそうなんですがね」

 高速道路で止められる理由はそれしか思いつかない。


「私、そんなにスピード出していませんよ。メーター見てませんでしたけど」

 尚美は不満そうに、だが、可愛く抗議する。

 冬馬が車外に出ると、警官は発煙筒に火を点け、パトカーの後ろに投げた。

「こちら側には来ないようにして。それで、隣のあなたは何キロぐらい出てると思ったの。実は計測してないんだけど」

「済みません。寝てました。昨夜レポートに時間かかったので。でも計測できないほどスピードの出る車じゃないですよ」

 冬馬は冬タイヤを指で示す。

「いや、最低速度違反。見ていたら五〇キロ以下のときが何度かあってね」

 もう一人の警官も後方処理から戻ってきた。

「車に何かあるんだったら業者に連絡するし、何も問題が無ければ八〇キロぐらいは出して貰わないと障害物だからね」と言った。

 そこで礼と詫びを言っておけば何事もなかったのだが、警官が「今回は検挙しないから気をつけて、楽しんで」と言ってくれた一言に、尚美の「こんなの検挙してたら、渋滞の時ガバガバ儲かりますよね」という余計な一言が警官の怒りを招き説教されて時間が遅れた。

「あれには参ったわ」

 尚美はボーイッシュな頭を掻く。


「マジッすか」

「初めて聞いた」

「えーっそれって、五十キロ以下で高速道路走っちゃいけないって法令ですよね」「いったいどんだけノロマだったんだよ。瞬速のナオが」

 瞬速で小手を取る尚美が低速違反で捕まったというニュースは、最早事件だとして部員達の笑いを誘った。

 

「だけど、なんでそんなに遅く走ったんですか」

「だって冬馬が卒論で寝てないって言うんだもん。せめて高速だけでも長く寝かせといてあげたいじゃない」

 途端に「ヒュー」「あっ雪が解ける」と冷やかしの声が上がる。

「だって冬馬って只でさえ運転下手だから、寝不足って危ないじゃない。それなのに運転代わったらメッチャとばすし。どれだけ下手かっていうと雪の一般道のカーブなんか車が横になってしまうんだよー」

「おま……あれはそういう運転のしかたなんだよ」

「ナオ先輩、ドリフト知らねえんだ」

「どれだけお嬢様だよ」

「まあ、四駆でドリフトってのも、なんだから……なあ」

「そもそも俺が飛ばさなきゃいけなくなったのはだな……」

 ――尚美のせいで、しかし尚美は純然たる善意で俺のために遅くしたのだから文句は言えないし――イラッとした冬馬の尚美に向けたジレンマが皆には面白くて、 尚美を包む温かい笑い声が広がり、瞬速のナオの低速違反伝説ができた。


 23時45分。雪の精の衣装を着けたイベントスタッフの女性が、「外は寒いですから暖かい服装で」と集合の声をかけて廻る。

 旧館の宿泊者が集まる場所は新館との間、夏のテニスコート。

 夜間照明の水銀灯が点けられている。


「外に出たら、隣の人と手を繋いで下さい」という雪の精の指示で、冬馬は尚美を捜したが見つけられないまま、左手を雪江に、右手を霞子に握られた。

「来た来た」という安幸の声に振り向くと、三十ぐらいの男性と小学生の女の子と手を繋いだ尚美が姿を見せた。

「誰だあれ」

 幾分、声が鋭くなる。

 雪江が、

「そっか。冬馬達、先行したからバスの中で紹介したときいなかったものね。あれ、ナオが捻挫したときのクリニックの佐藤先生だよ。ナオが最後に声をかけて来て貰ったOBとOG一家」


「ああ。そう言われればそうだ。ナオが診察室に入るとき見たわ」

 パソコンのモニターを眺めていた横顔だったが、この顔だった。確か一年くらい前に俺も診て貰ったことがあったと、冬馬は記憶を呼び戻す。


「隣の女の人がお姉さんで心療内科の院長先生。その娘小四の子供と旦那様。旦那様はサラリーマンだって」

「へえ。そうなんだ」

 尚美がこちらに気がついて、手の代わりに足を上げて左右に振った。

 

 雪の精が、「テンからカウントダウンします。ワンでしゃがんでゼロでジャンプしますよー。その後で右の人、左の人とハグをしましょう」

 猛男が「ハグのあと、我が校の伝統に則り、世界の平和を願って校歌を歌います。よろしく」といった。

 雪の精が「テン」と言うと、「ナイン」と合唱が始まる。

 ワンでしゃがみ、ゼロで一斉にジャンプする。

「お目出度う」「ハッピーニューイヤー」と、拍手と挨拶が入り乱れる中、尚美が走ってきて五人とハグとキスをして戻っていった。続いて雪江と霞子も尚美と同じようにハグとキスをして円陣に戻る。

 雪江が「期待してたのに、ファーストキスがいきなり男性三人。女の子ふたりって、全然ドキドキしない」というと、霞子が「それはそう? かな。私も二人だけの時の方が感じたな」と言って猛男を見て、経験済みをカミングアウトした。

「げッ」

「なんだそれ」

安幸と冬馬が驚いた顔で霞子と猛男を見ると、雪江が「あっ。一応ね、キスまでは許すことにしたの。だからヤス君もそうしたくなるような雰囲気作ってね」


 顔を赤らめた猛男が円の中心の、雪の精の隣に行き、

「校歌ですが」と言って要領を伝える。

「お隣と握ったままの手を円の中心に集めます。次は後ろに下がりながら腕を広げ、最大の円を作って下さい。これを歌いながら繰り返します」

「ああ。花いちもんめですね」と幾つものイベントをこなす雪の精が言って、OGのドクターが「そう。そうなの」と相づちをした後で、『しまった。歳がバレル』と言って舌を出した。


 在校生低学年で、校歌を歌える者は意外に少ない。

 そもそも大学には校歌を教える時間も授業もない。入学式の時、吹奏楽部とコーラス部によって初めて聞く曲なのだ。

 次に聞くのは学祭の夜になる。ストームに参加した者が、応援団の、繰り返される校歌を聞き、徐々に声を出しはじめる。


「最初に私が小節ごとに区切って歌いますから続いてください」

 猛男が一小節ごと独唱し、リードする。

それを繰り返しメロディを覚えたところで、二番、三番は歌詞を小節事に早口で伝える。 通して歌うことで校歌の歌詞が意味を持ち、独特の連帯感を醸し出す。


 一陣の強風が吹き抜けて、雪の結晶が舞い上がった。

 歌が途切れ、足が止まる。


 突き抜ける冷気が空気中の水分を氷の結晶に変えた。それが、吹き上げられた雪の結晶と混ざり、水銀灯の光に照らされてきらめきながら宙にただよった。


 その美しさに、ぼうぜんと、皆、声も無く佇んでいたが、やがて感動の咆哮が冬の夜空に響き渡った。


 

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