第34話 時の雨
深夜の砂浜には誰もいなかった。いつもより明るい月明りが閑散としたテトラポット群に照り付ける。潮騒だけが聞こえる中で、ヲネは海を見つめていた。
「ごくろうさま、ヲネ」
姿なき声がヲネに言った。
「空いた魂は無事に虚空へと抜けそうよ」
「ほんと? じゃあ、これでヲネも消えない?」
「いいえ、まだよ。あの子はそれでも満たされていないみたい」
「え、まだ? まだなの? ヲネの魔法の何がいけないの?」
ヲネは納得がいかないようで、語気を強めて海に叫んだ。
「あの子の悪いナルシシズムが、魔法を受け入れることを拒んでいる」
「確かに、コヂカちゃんはちょっと病的なくらい、自分大好きって感じだけど……。じゃあ、ヲネは何をしてあげればいいの?」
「あの子の心は、もう随分と弱くなってきたわ。じっと待ちなさい、すぐにあの子の方から助けを求めてくるはずよ」
「わかった」
ヲネはうなずき、砂浜を後にした。誰もいない海の上は、まるで夜の砂漠のように静まり返っている。水面に反射した光が、月を目指して飛び始め、姿なき声が誰かに語るように言った。
「ヲネはいい仕事をするようになったわ。また、新しい魂が手に入りそう」
海から放たれた光たちは、月にたどり着く前に空中で集まり、やがて人の姿をかたどった。金色に輝くその少女の体は、まぎれもなくシオンのものだった。シオンは体をのけぞり、口を半開きにしながら、美しく均整のとれた裸体を、誰もいない海に晒していた。そうして黒髪を風になびかせながら、光をまとって、緩やかに月の中へと消えた。それはまるで神が天界に戻るかのような、煌びやかで神々しい瞬間だった。しかし、シオンの美麗な瞳は、すでに色を失っているかのように見えた。
☆☆☆
冬のはじまりの冷たい風が、昼休みの混沌とした教室に抜けていた。気だるいおしゃべりと、男子たちが校庭で遊びまわる声が響きわたる。今日は月曜日。どことなく憂鬱な気分が、教室を支配していた。
「コヂカ? 大丈夫?」
ぼーっとしたままのコヂカに、マリは心配そうに声をかけた。いつもどおり3人で机を寄せてお弁当を食べているにも関わらず、コヂカは両肘に全体重をのせ、深く考え事をしているようだった。
「あっ、うん。ごめん」
顔を上げたコヂカは、そう言ってマリとカンナを順番に見た。カンナは箸を持つ手をいったん止めて、コヂカに優しく尋ねた。
「なにか悩みでもあるの?」
「ううん。大丈夫」
なんとなく元気のないコヂカの返答に、二人は口をつぐんだ。するとマリがカンナをちらっと見て、言った。
「そういえばさ、二人ってまだうちに来たことなかったよね?」
「えっ」
唐突なマリの言葉に、コヂカが小さな声を出す。
「うん、ないかも」
カンナがそう言うと、マリは得意気に白い歯を見せた。茶色い髪がふんわりと揺れる。
「今度、うちでお泊り会しようよ」
「おおっ、いいね」
カンナが声を上げて同意すると、コヂカも愛想笑いのようなものを浮かべ、
「うん、いいと思う」
と言って、うなずいた。
「じゃあ、決まりだね」
「いつにする?」
「今週の土曜とかどうよ?」
「うちは大丈夫」
「コヂカは?」
「空いてるよ」
コヂカはそう言うと、一度眠気を覚ますように、目をこすって頭を横に振った。
「目、覚めた?」
そんなコヂカに、カンナは母親のようなトーンで聞いた。語尾が少し上がっている。
「うん。お泊り、楽しみだね」
それからコヂカは唇を少し噛んで、耳に髪をかけたのだった。
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