渡葉の思いつき(短編集)
渡葉たびびと
決断力が99倍になる薬
告白に失敗した。
あああ。あああああ。
ついさっきまで目の前にいた彼が背を向けて去っていく。
私はそれを呆然と見送ることしかできない。
あああ。あああああ。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa。
もちろん実際に叫んじゃいないが、私の胸のうちには、もう文字とすら認識できないくらいの「あ」の奔流が高速で駆けていた。
人の寄り付かない校舎裏。他人の目こそないが、放課後の喧騒は隣の校舎から容赦なく降りそそぎ、音だけで私の失敗をあざ笑っている。気がする。
私は右手で額の汗をぬぐい、左手でスカートの端を握った。
何がいけなかったんですかね?
何がいけなかったんですかね?
熱をもった脳みそを回転させて思い返す。
髪はいつもの三倍の時間をかけて丹念にとかした。昨夜のシャンプーは、試供品のなんか高くてイイ匂いのやつを使った。肩まで伸びた髪は本当はちょっと邪魔だからシュシュで結びたいけど、風がなびかせてくれるのを期待して我慢した。
ヘアピンは五種類くらい持ってる中から、ワンポイントで白い花がついているのを選んだ。ちょっと目立つ気がして一度もつけた事のないやつだけど、
カーディガンは普段の紺色より色味のあるベージュ。そして帰りのホームルームが終わってから、スカートをさらに一段階折って短くする。
これで完璧!
……と、一葉は保証してくれた。自分じゃ正直よくわからない。「ヨイコのルックスなら、間違いないって!」とも言っていた。本当にそうか? どうなんだ? あと、
とにかく、準備はできた。あとは相手を呼び出すだけ。
しかし実のところ、これが一番大変だ。
私は優柔不断なのだ。それはもう世界で五指に入ってしまうであろう程に。
ファミレスに入ればメニューを十周し、コンビニに入れば売り場を十周し、結局それでも決められなくて時間切れ、最終的に友達と同じものを選ばされる。
回転寿司では目の前の皿を取るか取らないか、通り過ぎるまでに決められず、同じネタが流れていくのを何度も見逃して結局食べられない。
髪を切りに行った時は髪型が決まらずにヘアカタログを十周し、美容師さんが苛立ちを隠さなくなってきたあたりでプレッシャーに耐え切れず「……おまかせで」と呟く。それを毎回やっている。
もしオリンピック種目に優柔不断があったら金メダルを持ち帰る自信がある。世界の強豪も侮れないかもしれないが、大丈夫。きっとやってみせる。
とまあ、そんな有様なので、放課後を迎えいざ告白! という時間になっても私は、教室の自分の席に座ったまま内股気味にモジモジするばかりで、なかなか動けなかった。無関係な人が見れば、トイレでも我慢してるように見えたんじゃないだろうか。
私の頭の中では告白する理由と告白しない理由がとめどなく浮かび、消えることなく積み重なって脳の容量を圧迫し続けていた。私は
告白する理由。今日のための準備を無駄にしたくない。友人まで巻き込んでしまった手前引き返せない。そして何より、成功すればとても幸せである。顔を合わせる機会も話す機会も増えるだろう。もっと距離が近くなる。もっと彼について知ることができる。とにかく彼に関われる。
告白しない理由。とにかく失敗すると悲惨である。リスクがでかい。一度否定されれば、もっと顔を合わせられたらとか、もっと話せたらとか、そんな妄想をする権利まで失われてしまう。彼との関係をシュレディンガーの箱に閉じ込めて愛でることすらできなくなる。答えを知るってのは、そういうことだ。
考えても結論は見えなかった。何しろ成功するか失敗するか、その確率も定かでないのに、結論なんてあるわけがない。天秤の左右に乗っているおもりの重さすらわからないのだ。
あとは私が決断できるかどうか、前に踏み出すかどうか……ただ、それだけ。そういう世界。ああ、なんて重たい。もう結果だけ先に見せてくれればいいのに。そしたら
「いいから行け!」
「痛い!」
と、このあたりで一葉が私の背中をぶったたいた。
「復唱。『ごめん、ちょっと来てもらっていい?』これだけ。ハイ」
「ゴメンチョト、キテモラ、テイイ……?」
「まあ……よし」
そして一葉は私の両肩をつかんで無理やり立たせると真正面に回り、
「うん。美人」
「はあ?」
「大丈夫だって」
そう言ってニコリと笑った。もう一度背中を叩かれる。
頭の中ではまだ煮え切らない思考が渦巻いていたが、物理的に背中を押されたことで私は、いよいよ歩き出すしかなくなっていた。なんだかフワフワしたまま、私は彼に声をかけることを、決めた。
彼のところまでふらふらと歩み寄り、命からがら、先ほどのセリフを、ほとんど呪文のように口にする。それはどうやら伝わった。私は校舎裏へ歩き出し、彼はそのままついてきてくれた。いよいよだ。
あとは本番。一番伝えたいことを伝えるだけ。
ところが悲しいかな、私のなけなしの決断エネルギーは、声をかけるまでで尽きてしまっていたのである。
選択肢を天秤に乗せて比較するのは物凄いカロリーを使うのだ。しかも結論が出る前にムリヤリ、行動に移してしまった。彼を目の前に、私の目は泳ぎまくっていたと思うし、焦点もたぶん合ってなかった。どんなに髪や服装を整えても、表情がこれではダメだろう。
もうあんまり覚えてないけど、というか忘れたいのだけど、ここから私が口にできたのは「アノ……」とか「ェト……」とかの謎のうめき声だけで、脳内ではずっと、さっきの天秤がグラグラ揺れていた。
ここまで、ここまで来て、私は「告白するべきか」を決められないでいたのだ。
そのまま何分が経っただろうか。結局彼の口から聞けたのはイエスでもノーでもなく、「えっと、部活あるからもう行くね……?」という言葉のみであった。あれ?
こうして私は失敗した。
告白に失敗したというか、告白するのを失敗した。告白してすらなかった。
何がいけなかったんですかね?
……考えるまでもなかった。
決断! しないのが! いけなかったんだああああああああああああ!!
あああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ…………。
呆然自失で帰路についた。
失敗したその足で、ふらふらと家までたどり着く。カバンは教室だし、一葉も教室だ。結果報告すらしていない。しようにも、その結果がない。
家に入り、二階に上がって自室の机に突っ伏した。自己嫌悪でどうにかなりそうだった。私はいったい何をしてるんだろう。
優柔不断を欠点とするなら、私の長所は思考力じゃないかと、少し思っていた。告白する理由、しない理由をあれだけ思い浮かべられるくらいには。ついでに学校の成績だって、勉強してない割にまあまあ良いほうなのだ。
でも今日、思い知った。
そんなもの、大事なことを決められないなら、何の役にも立たない。
目の奥があつくなった。胸が苦しい。私は駄目な人間だ。
この日、私は夕食を食べなかった。母親から呼び出されても、体の調子がよくないと言ってつっぱねた。階下からカレーの匂いがしているのに食べたくならないなんて初めてのことだった。
夜は漫然とした時間を過ごした。気を紛らわすためか、手が自然とパソコンを起動した。そういえばスマホは教室だ。目からは涙が流れているのに、朦朧とした意識の中でマウスを持ち、ブラウザを起動する。検索窓に単語を打ち込む。ひどく短絡的な、今の私の願望。
『決断力 つけたい 今すぐ』
検索結果を濁った眼で眺めながら、私の意識はだんだんと薄れていった。
ここまでがこの日の記憶だ。
* * *
翌日は学校を休んだ。
よりにもよって彼にあんな挙動不審かつ意味不明な行いをし、一葉だって教室に置き去りにした。気まずくて行けたもんじゃない。親には体調が戻らないと説明した。
もう何も考える気になれず、ひたすら毛布にくるまってベッドで寝返りを繰り返した。食欲もまだ沸かなかった。妹は学校に、両親は仕事に出て、家はとても静かだった。それがありがたかった。
ところがその静寂は、早くも昼ごろには破られた。
ピーンポーン
と、味気ないチャイムが鳴った。
宅配便のようだった。両親がいない時間に来るなんてことがあるのだろうか。
……やむをえない、出るか。
階下に降りてドアを開け、配達員を迎えた。言われるがままにハンコを押す。
そこで気が付いた。いったいこれはどういうことだ。
『
荷物は、私あてだった。
学校のカバンくらいの大きさの、段ボールに入った小包。受け取ってみると、なかなかに重い。よくわからないままに、私はそれを自分の部屋に持ち込んだ。
段ボールをベッドの上に置き、横に座って悩む。
開けるべきか、開けぬべきか。いや、私宛てなんだから開けちゃマズイってことはないんだろうけど……。何しろ覚えがない。
私は頭を
机の上のノートパソコンだった。昨日はパソコンをつけっぱなしで寝てしまったので、スリープ状態のまま放置されている。
私はひとつの可能性に思い当たり、マウスをクリックしてスリープを解除してみた。機械音とともに画面が復活し、開きっぱなしのブラウザのページが映される。
それはネット通販のページだった。
「あっ」
私はマヌケな声を漏らした。全部思い出した。
――『ソクダン99』。あなたの決断力を99倍にする薬。
飲みやすい液体タイプで新登場。1日1回でOK。効果長持ち!
12本入りで1980円。決断的スピード配送で翌日お届け。
唖然とした。な、なんつう眉唾もんを。
これを注文したのか私は。
この決められない私が、自分で注文ボタンを押したのか。
しかし実際、目の前に届いてしまっている。決断力が99倍になる薬とやらが。
どれだけ藁にも縋る思いだったのだろう。意識が薄れてる時のほうが物事を決められるなんて、あんまりだ。再び、自分に嫌気がさしてくる。
もはや自分のものとハッキリしたので、段ボールを開けてみる。小さなビンが12本、確かに入っている。そのうち一つを、手に取った。
飲んでみるべきだろうか。
少し考え初めてみると、またしても私の中にはさまざまな理由が浮かび、脳内の天秤をぐらぐらと揺らし始めた。
飲まない理由。何といっても怪しい。効かないだけならまだしも、変な副作用などあってはたまったものじゃない。製造元だって聞いたことがない。それに、薬に頼った決断力なんか身に着けて、それでいいのだろうか。それは私に必要なものなのだろうか。
飲む理由。私には決断力が必要だ。最悪、気のせいでもプラシーボでもなんでもいい。もうあんな思いはしたくない。前に進めるようになりたい。この薬は、そのきっかけになるんじゃないか? 飲まなければきっと私は、このままだ。何も決められない私のままだ。
それは絶対に嫌なことだった。
ビンのキャップを力まかせにねじり開ける。
そのまま口元に運び、ひと息に飲み干した。
私は学校に行くことにした。
* * *
昼休みももう終わりに近いような時間だった。
手ぶらで教室に入った私を、一葉は驚きと気まずさの入り混じったような表情で見た。私はそちらへ、まっすぐに歩いた。
「あ、よ、ヨイ……」
「ごめんっ!」
少しどもりながら話しかけようとした一葉に、私はノータイムで謝った。
「え」
一葉は面食らったように固まった。そりゃそうだろう。いつもなら、頭の中で20パターンくらい考えた謝罪の言葉を結局ひとつも口にできずに右往左往するのが私で、ちょっとしたケンカでも先に謝るのはいつも一葉だった。
「何にも言わずに帰っちゃって、ホントごめん」
「……おう」
「あ、ありがとう、荷物。持って帰ってくれてたんだ」
「お、おう」
オットセイでも憑依したかのように「おう」しか言えなくなった一葉からカバンを受け取る。一年以上の付き合いだけど、さすがにこんな表情は初めて見る。ちょっと引いてすらいそうだった。
まあ、わかるよ。たぶんどう見ても豹変してる。
今の私は胸の内も穏やかで、何の悩みもないかのように気分は軽く、次に自分が何をすべきかが手に取るようにわかった。自分で決められることが、こんなに気持ちいいなんて。
私たちはそのまま何事もなかったかのように午後の授業を受け、放課後がやってきた。ホームルームが終わり、教室に解放感がやってくると、私はもう一度、一葉の席に向かった。
「……え、じゃあ、結局告白してないのかよ!」
「うん、ダメだった」
昨日の経緯を、私は包み隠さず説明した。私は好きだとも付き合ってくださいとも言ってないし、彼はイエスともノーとも言っていない。
「いや……それは、ダメじゃないだろ」
何かふっきれた様子の私にも慣れたのか、オットセイから人間に戻ることに成功した一葉はそう言って人差し指を立てた。
「断られてないじゃん! ワンチャンあるって。え、も一回いく? いこうよ」
「あー、それなんだけどね」
私も対抗して、人差し指を立ててみた。
「やめた。告白」
「は?」
「だから、それも含めて……ごめんね。いっぱい手伝ってもらったのに」
告白しない理由。とにかく失敗すると悲惨である。リスクがでかい。一度否定されれば、もっと顔を合わせられたらとか、もっと話せたらとか、そんな妄想をする権利まで失われてしまう。彼との関係をシュレディンガーの箱に閉じ込めて愛でることすらできなくなる。答えを知るってのは、そういうことだ。
私は、そっちを取った。
今なら迷いなく選べる。
「え? え?」
「決めたの」
「い、いいの? アンタそれで」
「うん。それより帰り、アイス食べない? お詫びにおごるよ。ハーゲンダッツ以外ね」
「え、ええー」
この日、私は、2秒で自分のアイスを選ぶことができた。
* * *
【あとがき】
デビュー前の2016年に書かれた作品。少女の一人称視点という事で、たいへんお気に入りの一遍。演出もキレてるよね。
当時カクヨムでは、コミカライズ権をかけたコンテストが開かれており、どの企画で参加するかを「Pants-de-mic」と争ってボツにした作品です。
パンツのほうがコミカライズ映えするって、某素さんも言ってたから……。
この続きでは、さらに決断力を強化し続けたヨイコが決断力無双をした結果なんか有名人になってしまい、世界の危機をどうにか決断する話になる予定だった気がします。
でも、この1話の雰囲気はこれで気に入っているので、崩すべきか今思うと悩ましいですね。そんな感じです。
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